BUSINESS | 2023/05/05

既存原発は「既にローンで買ってしまった持ち家」のようなもの?SNSでよくある議論がほぼ無意味である理由

【連載】あたらしい意識高い系をはじめよう(42)

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【連載】あたらしい意識高い系をはじめよう(42)

日本の電力問題が混乱を続け、電気代の高騰や時々電力不足の節電要請などがなされるようになってしまっている理由について、初心者にもわかりやすく解説し、今後どうしていけばいいのか?を考える連続記事の2回目です。

初回記事はこちらをどうぞ

前回は、

・ドイツの脱原発は世界的に見て「特殊例」であり、それに追随していない日本が「世界に置いていかれている」ということは全くない

…という単純な事実をまず確認した上で、

・世界のトレンドはむしろ明らかに「原発も再エネも両方」に向かっていて、その中で日本だけが脱原発をしても安全性が大きく高まるわけではない理由

…を解説し、

・日本において「最大限の安全性」を追求するには、安全性に関する科学的な議論を、20世紀型イデオロギーの全力の綱引き現象から救い出すことが必要だ

…という提案を行う記事となっていました。

2回目となる本記事は、なぜ世界で「原発も再エネも」がトレンドになるのか、そこにある理由について初心者にもわかるように解説する記事になっています。

倉本圭造

経営コンサルタント・経済思想家

1978年生まれ。京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感。その探求のため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、カルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働く、社会の「上から下まで全部見る」フィールドワークの後、船井総研を経て独立。企業単位のコンサルティングで『10年で150万円平均給与を上げる』などの成果をだす一方、文通を通じた「個人の人生戦略コンサルティング」の中で幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。著書に『日本人のための議論と対話の教科書(ワニブックスPLUS新書)』『みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか(アマゾンKDP)』など多数。

1:原発は実際に「安い」

日本において展開される「自分たちは間違ってない。敵が全部悪い」しか言ってないタイプの議論(右を向いても左を向いてもそういうのばっかりで困りますが)でよくあるのが、「原発と再エネのどっちが安いか」という話に熱中することです。

しかしこういう議論のほとんどは無意味であり、これに熱中している人は電力システムの問題を具体的に考えようとしているのでなく、ただ「党派争い」に熱中しているだけでしかない場合が多いと言えます。

例えば、日本の発電方式別のコスト試算として、経産省の発電コスト検証ワーキンググループの資料(リンク先PDF)があります。

そこに記載されている2030年における発電方式ごとのコスト試算が以下になります。

経済産業省 総合資源エネルギー調査会 発電コスト検証ワーキンググループ(第8回会合) 資料2 「発電コスト検証に関する取りまとめ(案)」より

これをもとに、

・「原子力の試算が安すぎる。もっと高いはずだ」

・「太陽光の試算が安すぎる。もっと高いはずだ」

・「太陽光の試算が下限の8.2円なら原子力より安い。もう原発なんて使う意味がないのにまだ推進しているのは自民党と原子力ムラの陰謀だ」

…といった水掛け論に熱中している人が「右にも左にも」います。 しかしこういう議論はほぼ全部無意味です。

まずこの試算を「既存原発の再稼働の議論」で使うのは間違っています。

なぜならこれは「2030年に更地から発電所を作り始める場合」のコスト試算であり、「既に作ってある原発」の試算ではないからです。

わかりやすく例えると、既存原発は「既にローンで買ってしまった持ち家」のようなものです。

親世代がローンで買った持ち家があるのに、それに住まずにもう一軒別に賃貸を借りて住んでいれば当然コストはハネあがります。その時に、「賃貸と持ち家どっちが“一軒あたりで”安いか?」とかで細部の数字の議論しても無意味ですよね?

だから経済面だけを見るなら間違いなく既存原発の再稼働は圧倒的に「安い」電源です。それは原発稼働率の高い関電と九電地域では直近の怒涛の電気料金値上げの中で料金据え置きができていることからも明らかでしょう。

日本が原発再稼働にこだわるのは「原子力ムラの陰謀」ではないことがわかりますね。

「買った持ち家に住まずに賃貸をもう一軒借りる」の例をイメージすれば、安全対策費に相当な金額がかかったとしてもまだ既存原発には少なくとも経済的な優位性はあることがイメージしやすいかと思います。

そしてこの例え話は原発新増設についても言える部分があります。

というのは、今日原発をやめても廃炉費用や廃棄物処分費用などはどうせかかるからです。

例えば廃棄物の最終処分場を作ることを考えた際、そのための大きなコストを考えれば、そこに入れる容量がたとえ二倍とか三倍になってもコストが何倍も上昇することなど考えられないでしょう。

処理しなくてはいけない廃棄物の量が例えば何十倍とかになるような、今の中国がやっているレベルの原発新増設を実現するのでなければ、計画中のものも含めた多少の原発新増設も含めてこの「持ち家と賃貸の例え話」は相当程度あてはまる可能性が高いです。

そして、実際に再稼働を進めれば、もうすぐ完成する六ケ所村再処理施設で廃棄物を再処理をすることが可能になります。

そうすれば廃棄物の体積と有害度を大きく減らすこともでき、結果的に廃棄物の処分の負担も有意に減らせる仕組みになっています。

このように原発のエコシステムには、単純なkWhあたりコスト比較だけではわからない、「ローンで買ってしまった持ち家」的な構造がもたらす色々なドミノ倒し的な合理性があるんですね。

もちろんこれは、もう一度福島第一のような重大事故を起こさない安全性を確保した上でなら…という試算ではあります。

その「極小確率の甚大なリスク」をどう考えるべきなのか?は第1回で詳しく書いたのでそちらをお読みください

2:再エネも実際に「安い」

じゃあ、例えばフランスのように7割とか、それ以上を原発でまかなうのが合理的なプランなのでしょうか?

しかしそれも間違っています。上記のコスト試算の資料を読めばわかりますが、ある意味では「再エネ」も実際にすごく「安い」電源であることが確かだからです。

「再エネなど意識高い系のゴリ押し」だと思っている人は、「しゃらくさい欧米的理想に毒された国が再エネなどにウツツを抜かしている間に、中国は原発で安い電力を作って追い抜いてしまうのだ」というような話をする人がいますが、その中国は再エネにも世界一レベルで投資をし続けています

もし再エネが単なる欧米の夢想家の空論なら、中国がここまで巨額の資金を投じたりすることはないでしょう。

つまり再エネには再エネの合理性があるのです。

さきほど貼ったざっくりしたコスト試算でも既に太陽光は原発よりも「同等か既に安い」数値が出ていますし、さらに以下のように内訳を見てみるとその可能性がより理解できます。

経済産業省 総合資源エネルギー調査会 発電コスト検証ワーキンググループ(第8回会合) 資料2 「発電コスト検証に関する取りまとめ(案)」より

上記グラフを比較すると、再エネの特徴は他の発電方式に比べて「資本費」が高く、「燃料費」がほぼかからないことです。

つまり、「建てるのに使うお金」は多少高いが、「運用」にかかるコストは安い。

太陽光パネルが40年使えるとして、20年で減価償却が終われば、その先は少なくとも計算上はなんと1kWhあたり3.9円!!の激安電源になることになります。

だから太陽光も実際に「安い」んですね。

昨今の電気代の高騰を再エネ推進のせいだと考えている人は多いですが、客観的に見ればむしろ「火力発電の依存度が高すぎること」が直接的な原因です。

九州電力管内などでは季節によっては余って捨ててしまうことも起きている再エネの分を、すべて「ウクライナ侵攻の影響で高騰した燃料費を払って火力発電で賄う」ことを想像すれば、再エネはむしろ電気料金の低減に役立っていることがわかるでしょう。

じゃあ、原発なんかいらないし、全部太陽光でいいじゃないか、それができていないのは原子力ムラの陰謀だ…ということなんでしょうか?

もちろんそうではありません。

この「太陽光が激安電源」の試算は、あくまで「元気よく働いてくれる瞬間の最大風速」においては…ということで、変動する電源が入ってくれば当然それをバックアップする仕組みがあれこれと大量に必要になります。

「そのバックアップ費用も含めた試算じゃないと意味ないじゃん!」というのは大変ごもっともですが、これがなかなか難しいんですね。

というのはあまりに不確定要素が多すぎて、信頼できる数字をなかなか作れない。

上記の試算は「電源別限界コスト」という手法で算出されており、一応そういう要素も加味された数字ではありますが、算出方法を確認してみると、現実の複雑さを考えるとあまりにも頼りない非常に単純化した数字でしかない。

これが難しい理由は、「本当のコスト」を考えるには、将来にわたって太陽光パネルがどれくらい安くなるか…という単純な話だけでは足りないからです。

例えば太陽光が電力需要全体の5%ぐらいを賄う時と、70%を賄う時とでは、太陽が照ってない時のバックアップのコストが全然違います。

さらに言うなら、再エネの量の増大とともに単純に「量」をマッチングさせる困難も膨大になるのですが、それだけでなく送配電業界で「シワ取り」と呼ばれる再エネの周波数変動の調整を行うことの困難さが急激に跳ね上がったりするような、二重三重の予期しない波及効果を乗り越える必要があるんですね。

また例えば同じ全体の30%を再エネが占めるというケースを考えても、その内訳が全部太陽光である場合と、半分は風力である場合ではバックアップのコストが全然違ってきます。

全部太陽光だと、照ってない時には全滅になりがちですが、風力が半分ならどちらかは使えるケースが増えて、バックアップの必要性が大分減る事が考えられるからです。

今後増える東北と北海道の風力発電も、ひょっとすると風況から分析していたほどには発電してくれないかもしれないし、逆に案外年間を通じて頼りになる電源になるかもしれない。

また太陽光の事情との組み合わせの中で、凹凸が合って問題がなくなる時期もあれば、巨大台風が来た時など太陽光だけでなく風力も止める必要が出てくるので、それら全てが消えても大丈夫なバックアップが必要になるかもしれない。

こうやって少し考えてみただけでも、日本の国土の環境の中で、年ごとの季節変動ごとに、どれくらいの「変動対策」が必要になってくるのかはあまりに状況が千差万別すぎて、「実際やってみないとわからない」事が多いことがイメージできるかと思います。

だからこそ、右からも左からも飛び交っている「敵をかっこよく攻撃してSNSでお仲間と盛り上がることが目的の空論」ではなく、「常に状況変化を冷静に見極めながら最適なバランスを取り続ける議論」が必要になってくるわけですね。

3:世界が「原発も再エネも」に向かう理由がこれでわかるはず

ともあれ、ここまでの話をまとめれば、なぜ世界が『原発も再エネも』のトレンドになっているのか、その圧倒的な合理性が浮かび上がってきたのではないかと思います。以下、専門知識がない人にもわかりやすいようざっくりとまとめてみます。

まず火力発電は脱炭素の国際的圧力から今後どんどん使いづらくなるし、コストも激増(二酸化炭素排出対策コストや、化石燃料投資激減による燃料費自体の増大コストによる)していくことが予想されるため、火力発電をメインにするのは辛いというのがまず大前提としてある。

既にロシアによるウクライナ侵攻の結果、世界中で火力発電による電気料金が強烈に上がって大問題になっているような現象は、今後も続くことはほぼ確実だということです。

だから石炭だろうと石油だろうと天然ガスだろうと、火力発電をメインに使い続けるのは大変危険な選択になります。

一方で「水力発電」は脱炭素的にもコスト的にも非常に有望な発電ですが、既に日本では開発しつくされていますしこれ以上ほとんど増やせないでしょう。

…だとすれば、将来的に信頼できるのは「原子力と再エネ」が二大選択肢となります。

2021年10月に閣議決定された日本の「第6次エネルギー基本計画」(「エネ基」と呼ばれています)では2030年に原子力が20〜22%とされていますが、だいたい世界各国では10〜30%程度の原子力を見込んでいるプランが多いです。

考えてみて欲しいのですが、例えば20%の「いつでも期待できる原子力」の下支えなしに、再エネで100%賄うことにすると、「二重三重に予備で持つ設備量」が膨大になります。それは当然コストに跳ね返ってくる。

単純化したイメージで言えば、最大需要量の時に十分なほどの太陽光が動いているとしたら、太陽が出ていない時でも同じだけ発電できる何か(蓄電池に貯めておくなども含む)が“まるごともう1セット”必要ということになりますね?

原発が下支えしてくれればくれるほど、この「変動のバックアップ費用」が激減するので、だから原子力はその「kWhあたりのコスト」試算とは別の意味で全体の「安さ」に貢献してくれる合理性がある。

福島での事故から「脱原発」の風潮が世界に広がるかと思いきや、結局世界中で原発が作られ将来も計画され続けているのにはやはり理由があるんですね。

では一方で、再エネが「安い」という部分はどういう意味なのでしょうか?

太陽光はもちろん、風力も含めて再エネは、減価償却が終わってから「かなり安い電源」になります。

火力発電の燃料代に使っている費用は中東とかオーストラリアに払って国内に残りませんが、既に作った再エネ施設は何十年と役立ってくれる。ある意味で「純国産」エネルギーになりますから、エネルギー安全保障上も大変有意義です。

エネルギー自給率が世界最低レベルの日本としてはこの点は非常に大きい。再エネ比率が高まるほど、原油や天然ガス価格が乱高下するたびに経済に致命的な連続パンチを浴びせられるような不安定さを卒業することができます。特に「愛国者」のあなたならこの点は非常に重要だと感じられるはずです。

例えるならお金を使ってしまえばそれで終わりだけど、後に残る投資をしておけばそれが育っていって将来楽ができる…という関係になります。

だからどうせ火力に使ってしまって後に残らないよりは、お金を払う瞬間は火力より少し高い場合もあるかもしれないが、再エネ発電に投資をしておけば後々ラクができるよね…という構造になっている。

「どの程度」のスピードで再エネを増やしていくのかには考え方の違いはあるでしょうが、「使っちゃって終わりの火力にかける燃料費のうち、“ある程度の部分”は毎年再エネに使っておいた方が将来ラクができますよ」という関係になっているんですね。

もちろん、そもそも再エネのような頼りない変動電源なんてゼロにして、「オトコは黙って原子力!」で全部やればいいんじゃないの?と思う人もいるかもしれません。

しかし現実問題として、1基つくるのも再稼働するのも合意形成が大変な原発を「最大需要量の時も十分なほど」作るのはほぼ不可能ですよね。これから既存原発の3倍も4倍も新規に増設するなど、民主主義国家ではほぼ不可能でしょう(そもそもの相場観として、例えば東電の持っている既存原発を全部稼働させても東電管内の最大需要の2割すら賄えないという程度の状況であることを理解する必要があります)。

より本質的な問題としては、どうせ電力需要は季節や時間によって大きく変動するのだから、「ピーク時にも対応できるだけの発電所を作る」のはそれ自体原理的に大きな無駄があるんですね。民主主義の制限が関係ない中国でも、原発だけでなく再エネにも投資しまくっている理由がそこにある。

なぜならそれは、「年間数日しかないピーク時の一瞬しか使わない発電設備」をお金をかけて作っておいて、しかも「年間のほとんどをただ遊ばせておく」ことを意味するからです。

そんなことをするぐらいなら、何らかの「変動に対応する仕組み」自体を入れていったほうが本来合理的で、そしてどうせ「変動に対応する仕組み」自体は必要なのなら、再エネを入れていくこと自体は否定できない合理性があるんですよ。

現時点でもコストを無視すれば、日本には「クリーンエネルギー100%(近く)」でやれるぐらいの適地があると試算している人はまあまあいます。

例えばアメリカのエネルギー省傘下のバークレー研究所のプランや、自然エネルギー財団が発表しているプランなど、再エネに集中投資する計画を発表しているシンクタンクのビジョンを見ていくと、だいたい東北や北海道の陸地や洋上に風車をバンバン建てまくるプランになっています(先述したように既に太陽光は世界的に見ても高レベルに導入されているので)。

私も今回の取材で体験しましたが、冬の青森(特に下北半島)などは非常に強い風が常時吹いていて、夏の太陽光と冬の風力が補完的関係になると予想されることは日本における再エネでは非常に希望が持てる特性だと言えるでしょう。

だからこそ、現状太陽光よりもkWhあたりコストが高いように見えても、「全体の変動をバックアップするコスト」を減らすことができる可能性が高いために風力には投資する意味があるんですね。

そして、現状ではまだ風力は単体での試算では価格が高いですが、結構驚くほど年々コストは下がっています。

先程の「発電コスト検証ワーキンググループ」の試算は2021年の8月に出されましたが、そこでkWhあたり26.1円の試算だった洋上風力のコストが、そのたった半年後の年末に発表された洋上風力計画の入札ラウンド1では、三菱商事が驚きのkWhあたり11.99円(秋田県由利本荘沖)で入札して業界を驚かせていました。

そして上記のバークレー研究所のプランでは、2035年までに90%を二酸化炭素を出さないクリーンエネルギー(原発20%を想定)によって電気代はむしろ6%安くできるという試算になっている。

正直言ってちょっと「ほんとかな?」と思う人も多いでしょうし、実際やってみれば乗り越えるべき壁もまだ色々出てくるでしょう。

しかし、

少なくともそういう試算が数字上はできるぐらいには、原子力も含めて使えるものは全部使い、「プロ」がキッチリ考えつくしたエネルギーミックスの上で丁寧に導入を進めていけば、再エネは本当に“安く”なりうる電源である

…ということは、今の日本人の一般的イメージからはかなり驚くべき事実だと言えるのではないでしょうか。

日本という国は陸地(特に平地)は狭いですが膨大な排他的経済水域(世界第6位)を持っており、洋上風力のコストが十分下がればものすごい可能性につながります。一気に資源大国化も夢ではない。

つまり、「現時点から一気に再エネへと全振りするべき」かどうかは人それぞれ考え方の違いがあるけれども、「一定量ずつ増やしていく」ことに関しては、どんな立場の人から見ても「安い」合理性があるのが再エネだということです。

4:どれぐらいの変化のスピードを目指すべきか?

色んな関係者が全力で綱引きをした結果策定された「第6次エネルギー計画」は、「妥協の産物」とか「机上の空論」とか言う人もいますが、私は「夢と現実」がある程度どちらも盛り込まれた、「日本にとってとりあえずの良い案」だと思います。

2030年度再エネ目標36〜38%(技術革新の目処が立ったらもっとチャレンジするとも書いてある)は現状からすればかなり野心的ですし、これに文句を言う再エネ派の人は「とりあえずこれを安定的に実現してから追加注文してくださいよ」という感じだと思います。

逆に20〜22%の原発比率も、長年冷や飯を食わされてきた原子力関係者に大きな希望を与えることができました。

ここまで見てきたとおり、「どういうエネルギーミックスがいいのか」はやってみないとわかりません。

例えば洋上風力を作ってみたら想定より止まる時期が多いかもしれないし、しかもそれは作った場所ごとに、そして年ごとに、季節ごとに違うパターンを持つでしょう。それでどれほどのバックアップが必要になるのか、実際にはやってみないとわからない。

バックアップの方法にしても、老朽化した火力発電所を維持し続けておいて使う方式がいつまでできるのか、国際的な脱炭素プレッシャーの状況によっては何らかの再生可能燃料の設備が必要かもしれないし、ある時期から蓄電池がメチャクチャ安くなるイノベーションが起きるかもしれない。

だからこそ、「日進月歩の技術や日々の状況」を勘案しながら常に柔軟に対応していくしかない。

しかし今の日本のように、「再エネ派」は原発を否定するために、逆に「原発推進派」は再エネを否定するために、事実に基づいていない空理空論の罵り合いが蔓延している状況では、「日進月歩の技術を総覧しながら適切に一歩ずつ手を打っていく」ことがなかなかできません。

まるで、「アクセルベタ踏み」か「ブレーキベタ踏み」の二択しか選べないような現状では、曲がりくねった山道を事故なしに自動車で通り抜けることができない…というような状況だと言えます。

そこで提案なのですが、この記事で書いてきたような「ある程度の全体像」が理解できる層が、再エネ派も原発派もガッチリ手を組んで、「罵り合いのための空論」を抑え込んでいくことが、今の日本では必要ではないでしょうか?

・心の底では脱原発したいけれども、原発に一定の合理性があることは理解できる

・心の底では再エネが最終的にすごく安くなるという試算には反対だが、その可能性を考えて徐々に増やしていくことには一定の合理性があることは理解できる

こういう2つの層が意見の相違を超えて協力しあい、「両極端の罵り合い」から距離をおいて、毎年毎月に新技術の発展動向を理解しながら定量的に「工夫」を積んでいける環境が、今の日本には必要だと思います。

例えば上記のバークレー研究所のプラン(原発20%を前提としつつ最大限の再エネの導入で電気料金をむしろ6%下げられる)などを見ていると結構ワクワクするというか、夢があるなあという感じではあります。

ただし、そういう「夢を語る人」と「日本国内での現実を差配している人」の間の距離が開きすぎていると、なかなか適宜柔軟に取り入れていくことができません。

5:「マトモな中庸的議論」は不可能ではない

「夢」を実行に移してみるとさまざまな現実的課題は当然出てくると予想され、その場その場でまた最適な計画見直ししながら進めていくグリップを握れる主体がどこかには必要ですが、そういう「現実への責任感」と「理想への情熱」をどうやって両立させるかは大変難しい問題ですよね。

単純に言えば、世界最先端の技術動向に詳しい人は国内事情に疎いことが多く、国内事情に詳しい人は海外の技術動向に疎いという大問題がある。

結果として、日本の電力問題の国内事情を深く理解している人のところに「最先端の動向」が届かず、「本当はこうしたらいいのに」というモヤモヤとした理想主義の不満だけが行き場を失って、さらに日本政府の現行プランへの強烈な憎悪として暴発してしまいがちになる。

だからこそ、毎月、日本の国土における再エネの特性や毎年の需要増減との関係、そして日進月歩の世界の技術開発の動向との関係を、イデオロギー的な綱引きから分離して徹底的に合理的に議論できる環境を作っていく必要がある。

「そんなことどうせ無理だよ!」と思いますか?

私は決して諦めていません。

なぜなら今後の日本社会では、現実問題を無視して全てをイデオロギー的党派対立に持ち込むことが生きがいだった世代が徐々に引退していくからです。

結果として、多くのマスコミの「中の人」を見ていても、私の同世代(40代)が中心的な役割を担うことになり、20世紀的イデオロギー対立を超えていかないと現実はグリップできないことを理解している人が増えていると感じますし、SNSで直接私の意見に賛同のメッセージをいただくことも結構ある。

そして、今は「両極端の議論の一員」として暴論を述べている“専門家”の人だって、電力問題に限らずそうしないと注目されない不遇ゆえにだんだん堕ちていってしまった例が多く、本来「マトモな中庸的議論」が冷静に合理的に行われるのであれば自分だってそこに参加したいと考えている人が多いはずです。

イデオロギー論争を超えた「中庸のド真ん中の議論」が立ち上がってくれば、「そうそう、これが必要だったと思っていたんだよ」という形で賛同してくれる人は多く現れるでしょう。

SNSで「敵」を攻撃することだけが生きがいで、実際の日本がどうなろうとどうでもいいような「すべてが右か左か」で見えるビョーキの人たちから「現実の支配権を取り戻す戦い」をやっていく必要があります。

この連載および、今後も難しい舵取りが続く電力問題への解決が、その突破口になることを願っています。

第3回「再エネ普及は「思想家」から「実務家」の時代へ。未だ残る大課題「電力供給の安定」を皆で考えればもっと先に進める」に続く


(お知らせ)
電力関連に限らず、あらゆる問題を20世紀型イデオロギーの空理空論でオモチャにせずに、現実的な課題の解決に人々の注意を振り向けていく方法について、中小企業コンサルティングで過去10年に平均給与を150万円引き上げられた成功例から、大きな社会問題についての分析に段階的に広げて理解する本を出版しました。

昨今の選挙などで「右も左も仲間割れが続く」状況は、「新しい中庸的な共有軸を日本に作っていく上で今後必要になるプロセス」なのだという話をこの本の後半では詳しく書いており、多くの読者から「予言通りになってきている!」との評価を戴いています。

「はじめに」が無料で試し読みできるのでぜひお読みいただければと思います。一緒に過去数十年続いた空理空論の日本を乗り越える共有軸を作っていきましょう!

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