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倉本圭造
経営コンサルタント・経済思想家
1978年生まれ。京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感。その探求のため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、カルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働く、社会の「上から下まで全部見る」フィールドワークの後、船井総研を経て独立。企業単位のコンサルティングで『10年で150万円平均給与を上げる』などの成果をだす一方、文通を通じた「個人の人生戦略コンサルティング」の中で幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。著書に『日本人のための議論と対話の教科書(ワニブックスPLUS新書)』『みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか(アマゾンKDP)』など多数。
NHKのクローズアップ現代で、「“安いニッポンから海外出稼ぎへ” ~稼げる国を目指す若者たち~」というタイトルの、オーストラリアの農園や介護現場などに「出稼ぎ」に行く日本の若者たちの特集が放送されていました。
日本ではかなり長時間労働をしても20万円台の給料だった20〜30歳代の若者が、オーストラリアでブルーベリーを摘む仕事をしたら月50万円、英語ができるなら介護の仕事で月80万円の例もあるとか。
「安い日本へ見切りをつけ、海外へ出稼ぎする若者が増えているといいます」
…というナレーションからはじまり、
若者の日本離れ
…というパワーワード(笑)も飛び出す内容は、SNSで大変話題になっていました。
読者のあなたはこの話についてどう思いましたか?
人によっては、こういうのは日本国に対する“裏切り”であるとして怒りや寂しさを感じる人もいるかもしれません。
また昭和末期から平成初期にかけて世界一の経済大国だった時期の日本を強く印象に残している世代から見ると、日本人「が」外国に出稼ぎに行くということ自体が単純にショックだという人もいるでしょう。
しかし私は、こういう風に「プレッシャー」を与える存在が出てきてくれることは、日本社会にとってプラスの効果が大きいと考えています。
番組中で東京大学教授の渡辺努氏(マクロ経済学)が、「これは日本の労働市場に対する若者たちの静かなストライキなのだ」と述べていました。
「フルタイムで働いても手取り20万円すら届かない仕事がザラにある」と言われて久しいような低賃金、長時間労働が常態化したままの状態を放置していると、若者たちはその日本を見限って外国に逃げていってしまう。
そうすることで、間接的に「日本の雇い手たち」へのプレッシャーを与えているのだ…というのが「若者たちの静かなストライキ」の意味するところでしょう。
そういう「プレッシャー」を与えてくれる存在がいることは、日本人の給料を上げ、長時間労働を是正するために大事な「外圧」になってくれます。
しかし、これは番組で渡辺教授もおっしゃっていましたが、
その「圧力」をちゃんと「賃上げ」につなげられるか?
これは不透明ですし、ただ放っておくだけでそう簡単に実現できることではないかもしれません。
特に渡辺教授は、一部の大企業だけでなく日本人の7割以上が働いている“中小企業”において賃上げを行うことの困難さを指摘し、その可能性に対して悲観的なコメントをしていました。
というわけで今回の記事は「安いニッポン」を是正しなくては!という機運を捕まえて、「本当に給料を上げる」にはどうすればいいのか?について考えます。
私は若い頃、外資コンサル会社マッキンゼーにおいて、日米の経済学者が参加する経済研究プロジェクトに参加していたこともありますし、逆に今は中小企業コンサルタントとして、クライアントの中小企業でここ10年で150万円ほど平均給与を実際に引き上げることができた成功例もあります。
つまり、「経済問題に対する一般的な理論的考察のトレンドは一応フォローしている」上に、特に“中小企業における賃上げ”を実際に行うにはどういうことが必要なのかも理解できていると自負しています。
こういう「理屈」と「現場」の両方から考えていくことでしか、本当に「賃上げ」を安定して行う環境を作る方法を見出すことはできないと私は考えています。
ただ、政治経済について扱ったこういう記事を読んでいるあなたのようなインテリの人は、実は日本人全体からするとかなりエリート的な存在であって、日本人の7割以上が働く中小企業の実情をよく知らない人も多いはずです。
そういう方々は「残り7割の大事な同胞」とどうやって協力関係を築いたらいいかわからなくなってしまっており、結果として日本全体の先行きについて過剰に楽観的になったり過剰に悲観的になったりしがちです。
若者が多少外国に出稼ぎにいったからといって、「日本はもうダメだぁ!滅ぶしかないんだ!」「海外に逃げるなんて負け犬だ。日本こそが世界で一番素晴らしいのだ!」…みたいな騒ぎ方をするのは両方とも単なる思考停止でしかありません。
各個人の選択を尊重しつつも、この情勢変化をちゃんと直視し、国内の給料も上げていくために必要な発想がどういうところにあるのかについて書きます。少しお付き合いいただければと思います。
1:「フリーター」礼賛時代を彷彿とさせる風潮であることに注意が必要
とはいえそもそも論として、海外に行けば簡単にバラ色の世界が広がっているかというと、そういうわけでもない事は注意が必要かもしれません。
私は先述の通り海外に出る若者が増えることは日本社会に対して良いプレッシャーになると考えている方なので、けっこう期待して番組を見たのですが、
…という印象になってしまいました。
特に英語ができず農場の単純作業をしている人たちは、いつクビを切られるかもわからないし、コロナが終わって数年経ち、途上国からの労働者が再度集まるようになったときに今の給与が続くかどうかもわかりません。さらに言えば、現段階で番組に出演しているような人たちはもともと「稼ぎたい」より「海外で働いてみたい」という気持ちが強い人も、それなりにいるであろうことは念頭に置くべきでしょう。
結果として、
・将来に渡って雇用される見込みがあり、何らかのスキル蓄積が見込める日本の職場で、20代の若いうちに月収20万円台
・状況が変わったらすぐクビになるし、特に昇給にも将来にもつながらない単純労働で月収50万円台
…というのは、メリットとデメリットが結構釣り合っているというか、資本主義のメカニズムの精密な働きを感じてしまいます。
昭和末期や平成初期の日本のバブル経済時代に「フリーター」という言葉が作られた当時は、あちこちのバイトで誇張でなくこれぐらいの金額を稼ぎ、
「これからは会社の奴隷になる正社員なんかじゃなく、フリーターとして自分で自由に選んで生きていく時代なのだ!」
…などと持て囃されていたことを記憶している世代の人もいるでしょう。
当時のフリーターバブル時代に、「正社員になる奴隷たち」に対して優越感を感じていた人たちと、「稼いでる金額の感じ」がかなり似ているのが少し気になりました。
日本社会では時々、「自分ではそういう選択肢を選ばないくせに、やたらロマン込みで持て囃す」傾向があります。
こういう風潮が少し不健全なのは、これを「持て囃している」側の人間の多くは日本社会の中で安定した地位を築いているパターンが多いことですよね。
「もう正社員で働く時代じゃない。日本なんてもう終わりだよね」とSNSで吠えている人は決して「日本国内の正社員の職」を手放さず、それを真に受けた若い人が「実際に」それに飛び込んで、「変わらない日本社会への刺激」を与えてくれるアテウマとして消費されてしまう(その後どうなっても自己責任)、という悲劇はこれまで何度も繰り返されてきました。
とはいえ、この選択肢が本当にフィットする個人も必ずいますから、もしチャレンジしたい人は空気に流されず本当に自分自身にとってメリットがある選択なのかを考えてから実行してみていただければと思います。
例えば、日本において現状「昇給の見込みがある安定した仕事」すら得られていない人なら失うものはないわけですし、海外で挑戦して貯金を作り、それを元手に次の挑戦をするのも良いかもしれません。
また、海外で働いて空き時間にスキルアップや副業について試行錯誤するなど、“自分でなんとかしてやる”という強い気概があるならば、海外出稼ぎが人生にとって最適な選択肢である人は必ずいると思います。
もちろん、単に“気分がいい”ってだけでも人生には大きなメリットだと言えますし、諸条件を冷静に勘案した上でご自身に合っていると思うならぜひチャレンジしてみてください。
そして、そうやって「プレッシャー」を与えてくれる役割の人もいれば、“国内組”はそのプレッシャーに応えて賃上げや労働環境の改善をやっていかねばいけませんね。
ではどうすればいいのでしょうか?
2:「安定」を取るか「昇給」を取るか?それが問題だ
さきほど、
・将来に渡って雇用される見込みがあり、何らかのスキル蓄積が見込める日本の職場で、20代の若いうちに月収20万円台
VS
・状況が変わったらすぐクビになるし、特に昇給にも将来にも繋つながらない単純労働で月収50万円台
…は結構メリット・デメリットが釣り合っているのではないか?という話をしましたが、これは「給料」というものについての資本主義のメカニズムが実に精密に働いていることを表しているかもしれません。
昨今、次々とアメリカの巨大IT企業が大量のリストラを発表していますが、そういう会社のほとんどは会社存亡の危機に陥るほどの大赤字を出しているわけでもなく、日本企業の平均からしたら羨ましいぐらいの成長が続いている例も多いです。
にも関わらず、「ちょっと来年あたり不況が来そうだから」という程度の理由でポンと何千人も解雇するカルチャーというのは、多くの日本人の想像を超えた世界だと思います。
そして、そうやって「ちょっとしたことですぐクビを切っても良い」制度下なら、簡単に給料は上げられます。
「ちょっといいなと思ったのでデートしませんか?」ぐらいなら気軽に応じられるけど、「一度デートしたら必ず結婚して一生添い遂げなくてはならない」みたいな話だとよほどの思いがなくては受けられないのと同じですね。
NHKの番組中でも渡辺教授が、「日本は90年代末期から、とにかく給与の上昇より雇用の安定を重視する傾向が強かったことが、長年の賃金水準の停滞を招いたのだ」という説明をされていました。
その認識ゆえに日本経済の処方箋として「雇用の流動化」を、特に「解雇規制の緩和」を主張する人は多いです。
ただし、そういう言わば「日本維新の会型の政策提言」は、ロジックとしては一定の合理性があるわけですが、
問題は日本人の大部分の総意として、「そういう方向には行かない」と強固に決意しているようなところがあることなんですよね。
もちろん日本をそういう方向に動かすべきだと考えている人はその路線の政治運動をしていただければと思いますが、正直言って私はこの気風が近い将来に大きく反転する未来は想像しづらいです。
だとしたら、「クビ切り簡単な国での給料の上げ方」とは「別のやり方」を、自分たちでオーダーメイドに作っていくしかありません。
3:亀には亀の戦い方がある
「クビ切り」に限らないのですが、日本人は自分たちが「安定」を世界一と言えるレベルに好んでガチガチにリスク回避的な行動をしておきながら、アメリカのように「安定」など最初から捨ててかかっているような国と同じ結果が出せないと過剰に自分たちを卑下しはじめたり、あるいは逆に「自分たちは間違っていない!」とすべての変化を否定しはじめたりしがちです。
しかし、ウサギにはウサギの、亀には亀の戦い方があります。亀は亀らしく着実に、ウサギにはできないやり方を真剣に考えていかねばなりません。
過去20年の日本では、
自分たちの特性や過去にした決断と関係なく、「なんでGoogleみたいにできないの?日本ってダメだよねえ」みたいなこと事を無責任に言うだけ
VS
自分たちの特性と全然合ってないアイデアを無理やり形だけやろうとして徒労に終わり、結局あらゆる変化を拒否して今までのやり方に引きこもってしまう
…という、どっちに進んでも地獄の水掛け論を延々とやっている間にジリジリと衰退してきてしまいました。
例えば海外の事例に接したときに、「これが日本でもできたらいいな」と考えるのは大事なヒントになります。
しかし、その先で
・日本で今それができていない理由は何なのか?
・どうすれば協力関係を社会の中で広く取り付けてそれと同じことができるのか?
…といった「二歩目三歩目」の質問にちゃんと向き合っている例が少なすぎるように思います。
「不況っぽくなった」だけで数千人すぐ解雇するアメリカと同じことを日本でやれるはずがないんだから、「Googleみたいにできない日本の経営者はクズ!」といくら言っていても無駄です。
しかし、「日本人の特性を否定しない形で、資本主義のメカニズムとうまく協業できる方法を一個ずつ丁寧に探していくことはできます。
・ 例えば今回の話で言えば、要するにアメリカが「クビ切りを簡単にする」ことで実現している経済の“変化対応力”を、「クビ切りを簡単にしない」ままで実現できればいいわけですよね? 最近、私のクライアント企業で業績が良く、実際に給料を上げていけているところには、次々と吸収合併型のM&A案件が持ち込まれています。
合併する企業の1割ぐらいのサイズの案件が持ち込まれて、吸収して文化的に統合し、「生産性を高めて安定的に賃上げをしていける良い文化」が崩壊しないようにしながら、株分けして醸造食品を作っていくようなプロセスでサイズが大きくなっていっている。
昔は「会社を売る」ことが大変なタブーで、「ハゲタカ」などと結構ひどい言われよう方をしていましたが、最近は中小企業経営者のアンケート回答などを見ても、M&Aで身売りすることにポジティブなイメージを持つ人が圧倒的に増えています。
「クビ切り」ができないなら、「会社単位」で整理統合して、「良い文化」が崩壊しないようにしながら転換を起こしていくことがそ「クビを切りやすくしたから給料を上げられる」の代替手法となるはずだと私は考えています。
つまり海外、特にアメリカのように「末端の人間関係を引きちぎる形」で「資本主義のパワー」を発揮させるのではなく、「末端の人間関係と協力関係」を丁寧に作りながら「資本主義のパワー」を活用していく方法だと言えるでしょう。
実際、私のクライアント企業の周囲ではこういう例をかなり頻繁に目にするようになっています。
統計的にも、就業者数が徐々順調に伸びている一方で、日本の「会社企業数」はどんどん減っており、全体として必要な変化は、静かに、ゆっくりとかもしれないが起きていっていると考えて良いでしょう。 こういう変化を、文化的な反発を受けて頓挫しないように丁寧に押し広げていけるかが大事です。
4:インテリ日本人から見た「暗黒大陸」を断罪せず理解し協力する
既に地味に起きている「必要な変化」ですが、さらに一歩進めていくには、インテリの日本人が「それ以外の7割の日本人」との付き合い方をもっと真剣に学んで理解する必要があると私は考えています。
アメリカなどは「万人平等」の建前とは逆に、少なくとも経済運営に関しては「考える能力があるのは一握りのエリートのみ」という発想が徹底していて、末端の人間はただただ言われたことをやるだけの構造になっていることが多い。
それがエリートと庶民の文化的断絶を産んで、末端の人々の自信を失わせ、政治的分断が民主主義を危機にさらしている面もあるでしょう。
日本は幸か不幸か末端の多くの普通の人まで、諸外国と比べると圧倒的に責任感と当たり前の処理能力を持っています。
しかし結果として、「一握りの知的な人」が考えたアイデアを問答無用に隅々まで通用させるようなスピードが遅くなってしまいがちになる。
実は日本人のエリート層の中には、アメリカにおいてそうであるように「インテリの支配層と、言うことをただ聞いてくれる末端」という関係ではないことに密かに苛立ちを覚えている人は多いです。
もっと「末端社会側の自律性」なんかメチャクチャに破壊して、オレサマが言う通りに簡単に取り回せるようになってほしい…という方向についつい発想してしまいがちです。
しかし、「末端社会もある程度責任感と自律性を持っている」という部分こそが日本社会の大きな長所であり、それを否定して無理やり動かそうとすれば余計に反発が起きて、必要な動きまでも遅くなります。
日本人のインテリエリート階層にとって「謎の存在」あるいは「敵」扱いされがちな「残り7割の日本人」との、相互信頼的関係性をいかに取り戻せるかが、今後の日本では大変重要です。
つまり、日本で本当に「変化」を起こすなら、「インテリの内輪の話」だけでなく、その外側の「7割の日本人」の領域まで双方向的な共感関係を再建して協力してもらう必要がある。
それを実現するのはかなり大変なことですが、うまく動き出せさえすれば、一握りのエリートだけが活躍する一方で社会の末端がカオスに飲み込まれ、スラム化していってしまうようなアメリカ型経済のあり方ではない道を見出していけるでしょう。
ウサギにはウサギの戦い方が、亀には亀の戦い方があります。
「亀」を信頼し、「亀のやりやすいような環境」を整えてやることに、日本のインテリの知性をちゃんと使えば、彼らは自分たちだけでちゃんと経済をうまく回せる力を持っていますし、逆に「国際競争的な分野」において必要な改革を邪魔されることも急激に減るでしょう。
実際に私のクライアント企業において10年で150万円ほど平均給与を上げられた事例から言えることは、中小企業において「給料を上げる」というのは、アメリカの巨大IT会社を起業するような超天才がいないとできないことではありません。
ですが個人レベルにたとえて言えば、「毎日自炊を続けて食費を下げる」ぐらいの継続的な努力ができる精神的安定感を維持する必要はある。
自炊など誰でもできる簡単なことに思えますが、毎日、しかも食費を下げるように続けるためには、ある程度安定した精神的余裕が必要です。
そういう精神的基盤が崩壊してしまうと、どうしても毎食ウーバーイーツや出前館に(経済的に厳しければコンビニ飯やカップラーメンに)なってしまったりしますよね?
そういう意味で、「安定して賃上げを実現できるような協力関係の文化」を、どうすれば国全体に地続きに押し広げていけるかどうか?という風に考えてみましょう。
企業活動における「毎日自炊を続けて食費を下げる程度の努力」は具体的に何なのか。さっきも書きましたがそれは「GAFAがやったような世界を変えるイノベーション」ではなく、これまで100人でやっていた仕事を50人でできるようにするような「等身大のイノベーション」だと私は考えています。
その「等身大のイノベーション」とは具体的にどういうことなのかという話は、こちらの記事で詳しく書きましたので、興味がある方は読んでみてください。
こういう「等身大のイノベーションを安定して起こせる文化」を、先程書いた「クビ切りを簡単にしない限りに会社単位での統合プロセスを丁寧に行っていく」ことによって、醸造食品を株分けして増産していくように作っていく。 それが、「亀の戦い方」としての今後の日本が取るべき戦略だと私は考えています。
5:黒死病の流行が中世ヨーロッパの農奴制を解体したような出来事が今後日本で起きる
日本のインテリエリート階級に属する人の中には「それ以外の7割の日本人」が自分たちの言うことを唯々諾々と聞いてくれるアメリカ型構造になっていないことに苛立ちと不満を、時々「憎悪」というレベルで抱えている事が多いです。 だから、「残り7割の日本人の優秀性を信頼した独自の戦略」なんて発想からして虫酸が走る!と思う人もいるかもしれません。
しかし、過去10年と今後10年では、色々な経済的な環境条件が変わってくるので、「決してわかりあえない敵」だと思っていた存在との間に案外スルッと相互理解が生まれることも増えてくると私は考えています。
その「経済環境の大きな変化」とは「労働者」がどんどん希少資源になっていくことです。
アベノミクス期には今まで働いていなかった高齢者や女性がどんどん労働市場に参加するようになってくれたので就業者数は増えていましたが、これから少子高齢化の本当の影響が急激に出てくることになります。
中世ヨーロッパで黒死病(ペスト)が大流行して人口が激減したことが、労働者の希少性を高め、結果として農奴制を解体する結果になったという説があるそうですが、まさに「同じような変化」がこれから日本社会で起こるのです。
例えば低賃金で安くて優秀な人材が簡単に手に入ってモクモクと働いてくれるなら、そこにITを導入して効率化する理由などない。結果として今までの日本は「あらゆる改革」を拒否して過去のやり方のまま我慢するだけになってしまいがちでした。
しかし今後、「働き手」がどんどん貴重になっていく日本においては、何らかの「変化」を起こさざるを得ない状況に追い込まれていくことになる。
そのときに、真剣に自分たちの特性と向き合い、状況変化に対して独自の解決策を積んでいける道筋を作っていけるかどうかにかかっています。
既に4%もインフレし、今後徐々に金利も上がってくれば、「集合的無意識」のレベルで強烈につながっている日本人は「その次」へのアクションを現場レベルでも誰からともなく考え始めます。
そういう「現場の集合知的な本能レベルの工夫する力」と、「インテリたちの人達が国際的視野から得る大局観」の間に、双方向的な協力関係を再建することが何よりも大事です。(今はお互いを理解できずに喧嘩ばかりしていますが)。
そして、「7割の日本人たち」が彼らの安定性を失わないままにちゃんと経済の情勢変化に対応できるようになればなるほど、「残りの3割」のエリート日本人が国際競争上実現したい色々な変化に対して、抵抗されることも一気に減ります。
また、そうやって「日本社会の独自性」にちゃんと敬意を払って理解し、「過去の自民党的な何か」よりももっと「その本来的な可能性」を発揮できる施策をオリジナルに作っていけるようになればなるほど、「“政治的正しさ”的な良識に照らして導入したい、例えば同性婚と夫婦別姓とかいった制度的な問題」に無闇に反対されることも急激に減っていくでしょう。
今後どうしても“変化が必要な時代”になっていくことを利用して、今までどちら側からも「自分たちが正しい、お前たちが間違っている」と罵り合うだけだったあらゆる問題において、“本当の相互理解”を打ち立てていくことが大事です。
昭和の経済大国の遺産を食い延ばしてなんとか社会の安定を保ってきたアベノミクス期とは、全然違う環境変化がこれから訪れます。
それを不安に感じる人もいるかもしれませんが、「もうダメだぁ!日本は滅ぶしかない!」VS「日本は何も問題ないぞ!」の両極端の空論から距離を置き、しっかりと状況変化を見極めてひとつひとつ適切な手を協力して打っていきましょう。
(お知らせ)
「アベノミクス時代」の終わりにやってくる次の状況変化を捉え、無意味な党派的罵り合いを脱して「意味のある議論」を積み重ねていく方法についてまとめた本が出ました。
「結局日本はこれからどうしたらいいのか?」に対して、中小企業で平均給与を150万円引き上げられた実際の成功例と、経済・社会に対する理論的考察を往復しながら解き明かす、コンパクトにまとまった本として好評をいただいています。
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