聞き手・文・写真:赤井大祐(FINDERS編集部)
プロアマ問わず、ハード・ソフトを問わず、誰もが参加できるものづくりコンテスト「ヒーローズ・リーグ」。
前身イベントから数えると17年の歴史を誇る同コンテストにて、FINDERSは2021年に引き続き、2022年も「FINDERS賞」を選出することになった。ワンアイデアと実装力で突破できるのが同コンテストの大きな魅力の一つであるが、FINDERSでは社会、ビジネスの現場における実装可能性・発展性に注目した。
選出したのは東海大学 情報理工学部 情報メディア学科 准教授の小坂崇之さんが開発した「CryingBaby (day 0)」だ。
出産前の育児体験/練習のために生み出されたこの赤ちゃん型のロボット。インパクトのあるサムネイル画像に惹かれてチェックしたところ、こだわりを通り越して、執念に近いようなものを感じる完成度と実用性を備えたものだった。開発の背景やその裏側のエピソードを聞いた。
初日から半泣きワンオペ育児を体験
ーー 「CryingBaby (day 0)」は、授乳やオムツ替え、夜泣きなどを通じてリアルな育児を体験できるロボットですね。なぜ開発しようと思ったのでしょう?
小坂:うちには2歳になる子供がいるんですが、生まれた当時は新型コロナの影響で出産時はもちろん退院まで赤ちゃんに会えなかったんです。ようやく妻と赤ちゃんが退院してきたと思ったら、その日に妻が産後の体調不良によって救急車で運ばれてしまい、そのまま入院することになったんです。
―― 産後はほとんどの方が心身ともに安定しないと言います。となると家に残されたのは…。
小坂:僕と初対面の赤ちゃんの2人ですよ。うちの夫婦は実家が和歌山と大分なので頼ることができませんでした。ほとんど初めて赤ちゃんを抱っこしながら「今日会ったばっかりなんだけど、どうすんのこれ」という状況。
さらにもともとは母乳だけで育てようと話していたので、哺乳瓶やミルクの用意ができていませんでした。お店も閉まるギリギリの時間だったので、半泣きになりながら必要なものを急いで買いに行ったけどどれを買えばいいかもわからない。なんとか買って帰ってミルクを作って、結局そのまま2日間ワンオペ育児になってしまったことは忘れられません。
―― 失礼ですが、小坂さんご自身はそこまで育児に対する準備ができていなかった?
小坂:全然そんなつもりはなくて、出産前に両親学級に行って授乳の仕方や抱き方、オムツの替え方とかを二人で練習していました。でもそこで使われているのは単なるビニール人形なので、当然泣きもしないし、うんちもしないわけで、ほとんど実態を伴っていなかった。
ワンオペ育児中もやるべきことはある程度頭に入っているけれど、相手は本物の赤ちゃんなので、「本当にこれで大丈夫かな」の連続で、やっぱりものすごく不安だったんですよね。この経験がきっかけになって「リアルな体験」ができる赤ちゃんロボットが必要だなと思い、開発に至りました。
「小型化」が実現したリアルな赤ちゃん
タンク類は3Dプリンターによる造形
―― 近年は他にも育児体験ロボットも現れていますね。CryingBabyの特徴はどのような部分になるのでしょうか?
小坂:基本的に想定している使い方はだいたい同じです。体験施設などで短時間利用するか、貸し出しで丸1日を一緒に過ごして育児を体験するというものです。ただしその間ロボットの電源を切ることはできず、半ば理不尽なまでに、といっても実際の赤ちゃんと同じようにですが、「空腹」「睡眠」「気分」「排泄」「緊急」の5パターンの機嫌タスクに応じたさまざまな対処を迫られます。
他のロボットとの大きな違いで言えば、よくあるモデルはミルクとオムツ替えあたりが機能の中心になっていて、口元に専用の哺乳瓶を近づけて飲んだかどうかをセンサーで判断させたり、おむつも同様にセンサーで取り替えたかどうかを判断したりする作りになっているものがほとんどです。
でも実際の育児ではそこまでシンプルではない。ミルクを作るのも夜中にお湯を一旦沸かしてから冷まして、温度を確認してから飲ませる、という工程が必要になりますよね。言ってしまえばミルクをあげる作業で一番面倒な場面はミルクをあげるまでだったりもする。
おむつ替えも便の色を見て、お尻を拭いて、オムツを替えて、という作業が必要です。実際はそのような大変な思いをするんですが、今出ている製品の多くはそういうことができない。つまり「育児の大変さ」をあまり表現できていないのではないか、と思ったんです。
―― 大変さに慣れることを目的としているのに、それではトレーニングの意味がほとんどないですね。
小坂:CryingBabyはミルクを作って実際に飲ませてもらい、それが適温でなかったら泣き出します。その後ミルクは一度ボディ内のタンクに貯まり、中でインクと混ざって尿として排出されます。
頭部にはミルクを吸い上げるためのポンプなどが仕込まれている
腹部にはタンクとスピーカー
さらにインクは2色用意しており、健康状態では黄色っぽい色ですが、血便のように赤色が混ざった状態で出てくる場合もあります。現状便を出す機能はありませんが、実際のオムツ替え作業と同じように、尿の色などで健康状態を把握する体験ができます。
他にも加速度や明るさなどを計測するセンサーを搭載しているので、例えば人形だからと雑に扱ったり、夜中に泣いたまま放置したらバレてしまいます。すべてデータとして残るようになっているので、体験を終えたあとにデータを見ながら振り返りができるような形になっています。
―― 開発の苦労などはありましたか?
小坂:とにかく市販の塩化ビニールの赤ちゃんの中にどうやって必要な機材を入れるか、に尽きます。実は構想レベルでは10年前ぐらいから考えていたんですが、機材の小型化が難しかったので、その時点では実装が現実的ではなかったんです。
ラボの中には塩ビの赤ちゃんがたくさん。ちょっと怖い
ミルクを飲む動作、タンクに貯めたミルクをインクと混ぜる作業、そして排出するのにそれぞれポンプが必要になります。ミルクとインク用のタンクも、最初はゼリー飲料のパックを使っていましたが内容量の計測ができないので、最終的に3Dプリンターでプロトタイプを作りまくって、中に静電容量センサーを仕込む形となりました。
さらに基本的な制御と操作を行うためのマイコンボード、バッテリー、スピーカーもM5Stackという小型の製品が登場してくれたおかげでなんとか収めることができました。
―― やはりものづくりで「小型化」は大きなハードルなんですね。無事乗り越えられてよかったです。
小坂:といってもまだ完成はしていないんですよ。2022年の9月時点で一応世の中にお見せできるぐらいの形にはなったんですが、まだまだ修正するべきところもたくさんあります。
背面のモニターから操作可能だが、運用中は一切の操作を受け付けない
野菜クッキーで敵を撃退!
―― 小坂さんが主催する東海大学のKOSAKA-Laboratory(※)は、ロゴにも赤ちゃんがあるように、育児や子供にまつわる研究が多いですね。
(※)2011年から2022年までは神奈川工科大学 情報学部 情報メディア学科にてラボを主催。同年から東海大学 情報理工学部 情報メディア学科へ
小坂:そうですね。ただ僕の専門は「ゲーム」であって、育児は中心ではありません。そしてゲームといってもエンタメとしてのビデオゲームではなく、その体験を通してなにか学びになったり、課題解決につながるようなものです。
―― いわゆるシリアスゲームと呼ばれるようなものですね。
小坂:例えば過去には、「Food Practice Shooter」という食育×シューティングをテーマにした、子供向けのシリアスゲームをつくりました。プレイヤーは銃型のコントローラーで敵を倒していくんですが、弾を補充するためには目の前に置いてある野菜味のクッキーを食べなけれなりません。クッキーを食べると咀嚼をセンサーで読み取り、その回数に応じて銃に弾がチャージされていく仕組みになっています。
―― ゲームを進めるためには嫌いな野菜味のものを食べなければならないんですね。
小坂:弾切れを起こした状態で敵が迫ってくると、ゲームをクリアしたいがために食べるんですよ。それで「食べれたじゃん!」と褒めてあげることで成功体験を作り、好き嫌いの克服や咀嚼の重要性を感じてもらうというものです。
「ゲームなんかせずに勉強しなさい」「ゲームなんて何の役にも立たないじゃないか」って親がよく言いますよね。実際ただのエンタメであるという側面はそのとおりですが、ゲームをやってるときの人の集中力ってすごいじゃないですか。
その中で子供は漢字や英語の読み方や歴史を憶えたりすることも多々あるわけで、ゲームって学習に対する効果が高いと思ったんです。そのわかりやすいターゲットとして子供が対象となったんです。あと子供は正直ですしね。「つまんねえ」とかってボロクソ言われますもん(笑)。
リアルな胎動も再現する妊婦体験システム
―― 小坂ラボでは、他にも妊婦体験システムの「MommyTummy」なども作っていますね。
小坂:お湯を腹部の水袋に徐々に注入することで、胎児の重さと温かさを、バルーンの膨らみによって胎動を再現する妊婦体験ジャケットです。一般的な妊婦体験ジャケットの問題点は「重たいだけ」なことだという思いから生まれました。
―― どういうことですか?
小坂:例えば、男性が一時的に7〜8キロのジャケットをつけただけでそれほどしんどくないのは当たり前じゃないですか。女性と男性で骨格の作り方、筋肉のつき方が全く違いますよね。それに非常に無機質でもあります。
「MommyTummy」では、まず重さを12kgまで増やせるようにしていますが、本当は30kgとかそのぐらいが「大変さ」を再現する上では適切かもしれません。
両親学級での扱われ方もひどいもんで、僕が行ったときも「そこに転がってるんでつけてみください」というだけでした。でも大きくなったお腹はお母さんにとってめちゃくちゃデリケートなものですし、その上で、いろいろな日常の動作の大変さが加わるので、心理的な負担もそれに伴う肉体的な負担も全然違ってくる。というところで、徐々に大きくなっていく成長や温かさ、胎動を再現しています。
育休の重要性気づくきっかけに
―― 小坂さんの研究テーマはあくまで「ゲーム」であり、育児や子供ではないとおっしゃっていましたが、ご自身の体験も相まってか、無視できないテーマにはなっているのではないでしょうか?
小坂:そうかもしれませんね。やっぱり日本では男性の育児参加率がすごく低くて、未だに「イクメン」なんて言葉が使われている。育児は奥さんがやるべきだという価値観は非常に根強いですし、同時に育休の取得率も非常に低いわけです。
正直僕も根っこでは子育ては妻に任せて自分は仕事に没頭というタイプの人間な気がするんですが、初日にワンオペで子供を見た経験がやっぱりとても大きかった。まず寝れないのなんて当たり前ですし、朝起きたら死んでいるんじゃないか、という不安だってある。
正直こんなの一人で見れないよねって思ったんですよ。同時に妻に任せっきりなんて無責任なことできない、という認識になった。こういった体験を経ると、育休って必要だよねといった気づきになるのかもしれません。
―― 会社の偉い人なんかに、今から新たにその気付きを得てもらうのはとても難しそうです。
小坂:そうですね。でもそれこそCryingBabyを通して体験してもらいたいとも思っています。例えば誰かが職場に持っていって、みんなで対処しながら何日か過ごしてもらうとかでも面白いかもしれないですね。
―― 実際の赤ちゃんはさすがにリスクもありそうですが、とはいえ一つの核家族だけで子供を育てるという形自体がそれほど自然ではないことだったりもするのかなと思いました。
小坂:お互いに「これから会議だから赤ちゃんちょっと見てて」みたいなことが自然にできれば理想的ですよね。
―― 最後に、CryingBabyの導入や体験できる場などは決まっていますか?
小坂:実はCryingBabyはまだ実際に人に使ってもらえていません。僕がいない環境下でトラブルなく動くかなどが検証しきれていないので貸し出しも先になります。
ただ3月に展示をするので、そこでの反応が楽しみです。おそらく5分か10分で一通りの機能を体験してもらうようなプログラムにしようと考えています。
【お知らせ】
「CryingBaby (day 0)」は、アジアデジタルアートアワード2022のエンターテインメント(産業応用)部門にて大賞を受賞。それに伴い、同アワードの作品展が下記の日程で開催される。一足先に「CryingBaby (day 0)」を体験できるチャンスだ。