LIFE STYLE | 2020/09/18

女に説教したがる男、災害時にパニックを起こすエリート、「徒歩」の歴史…幅広いテーマに切り込む作家、レベッカ・ソルニットの魅力

レベッカ・ソルニット Photo by Shutterstock
※編集註:この文章は、9月18日に出版されたレベッカ...

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ひとりの女性が、どんな社会問題に対して強く感じ、それについて書こうと思うようになったか

人間には多くの側面があってあたりまえなのだが、ひとつの専門的な側面しか見せないことが多い。ひとつの面で知られるようになると、別の側面を見せにくくなる。周囲からのプレッシャーだけでなく、自分で自分に制限を与えてしまう。

けれども、ソルニットはそれをしない。自分が強く感じることや興味を抱くことの中に自ら飛び込み、体験し、掘り下げ、幅広い知識につなげて自分の言葉で語る。その知識の大きな箱の中に入っているのは、ギリシャ神話であったり、おとぎ話であったり、アメリカ先住民族の歴史だったりする。社会問題を語るときでも、激しい口調で糾弾するのではなく、神話や伝説を交え、詩的な言葉でストーリーテリングをしてくれる。私がソルニットに共感するのはその部分だ。

2020年3月にアメリカで発売されたソルニットの回想録、『Recollections of My Nonexistence』を読んで、ソルニットというよりも、私が彼女に共感を覚える理由がさらに理解できるようになった。

回想録と言っても、そこはソルニットのことだから、普通の回想録ではない。どんな子供時代を送って、どんな学校でどんな体験をしたとかいった説明はないし、リニアに進むわけでもない。けれども、ひとりの女性が、どんな社会問題に対して強く感じ、それについて書こうと思うようになったのかは感じ取ることができる。

家族問題なども抱えていたソルニットは、高校には行かず15歳でGEDという検定試験に合格して高校卒業に相当する証書を得た。16歳からコミュニティ・カレッジに通い、17歳で4年制のサンフランシスコ州立大学に転入した。貧乏だった彼女は、19歳のときに自分の予算内で住めるアパートを見つけ、その時から黒人の住民が多い地区で暮らし始める。このときのソルニットは「自分が誰なのか、どうやってその人物になるのか、その答えをみつけようとする、まだ初期の段階だった」と振り返る。けれども、この地域に住むことで、ソルニットは自分が特権階級の白人であることや、女であるというだけで命の危険にさらされるという現実を把握するようになった。彼女は、自分の体験からマジョリティの傲慢さとマイノリティの苦痛に目を向けるようになったのだ。

観察眼と分析力があるソルニットは、自分にはそれを文章で表現する能力があることも感じていた。その能力に磨きをかけるためにカリフォルニア大学バークレー校のジャーナリズム大学院に入学したのだが、生真面目な大学生よりも若くてパンクロック的な彼女には、あまり合わなかったようだ。同級生たちはニューヨーク・タイムズ紙の一面記事を書く硬派の記者を目指していたが、ソルニットはエッセイストになりたかった。

ソルニットが書きたいと思ったのは、「直線的で論理的(linear and logical)なものよりも、直感的で連想的(Intuitive and associative)」、そして「もっと親密でリリカル(more intimate and lyrical)」な文章だった。とはいえ、硬派のジャーナリズムを学ぶのは決して無駄なことではなかった。どのようにして物事を探し出すのか、どうファクトチェックをするのかといったことを、ソルニットはここで徹底的に学んだのだ。

環境問題を書くようになったのにも、彼女の個人的な体験が関わっている。ソルニットがネバダ核実験場での大規模な反核抗議運動に初めて参加したのは1988年のことだが、その運動をオーガナイズしていたひとりが彼女の弟だった。

その間にも、ソルニットは「ハングリー」でい続けた。食べることよりも、愛されることや、物語、書物、音楽、権力にハングリーだった。そして、何よりも「真に自分自身の人生(truly mine)」を生きることと、「自分自身になること(become myself)」に対してハングリーだった。

飢えを自覚できるのは、お腹が空いているのに食べ物を手に入れることができない者だけだ。ソルニットが「真に自分自身の人生」を手に入れようとしてあがいているときに何度も邪魔したのが女性に対する社会の構造的差別であり、ミソジニー(女性蔑視)だった。若い女性は、独り歩きをしているだけでレイプされたり、命を失ったりする危険がある。しかも、そうなったときに女性のほうが責められる。仕事でも、女性というだけでまともに扱ってもらえないことがある。そういったことで深まるのは、「ひとりの人間として公平に扱われ、尊敬される」ことへの強い飢餓だ。

私は1960年生まれで、1961年生まれのソルニットとはほぼ同い年だ。育った国は異なるが、同じような思いを抱えて生きてきた。学生運動がまだ盛んだった1970年代後半には、「社会正義」で拳を振り上げる男子学生たちが平気で女子学生に身の回りの世話をさせていたし、私が普段から考えていることを口にすると、男子学生から「難しいことを言うと可愛くないよ」と言われた。信用していた知人から性的暴力を受けたこともある。20代後半に企業で責任ある仕事をいくつも押し付けられていたときには、社長から「あなたの給与のほうが多いとわかると、男性社員が士気をなくすから」と仕事に見合う給与を拒否されたことがある。

こういった体験がない人には、そのとき私やソルニットが感じた怒りや、女として生きることの独自の「飢え」を理解しにくいと思う。社会活動家としてのソルニットに共感を覚えても、フェミニストとしてのソルニットに違和感を覚えるとしたら、この「飢え」を体験したことがないからかもしれない。

飢えを体験するのはアンラッキーであり、ラッキーでもある。なぜなら、飢えの体験なしには、個性的で卓越したエッセイストとしてのソルニットはありえないからだ。

数々の体験と、そこから導き出す学び、それらにもとづいて取る行動、それらの積み重ねが人物を作りあげる。同じ体験をしても、それをどう捉えるのか、そこから何を学ぼうとするのか、それぞれの選択で、異なる人物が出来上がる。それがソルニットの書く、「あなたの人生は線ではなく、何度も、何度も分岐していく枝で描かれるべきだ(Your life should be mapped not in lines, but branches,forking and forking again)」ということなのだ。

多くのアメリカ人ですら知らないアメリカ西部の歴史を語るソルニットも、環境問題を語るソルニットも、トランプ政権を批判するソルニットも、若きフェミニストらから尊敬されるソルニットも、すべてひとりの女性であり、60年近く「真に自分自身の人生」を生きようとしてきたひとりの人間である。

きっと、読者のみなさんも、他人が知らない多くの側面を持ったひとりの人間であることだろう。そのユニークな複雑さに価値がある。

だからこそ、あなたが知らなかったソルニットの側面に出会ったとき、そこから目を背けないで欲しい。それは、あなたが知らなかった「飢え」を知るチャンスなのだ。そして、あなたの人生に沢山の枝葉ができるきっかけなのだ。

『災害ユートピア』を読むときに、この文章を書くに至ったひとりの女性の人生を想像していただくと、さらに素晴らしい読書体験ができることだろう。


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