レベッカ・ソルニット Photo by Shutterstock
※編集註:この文章は、9月18日に出版されたレベッカ・ソルニット『【定本】災害ユートピア』(亜紀書房)掲載の巻末解説「レベッカ・ソルニットを読み解く 災害ユートピアが生まれた背景」(執筆:渡辺由佳里)を基として、漢数字の年月日表記の英数字化など、最低限の表記変更を加え、FINDERS編集部が付けた記事タイトル・小見出しを挿入しております。2010年に邦訳版が出版されて以来、日本でも地震・台風など大型災害が発生する度に言及されてきた同書ですが、定本版では旧版での抄録部分、原注などを完全収録し、60ページに上る増補も加わっているとのこと。ぜひこの機会に読んでみてください。
渡辺由佳里 Yukari Watanabe Scott
エッセイスト、洋書レビュアー、翻訳家、マーケティング・ストラテジー会社共同経営者
兵庫県生まれ。多くの職を体験し、東京で外資系医療用装具会社勤務後、香港を経て1995年よりアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』で小説新潮長篇新人賞受賞。翌年『神たちの誤算』(共に新潮社刊)を発表。『ジャンル別 洋書ベスト500』(コスモピア)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)など著書多数。翻訳書には糸井重里氏監修の『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経ビジネス人文庫)、レベッカ・ソルニット著『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)など。最新刊は『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)。
連載:Cakes(ケイクス)|ニューズウィーク日本版
洋書を紹介するブログ『洋書ファンクラブ』主催者。
思想家?社会活動家?フェミニスト?
私は、2020年刊行の『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)の翻訳を担当したのをきっかけに、日本でのレベッカ・ソルニットの愛読者とソーシャルメディアなどで言葉を交わすことが増えた。そこで気づいたのが、読者によってソルニットという人物の捉え方が異なるということだった。
『ウォークス 歩くことの精神史』や『迷うことについて』が好きだと言う人は、ソルニットを博学な思想家として捉えているようだし、『暗闇のなかの希望』に共感したやや年配の男性にとってはリベラル左派の社会活動家の印象が強いようだ。そして、『説教したがる男たち』を読んだ女性読者は、フェミニズムの代表的論者としてのソルニットに強い共感を覚えている。
私がソルニットについて初めて触れたのは、『説教したがる男たち』の元になったエッセイについてだった。現在では「マンスプレイニング」という言葉が日本でもよく使われるようになっているようだが、私が「なぜ男は女に説明したがるのか? アメリカでも揶揄されるmansplaining」というエッセイをケイクスに書いた2015年当時には、アメリカでも新しい用語だった。これはMan(男)とexplain(解説)を掛けあわせた造語で、あるオンライン辞書は「男性が、(そのトピックについて)中途半端な知識しかないにもかかわらず、自分のほうが相手(特に女性)よりも詳しいという誤った前提にもとづき、見下した態度で語りかけること」と説明する。ソルニット自身が作ったわけではないが、この造語が流行語になったきっかけは、彼女が2008年4月にロサンゼルス・タイムズ紙に載せたエッセイだった。
ソルニットがまだ40歳くらいの頃に、友人と一緒にリゾート地アスペンの大金持ちの別荘でのパーティに出席した。雰囲気に馴染めなくて立ち去ろうとしたのだが、パーティ主催者である年配の男性につかまって質問攻めにあい、その年に刊行した写真家エドワード・マイブリッジの本、『River of Shadows: Eadweard Muybridge and the Technological Wild West』について語ろうとした。すると、マイブリッジという名前を耳にした男性は、すぐさま「それで君は、今年出版されたマイブリッジについての重要な本のことを知っている?」と話をさえぎり、いかにも「教えてやる」という独善的な態度で、その「重要な本」について彼女に解説し始めた。ソルニットの友人が、「それは彼女の本よ」と何度も割り込んだのに、男性はそれにすら耳を傾けようとしなかった。そのうえ、彼は『ニューヨーク・タイムズ』紙の書評だけで、この「重要な本」について読んですらいなかったというオチもある。
このマイブリッジの本でソルニットを知ったアメリカ人にとっては、彼女は歴史ノンフィクションの著者のイメージがあるだろう。
けれども、日本では、本書『災害ユートピア』でソルニットを知った人が多いようだ。日本で最初に刊行されたのが2010年12月で、その3ヶ月後に東日本大震災が起こったというタイミングも大きかったと思う。動揺し、不安を抱える多くの読者が、この本から何かを得ようとしたのだろう。震災直後のソーシャルメディアでは、被災地の人々に対する差別や専門家への誹謗中傷などやるせないことが目についた。けれども、現地ではソルニットが書いたような住民たちの支え合いが起こっていた。この書でのソルニットは、『暗闇のなかの希望』に通じる社会活動家であり、エリート層に踏みつけられている人々の代弁者である。
それぞれの読者から見えるソルニットのイメージは異なるようだが、私にとってはいずれのソルニットも違和感がない。『ウォークス 歩くことの精神史』や『迷うことについて』の原書を読んだときも、自分の人生に重ねて共感を覚えた。たとえば、私は重度の方向音痴であるにもかかわらず異国でひとりきりで歩くのが好きで、よく道に迷う。道に迷うことで怖い思いをしたこともあるが、迷ったからこそ得られた思いがけない宝物のような体験も数え切れないほどある。人生においても、目標に向かって直進したことがなく、よく迷路に入り込んでしまう。日本の田舎の中学生だったときに弁論大会で、「人混みに埋もれて見えなくなる自分になりたくない」「そこに道があるから歩くのではない。自分が歩くから道ができるのだ」といったことを語ったときから、それを実践するために大小の旅と闘いを続けてきた気がする。その過程で、想定していなかった自分に変わっていく。ソルニットの書くものはすべて、彼女が歩き、迷ってきた過程を反映していると思うのだ。