幻に終わったアップルからの社長就任オファー
余談だが、この当時の日本のITまわりというのは人材が限られており、何人かの人材が有力企業をぐるぐると回っているようなことがよくあった。90年代に入ってから、実はアップル・ジャパンからも僕の元に社長就任のオファーがあった。ちょうど、スティーブ・ジョブズが職を離れていたタイミングである。
僕はそこで、「ソニーからリリースされたばかりのVAIOシリーズを、Macintoshのプラットフォームに切り替えるミッションを与えてくれるなら、引き受けてもいい」と答えた。それに対する本社の返答はこうだ。
「日本市場は商品だけ売っていればそれでいい。余計なことは考えないでくれ」
さほど期待していたわけでもなかったが、物を売るだけなのであれば、商社でも流通でも、他にいくらでも相応しい人材がいるだろう。わざわざ僕が社長をやる意味などない。それでこの話は立ち消えになった。
もしアップルが僕の提案にのってくれていたら、iMacではなくVAIOが市場を席巻していたかもしれない。そう思うと少し残念だが、あとから聞いたところによると、当時、実際にソニーの出井伸之社長が同じような提案をアップルにしていたという。つまり目の付け所は悪くなかったわけだ。
僕が思い描いていた理想形は、ユーザーがVAIOをブートアップした際、最初にWindowsOSかMacintoshOSかを選べる仕様なのだが、実現に至らず返す返すも残念である。(これは、KMD時代にスリランカから留学していた学生が実現してしまった。)さらに、今でいうiPod/iTunesの代わりをWalkmanとMoraが共通プラットフォームとして担えた可能性もあったのに――。
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