今では誰もそんなことを言わなくなったが、かつて「インターネットでより多くの人が直接議論しあって知恵が共有されるようになれば、世界はもっと良くなるはずだ」と少なくない人が本気で信じていた時期があった。
今回、話をうかがった津田大介氏は、ジャーナリストとして「ネットで政治がどう変わるか(当時はまだ、ネットでの選挙運動すら解禁されていなかった)」を取材し情報発信を行い、時にはアクティビストとして政府の審議会に出席し意見表明も行う「外部の識者」であり続けてきた。
そうした中で同氏は地域芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の総合プロデューサーにあたる芸術監督に就任。テーマを「情の時代」と設定し、芸術と政治、社会がシームレスにつながる作品を中心に据える、出展アーティストの男女比を半々にするなど、アートを通じて政治・社会問題への投げかけを行った。しかし、展示企画の1つである「表現の不自由展・その後」に展示された従軍慰安婦を偲ぶ作品「平和の少女像」が保守派、そして松井一郎大阪市長や河村たかし名古屋市長らに問題視されたことを皮切りに大規模な抗議運動が発生し、一時的に同展示を中止(2カ月後に再開)、また会期中に国の補助金全額不交付が突如として決定(これについても多数の抗議があり翌年に一部減額となったものの交付が再決定)されるなど、図らずも「政治のど真ん中」に放り込まれることとなった。
本インタビューは「あいトリ」の話を聞くことが主題ではないためこれ以上の説明は避けるが、より詳しい経緯など知りたい方は、美術手帖ウェブ版の記事「まとめ:あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」展示中止にまつわるタイムライン」や、同志社大学の教授で文化政策を研究する太下義之氏がタイムアウト東京で連載した「検証:あいちトリエンナーレ」などを読むといいだろう。
右派も左派も毎日のようにSNSを戦場としたハッシュタグデモを繰り広げる昨今、2010年代の「ウェブと政治」の関係がどのように移り変わっていったのか。ロングインタビュー前編をお届けする。
聞き手・文・写真:神保勇揮
いつから「ウェブで政治が動く」ようになったのか
―― 今回、津田さんの『動員の革命』『ウェブで政治を動かす!』を改めて読み返したんですが、どちらも出版されたのが2012年で、ネトウヨ議員もN国もトランプ大統領も存在せず、当時は日本もまだ民主党政権で、第二次安倍政権が誕生する直前というタイミングでした。今から振り返ると「ネットをもっと多くの人が使うようになって、もっといろんな人の交流が増えれば世界はより良くなるはずだ」というある種の理想論を信じられた最後のタイミングだったのかなと思います。
津田:そうですね。今回いただいた「ウェブで政治は動くようになったか?」というお題について言えば、答えは自明ですよね。2016年にドナルド・トランプが大統領になった要因の1つに、Twitterを活用して大きく支持を広げたということがありますし、日本でも多くの政治家が自分の主張を支持者に広めるツールとしてSNSを活用しています。「ウェブで政治は動くようになった。良い意味でも悪い意味でも」というのが回答になると思います。
―― そうした中で、あらためて「津田大介とウェブと政治」の関係がどのように変遷していったのかをお聞きしてみたいです。
津田:僕は元々「デジタルがどういうふうに社会を変えるのか?」ということに興味があって。まず1999年ぐらいにNapster(かつて存在した音楽ファイル共有サービス)を触って衝撃を受けたんですが、当時の出版業界はネットやコンピュータ技術者に詳しい人も、音楽に詳しい人もたくさんいたものの「ネットと音楽の関係」という組み合わせで語れるライターは誰もいなかったので「ここは自分の陣地だな」と思ったんです。それで書いてた雑誌でそういう取材を積極的に行うようになり、2002年に「音楽配信メモ」というブログを作って、情報発信を始めました。「デジタルと音楽の専門家」になろうと。おかげさまで1年くらいブログを書いていたら、それを見て「単行本書きませんか?」という依頼が編集者から来て、初めてジャーナリスティックな内容の単行本を書きました。それが2004年に発売された『だれが「音楽」を殺すのか?』です。
その後も「デジタルで音楽業界がどう変わるのか?」みたいなことを書いていたんですが、ちょうどそのころ世間では「通信と放送の融合」が話題になり、新聞とかテレビがどんどんネットの勢いに押されて厳しくなってきたんですね。だけどオールドメディアはデジタルに詳しい人がなかなかいない。そのころ音楽業界は既にアップルがiTunes Music Storeとかを始めていたので、CDと配信の変わり目にさしかかっていた。そこでそういう原稿を書き続けていた僕のところにお鉢が回ってきた。「新聞やテレビはデジタルでどういうふうに変わるのか」みたいなシンポジウムから呼ばれて人前でしゃべるようになり、その後音楽だけでなく、デジタル×メディア全般のことを書くようになったんです。今でこそDXという言葉が流行ってますが、その源流が2005、6年ぐらいにあったということですね。そしてメディアについて語ると必然的にジャーナリズムについて語る必要も出てくるので、そこで初めて自分もジャーナリズムのあり方について考えるようになった。2010年ぐらいまでは友人と一緒に立ち上げたネットメディア「ナタリー」を育てつつ、書き手としてはそうした仕事を中心にしていました。
転機になったのは、『Twitter社会論』という本を2009年に出して、それがちょうどTwitterブームとシンクロしたことですね。5万部くらい売れるスマッシュヒットになり、それで世間からは「ソーシャルメディアの専門家」と認知され、メディアに出てツイッターについて話す機会がすごく増えました。
―― 当時は記者会見やトークイベントでの発言内容をTwitterで書き起こし中継する「tsudaる(つだる)」という言葉が流行ったり、津田さんが「Twitterの伝道師」と呼ばれていたりしましたね。
津田:そんなこともありましたね。この時期のもう一つの大きな変化が、『Twitter社会論』を出したすぐ1カ月後ぐらいのタイミングで、東浩紀さんやスマートニュース共同創業者の鈴木健さんなどと一緒に登壇した「ウェブ学会シンポジウム」です。そこでまさに「ネットとテクノロジーで政治がどう変わっていくのか」という議論がかなりいまを先取りするような形で行われて、自分にとってかなりの衝撃があったんです。
当時はちょうど民主党政権が誕生した直後ぐらいだったこともあり「今、政治が面白い。10年前にデジタル×音楽の専門家になろうと思ったのと同じように、これからはインターネットと政治が組み合わさって日本がどう変わるかということを自分の専門分野にしよう!」と思ったんです。
―― 『ウェブで政治を動かす!』では「日本ではどんな政策が提案され、どんなプロセスで決まっていくかといったことをどんどんオープンにしつつ、双方向の議論も取り入れていけば、政局中心の日本人に政治に対する興味・関心が変わっていくはずだ」といったことが書かれていましたが、これは今でも重要だなと思います。
津田:それに関しては部分的には実現していますよね。今は国会パブリックビューイングもありますし、有志が国会中継に見やすいテロップを付けて、数分ぐらいの動画にまとめてTwitterにアップされることも当たり前の光景になった。
あるいは新聞記者や学者、政治家や元官僚といったプロたちがTwitterで「国会議論がこう展開しているから今日の裁決はないな」みたいなことを解説してくれるのも普通になりましたよね。どうやって法律がつくられていくのかという情報がSNSですごくたくさん共有されるようになった。一見地味ですけど、これらは確実に民主主義の基盤を強化していると思います。そうした積み重ねが、例えば衆議院議員の小川淳也さんを追いかけたドキュメンタリー映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』のヒットにつながっているように思います。
とはいえ、まだまだオールドメディアの意識は変わってないようにも見えます。今も新聞・テレビは政局報道が中心ですから。最近はれいわ新選組やN国のように、ネットを中心に広報する政党も出てきているくらいですし、ネットだけで支持政党・議員を判断している人も増えています。その意味では『ウェブで政治を動かす!』で書いたことはいま読んでもあまり大きく外してはいないかなと。
ただ、部分的にはいろいろ実現しているんだけれども、それを上回る弊害――具体的にはフェイクニュースやポピュリズム、ヘイトスピーチなどがSNSで大きくなり過ぎているので、その対策を真剣に考えなければいけないフェーズなんだろうと思います。
変わったのは世間か、「反アベ左翼」か
――2010年代前半から「あいちトリエンナーレ2019」芸術監督就任ぐらいまでの間に、ネットと政治というテーマでお考えが変わった部分はありますか。
津田:一番大きかったのは2016年のトランプ大統領誕生とイギリスのブレグジットですね。加えて僕がずっとTwitterを使っている中で、「潮目が変わったな」と思った瞬間があったんです。僕がある種のパブリックエネミーになった瞬間というか、何をやっても叩かれやすくなった。
僕のフォロワーが一気に増えたのは東日本大震災の直後です。そのときは震災関連の情報を24時間ずっと流すようなことをしていましたし、その後は東北に取材で行ってツイッターで現地の情報を伝えるようなことを中心的にやっていた。そういうことをやってるときは別にツイッターであまり炎上することもなかったんですよね。ある程度政治的に中立的な立場だと見られていた気がします。それが2014~15年にかけての安保法制の国会議論があった時から、自分のなかで「安倍政権のここはおかしいんじゃないか」というツイートが増えていき、同時に炎上する、燃やされる数が増えるようになった。
この記事を読む多くの読者も「津田は反アベの左翼に変わった」と見ていると思うんですが、自分の中ではそんなに変わっているつもりはないんですよね。僕が変わったというよりも、僕を取り巻く環境と、皆さんの僕を見る目が変わったんじゃないですかと思っています。
このぐらいの時期から自民党はネット対策にすごく力を入れるようになったし、Twitterを始める議員も増えていったし、それは僕に対するカウンター勢力を増やす効果もあったでしょう。このころがまさに「ウェブで政治が動く」時代になった一つの分水嶺だったと思います。
他方でポジティブな側面にも目を向ける必要があります。2010年代にウェブを通じて社会を変える最も大きなツールになったのは、クラウドファンディングだと思います。菅首相の「公助・共助・自助」が話題になっていますけど、クラウドファンディングはまさに共助を加速させるプラットフォームですよね。震災があった2011年に日本の主要なクラウドファンディングサービスは全部出てきている。
震災の直後ぐらいに日本でも始まって、復興にも役立ってきたものの、スケール感には乏しかった。プロジェクトにもよりますが、アメリカなら1億円ぐらい集まるのが当たり前なのが、日本の場合は数百万円しか集まらないという状況がずっと続いていた。ようやく2015年ぐらいになって1000万を超えるプロジェクトがポツポツ出はじめて、今回のコロナ禍で億超えのプロジェクトが複数出てくるようになりました。
―― 直近だと支援総額が1億円を突破した、飛騨農業協同組合(JAひだ)の「#おうちで飛騨牛」プロジェクトなどはかなり話題になりましたね。
津田:そうなんですよ。ずっと本場アメリカと比べて支援金額が二桁違うと思っていたら、10年経ってようやく追いついてきた感がある。億超えのプロジェクトがたくさん出てきたことは、一つの大きな成果だと思います。
「あいちトリエンナーレ」ともつながる話ですけど、公金を使って何かをやることに制限がかかるなら、共感だけでお金を集めてプロジェクトを進めるという選択肢が取れるようになった。その点でもクラウドファンディングがもたらした功績はすごくありますね。社会のエンジンに間違いなくなっている。われわれメディアの人間はネットのことを語る際、つい悪い面ばかりを強調しがちですが、こうしたポジティブな側面に光を当てていくことも重要です。
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