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EVENT | 2019/07/16

“消滅可能性都市”から脱却せよ! 敏腕町長・齊藤啓輔氏(北海道余市町)のブレーン「戦略推進マネージャー」の公募が話題に

歯止めの効かない少子高齢化が待ったなしで加速する現在、実に全国の市区町村の約半数が“消滅可能性都市&rdqu...

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歯止めの効かない少子高齢化が待ったなしで加速する現在、実に全国の市区町村の約半数が“消滅可能性都市”に該当すると言われている。

その中にリストアップされた町のひとつが、札幌から車や鉄道で約1時間というアクセスながら、ワイン醸造用のぶどうやりんご、さくらんぼ、ウイスキーの名産地として知られる北海道・余市町だ。

このほど余市町で、ビズリーチと羽田未来総合研究所による地方創生のための自治体への新サービスとして、副業・兼業で「戦略推進マネージャー」のポストの公募が始まり、話題となっている(公募期間:7月30日まで)。

ということで今回、ビズリーチの地域活性推進事業部 チーフプロデューサー・加瀬澤良年氏、そして、優れた行政手腕で北海道天塩町を盛り上げた後、昨年、余市町長に就任した齊藤啓輔氏と編集長・米田の緊急鼎談が実現。

“消滅可能性都市”を盛り上げ、次世代へとつなげる重要なミッションとは?

取材・文:庄司真美 撮影:松島徹

齊藤啓輔

北海道余市町長

1981年北海道紋別市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、外務省入省。欧州局ロシア課や在ロシア日本国大使館での勤務を経て、2014年に内閣総理大臣官邸へ。2016年に地方創生人材支援制度で、自ら希望して北海道天塩町副町長に就任。2018年に天塩町副町長を任期満了後、余市町長選挙に出馬し、当選。同年9月から現職。

加瀬澤良年

ビズリーチ 地域活性推進事業部 チーフプロデューサー

2000年、明治大学卒業後、リクルートグループ(現リクルートキャリア)を経て、2011年に株式会社ビズリーチに入社。大手法人担当営業部長などを経て、社長室地方創生チーフプロデューサーに就任。各地の企業・自治体の人材採用や事業承継、地域PRなどさまざまな地域課題に関するコンサルティングを行う。また、経済産業省・内閣府・文部科学省・総務省・各自治体との地方創生や人材確保に関するプロジェクトをマネジメントするなど2016年度より50以上の公的機関の事業を管掌する。さらに、社長室特命プロデューサーを兼任し、各種新規事業の推進を担当する。

町のリーダーに必要なのは、“ベンチャースピリット”

加瀬澤:天塩副町長に就任した直後の3年前、齊藤さんからいきなり「お会いしたい」というメールをいただきました。実際に東京でお会いしてみたら、町のために自ら精力的に新たなビジネスパートナーを開拓されていて、こんな自治体ってあるんだ?と衝撃を受けましたね。地域の課題は多種多様で、なおかつ複雑に絡み合った独特の課題であることが多いです。その課題を抜本的に解決するには、起業することにも似た断固たる覚悟を持ったリーダーの“ベンチャースピリット”が必要だと考えており、そのスピリットを齊藤さんからひしひしと感じました。

ビズリーチ 地域活性推進事業部 チーフプロデューサー・加瀬澤良年氏

米田:地方を変えたり、町興ししたりするには、そうした“ベンチャースピリット”が必要ですよね。齊藤さん、北海道天塩町の副町長に就任した流れから、余市町選に臨んだきっかけは何だったのですか?

齊藤:私は北海道出身ですが、そもそも田舎が嫌で仕方ありませんでした(笑)。やがて東京で進学し、外務省に就職して海外に出て、たまたまロシアを担当するご縁から、仕事で北海道に来る機会ができました。一旦東京や海外に出て、あらためて北海道を見た時に、こんなに魅力あるところはそうないなと実感したのです。その後、北海道・天塩町の副町長を務める任期2年間の中で、余市町の生産者の方々と仲良くなり、町長選に立候補して当選し、今度は余市町で町を盛り上げるための仕事をさせていただく運びとなりました。

北海道余市町町長・齊藤啓輔氏

北海道・余市町を世界に発信させるモデルケースへ

米田:余市町の魅力はどんなところにありますか?

齊藤:余市は北海道のワイン用ぶどうの約50%を産出していますが、ワインは世界中にマーケットが広がる産業ということもあって、戦略的に発信しています。それから、ニッカウヰスキーの蒸留所があって、お酒好きにはたまらない街です。それ以外にも、いい漁場があっておいしいウニが獲れることでも知られています。海と山の恵みに恵まれた魅力溢れる町ですよ。

白岩町の海上、岸から10数mほどの浅瀬に並ぶえびす岩・大黒岩

米田:人口1.9万人の余市町は「消滅可能性都市」と言われています。地域創生を手がける場所として、少子高齢化をはじめ、あえて産業の振興などの課題がある余市町を選んだ理由はどこにありましたか?

齊藤:確かに課題は山積みですが、見方を変えればそれは、可能性があるということでもあります。余市はワインやウイスキー、りんごやさくらんぼなどの産地です。どの町にも言えることですが、そうした発信力のあるものをうまく引き出せていないだけだと思っています。そこをきちんと引き出してうまく発信するモデルを構築すれば、町は消滅しないでしょう。余市は課題もあるけれど、魅力もある町なので、すべての自治体に汎用性のあるモデルケースになり得ると考えました。

余市町にある広大なぶどう畑。ワイン用のぶどうの生産地として知られる

米田:齊藤さんは官僚出身でありながら、“脱お役所”的なクリエイティブなスタンスが特徴ですね。そのスタンスは官僚時代からのものなのですか?

齊藤:官僚の中でも私は外務省出身なので、ルーティンワークはほぼありませんでした。常に社会情勢は変わるし、新たな手法を取り入れることが必要な仕事でした。お役所仕事どころか、毎日空中戦をしていたイメージですね(笑)。

写真右/FINDERS編集長・米田智彦

米田:官僚というと堅いイメージがありますが、意外とそうだったのですね(笑)。天塩副町長時代は、若者に情報を届けるには若者が注目する手法で情報を届けなければならないということで、地方創生ラップバトルに参加したり、地域の情報を届けるために主婦の発信力に目をつけて、主婦限定で公式インスタグラマーの公募をしたり、民間企業と地元食材のコラボを企画したりするなど、これまでにはない新しい施策で結果を生み出しました。こうした企画力の源泉はどこにあるのですか?

齊藤:さまざまな業種の方と会って話すことでイノベーションが起きるので、意識して人と関わるようにしています。外務省時代、外交官の仕事は人脈構築と情報収集がすべてで、その上で戦略を考える仕事だったので、その時の経験が今に生きています。

今も毎晩会食が入っていて、余市のいろんな方々と会う機会を作っています。町の中には時代に合わせて変化したいのに、そのやり方がわからずにもがいている士気の高い若い方も大勢いらっしゃいます。お会いして話す中で、そんな方たちを結集し、新たなプロジェクトを立ち上げるきっかけになることもあります。

米田:その成功体験の芽を齊藤町長がこれから作っていくということですよね。どのあたりから着手してきたのですか?

齊藤:すでに始動しているものだと、若い人たちが自発的に集まるマルシェです。マルシェ自体は地域の特産物を自ら売る試みで、やっていることはオーソドックスな直産市場ではありますが、自発的に実施する流れができることがとても重要です。固定費がなるべくかからないかたちで空いている公共施設を解放しています。現在は、それに付随するサービスもできるほど発展してきました。こうした活動が、今後の大きな流れやビジネスの発信にもつながっていくと考えています。

米田:若者が自立心を持ってさまざまなチャレンジをすることは、町にとっても大きな起爆剤となりますよね。天塩副町長時代は、ふるさと納税で都市部から多額の税収を呼び込むなど、大きな貢献をしてきた齊藤さんですが、地域の人からの反応はいかがでしたか?

齊藤:天塩町での施策は多くの人に喜んでいただけましたが、肝心なのは、僕が去っても自立できるかどうかです。そういう意味では、在任中は若い世代に対して、札幌のみならず、東京、海外などの外部からの多くの知見を植えつけたことはとても大きかったと思っています。僕の退任後も、そこで得た知見を吸収し、受け継いでいただけると期待しています。

米田:余市町に植えつけたい種やスピリットはありますか?

齊藤:地域が自ら稼ぐスピリッツですね。かつての余市にはそれがあって、みなさんご存知のニッカウヰスキーをはじめ、約150年前にニシン漁で栄えた歴史があります。当時の三越本店と同じ金額で建設したという“ニシン御殿”が残っているほどです。それからりんごの生産については、日本で初めて商業栽培を始めたのは余市町でした。ロシアへの輸出で潤い、“りんご御殿”も山ほど建てられていました。そうしたものが時代を経て衰退してしまいましたが、自ら稼ぐスピリットがこの町にはそもそもあったのです。補助金頼りではなく、自分たちでいかに稼げるようになるかというスピリットをあらためて余市町に植えつけられればと考えています。

ニッカウヰスキーの蒸留所

自己成長しながら町を引き上げるというやりがいのあるポスト

米田:今回、余市町では町のブランド戦略の立案、実行を担当する「戦略推進マネージャー」を公募するということですが、そのねらいは?

加瀬澤:働き方改革以後、副業のニーズが高まっているので、自治体をハブにした人材還流を構想したのがそもそもの経緯としてありました。変化願望がある余市町に外部人材を送り込むことで、その外部から来たビジネスプロフェッショナルが町を劇的に変えるのが目的というよりも、外部から最新のノウハウを持っている人が入ることで、地元住民への刺激にしたいというのが、実は大きなねらいです。地元の人が主体的に変わらなければ継続的な変化は起きないと考えています。

米田:齊藤さんとしては、どんな人物像をイメージしていますか?

齊藤:政策作りは感情や流れで進めるとエラーが起きますから、まずは、きちんとデータに基づいて合理的な政策ができる人。これまでの業種は問いませんが、おそらく新規事業立案や戦略コンサルの経験のある人が強いのではないでしょうか。

米田:10年後の余市町がこんなふうに変わってほしいというビジョンはありますか?

齊藤:人口減少は余市町に限らず、国内では不可避の問題ですが、そうした中でも豊かに暮らせる条件として、コミュニティの活力を維持できていることが理想です。余市町では、おそらく10年後には、現在は高い競争力を誇っている第一次産業も相当ダメージを受けることが予想されます。そんな中でも、残った人たちがいかに付加価値を作っていけるかがポイントです。その体制作りを今から筋トレのようなイメージで続けていくことが重要だと考えています。

米田:未来を見据えた基礎作りをするためにも、コミットしてくれる人材が必要ということですね。加瀬澤さん、そもそも自治体に有能な人材を送り込む今回のようなプロジェクトは、何が発端だったのですか?

加瀬澤:数年前から国内でも、副業や兼業で働きたいという方が増えてきて、転職サイトを運営する弊社としては、可能性を感じてはいたものの、実証はできていませんでした。その時仮説として、ビジネスプロフェッショナルであれば、自己成長したい方が多く、MBAに行くような感覚で、一定期間地方で力を試したい、チャレンジしてみたいという人がいるのではないかと考えました。そこで、ビジネスプロフェッショナルが活躍するフィールドとして、「町づくり」「教育」「スポーツ」の3つに絞って副業・兼業の実証を試みることになりました。

その第一弾として、広島・福山市の市長と協議し、戦略推進マネージャーの公募をしたところ、なんと約400人も応募が来て、5人採用となりました。その後、日本フェンシング協会でも公募したのですが、1000人以上の応募が殺到し、大きな手応えを感じました。

潜在的に“副業熱”はあるという仮説は当たり、調査でも80%が「副業・兼業をしてみたい」という結果に表れました。ここでポイントとなるのが、副収入を見越して副業・兼業する人はほとんどいなくて、目的は自己成長にあるということです。人生100年時代に向けて、やりたいことを実現する場として臨む人が多いのです。逆に言えば、やりがいのある仕事さえ創出できれば、地方で働きたいという副業のニーズがあるということなのです。そこで各自治体にお声がけした中でも、余市町ではスピード感を持って企画に応じていただけました。

齊藤:スピード感を持って取り組まないと世界から取り残されますから(笑)。

加瀬澤:小さい自治体での初めての取り組みに挑戦するのはかなり勇気がいることです。また採用される方も最初に地域独特の輪に入れるかどうかという問題もありますが、おそらく高い意思を持ってエントリーされる人が多いと思いますので、ぜひ成功していただき、余市町がオープンな場として認知が広がればと考えています。

米田:今回は副業・兼業限定での公募ですが、余市町における「関係人口」をいかに増やすかということについてはどのような見解がありますか?

齊藤:もちろん、「関係人口」を増やしていくことは提唱しています。関係人口の定義としては、広義には「町に興味を持ってくれる人」、狭義の意味では、「東京にいながらもたまに戻って戦略立案してくれる人」。特に後者は、今回の戦略推進マネージャーの公募のように、たとえば東京に在住しながらも、町作りのために時々町に戻って来てくれる人が実際に余市にいらっしゃいます。そういう人の輪をいかに広げていくかということが重要だと考えています。

小さな町から日本の未来を築く、“余市経済圏”のCXO(組織の責任者)

米田:今回のポストは、聞けば聞くほど実はかなり高度なスキルを求められていますよね。もちろん、その分やりがいも大きいと思われますが。

加瀬澤:本当にそのとおりで、多くの人を育てる、すべての人の意識を高めるという意味でも、高いスキルを求められるポストだと思います。地域が誰でもいいから来てほしいのではなく、地域だからこそ、最優秀な人に来て欲しいというニーズです。つまり、強い意志がある実力者じゃないと務まらないでしょう。逆に言えば、そういう方に来ていただければ、町とウインウインの関係になるはずです。今回の公募は実力こそ勝負ですので、いろいろな方にトライしていただけたら幸いです。

米田:具体的には、町の未来、引いては日本の未来を築いていく大きなやりがいのある仕事ですね。

加瀬澤:余市経済圏を作る経営者のイメージですね。CXO(Chief x Officer:組織の責任者)のような存在でしょうか。街のビジョンを町長と一緒に総合的に戦略立案していく仕事ですが、最初の仕事はおそらく市場分析をして、競合やモデルケースを見つけてローンチし、A/Bテストをしながらダメだったら次を試すという作業になるでしょう。ビジネスで高速PDCAを回すアジャイル型開発のような取り組みが必要なので、ベンチャーの起業に近いものがあると思います。

米田:なんだか今っぽいですね(笑)。それでは最後に、お2人から今回の公募に興味のある多くの読者に向けてメッセージをお願いします。

齊藤:“食と観光で世界へ”というのが北海道のキーワードなのですが、まさにそれを体現できる自治体のひとつが余市町です。ウイスキーとワインなどの恵まれた資源を世界に発信するために、総力を上げて頑張っているところですので、ぜひこれまでのキャリアを生かしてお力添えください。

加瀬澤:こうした最初のチャレンジは成功させなければならないプレッシャーがあると思います。弊社としましても、最初のチャレンジとなるこの企画を絶対に失敗させたくないという思いが強く、できる範囲でサポートさせていただきたいと考えています。1人で背負う責任もプレッシャーも大きい分、大きなやりがいがあるのは間違いありませんので、ぜひご応募いただけたら幸いです。


余市町戦略推進マネージャー公募概要