EVENT | 2018/10/31

1000年後のエンターテインメントへ。AIは、人間の可能性を広げていく【連載】デジハリ杉山学長のデジタル・ジャーニー(3)

第1回 第2回
デジタルハリウッド大学学長・杉山知之さんが、デジタル・テクノロジーの行く末を語りつくす連載の第3回。今...

SHARE

  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • line

第1回 第2回

デジタルハリウッド大学学長・杉山知之さんが、デジタル・テクノロジーの行く末を語りつくす連載の第3回。今回のテーマは「AIとシンギュラリティ」だ。人間の仕事を奪ってしまうのではないかという意見もあるなか、杉山さんは、人の暮らしの中に入っていくAIに、ポジティブな可能性を見出している。人間のあり方を再定義した先には見えるエンタテインメントのありようも含めて、杉山哲学がさらに熱を帯びていく――。

聞き手:米田智彦 構成:宮田文久 写真:神保勇揮

杉山知之

デジタルハリウッド大学 学長/工学博士

1954年東京都生まれ。87年よりMITメディア・ラボ客員研究員として3年間活動。90年国際メディア研究財団・主任研究員、93年 日本大学短期大学部専任講師を経て、94年10月 デジタルハリウッド設立。2004年日本初の株式会社立「デジタルハリウッド大学院」を開学。翌年、「デジタルハリウッド大学」を開学し、現在、同大学・大学院・スクールの学長を務めている。2011年9月、上海音楽学院(中国)との 合作学部「デジタルメディア芸術学院」を設立、同学院の学院長に就任。VRコンソーシアム理事、ロケーションベースVR協会監事、超教育協会評議員を務め、また福岡県Ruby・コンテンツビジネス振興会議会長、内閣官房知的財産戦略本部コンテンツ強化専門調査会委員など多くの委員を歴任。99年度デジタルメディア協会AMDアワード・功労賞受賞。著書は「クール・ジャパン 世界が買いたがる日本」(祥伝社)、「クリエイター・スピリットとは何か?」※最新刊(ちくまプリマー新書)ほか。

1990年頃に見えていたAIの可能性

これまでの連載でも、デジタル・テクノロジーは個人の能力をエンハンス(拡張)するものだ、という私の哲学を語ってきました。そしてAIに関しても私は、「個人をアシストする」ものだと捉えています。

これは最近思うようになったことではなく、1990年頃に頼まれた自分の講演資料を読み返すと、すでにこのように考えていることがわかります。個人が何人ものエージェントや秘書のように、AIにアシストされていて、21世紀の人間は王様のような暮らしになるはずだ――といったニュアンスのことが、そこには書かれています。

やがてシンギュラリティを迎えて、人間の仕事がとられてしまうのではないか、という悲観論も世にはあります。しかし、そうでもないのではないか、というのが私の考えです。

というのも、もちろんAIにまるっきりとって変わられてしまう仕事もあると思いますが、そうした仕事ばかりではない、と思うからです。

AI=ディープラーニングではない!

そもそも、そうした物言いがなされるとき、「仕事」とはある職業を示すことがほとんど――たとえば教員という職業を指すことが多いですが、しかしこの教員という職業の中で、実は人間はたくさんの、違うタイプの物事を同時並行で行っています。

そのすべてをカバーするAIはなかなか出てこないでしょう。ひとつの職業でやる仕事を100だとしたら、そのうち60はAIのほうが上手かもしれない。ではそれはAIにやらせてしまって、そこでできた時間で、これまで注力したかったけれどできなかった残りの40に力を入れる……ということが可能になるはずなんです。教員としての理想を突きつめるために力を入れたいけど、雑事に忙しくてできなかったことがあると思うんですよね。その領域は、AIはすぐには手を出せない領域なんです。

こうした観点から、AIには期待しているんです。今、耳目を集めているのは、ある機能に特化して、専門的な知識をディープラーニングで学ばせるようなタイプのAIですよね。どんなデータをAIに食べさせるのか、という専門家も、必要とされてくるでしょう。

それはそれでいいのですが、しかしもっと、我々の日常と密接に関わってくるようなAIが生まれてくると考えています。たとえばサービス業の分野で、顧客からの問い合わせに答えるというタイプのAIでしたら、質問の9割ぐらいには答えられるようになると思います。ディープラーニングで先端的な人工知能をつくっていくことが、AIの可能性のすべてではない。AIには様々なタイプがあるのです。

AIが暮らしに入ってきたとき、求められる「教養」

では、AIが私たちの暮らしの細部とかかわり始めたときに必要とされるものとは、何でしょうか。それは、「人間とは何なのか」ということの再定義、そしてそのための「教養」だと思います。これも1990年頃から考えていたことなのですが、今まで明日を生きるために束縛されていた時間から解放されたときに、人間とは何か、人は何をすべきか、ということを考えていく必要がある。

デジタル・テクノロジーを考える時に、そうした哲学的な問いを考えることのできる「教養」が必要になってくる、ということです。実際にデジタルハリウッド大学では、2015年から、教養をめぐるカリキュラムに非常に力を入れるようにしています。

1000年後の人間のためのエンターテインメント

それにしても、面白い時代になってきたな、と感じます。AIによって生まれるのは、余暇でさえなく、もはや人間にとってそれが人生のメインストリームになる、という逆転現象なのですから。この人間の生の変化が起きたときに重要になるのが、デジタルハリウッドが中心的に扱う「エンタテインメント」なのです。

これに関しても、それこそインターネットが興隆する前、私がMITメディア・ラボに所属していた頃に、すでに今につながる「答え」をつかむことができていました。1989年6月にMITで、「次の1000年のエンタテインメントを考える」というイベントがあったのです。

MITに人工知能研究所を設立したひとりであるマービン・ミンスキーも登壇していたのですが、私は「なぜ1000年後のエンタテインメントを考えるのですか?」と質問をしたんです。すると彼は私を見て、「何を言っているんだ、これからは人はエンタテインメントしかやることがなくなるじゃないか」と言ったんです。

そのときに、私もハッと気づきました。「ああ、そうか。AIが高度に発展すれば人間は何もやらなくて済むから、生まれてから死ぬまでエンタテインメントしかやることがなくなる、ということをミンスキーは既にわかっているんだ」と。これは「答え」だと、私は確信しました。

人間という種の未来を、自分たちで選ぶ

ですから、デジタルハリウッドの標語も、「Entertainment. It's Everything.」――日本語では、すべてをエンタテインメントにせよ!、というものなのです。膨大な時間をもつことになった人間が、お互いにもてなしあい、詩を語り、音楽を奏で、美味しい料理を食べ、人によっては恋愛をして、子どもの成長を楽しむ……そんな世界の理想を、エンターテインメントを通じて描いているのです。

もちろん、本当にすべての人がAIの恩恵を受けることができるのか、新たな格差や権力構造は生まれないのか、という課題もあります。それは当然考えなければならない問題なのですが、それにしても、人間は「自分たちの意思でヒトという種が今後どうなるのか」を決定できるぐらいのテクノロジーをもつ段階まできた、ということはシンプルにすごいことだと感じます。面白いところまでたどり着いた――AIの発展に、私はこんな感慨と期待感を抱いているのです。


過去の連載はこちら

次回の公開は11月30日頃です。

デジタルハリウッド大学