EVENT | 2018/08/30

デジタル教育の第一人者が語る、「IT教育」で見過ごされがちな盲点【連載】デジハリ杉山学長のデジタル・ジャーニー(1)

デジタルハリウッド大学学長の杉山知之さんが、デジタル・テクノロジーの未来を語る連載がスタート。日本と世界のデジタル技術、...

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デジタルハリウッド大学学長の杉山知之さんが、デジタル・テクノロジーの未来を語る連載がスタート。日本と世界のデジタル技術、その発展を黎明期から最前線で見つめてきた杉山さんが、過去の叡智と、来たるべき時代への展望を、縦横無尽に語っていく。

第1回のテーマは「IT教育」。社会人・学生向けのクリエイター養成スクール「デジタルハリウッド」を設立して約四半世紀、21世紀初頭には株式会社立として大学と大学院も開学。いま、彼はIT教育に何を求めているのだろうか。

聞き手:米田智彦 構成:宮田文久 写真:神保勇揮

杉山知之

デジタルハリウッド大学 学長/工学博士

1954年東京都生まれ。87年よりMITメディア・ラボ客員研究員として3年間活動。90年国際メディア研究財団・主任研究員、93年 日本大学短期大学部専任講師を経て、94年10月 デジタルハリウッド設立。2004年日本初の株式会社立「デジタルハリウッド大学院」を開学。翌年、「デジタルハリウッド大学」を開学し、現在、同大学・大学院・スクールの学長を務めている。2011年9月、上海音楽学院(中国)との 合作学部「デジタルメディア芸術学院」を設立、同学院の学院長に就任。VRコンソーシアム理事、ロケーションベースVR協会監事、超教育協会評議員を務め、また福岡県Ruby・コンテンツビジネス振興会議会長、内閣官房知的財産戦略本部コンテンツ強化専門調査会委員など多くの委員を歴任。99年度デジタルメディア協会AMDアワード・功労賞受賞。著書は「クール・ジャパン 世界が買いたがる日本」(祥伝社)、「クリエイター・スピリットとは何か?」※最新刊(ちくまプリマー新書)ほか。

「デジタルハリウッド」という学校がもたらしたもの

デジタルハリウッドは最初の専門スクールの開校から、来年で25周年を迎えます。しかし、教育に対してこめている思いは、まったく変わっていません。

64歳になった私が若い頃から携わってきた、デジタル・テクノロジーに見出してきた希望――個人の能力がコンピューターによってエンハンス(拡張)され、ライフスタイルも会社組織に縛られない個人単位のものへと変わっていき、新たなコミュニケーションの仕方が成立していくだろうという、未来への展望。それがずっと、デジタルハリウッドでの教育のあり方を、そして私自身を突き動かしています。

そうした立場からIT教育について語るために、少しだけデジタルハリウッドの沿革をお伝えしたいと思います。

株式会社が運営をする、社会人向けの専門スクールという、個性的な学校を立ち上げた当時は、「マルチメディア」という言葉が世間を席巻していた頃でした。私自身もCGのプロダクションを手がけていて、この分野にはこれから多くの人材が必要になるだろうという見通しと共に、先ほど触れたデジタル・テクノロジーへの思いが相まって、開校を決意。1994年にデジタルハリウッドは産声を上げました。

多くの社会人が門戸を叩いてくれました。何年か実社会で働いた時に、それぞれ自分の中に、さまざまな疑問が生まれてくる。そこでデジタルハリウッドを探し出し、ゼロからキャリアチェンジをしていく。技術を身に着け、新たな夢を叶えていくわけですね。

未知へのトライこそが望まれる環境へ

デジタル・テクノロジーが産業として新興していくなかで、「学校をつくって一儲けしようとしているんじゃないか」という声も聞こえてきましたが、まったくそんなことは考えていませんでした。インターネットの興隆も含めて、「やっとこれで新しい時代が始まるんだ」という強い思いによって、学校を設立したのです。

それでもまだ、当時は株式会社立の大学院を日本でつくることはかなわない状況でした。しかし構造改革特区という制度ができたことにより、会社設立から10年後の2004年に大学院を、2005年に四年制大学を開学することができ、現在のデジタルハリウッドへと至ります。

今では大学に入学してから内部進学で大学院へと進む人、あるいは社会人を経て入学してくる人が合わさって、さまざまな学生が大学院へと集ってくるようになってきています。そこではポジティブなぶつかり合いがあり、新たなトライが次々と生まれている。保守的なことは誰もいいません。先端的な実験をみんな愛していて、それがモチベーションとなっています。それがまた専門スクール・学部教育へとフィードバックされていく、という循環が生まれているんですね。

IT教育には、いまこそ“体験”が必要だ

こうした立場からIT教育の未来について思うのは、まずは“体験”を含めた教育のバランスをどう準備するのか、ということです。これは専門スクールや大学以前の、義務教育や初等教育も含めて考えるべきことだと感じています。

プログラミング教育自体は、重要なものです。コンピューターに対する手続きを覚えたり、論理的思考を養ったり、ということは当然必要でしょう。しかし一方で、ものをつくるという手仕事の領域であるとか、それこそ野山を駆けまわって自然と触れ合う、ということをどう組み込めるのか、という点を疎かにしてはいけない。こうしたバランスがないと、実体験がないままのものづくりやプログラミングになってしまう。

この考えにはもうひとつ背景があります。近年、中国・深センでのデジタル産業の発達が注目され、日本は対抗できるのか、という議論が紛糾していますよね。正直にいえば、現時点でのテクノロジー発展の速度という観点でいえば、大負けしていると思います。

深センの発展に負けないための「手づくり」

しかし、日本には「手づくり」が好きな人が多くいる、ということは強みなのではないでしょうか。私はアートの祭典「デザイン・フェスタ」によく足を運ぶのですが、そこには一級品ということではなくとも、ものづくりを愛している人がたくさんいる。そこにデジタル・テクノロジーが導入していくことができれば、“デジタル手工業品”とでも呼ぶべき領域が花開くと感じます。生活のなかで楽しむものは自分たちで手づくりしてしまう、ということですね。

プログラミング教育を経てデジタルなものづくりをしていくということと、粘土をこねる、裁縫をする、金属を削る……といった体験が手を取り合えば、それこそAIの時代にこそ注目されるべき、“デジタル×手づくり”という人間の営みが花開く。

学校で化学の実験をするのに危険が伴うということだったら、そこにこそテクノロジーが手助けできることもあるでしょう。子どもたちを守りすぎるのではなく、どう現実味のある“体験”を準備するのかは、これからのIT教育のポイントのひとつだと考えています。

産業革命以来の教育構造から抜け出せ!

そもそも、今の日本の教育は、産業革命以降の近代的なあり方から抜け出ることができていません。それは要するに、工場で一律の労働をできる労働者を育てる、という画一的な教育、ということです。

現場の先生方は、「いや、そんなことはない」とおっしゃるでしょう。「子どもの個性を伸ばそうとしている」と。しかしデジタルハリウッドに入学してくる学生たちからは、「自分が好きなものを好きだと言っていい環境に来られて嬉しい」という声が聞こえてきます。みんなと一緒でなければダメだ、という同調圧力の中で、なかなか自由に発揮できない個性がある。科目教育については細かな論点があるでしょうが、実は大きな問題点はそこではないと思います。来たるべきデジタル・テクノロジーの時代を、そしてあるべきIT教育のあり方を見据えるならば、本当に個性を発揮できる教育体制を真剣に考えるときが来ているのではないでしょうか。

今、多くの若いアントレプレナーが、教育という分野を熱心に取り組もうとしています。実際に、学校を設立する動きも出てきている。デジタル・テクノロジー、そしてIT教育の“老舗”としては、嬉しい限りです。IT教育は本来的に、みんなが自由に、もっと楽しく暮らせる社会を考えるもの。誰もが“小さな職人”のように、自由でデジタルなものづくりをしていける楽しい未来のためにこそ、IT教育の力は発揮されるべきだと、私は確信しています。


デジタルハリウッド大学

次回の公開は9月30日頃です。