神保慶政
映画監督
1986年生まれ。東京都出身。上智大学卒業後、秘境専門旅行会社に就職し、 主にチベット文化圏や南アジアを担当。 海外と日本を往復する生活を送った後、映画製作を学び、2013年からフリーランスの映画監督として活動を開始。大阪市からの助成をもとに監督した初長編「僕はもうすぐ十一歳になる。」は2014年に劇場公開され、国内主要都市や海外の映画祭でも好評を得る。また、この映画がきっかけで2014年度第55回日本映画監督協会新人賞にノミネートされる。2016年、第一子の誕生を機に福岡に転居。アジアに活動の幅を広げ、2017年に韓国・釜山でオール韓国語、韓国人スタッフ・キャストで短編『憧れ』を監督。 現在、福岡と出身地の東京二カ所を拠点に、台湾・香港、イラン・シンガポールとの合作長編を準備中。
1941年12月8日と2011年3月11日 〜昨日と今日が別世界になった日〜
12月8日と聞いて、皆さんは何を思い浮かべるだろうか。1941年12月8日と言うと、もうすこし勘付きやすくなるかもしれない。『朝、目覚めると、戦争が始まっていました』(方丈社)は、太平洋戦争開戦の瞬間がどのような形で文学や著名人の手記に描かれているかをまとめることで、「歴史を変えた瞬間」が人々の心にどのように残っているのかを描き出す。
戦後73年目の8月が終わった。「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」という広島の原爆死没者慰霊碑に書かれている言葉は、原爆記念日や終戦記念日といった機会に、繰り返し人々の心に刻まれる。しかし、「繰り返さない」ためには開戦記念日に世界がどのように変わったのかを知ることも重要であるはずだ。
ドイツ文学者の阿部六郎は、このように開戦のひと時を記している。
undefined
undefined
床の中でさあ大変だ、さあ大変だと怒鳴ると、前夜から泊まってゐた山形の兄がハハハと笑った。起きてみるとめづらしく晴れ渡った空だつた。前夜まで、狂ひやすいはかりで進退二つの未知を量るやうにして苛々してゐた心も、すつきりと澄んで、妙に楽天的に落ち着いてゐた。(P53)
本書で紹介されている他の描写のいくつかにも、「晴れ」「青空」といったキーワードが共通している。おそらく全国的に晴れだったのだろう。開戦に限らず、何か重大なことが起こった日の出来事は、時に天気ともに人の心に残っている。天気・自然は人間のことを何も知らない。嬉しい時にも豪雨は降るし、悲しいときにも快晴になる。
作家の獅子文六は、当時の首相・東条英機の声をラジオ放送で聞いた後の心境をこう書いている。
undefined
undefined
ふと、自分は、ラジオを聴く前と、別人になってるような気持がした。
その間に、一年も二年も時間が経ってるような気持がした。一間も二間もある濠を、一気に跳び越えたような気がした。(P81)
おそらく、ここまで紹介した2文を読んで、東日本大震災と福島原発事故を想起した方は多いのではないだろうか。その日何をしたか克明に思い出せる日、前と後で日常が別の次元にあるように感じた日。ケネディ暗殺、ベルリンの壁崩壊、9.11同時多発テロなど、様々な記憶に残る出来事が世界中で起きてきたが、現代日本で多くの人が経験した共通の出来事といえば2011年3月11日の震災だろう。
「これで何かが大きく変わる」という予感には良いものも悪いものもある。多くの人が悪い予感を募らせた原発事故と違い、本書に収録された回顧録では、米英との開戦について「良い予感」の割合が圧倒的に多い。戦後制作されたドラマや映画によくある「勝てるわけがない戦争を始めるなんて!」と憤る人はごくごく一部だ。(芸術家の岡本太郎や詩人の金子光晴はその「一部」にあたるが、どのような思いを記していたのかは、ぜひ本書の流れの中で確認してほしい)
開戦派が主流を占めていた新聞の論調や、日清・日露戦争での勝利の記憶しかなかったこと、既に泥沼の日中戦争が何年も続いていたことなどを差し引いても、人は戦争の開始、そして勝利に対して、まるでスポーツの日本代表チームが勝った時のように喜んでしまう可能性が大いにある。本書を読めばそれがリアルな質感を伴ってありありと伝わってくる。
そしてそれは「当時の大半の人は正確な世界情勢など知らなかったのだ」という話で片付けられるものではない。現代でも似たような「判断ミス」を我々は簡単に犯すだろう。
歴史が変わる瞬間の「重量」
本書には合間合間に12月8日のラジオ放送の文字起こしが挿入される。当時、日本がどのような社会だったのかが、言葉の節々から垣間見える。
undefined
undefined
なお、今晩七時から詔書の奉読と東条総理大臣の、『大詔を拜し奉りて』の全国民への放送を録音によりまして再放送いたします。今晩七時からでございます。ラジオの設備のあるご家庭はもちろんのこと、劇場、映画館、食堂などでもラジオにスイッチを入れて、全国民がこの放送をお聞きくださるように願います。(P89)
当たり前だが、当時はインターネットがない。ラジオが多くの場所に普及していて、不特定多数の人々と共にその出来事を共有していったのだろう。
詩人の高村光太郎は、冷静に、しかし重大に1941年12月8日のひと時を受け止めた。
undefined
undefined
この刻々の瞬間こそ後の世から見れば歴史転換の急曲線を描いている時間だなと思った。時間の重量を感じた。(P111)
こうした重みを感じるのは大抵後からで、渦中にいる時はその存在を感じることは難しい。詩人ならではの感性が光る一節だ。
私は東日本大震災・福島原発事故のとき、前職の旅行会社に勤務していた。いわゆる帰宅難民となり、品川駅付近に歩行者が溢れ、車道まではみだすぐらいの大渋滞だった。3月11日の夜も忘れられないが、翌週3月18日から1カ月弱、添乗業務でパキスタンに行ったときの出来事はもっとはっきりと覚えている。
人里離れた山奥の村に立ち寄った時、衛星放送で日本のことを知ったのか「地震と原発は大丈夫か?」と現地の人からあちこちで声をかけられた。声をかけられて返答するたびに、遠く離れた日本で起こった事の重大さに対する認識が、私の中で増していった。私の場合、出来事が起きてから1カ月ほどして、やっと「重量」を感じたのだ。
「異常さ」は「正常さ」の中に潜んでいる?
本書の巻末解説を書いているライター・武田砂鉄も、やはり東日本大震災の時のことを言及している。帰宅難民となり、自宅を目指す途中で前から気になっていたホルモン屋が繁盛しているのを見かけ、おいしそうだなと思ったそうだが、その出来事を「正常性バイアス」という心理学の用語で説明している。
たとえば、非常ベルが鳴ったとする。筆者もそうした経験があるが、だいたいは機器テストや誤作動の場合が多く、すぐには反応しない。つまり、「重大な事態が起こっているはずないだろう」という正常性への偏重が心の中で起こってしまうのだ。
なぜ本書が今このタイミングで出版されたのか。それは、この「正常」というキーワードに大きく関連している。改憲、原発、東京オリンピック。心当たりは山程あるが、私たちの身の回りで「当たり前」としてまかり通っていることのうち、どれほどが「正常」なのだろうか。
undefined
undefined
私たちは歴史を学ぶ時、まず、その結果を教わる。戦争ならば、いつまで戦って、どこが勝って、誰が殺されて、どことどこが仲違いしたままになってしまったのか、を知る。その知識をテストに記して、正解の◯をもらってきた。だが、あらゆる事象は、始まらなければ起きるはずがない。(P157)
今生きる人々、まだ生まれてきていない人々の未来に重大な悪影響を及ぼしてしまう何かを「始めさせない」ために、先人の言葉に耳を傾けてみてはいかがだろうか。