宮崎大輔
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1988年長野県生まれ。信州大学大学院農学研究科で修士号を取得後、2013年からJICAの青年海外協力隊に参加。中米パナマ共和国で農業指導を2年間行う。2015年からフリーランスになり日本、東南アジア、南米、アフリカの案件に農業コンサルタントとして従事。またノマド生活をしながら、世界中でスナップ写真やポートレート写真を撮影中。ブログ
ホーリーの本番へ
インドのブリンダーバンにある寺院で、奇祭ホーリーの撮影を行いました。しかし、実はその時インド全土でのホーリーはまだ始まっていませんでした。なぜかというと、ブリンダーバンでは、他の地域よりも一日早くホーリーが始まっていたからです。そのため、翌日はマトゥラーという町へ移動して、ホーリーの様子を撮影することにしました。
ブリンダーバンの寺院の撮影だけでも全身がカラフルな粉だらけになり、足の指が骨折しました。ビニール製のカバーをビニールテープでぐるぐる巻きにして保護していたカメラも、隙間から粉が入って粉まみれに...。翌日の撮影に備えてカメラの清掃を行ったり、データのバックアップを取ったりと大忙しでした。
祭りの雰囲気が一変
インド全土でのホーリー当日。宿泊していたホテルの周辺は落ち着いていたので、盛り上がりそうなスポットへ向かいます。さっそくオートリキシャを捕まえて、マトゥラーにある寺院までの値段交渉を行います。ニューデリーではUberが流行っていてインドの変化を感じましたが、田舎の町では今でもオートリキシャが活躍していました。
オートリキシャに乗って寺院から続く通りに行ってみると、すでにそこは大盛り上がり。子どもたちが見ず知らずの通行人に向かって、カラフルな粉や水をかけています。昨日までの宗教的な熱狂ぶりはまったくなくなり、今日のホーリーは楽しいお祭という雰囲気に変わっていました。
クラブ化した寺院
マトゥラーの寺院へ入ってみることにしました。人の多さはブリンダーバンの寺院と変わらず、まるで東京の満員電車みたいです。ただし、雰囲気は前日の寺院とはまったく違います。この寺院ではクラブでDJが流すような音楽が爆音で流れていて、若者たちが手を上げてジャンプしながら踊っています。今回の記事のトップの画像がこの寺院で撮影した写真なのですが、まるでクラブや野外音楽フェスティバルを彷彿とさせるような状況でした。スマホで自撮りを楽しむ人も多かったのが印象的でした。
2つの寺院のギャップに正直驚きました。ブリンダーバンの寺院に集まった人々は宗教的な儀式のために集まっていましたが、マトゥラーの寺院に集まった人々はクラブミュージックと踊りを楽しむために集まっています。ホーリーと一言でいっても、地域によってその楽しみ方は様々なようです。
息ができないほどの粉塵
次に、寺院の前から伸びる通りに向かいました。この通りには音響機材を積んだ車が走り、やはりクラブミュージックを爆音で流しています。そして、その車の上に乗った子どもたちが粉を大量に撒き散らし、呼吸もできないほどの粉塵です。その粉塵の中で若者たちがダンスを楽しんでいます。通りの両側にある建物の2階や3階には女性たちがいて、バケツに入った水を頭上からかけてきます。いったいどうなっているんだ!?と思うほど、混沌とした状況でした。
特に粉塵の量が凄まじく、タオルを口に当てないと呼吸ができないほどでした。また、顔面に粉を投げつけられるので、目を守るためにサングラスは外せません。こんな状況でも若者たちはダンスに熱中しています。粉をかけられようが水をかけられようがお構いなしで、音楽に合わせて激しく踊り続けているのです。インド人の踊りに対する情熱に驚かされました。
無礼講が許された祭り
ホーリーの時期には、誰が何をしてもいい雰囲気があります。なので、精密機器であるカメラを手に持っていようと、粉や水を持った子どもたちに襲われます。私はカメラのレンズに向かって粉を投げつけられたり、レンズを指でごしごし擦られたり、レンズに水鉄砲の水をかけられました。その対策としてあらかじめレンズには保護フィルターを付けておき、カメラ全体をビニール製のカバーで覆っていたので故障しませんでしたが、一歩間違えばカメラもレンズも故障していたでしょう。
ホーリーは無礼講が許された祭りだからこそ、現地の人たちと交流することができます。見ず知らずの通行人と「ハッピーホーリー」といいながら顔に粉を付け合い、一緒にセルフィーを何枚も撮りました。インドの熱気を肌で体感したい人には、ホーリーに参加してみください。