CULTURE | 2019/04/22

サブスクリプションの時代にあって古い音楽をディグする意味【連載】西寺郷太のPop’n Soulを探して(8)

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過去の連載では80年代から10年代までの音楽シーンを振り返ってきた当連載。音楽配信は完全にサブスクリプションモデルが定着してきた今、あえて、古い音楽をディグ(掘り下げる)ことによって、見えてくるものがあるのではないか。ロバート・ジョンソン、プレスリー、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、平成最後の更新となる今回はあえてルーツミュージックとサブスクリプションという新旧織り交ぜた音楽談義をお届けします。

聞き手:米田智彦 文・構成:久保田泰平 写真:有高唯之

西寺郷太(にしでらごうた)

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1973年、東京生まれ京都育ち。早稲田大学在学時に結成し、2017年にメジャー・デビュー20周年を迎えたノーナ・リーヴスのシンガーにして、バンドの大半の楽曲を担当。作詞・作曲家、プロデューサーなどとしてSMAP、V6、岡村靖幸、YUKI、鈴木雅之、私立恵比寿中学ほかアイドルの作品にも数多く携わっている。音楽研究家としても知られ、少年期に体験した80年代の洋楽に詳しく、これまで数多くのライナーノーツを手掛けている。文筆家としては「新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書」「ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い」「プリンス論」「ジャネット・ジャクソンと80’sディーバたち」などを上梓し、ワム!を題材にした小説「噂のメロディ・メイカー」も話題となった。TV、ラジオ、雑誌の連載などでも精力的に活動し、現在NHK-FM「ディスカバー・マイケル」、インターネット番組「ぷらすと×アクトビラ」にレギュラー出演中。

サブスクリブション時代において重要性を増すキュレイターの存在

米田:今日は、サブスクリブションとかYouTubeとかで聴ききれないぐらいの音楽に触れることができる今において、古い音楽、いわゆるルーツミュージックを聴くことの楽しさみたいなところを話したいと思うんですけど。

西寺:今は聴きやすい環境ですもんね。僕らなんか、お金なくて聴けないものもたくさんあったし、間違った情報を仕入れてたりしたこともあって。

米田:僕なんかは、80年代後半のバンドブームの時にブルーハーツとか聴いてたわけですよ。それで、ヒロトとマーシーが昔のブルースを聴いてるとかって話をどこかで読んで、地元のタワーレコードに行ってロバート・ジョンソンの1930年代のたっかいボックスセットをなけなしの小遣いはたいて買ったことがあったんですけど、聴いてみると「なんじゃこりゃ? 全部同じ曲やんか。どこがいいんだ!?」と思って。でも、あの頃のそういう体験ってすごく重要だったなって思うんですよ。十代の半ばとかで古いブルースとかフォークとかに触れる、例を挙げるとボブ・ディランの初期とかに触れることができたのは、自分の中では良かったなあって思うんですよね。今の若い世代がどういう音楽のディグり方をしてるのか。郷太さんなりにサブスク時代の戦略ってありますか?

西寺:これは2年も3年も前から言ってることなんですけど、僕みたいなミュージシャンが、SpotifyでもApple MusicでもAWAでもなんでもいいから、専属のキュレイターというか、コンシェルジュみたいになって、いろんなものを伝えていくみたいなことをもっとやるべきだと思ってるんです。ちゃんと音楽家の仕事のひとつとしてその能力を認めてもらって。

米田:平たく言えば「西寺郷太セレクション」のプレイリストを作ったり、っていうことですかね。

西寺:でまあ、僕もプリンスやニュー・エディションなど、宇多丸さんのラジオ「アフター6ジャンクション」で話したものでプレイリストを作ったりとかしてたんですけど、ノーナをプッシュしてもらうついでにみたいな流れの中でしかできてないんで。本当は、僕だけじゃなくいろんなミュージシャンや、音楽をよく理解しているライターやジャーナリストが、ひと言コメントとか付けながら、歴史をちょっとしゃべったりして番組のように展開してゆくって、すごくいいと思うんですけどね。MCとして僕が参加してすぐの頃、4年から3年前の「WOWOWぷらすと」って番組はそんな感じだったんですけどね。

米田:サブスクリブションに関して、ノーナ・リーヴスは積極的というか、旧譜も聴けるようになってますよね。

西寺:個人的にはサブスクがめっちゃ好きだし、ヘンな言い方ですけど、それでノーナも全部聴けるようにするのが精神衛生上いいっていうか。ノーナもワーナーに復帰する数年前までレーベルや時期によってはCDとしては廃盤になってたりで、そういう盤を手に入れたかったら中古を探さなきゃいけないわけです。実際に中古もそれなりの値段を保ってるんで、貴重なものを手に入れる「宝探し」感はそれでありだなって思ってるんですけど、たとえばツアーとかでは昔の曲から新しい曲までやるので、正規で売ってない曲をやるってやっぱりどこか後ろめたいというか。その点、今、初めて来るような若い子たちは特に、サブスクリブションで聴けるのがありがたいと思うんですよ。

米田:近年のノーナのライヴは若いお客さんがずいぶん増えましたしね。

西寺:そうですね。あと、サブスクリブションのありがたいところとして、たとえば僕が手掛けたアイドルだけでプレイリスト作れたりするんですよね。寺嶋由芙ちゃんや私立恵比寿中学とか、アイドルの仕事を集めたものでもいいし、作家・西寺郷太としてこんないっぱい提供曲がありますよっていうプレイリストが、サブスクリブションだと作りやすい。こっちが聴いて欲しくても、アイドルによくある「初回盤」とかDVD付きの「Type-A」みたいなのでしか聴けないものもあるので、わざわざそれを買わなくても微々たる額とは言え正式に自分の作った楽曲を聴いてもらえるっていうのはとても良いことだし、僕自身もね、リスナーとしてめちゃくちゃ使ってますから。

米田:ノーナって今、海外でも聴かれていたりするんじゃないですか。

西寺:韓国は結構ファンが多いみたいですけど、他の国のファンももっと増やしていきたいですね。幸いにワーナーミュージックはグローバル企業だから、やろうと思えばできるだろうし、それこそ3年前の「PPAP」じゃないけど、例えばジャスティン・ビーバーくらいの波及力を持つミュージシャンがノーナを聴いて「いいね!」って紹介したら、それが数日で何百万、何千万、何億再生っていく可能性だってあるわけじゃないですか。そういう意味では全然日本人のアーティストも、いわゆる日本的な売り方を考えなくても曲を広めることができる。誰にでも起こりうるというか、普通に会社勤めをしている人が作ってる曲であっても、見つけられ方によってはワールドワイドなものになるっていうか。かなり普通の意見ですけどね(笑)。

リズムの画素が細かい音楽はいつまでも鮮明で古びない

米田:今回の連載が「平成最後」の更新になるんですけど、1月に公開した回(目まぐるしくムーブメントが起きた90年代の音楽シーン)で、郷太さんが「平成元年になった時点でルールが変わった」っていう話をしてたじゃないですか。あの話の続きをしたいんです。やはり「令和元年」になったら音楽の世界のルールも変わるものってありますかね。

西寺:僕の予想では、いわゆる平成期、2010年代に良かったとされてたこと、いわゆるテレビ的なメディアで扱っている芸能マターなところでのルールはめちゃくちゃ変わると思うんですけど、音楽の本質的なもの、流れっていうのはそんなに変わらないような気がするんですよ。それこそアメリカのチャートってずいぶん前から圧倒的にヒップホップかその流れにある、リズムを軸にしたポップが制覇してるじゃないですか。それがもう一回、ギター中心で、リズムに一番の意識を置いていない「ロック」の時代に戻るっていうことは、ほぼ永遠にないような気がして。まあ、オアシスがフジロックでヘッドライナーをやるとか、そういうものは残っていくと思いますけど。

米田:ああ、それは言えるかもしれないですね。2018年のフジロックはケンドリック・ラマーやN*E*R*Dがメインステージのトリを務めて、「フジ・ラップ・フェスティバル」なんて言われてましたから(笑)。

西寺:4年ぐらい前からだと思うんですけど、例えば、宇野維正さんや、田中宗一郎さん、僕もさっき話した『WOWOWぷらすと』で出会った評論家の方々ですけど、「もうラップしか聴けへんわ」みたいなことを強調されていた時があったんですけど。もちろん「いわゆる、ロック音楽の伝道者」として敢えて言っているとは思いつつ、正直「え?今?遅っ!」って思っちゃったんですよ。僕は、自分がプロになった99年ぐらいから、いわゆる白人勢や日本人が作る同時代の「ロック」がまったく聴けなくなって。最後が、ブラーの『13』かな。なんかその、例えるなら、「お寿司」でワサビの美味しさを知ってしまうことに似てるっていうか。

米田:お、寿司ですか?(笑)。

西寺:グルーヴィーなノリ、ファンキーなノリ、トラップとかも含めた細かくて深いリズム解釈ありきの音楽って、わさびみたいなもんやと僕は思ってて、子どもの頃はサビ抜きで食べてたけど、わさび入りがデフォルトになっちゃうと、もう物足りなくなる。それに近いのかな、と。大人の寿司(笑)。ごくたまに、なんとなくかっぱ巻きとかかんぴょう巻きを食べたくなることがあったとしても、お寿司屋さんでそれをメインに食べることってないじゃないですか、大人は。わさびって、食べられない人にとっては辛いだけで、子供からしたら「なんでこんな辛いもんわざわざ入れるんやろ」って思う。でも、グルーヴの画素が細かく、その隙間の快楽を味わう音楽の心地よさ──わさびの味を知ってしまったら、いくつかの例外をのぞいて多くの無自覚なロックバンドはサビ抜きで子ども向けの音楽っていう感覚になってしまう。それを99年、2000年あたり、自分がミュージシャンになったあたりから思っていて。キース・リチャーズの『トーク・イズ・チープ』とかは今の例に全然当てはまらないですけどね。あんなにグルーヴィな音楽はない。

米田:グルーヴの画素が細かい音楽が心地よいっていう感覚がわかると、古い音楽の聴き方もおのずと変わってきますよね。

西寺:僕の楽しみ方として、古い音楽とか、当時めちゃくちゃ人気あった人とか、「なんでこの人の音楽は今も愛されてるのに、当時同じぐらい人気のあったこっちの人はまったく聴かれなくなってるんだろう」とか、「なんでこっちは今でもクールなのに、こっちは古く感じるんだろう」とかって考えるのが好きなんです。たとえばYMOが「ダサくなる」ことって、ないじゃないですか。それって、リズムの画素、演奏している人の耳の画素が最初から細かかったからだと思うんですよ。リズムの画素を体現してるヴォーカルとか演奏者が作り上げた音楽っていうのは、いつ聴いても新鮮だし、いつ聴いても新しいと思っていて。エルヴィス・プレスリーなんかはね、そういう意味ではもともと8Kみたいな(笑)。

米田:郷太さんはボブ・ディラン好きでも有名ですが、そういう意味ではあの人も8Kですよね(笑)。

西寺:そう、まさに。ディランの場合は、リズムの画素に加えて言葉の画素とかもあると思うんですけど、意外と声の画素もあって。60年代に出てきて、70年代、80年代、90年代、2000年代、彼のやってることってまったくモザイク状態になってないじゃないですか。ミュージックビデオに関して言えば、80年代には倍賞美津子が登場するワケのわからん作品も作ってましたけど(笑)。そういう意味ではカート・コバーンなんかでも同じで、すべてにおける画素がきめ細かいから、5年、10年、100年っていう時も越えていける。だから、単純な「ロック」批判というわけではないんですけど、なんかその視点はずっとありますね。そういう意味で唯一僕がある種の「目利き」をミスったなと思ったのはミリ・ヴァニリですね(笑)。口パクで歌ってたっていうのを見抜けなかったっていうのもあるけど、実際レコーディングでも歌ってなかったわけだから(笑)。曲やアレンジは今も好きですよ。音楽自体は。

まあ、そういうのはあったとしても、僕が好きになったアーティスト、昔っからずーっと好きな人って、本当の意味で落ちぶれてないんですよね。マイケル・ ジャクソン 、プリンス、ジョージ・マイケル、マーヴィン・ゲイ。やっぱり 皆、リズム解釈。ノーナ・リーヴスの小松シゲルや奥田健介、今KIRINJIのベーシストになった千ヶ崎学、僕が一緒に音楽作りたいと、学生時代からアプローチしてきたミュージシャンが今も売れっ子セッションマンなのも軸は同じです。ともかくリズムは後から学ぶもんじゃなくて生まれつきというか。そこを見抜く審美眼が僕にはあるんです。ラジオとかで昔の洋楽の話になると、「なんか知らんけど、 いつも洋楽の話になるとゲストに西寺が呼ばれてるやんけ。あいつの周りには若い頃からいいミュージシャンが集まってきたのはなんでやねん」みたいな僕に対しての揶揄もあるんですけど、いやそれって僕がもともと厳しい基準でリズムを捉えてきたからやねんって。

米田:(笑)。

ジャズを「書道」に喩えるなら、ビートルズは……

米田:ところで、直球ですが、郷太さん、ビートルズはどうなんですか?

西寺:大好きなんですけど、ビートルズは結構ムズかしいですね。中学一年でリバプールや、アビー・ロード・スタジオに行ったり、高校一年生でも行ったり研究もしてきましたけど。エルヴィスと聴き比べると、バンドじゃないですか。なんていうのかな、例えば歌素材だけ抜いて、今のダンス・リミックスみたいなのをビートルズで作ろうとすると急に無理が出てくるんですよね。さっきのビート感でいうと歌のリズムの画素はそこまで細かくない。というか、それぞれ違い過ぎる。その点、エルヴィスの場合、歌だけ抜けば、今のトラックにもハマりまくりです。ダンサブルなんですよね、やはりヴォーカリストとしての基準がそこにある。だから、今も時代に合う。去年、クインシー・ジョーンズが、酔っぱらってたのかボケてたのかわからないですけど、「ビートルズは最低のバンドで、ポールのベースは超下手くそだった」的に言い放ってましたよね。

米田:「リンゴ・スターは最低のドラムだ」とも言ってましたよね(笑)。

西寺:そうそう。でもね、ちょっとわかるんですよ。というのも、クインシーはジャズの世界の人で、オリンピックの100m走でメダル獲るようなアスリートばりに動物的なドラマーをさんざん見てきたわけですよ。ビートルズでもポールは、ロック界ではめっちゃベースがメロディックで味があり上手いとされてて、たしかにそう思うんだけど、クインシーの感覚って、黒人音楽の伝統に則った、野性的だったりインテリジェンスな、いわゆる書道みたいな世界で研ぎ澄まされたものなんですよね。筆で書いてる、それこそ巻物に書いあるような字みたいなのが素晴らしいという視点。

そこにくるとビートルズの演奏って、丸字というか、ペンで書いた癖のある文字で、筆で書いた「書道」じゃないんですよ。ジャズミュージシャンが書道家だとしたら、「あいつら硯使ってへんやん、ボールペンで書いてるやん」みたいなことなんですけど、でもボールペンで書いた字の方が読みやすかったりもしますからね。

米田:とてもわかりやすい!(笑)。

西寺:それに、ジャズのビッグバンド率いてやってたりしたクインシーに対して、ビートルズはDIYというか、自分たちで家具作りましたみたいなもので、ドラッグもやってましたし半ば強引に完成させてる音像でもある。昔気質の職人中の職人から見たら、「ここ花瓶置いて隠してるけど、めくったらまだ釘出てるやん!」ってことだと思うんですよ。

米田:(笑)。でもまあ、ジャンルの違いですよね。ロックって本質的には、上手いからイイ音楽っていうわけではないものですし。

西寺:もちろんです。この話、クインシーが「アホや、老害や」みたいな話になってるんですけど、いやいや60年代の感覚で言ったらそうだったのかなって。ジャズや映画音楽を作ってた人間の耳からしたら、リズムが単純にもたったり早くなったりしてなんでやねん、と。そこに意味がない、単に下手に聴こえたんじゃないかと。「She Loves You」とかすごいじゃないですか、曲中のテンポのアップダウンが。僕はよく「クォンタイズ絶対論」っていう言い方をしてるんですけど。クォンタイズされたまっすぐなリズムの中で溜めるのか急ぐのかっていうのに慣れてるのが今の世界だとしたら、ビートルズの音楽は設計図をでっかい食パンに苺ジャムで書いてるみたいな、「ここちょっと消えてんねんけど、どうせならちゃんとした紙に書いてよ」みたいな(笑)。それがビートルズは、今から入るのが意外に難しいっていう理由だと思うんですよ。それでいうと、エルヴィスはGoogleマップみたいなものなんですよ、今も現役の地図。歌に関してね。あの時代なのに。

あと、つけ加えるとローリング・ストーンズは、ずっとリズムの隙間の快楽しか追求していないバンドだからこそ、いつの時代も全然古くならないですね。ある種ストーリーとか謎解き主義ではないというか。答えが見つかるまでドキドキする、でもその場合一度知ってしまうと二度めは最初ほど興奮出来ない。次のストーリーを探さなきゃいけないでしょう。ビートルズは解散したけど、ストーンズは解散しないのは、本人たちが気持ち良くて飽きなかったことに尽きる。リズムの感じ方、「座組み」の違いだと思いますよ。

米田:今日の話をまとめると、古い音楽の中にも、いまだめちゃくちゃ新鮮な画質を保ってるものもあるっていうことになりますが。

西寺:そうじゃなかったっていう人が悪いっていうわけじゃないんだけど。最後にさっきの「リズム感の画素」の話でいうと、僕がデビューしてからずっと戦ってきたのが日本語をいかにグルーヴィでダンサブルなポップ・ミュージックに乗せて新たなビートを作るか、という部分。言葉、発語、リズム、意味の深さと浅さ。例えば新作の「ガリレオ・ガール」とかまさにその結晶ですね。時間を経て、古びなかったり、音楽スタイルを変えなくて良かったところは誇りに思ってます。その意味でいうと、色んなバンドやアーティストの全キャリアをサブスクリプションで探っていくのは、長いミステリー読むみたいな楽しさが絶対あるはずなんですよ。未来が見えていたのか、わかる。少々不味くても健康に良いから食べましょう、良い音楽だから古い音楽も聴きましょう、じゃなくて、もうちょっと意地悪な、ななめな見方でも面白がれるんじゃないかなって思いますね。


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