ITEM | 2019/03/18

ビル・ゲイツが絶賛する、「事実」を動力源にした生き方―ファクトフルネス【ブックレビュー】


神保慶政
映画監督
1986年生まれ。東京都出身。上智大学卒業後、秘境専門旅行会社に就職し、 主にチベット文化圏...

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神保慶政

映画監督

1986年生まれ。東京都出身。上智大学卒業後、秘境専門旅行会社に就職し、 主にチベット文化圏や南アジアを担当。 海外と日本を往復する生活を送った後、映画製作を学び、2013年からフリーランスの映画監督として活動を開始。大阪市からの助成をもとに監督した初長編「僕はもうすぐ十一歳になる。」は2014年に劇場公開され、国内主要都市や海外の映画祭でも好評を得る。また、この映画がきっかけで2014年度第55回日本映画監督協会新人賞にノミネートされる。2016年、第一子の誕生を機に福岡に転居。アジアに活動の幅を広げ、2017年に韓国・釜山でオール韓国語、韓国人スタッフ・キャストで短編『憧れ』を監督。 現在、福岡と出身地の東京二カ所を拠点に、台湾・香港、イラン・シンガポールとの合作長編を準備中。

事実が生み出す「あたたかみ」

ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ロンランド『FACTFULNESS』(日経BP)は、読者が持つ潜在的ステレオタイプや世界情勢に関するネガティブ意識を明らかにし、「世界は思いの外良い方向に向かっている」という実感をわかせてくれる。

本書の冒頭で著者は11の三択クイズを設け、日頃の情報への接し方によって、いつの間にか私たちの世界の見方がねじ曲がってしまっていることを自覚させる。

「現在、低所得国に暮らす女子の何割が、初等教育を修了するでしょう?」という質問に対しては20%、40%、60%という3つの選択肢が用意されている。正解は60%だが、筆者は40%を選んだ。「60%…いや、そんなに高いはずはないけど、20%というのは低すぎる」と、自分自身がいつの間にか仕掛けてしまっている「思い込み」というトリックにひっかかってしまったのだ。

著者は思い込みの種類を10に大別している。分断本能、ネガティブ本能、直線本能、恐怖本能、過大視本能、パターン化本能、宿命本能、単純化本能、犯人捜し本能、焦り本能。これらを克服できるマインドセットが、本書の題名となっている「ファクトフルネス」だ。近年話題となっている「マインドフルネス」(今この瞬間に意識を注ぐこと)に似た響きを持つこの造語は、提示された情報を鵜呑みにせずファクト(事実)を手がかりに世界を眺める姿勢を表す。

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可能主義者のわたしは、「人類のこれまでの進歩を見れば、さらなる進歩は可能なはずだ」と考える。単に楽観しているわけではない。現状をきちんと把握し、生産的で役に立つ世界の見方をもとに行動している。(P40-41)

ドラマチックすぎる世界の見方をしないが、自堕落な楽観主義でもない。データを氷のような心で分析して「人類に未来はない、何をやっても無駄だ」と悲観主義的な姿勢を持つことでもない。事実無根の判断をなくし、最善の方法を選択していき、人生に熱量を与えてくれるのがファクトフルネスなのだ。

事実無根の判断という「魔物」

「直線本能」の章で取り上げられている例を見てみよう。医師である著者は、発展途上国での医療にあたった際に、「助けてしまうと人口が増え続けて地球が滅びてしまう」と批判されたことがあるという。著者は「グラフはまっすぐになる」という思い込みを捨てるべきだと主張する。

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「貧しい子供を助けると、人口はひたすら増え続ける」という主張は正しいようで正しくない。実際は、貧しい子供を助けないと、人口はひたすら増え続ける。多くの家庭が極度の貧困に暮らし続ける限り、その子供たちによって人口はさらに増えてしまう。人口増を止める確実な方法はひとつしかない。極度の貧困を無くし、教育と避妊具を広めることだ。 (P116)

死者を数字として考えてしまうと、無機質なグラフになってしまう。「悪くなる」と「良くなる」は同時進行し得るもので、「悪くなる」一辺倒では必ずしもないと考える姿勢を著者は推奨している。ファクトフルネスをもとにした判断で、著者は「教育と避妊具の普及」を進める最短距離を走るべきだと判断できたのだ。

世界は分断されているという「分断本能」も、「とんでもない勘違い」、あるいは「魔物」と本書で指摘されている。分断はネガティブ思考を招き、グラフを分析する姿勢は止み、「あの頃はよかった」とただ懐古して感傷にひたる思考停止状態に陥ってしまうのだ。

「直線本能」や「分断本能」といった思い込みの傾向に気付くことは、物事をある一面だけで判断することを避けることにもつながるだろう。YESかNOか、賛成か反対か、良いか悪いか。情報の量が圧倒的に増えた結果、「この部分には賛成できるが、この部分は批判する」という是々非々の姿勢はとりにくくなっているのかもしれない。しかし、実際そう思いたい人は多いのではないだろうか。ある候補者に選挙で投票しつつ、その候補者に反対意見を持つ。そんなことがあってもいいはずだ。

珍しいことがニュースになる――「そうではないこと」は、どこへ?

筆者が実体験を元に説明できる恐怖本能の(だけではなく、分断・ネガティブ・過大視・パターン化・犯人探しとも密接に関わっている)例を挙げたい。「イラン」と聞いた時どんなイメージを思い浮かべるだろうか。おそらく、核兵器・経済制裁・テロ・IS・偽造テレフォンカードなどといった言葉が思い浮かぶ方も少なくないはずだ。筆者は昨年にイランと映画を国際共同製作し、2度訪れたことがある。イランに行く際に何度となく聞かれたのが「安全なのか?(そもそも入国できるのか?)」「テロがあるのでは?」という質問だ。

確かに、2017年6月にはイラン革命の象徴的存在だったホメイニ師を祀ったホメイニ廟へのテロがあり、最近でも南西部でイラクに近いアフワズでは数十人が死亡するテロがあった。どちらもISが犯行声明を出している。では、日本の約4倍の国土に暮らす約8,000万人のイラン国民は皆その恐怖に震え、日常生活もままならない状態なのだろうか。

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それぞれの「どこか」がどんな場所かを調べてみると、ほとんどは、実はとても平和な場所であることがわかる。でも、その安全な「どこか」の存在をあなたが知るのは、そこで恐ろしい事件が起きたときだけだ。それ以外の日には、平和な「どこか」の存在を耳にすることはない。(P183-184)

筆者が以前旅行会社に勤めていた時に担当していたパキスタンも同様だが、日本でイランやパキスタンに関する報道がなされる時、そのほとんどはネガティブなニュースだ。イランやパキスタンは今日も平和だったという「ネガティブではないこと」は、珍しくなくニュースとして成立しにくい。

ファクトフルネスは、悲惨なニュースのさらなる悲惨さに気づかせてくれる助けにもなる。2001年のEU指令と難民の関わりについての例を紹介しよう。

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指令には、航空会社やフェリー会社は、入国許可書類のない人をヨーロッパに運んだ場合には、母国に送り返す費用をすべて負担することが定められていた。もちろん、ジュネーブ条約に基づいて保護を求める難民は例外とされていたし、当てはまるのは不法移民だけのはずだった。(P272)

特にシリア紛争以降、多くの難民が地中海をゴムボートで渡り、命を落とした。本書では「なぜゴムボートだったのか」という切り口から、EUの移民政策の矛盾を詳らかにしている。

大使館でも約8カ月かかる難民申請に、空港スタッフは対応できない。結果、国を追われた人々は航空機に搭乗できなくなり、海路を選ぶ。ゴムボートを選ぶのは客船に乗るお金がないからではなく、入国が拒否された乗客を本国に送り返すのは船舶業者の負担となるため、厳しくチェックされて乗れないからだ。そこで、彼らはブローカーに支払いをし、密輸業者は片道で使い捨ての輸送手段にボロボロのゴムボートを選ぶ。こうして、「EUの移民政策が悪い」という判断を鵜呑みにするのではなく、「EUの移民政策の矛盾」という事実に気づくことができるのだ。

紹介が最後となったが、本書はノーベル賞発祥の国・スウェーデンで国境なき医師団を立ち上げたハンス・ロスリングとその息子夫婦(オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ロンランド)による共著だ。ビル・ゲイツは、2018年にアメリカの大学を卒業した学生で、希望する者全員に本書をプレゼントしたという。ロスリング一家が生み出したファクトフルネスという叡智を、ぜひ皆さんも受け継いでみてはいかがだろうか。