渡辺由佳里 Yukari Watanabe Scott
エッセイスト、洋書レビュアー、翻訳家、マーケティング・ストラテジー会社共同経営者
兵庫県生まれ。多くの職を体験し、東京で外資系医療用装具会社勤務後、香港を経て1995年よりアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』で小説新潮長篇新人賞受賞。翌年『神たちの誤算』(共に新潮社刊)を発表。他の著書に『ゆるく、自由に、そして有意義に』(朝日出版社)、 『ジャンル別 洋書ベスト500』(コスモピア)、『どうせなら、楽しく生きよう』(飛鳥新社)など。最新刊『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)。ニューズウィーク日本版とケイクスで連載。翻訳には、糸井重里氏監修の訳書『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社)、『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)など。
連載:Cakes(ケイクス)|ニューズウィーク日本版
洋書を紹介するブログ『洋書ファンクラブ』主催者。
大金を投じて制作するCMでなぜ企業イメージを下げるのか
私は、夫でありマーケティング・ストラテジストのデイヴィッド・ミーアマン・スコットが経営する社の共同経営者として、世界中で起業家や企業の重役など数多くのビジネスマンに会う。夫が講演者のひとりである有名なビジネスセミナーでは、5日間で数百人と会っている。仕事の話から始まって人生相談的な会話になることも少なくはない。ここで私は「プロの“ふつう人”です」と冗談交じりに自己紹介するのだが、「バイヤーペルソナ」についてクライアントにアドバイスするときには、実際に「ふつうの人」としての視点が重要な役割を果たすことが多い。
バイヤーペルソナとは、夫や夫が2007年から顧問になっているアメリカのハブスポット社が広めたマーケティング用語である。ハブスポット社の定義によると、「デモグラフィック情報に加えて個人的な背景などの要素をすべて含めてターゲットの人物像を作成し、作成された半架空のターゲットとなる理想顧客像」のことだ。漠然とした顧客像ではない。実際のデータをもとに、名前、年齢、性別、学歴、職業、年収、住んでいる場所(都市部か地方か)、趣味、性格、オンライン行動、購買行動などを含めた架空の人物を作り上げるところまで徹底する。
理想的な顧客であるバイヤーペルソナを作り、1人の人間として理解することで、ようやくそのペルソナに適したコンテンツを作ることができる。だが、広告会社に大金を払っている企業が意外と「バイヤーペルソナ」を考慮していないことに驚く。バイヤーペルソナではなく、企業側の自己中心的な視点で作られたコンテンツがあまりにも多いのだ。
日本で炎上するコマーシャルを見かけるたびに「日本はジェンダーや差別などの社会問題にうとい」など批判が出る。たしかに、まだまだ男性中心の日本の企業はジェンダー問題にうといし、「企業の社会的責任」についても鈍感だと思う。これらに鈍感なコマーシャルは、企業のイメージを下げる。コマーシャルを作る会議の時には、大金をはたいて作ったコマーシャルで企業イメージを下げる可能性を必ず念頭に置くべきだ。
だが、悪い炎上コマーシャルが作られてしまう最大の原因は「企業がバイヤーペルソナを考えていない」ことだと私は考える。
これまで炎上したCMをバイヤーペルソナの視点から考えてみよう。
ブレンディ 挽きたてカフェオレ(味の素AGF)
牛を擬人化した高校生が卒業後の「就職先」として食肉工場に出荷されたりするもので、「選ばれし者」である女子高生が「ブレンディ」に配属される。そのときに男性の担任教師が「濃い牛乳を出し続けるんだよ」と励ましの声をかける、というディストピアムービーのようなCM(現在は削除されている)。
このCMは「気持ち悪い」、「女子高生の扱いがポルノみたいだ」と炎上した。その一方で、「映像としては悪くない」「炎上で注目を集めたのだから成功なのでは?」という擁護の意見もあった。
だが、企業がコマーシャルを作る時に考えなければならない最も重要な点は、「映像として優れているかどうか?」とか「ショッキングなCMで注目を集めることができるかどうか?」ではない。「バイヤーペルソナを魅了するCMかどうか?」である。
ブレンディの「挽きたてカフェオレ」を買う人はどんな人なのか? 仕入れで決定権を持つ人は誰なのか? 味の素AGFにとって、どんな人が理想的な顧客なのか?
勝手な想像ではなく、実際のデータに基づいてあたかも実在するようなバイヤーペルソナを作る必要がある。会議で話し合うべきことの中に、「出勤前にコンビニでコーヒーを買う24歳独身の鈴木和子さんは、あのコマーシャルを観て『挽きたてカフェオレを飲んでみたい!』という衝動に駆られるだろうか? それより、不愉快になるのではないか?」という問いかけが含まれていなければならない。
そうすれば答えは明らかになる。あのコマーシャルを観て「若い女性を性の対象として商品化している」と怒った人は「挽きたてカフェオレ」だけでなく、ブレンディというブランドすべてを買わなくなったかもしれない。また、そこまで強い反感を抱かなかった人でも、商品を見かけるたびに映像を思い出して気持ち悪くなったかもしれない。
味の素AGFとCMを手がけた広告代理店がバイヤーペルソナについてしっかり考えていれば、あんなCMは最初から拒絶されていた筈なのだ。
牛乳石鹸(牛乳石鹸共進社)
ゴミ出しをしてから出勤し、息子の誕生日で妻からケーキとプレゼントを買ってくるように頼まれた夫が、自分が子供だった時の父親像と比べて「あの頃の親父とは、かけ離れた自分がいる。家族思いの優しいパパ、時代なのかもしれない。でも、それって正しいのか」とモヤモヤしたものを感じる。そして、上司に叱られた部下に酒をおごってから帰宅して妻から嫌味を言われる。そこで風呂に入り、牛乳石鹸で洗い流してすっきりしてから仲直りするというCMだ。
これに対して、特に女性から「身勝手すぎる」「不愉快」「何を洗い流すの?」という怒りの反応が噴出した。
そういった反応に対して、「このお父さんの気持ちはわかるよ」「よくできた映像だと思う」「この程度のことも許さないの?」という反論も多かった。だが、それらは問題の本質を見落としている。
コマーシャルは商品を売るためのものだ。こちらでも最も重要なのは、「牛乳石鹸を購入するのは誰か?」「最も大切な顧客は誰か?」というバイヤーペルソナの視点である。
この映像に出てくるお父さんは「石鹸なんて主婦が買うべきものだ」と信じているタイプの男性であり、「牛乳石鹸」のバイヤーペルソナではない。
現代でも家庭で石鹸を購入するのは専業、兼業にかかわらず、まだまだ妻の役割だとみなされている。つまり、石鹸購入の決定権を持つのは、このCMに登場する妻の方であり、まさに「牛乳石鹸のバイヤーペルソナ」だ。
息子の誕生日の朝「ケーキ買ってきて」と夫に頼んだ妻はスーツジャケットを着ている。そこから察するに、妻はたぶん兼業主婦なのだろう。この映像をバイヤーペルソナである妻の視点で観たら、どう感じるだろう?
兼業主婦の妻は、男性と同様にタフな仕事をこなした後で、同僚の白い目を感じつつ息子の幼稚園のお迎えのために早退。息子と一緒に慌ただしくスーパーで買い物をしてから誕生日のデコレーションし、夕食を作り、「パパまだ〜?」と駄々をこねる息子をなだめつつ夫を待っている。それなのに、夫の方はケーキとプレゼントを買ってくるだけの簡単な役割で自己憐憫に陥り、部下を酒に誘ったことを正当化し、不機嫌を持ち帰り、妻に八つ当たりする。そして、妻と息子を待たせたままで風呂に入って、自分の不機嫌だけを「牛乳石鹸」で洗い流してしまうのだ。
この映像で描かれている妻こそが「牛乳石鹸」の重要なバイヤーペルソナであり、「あの頃の親父」を懐かしむ夫のほうではない。
それなのに、「牛乳石鹸」は夫の気持ちのほうに寄り添い、重要なバイヤーペルソナである主婦の気持ちを踏みにじった。だから、「牛乳石鹸なんか二度と買わない」と怒っているのだ。
たとえ映像として出来が良くても、バイヤーペルソナを怒らせるようなCMは失敗作だ。そこを抑えないと同じような失敗を繰り返すことになる。
売上を31%も伸ばしたナイキの「良い炎上CM」とは
これまで悪い「炎上CM」について説明したが、良い「炎上CM」というものもある。
その一例が、元プロフットボール選手のコリン・キャパニックを起用した大手スポーツ用品メーカーNike(ナイキ)が、今年9月3日に発表したCMだ。
コリン・キャパニック(発音はケイパーニックに近い)は、米プロフットボールリーグ(NFL)サンフランシスコ・フォーティナイナーズ(49ers)のクオーターバックだった2016年8月、人種差別への抗議として試合前の国歌演奏で起立を拒否した。
当時のアメリカでは警察による黒人への暴力行為が社会問題として大きく取り上げられており、大統領候補時代のトランプがイスラム教徒や移民、黒人に対する人種差別的な発言を重ねている最中だった。キャパニックの抗議運動は特に黒人のフットボール選手の間で広まり、別のチームでも多くの選手が国家演奏中に膝をつくようになった。これに苛立っていたトランプは、翌17年に大統領になった後で、「NFLのオーナーは膝をついた選手をクビにするべきだ」という内容の発言をあちこちで繰り返した。
キャパニックに賛同し、尊敬する者がいる一方で、トランプ大統領に同調して「国旗に不敬な態度だ」、「アメリカ軍への尊敬がない」と批判するファンも多く、アメリカの分断を象徴する社会問題に発展した。
物議を醸したムーブメントを引き起こしたキャパニックは、16年のシーズン終了後からフリーエージェントになり、現在はどのチームとも契約していない。また、大衆に好きか嫌いかの極端な反応を引き起こすタイプのアスリートだ。
アメリカ人全体を対象にした2018年4月の世論調査では、人種差別への抗議としてフットボール選手が膝をつくことを「適切ではない」と答えた者が54%で多数派だった。
そんなキャパニックをキャンペーンの顔にするのはリスクが高いと想像できる。だが、ナイキは、堂々と決行した。
「何かを信じろ。すべてを犠牲にしてでも」というのが、そのメッセージだ。
バイヤーペルソナを十分に理解しているからこそ「挑戦」できる
このキャンペーンは炎上し、「#BoycottNike」といったハッシュタグがトレンド入り。ナイキのシューズを燃やす写真がソーシャルメディアに溢れた。
だがリサーチ会社のEdison Trendsによると、祝日があるこの週末(9月2~4日)のネット販売は前年同期比で31%増加した。その後も昨年と比較して良好な売上を続けている。第三者にはナイキが「リスクが高い賭けに勝った」ように見えるかもしれないが、実際には計算通りの結果といえる。
ナイキのバイヤーペルソナの中には、トランプに投票した「地方に住む、中年以上、キリスト教の保守的な白人男性」もいる。だが、最も重要なバイヤーペルソナたちは、18歳から29歳の若い男性グループに属している。彼らは、トランプが嫌悪の標的にしている黒人、ヒスパニック系、イスラム教徒、移民であり、彼らと日常的に接し、友人としてつきあっている都市部の白人だ。彼らは、社会的正義に敏感であり、膝をついて抗議したフットボール選手たちに好意的だ。
NFLのクォーターバックという地位を犠牲にしてでも何かを信じたキャパニックを、若者たちはカッコいい「英雄」として尊敬した。ナイキにとって最も大切な顧客は、こういった若者たちなのだ。
だから、ナイキは多くのアメリカ人から嫌われることや、一部のバイヤーペルソナを失うことを覚悟で、ブランド忠誠心を抱いてくれるバイヤーペルソナに対して強いメッセージを送ったのである。
ナイキのシューズを燃やす写真やボイコットを呼びかけるハッシュタグで炎上したが、その炎上のおかげで「ナイキは自分たちのイメージを犠牲にしても何かを信じるブランドだ」というメッセージを若者に送ることに成功し、新たな顧客を獲得した。彼らは若い世代なので、ブランド忠誠心を抱いてくれたら、今後何十年もナイキを買い続けてくれる可能性が高い。
ナイキは計算づくで「良い炎上CM」を作ったのだ。偶然ではない。
これから日本の企業がCMを作る時には、まず「バイヤーペルソナ」を考えるところから始めよう。
※今回の記事に関して、以下の事実誤認があったため、訂正しておわびいたします。(9/28 18:21)
・売上を61%も伸ばしたナイキの「良い炎上CM」とは→売上を31%も伸ばしたナイキの「良い炎上CM」とは
・今年9月5日→今年9月3日
・だが、炎上したこの広告の後、ナイキの売上は61%(9月18日時点)も増加したのである。→だがリサーチ会社のEdison Trendsによると、祝日があるこの週末(9月2~4日)のネット販売は前年同期比で31%増加した。その後も昨年と比較して良好な売上を続けている。
次回は10月25日頃、公開の予定です。