CULTURE | 2023/03/05

学生運動を支持した台湾・香港、SEALDsを支持しきれなかった日本 倉本圭造×福島香織対談(3)

連載「あたらしい意識高い系をはじめよう」特別編

聞き手・構成:神保勇揮(FINDERS編集部)

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写真:香港で2019年に起こった民主化デモの模様 Photo by Shutterstock

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FINDERSで連載「あたらしい意識高い系をはじめよう」を執筆する経営コンサルタントの倉本圭造氏と、中国政治・経済にまつわる著作を数多く有するジャーナリストの福島香織氏との全3回の対談をお届けする。

最終回となる第3回は、まず台湾のひまわり運動・香港の雨傘運動・日本のSEALDsを改めて振り返る。そこで浮かび上がるのは、彼・彼女らの奮闘だけでなく、それを支える「世論」の重要性だ。

※本記事は2022年11月10日に行った対談を加筆・修正のうえ掲載しております

福島香織

大阪大学文学部卒業後産経新聞に入社。上海・復旦大学で語学留学を経て2001年に香港、2002~08年に北京で産経新聞特派員として取材活動に従事。2009年に産経新聞を退社後フリーに。おもに中国の政治経済社会をテーマに取材。主な著書に『新型コロナ、香港、台湾、世界は習近平を許さない』(ワニブックス、2020)、『習近平の敗北 紅い帝国・中国の危機』(ワニブックス、2020)、『中国絶望工場の若者たち』(PHP研究所、2013)、『潜入ルポ 中国の女』(文藝春秋、2011)などがある。メルマガ「中国趣聞(チャイナ・ゴシップス)」はこちら
Wikipedia
◎Twitter:@kaori0516kaori

倉本圭造

経営コンサルタント・経済思想家

1978年生まれ。京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感。その探求のため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、カルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働く、社会の「上から下まで全部見る」フィールドワークの後、船井総研を経て独立。企業単位のコンサルティングで『10年で150万円平均給与を上げる』などの成果をだす一方、文通を通じた「個人の人生戦略コンサルティング」の中で幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。著書に『日本人のための議論と対話の教科書(ワニブックスPLUS新書)』『みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか(アマゾンKDP)』など多数。

「習近平が求められる根本的な理由」を日本が解消できるとすれば…

倉本圭造氏(写真左)、福島香織氏(写真右)

倉本:前回からの話の続きになりますが、僕は昔から「日本は不良の気持ちが分かる優等生として生きていかなきゃいけない」という話を書いているんです。アメリカが先生だとして、不良というか反発する国が基本的に対立しているわけじゃないですか。日本はかつてアメリカと戦い、今は同盟国であるという立ち位置、つまり「不良の気持ちは分かるけど、今は一応先生側に立っている立場」として活用できる領域は、すごくたくさんあると思うんですね。

実はそれはすごいアドバンテージで、「欧米って、白人ってムカつくよね」という感情を一応は共有できる素地がある。とはいえ今はこういう理由で欧米側に立ってはいるという道を示すということは、外交含むテクニック論的な部分というより、真心的と言えそうな部分で活路を見いだせるんじゃないかと思ってるんです。

とはいえ日本自体が20世紀的な右と左みたいな論調に縛られすぎていますし、どちらも福島さんが言うような「自衛隊にソロモン諸島などでの平和維持のための貢献をしてもらう」といった発想自体が乏しいです。議論がアジェンダにすら乗らないというか、そのはるか手前のところでしょうもない罵り合いにかき消されてしまう、みたいなところがあるのかなと。

台湾が今のように上手く機能しているのは、中国からの圧迫を受ける中で自分たちの道を探らないといけないという特殊な状況下にあるからで、日本が同じことができるかというとできないと思うんですね。どの国も自国を活かせるオリジナルな文脈を紡いでいかないと、国民の状況・感情にフィットする方向に議論を誘導していけないというか。

米中冷戦の狭間の中で、自分たちの気持ちとしてもちゃんとフィットするような方向性で、しかも本質論的に意味がある、「習近平が持ち上げられているのもこういう必然性があるからだよね、それを根本的に解決する方向に自分たちが動きさえすれば、自身の繁栄の道も見つけられるし、習近平を押し上げる必要もないよね」という、アジア人の気持ちみたいなものにパワーを注いでいくことができる、みたいなかたちで何とか今後の道を見つけていければいいなと思っているんです。

そう考えているので、旧来の右派左派対立のような「いつもの罵り合い」を乗り越える新しい論壇みたいなものを作ることが大切だと思いますし、そこで「保守論壇に属してはいるが偏ってはいない」福島さんが果たす役割も重要だと思っています。

福島:私は自分が保守派だと思ったことがあまりないんです。ただ、アンチ中国共産党か親共産党かと言えば、完全にアンチです。そしてリベラル的な政策に対する許容度は比較的ある方かなとも思っています。夫婦別姓は反対ですが、同性婚とかジェンダー関連政策には、いわゆる保守の人が「絶対に嫌だ」と思うような感覚はないんですよ。

倉本:例えばアメリカだとそういう新しいビジョンを埋め込もうとする勢力が、古い社会を必要以上にディスりまくるので、社会が分断されてしまうわけじゃないですか。

ただ、日本でそれを「古い社会をディスるつもりはないけど、それぐらいいんじゃないの?」みたいな感じで共存していくことができれば、習近平的なものを押し上げなきゃいけない欧米社会に対するアレルギー反応みたいなものを、抑え込んでいく道が見えてくるんじゃないかなとすごく思うんです。

福島:それで言えば、リベラル派よりも保守の方がウイグルとかチベットの人権にちゃんと向き合っていたりする場合もありますし。そもそも人権の扱いが右とか左の思想によって変わるものなのかという話でもあります。香港とか台湾の友人たちに話すと、「そういう分け方は古いよね」と普通に言われるんですね。

SEALDsと台湾・香港の学生運動メンバーは「違った」のか?

2014年の台湾「ひまわり運動」での一幕 Photo by Shutterstock

福島:私は2016年に『SEALDsと東アジア若者デモってなんだ!』という本を出版しました。出版社に香港、台湾の社会運動の話を書きたいと言ったら「それじゃ売れないからSEALDsを絡めてくれ」と言われてそういう構成になったんです。SEALDsへの取材も申し込んだんですが、断られてしまったので、奥田愛基さんとの対談本もある作家の古谷経衡さんへのインタビューになってしまいましたが。

倉本:福島さんのその本については、僕もブログで「「右でも左でもない政治」は本当に可能なのか?」というタイトルの書評を書きましたが、当時はハフィントン・ポストやアゴラにも転載されて結構話題になりました。

福島:今でも本で取材したひまわり運動の林飛帆(リン・フェイファン)には時々会ってインタビューしますし、香港の運動家たちも結構知っているんです。彼らに言わせれば最初はSEALDsが仲間だと、同じ立場の人たちだと思って交流したんですけど、話をしているうちにかみ合わなくなってくるということなんですね。

彼・彼女らは中国からのリアルな圧迫に対して、当然どうやって自分たちの国を守っていくかを考えていくことになるけれども、SEALDsメンバーたちとだんだん話がかみ合わなくなってくるというか。

ーー SEALDsは同じ2016年に香港、台湾の運動メンバーと対話した書籍『日本×香港×台湾 若者はあきらめない』を出しており、そこでは「リベラル同士の関係良好な語らい」が見られたわけですが、その後に見方が変わってきてしまったということでしょうか?

福島:最初から、実はわかりあえていなかったと思います。香港の若者たちも、台湾の若者たちも、誰でもいいから、味方が欲しいし、たぶん礼儀的な意味もあって、良好な語らいをしたのではないでしょうか。アニメやファッション、サブカルなど日本好きの若者は香港にも台湾にも多いですし、日本の若者は歓迎されると思います。だけど、思考の成熟度はレベルが釣り合っていない気がします。

香港の若者たちも2014年の雨傘運動の挫折を経て、2019年の反送中(逃亡犯条例改正反対運動)の激しい闘争を経験して、投獄経験者もたくさんいて、友達を亡くした人もいて、今や故郷を捨てて異国で生きていかざるを得ない人もいるわで、絶望や怒りの深さはSEALDsとは比較にならないでしょう。

香港では若者の行動によって200万人の市民がデモを行い、台湾では若者の行動によって政権が変わる投票行動につながったのに、SEALDsがほとんど影響力を持てなかったのは、やはり説得力というか、彼らの思考が未熟で、語るべき自分の言葉をまだ持っていなかった、ということだと思います。

そして語るべき言葉を自分で見つける前に、化石のような昔の左翼運動家のなれの果てみたいな人たちが、彼らの姿に自分の化石のような夢を思い出して、代弁者のように見立てて、そうした語るべき自分の言葉はないけれど、何かもやもやと不満を抱える若者を利用しようとしたもんだから、リアルな世の中に響かなかったのだと思います。香港・台湾の若者からすれば、「なぜ憲法改正に反対なのか分からない」「右とか左とかそんな古臭いイデオロギーに彼らが縛られているのはなぜ?」という疑問を抱くのだと思います。

倉本:それはすごく深い話ですね。台湾や香港では、彼らが向き合っている中国共産党という敵のリアリティが圧倒的なので、呑気な空論を振り回している余地がないってことなんですかね。

福島:台湾の子たちも香港の子たちも、当然バリバリのリベラルですよ。けれど一方で、「自分たちの国家や社会を守りたい」という熱い気持ちがあって、それはある種保守的であるとも言えるんですよ。

それは私も同じ気持ちで、日本の今ある良さ、治安の良さとか水道水がそのまま飲めるとか、医療費が安いとか生活保護制度がちゃんとあるとか、いろんな素晴らしいシステムをきっちり守りたい。それを守るためには、どうしたらいいかということを考えるわけです。だから、その点においてリベラルであることと保守であることは、全くもって相反しないなと。

ーー SEALDsのメンバーたち、特に中心的人物の一人だった奥田さんはその点について各種書籍やインタビューで度々似たような発言をしていました。

福島:例えば沖縄の米軍基地問題に関して「きれいな海を守りたい」と反対するのは理解できます。ただ「そのきれいな海を守るための国防はどんな方向性がベターだと思いますか?」という保守派が一番聞きたい部分に関する発言が、非常に乏しかったと言わざるを得ません。

ーー 左派からは「安全保障の強化が必要だったとしても、立憲主義を無視したあの法案内容やプロセスで通して良いと思っているのか」という反論もあるかと思いますが、そもそも保守サイドからすると、意見に賛同するしない以前に「日本の国防をどうしていくべきかという、自分たちの問いに正面から答えてくれない」ことに大きな憤りを覚えるということはわかります。ただそれは「SEALDsメンバー特有の問題」というよりは、日本の左派の少なくない人たち(自分もそちら側だと思っています)が「1ミリも考えなくて良いとは思っていない」と感じていたとしても、それをつい見て見ぬ振りしてしまう、あるいは内部での軋轢のきっかけになってしまうからと後回しにしてしまいがちな部分があるとも正直思います。

倉本:それについては「1ミリも考えなくて良いとは思ってない」という人が日本の左派の間にどれだけいるのか疑わしいですけどね(笑)。ほんの一握り以外は、ちゃんと向き合えてない人の方が多いのではないでしょうか。

福島:なるほど。それでは「きれいな海を守ることと国家を守ることの整合性を、どういう風に取っていきましょうか」という議題にすれば、どこかで接点ができるかもしれませんが。

倉本:そのはるか手前で終わっちゃいますからね。

福島:彼らにしてみれば、「とにかく米軍が悪い」という話になってくるわけですが、それは沖縄だけの問題に留まりません。ですが「米軍がいなければ日本は守れないという今の状況について、どんなビジョンを持っているんですか」という話には大抵ならないわけです。

台湾は2018年に徴兵制から志願制に移行しましたが、男性の4カ月の軍事訓練義務は残っています。今、その期間を2024年から1年に伸ばし、最終的に2年に伸ばすかどうかの議論も行われています。台湾のひまわり運動に参加していた子に「あなたは徴兵制があったら行きますか?」と聞くと「行くし、2年で良いと思っている」と答える子もいます。その子は社会運動に参加しているぐらいですからバリバリのリベラルです。

倉本:なるほど。お聞きしていると、香港や台湾はリアルに習近平政権からの圧力があったぶん、旧世紀的な左右対立じゃなくて、現実に即してちゃんと考えていくド真ん中の道を育てていかないといけないってことに直面せざるを得なくなって、結果として育ってきた新しい文化があるんじゃないかと感じました。

日本でも「同じこと」を…というわけにはいかないでしょうが、今後国際環境が切実な情勢になってくることで、今までの延長ではない新しい理想の描き方を、日本が置かれた状況なりに皆で考えていく必要はありそうですね。

福島:私には8歳上の兄がいて、まさに安保闘争世代だったこともあり、私自身その後の趨勢を冷ややかに見つめてきました。これまで学生運動や社会運動をバカにしていたところがあったものの、香港や台湾の社会運動を取材して、初めて「本当に世の中を変える力になるんだな」という確信を得たんです。ここまでSEALDsを批判的に語ってきましたが、私はそうした経験から若者たちによる世論構築の試み自体はすごく重要だと思っています。

加えて、香港、台湾の運動メンバーの中には、その後政治家になった人もいます。例えば台湾の「ひまわり運動」のリーダーだった林飛帆は、その後2019年に民進党の副秘書長(日本の副幹事長に相当)に就任しています。

香港は香港で「雨傘運動」を通じて多くの若者が逮捕されてしまいましたが、黄之鋒(ジョシュア・ウォン)なども本当に政治家になれる器があった。私は彼や日本でも話題になった周庭(アグネス・チョウ)が10代だった頃から取材していて、15、6歳の結構生意気とも言える時代も知っています。メディアに持ち上げられて『TIME』の表紙なんかに載ってしまったから、一時期は「もう日本のメディアなんか相手にしたくない」みたいな感じで、取材申し込みしてもけんもほろろでしたが(笑)、数年後に会ってみるとどんなメディアに対しても真摯に対応するよう成長している。反送中(逃亡犯条例改正反対運動)デモで、私と一緒に現場で取材活動をしていた市民記者の男の子は、気が付けばウクライナに行って戦場取材するようなジャーナリストに育っていました。彼らはみんな会うたびに成長しているんです。

香港の雨傘運動で活躍した周庭 Photo by Shutterstock
同じく雨傘運動で活躍した黄之鋒 Photo by Shutterstock

ではSEALDsのメンバーたちはどうか。私は結局取材できませんでしたが、その後どうなっているのかわかりません。社会運動を通じて挫折もあっただろうけど、その挫折を乗り越えて次に何をするのかという。

倉本:とはいえ「環境が全然違う」というところはあるでしょうが。

福島:それはそうです。自分の故郷が失われる、未来が失われるという危機感があったからこそ本気度も違う。日本が目覚めるには、まだちょっと国内がほんわかし過ぎていますよね。それは悪いことではないんだけれども、危機と言われてもピンときていない。ウクライナで戦争が起こってもこうですし、台湾有事が本当に起こってしまったとしてもどうなるか正直想像がつきません。

そうした中で私が少し期待しているのは、今後「極端な右派」「極端な左派」がそれぞれあぶり出されて淘汰されていく時代になるんじゃないかということです。

倉本:そうなんですよね。そういう流れは既に起きつつありますし期待できます。僕の『日本人のための議論と対話の教科書』という本でもそういう話を書きました。

福島:仲間内だけで同じ意見、極端な意見ばかり発信するというようなことを長くやり続けていると、「さすがにそれは言い過ぎなのでは」と思うようになる人も結構いるかなと。そういうバランス感覚が日本にはありますよね。

日本人は「違法でもこの行動は間違っていない」という判断ができるか

福島:最後にまたちょっと別の話になってしまうんですが、台湾のひまわり運動に参加する子たちと話していた時に「立法院を占拠したわけだから、逮捕されてもおかしくなかったよね」という話題が出たことがありました。でも立法院長が妥協したことで逮捕をせず、そのことによって若者たちに帰ってもらいやすい道筋を作れたということです。そうした若者たちが後に官僚や政治家になって国のために色々考える人材になりました。

そうした中で、私の中で「果たして今の日本で同じように若者が国会議事堂を占拠した時、大人たちは同じ判断をできるだろうか」という疑問が浮かんだんです。私はそうした寛容さ、大人の柔軟さが今の日本には欠けていると思っています。

倉本:なるほど、確かにそうですね。

福島:「いや、どんな理由や経緯があろうが犯罪は犯罪だし」というような杓子定規な断罪の仕方をする人が多いと思います。

倉本:ただ聞いていて思うのは、ひまわり運動の場合は世論が受け入れる余地がすごくあったという部分の違いもあるんじゃないかなと。

福島:そうですね。要するにものすごく世論が支持していた部分が大きいと思います。ただ一方で、もう少し政治が謙虚になるべきだということだと思うんです。政治家は国民から負託を受けて選挙で選ばれているから、ものすごく権力がある一方、どうもやはり謙虚さというか反省が足りない。これはメディアもそうだと言われたらそうですけれども、そういうところかなと思いますね。

世の中を変える力がもし出てきた時に、日本はそれをうまく育てにくい部分もあるから、それを大人というか政治側、秩序側がもう少し認識すべきです。行き詰っている世の中が本当に変わる時は、秩序を揺るがすようなアクションも起きうる。例えば香港のデモで若者が警察官と戦うということもそうです。

当初、日本人はそうした若者たちを「暴徒」と呼んで批判する人も多かったけれども、そうではないという風に世論が日本でもひっくり返るわけですね。それは、あまりにも中国のやり方がえげつなかったからですが、一見秩序に乱すかたち起きた若者の行動を、全てルールとか法律に照らし合わせて断罪できるかというと、「法律ではこうなっている」という風に言ってしまわない台湾とか香港もあるんだという。

つまり、「法律とか政治の方がが間違っている可能性もあるんだ」ということを私はいつも思っているんです。法というものは権力側の方が圧倒的に詳しい状態で扱うものですし、強くなりすぎると権威主義的な社会になりがちであり、そしてそれは中国がよく使う手法でもあります。

例えばメディアの取材で権力の不正を暴こうと思ったときに、時として法のグレーゾーンに踏み込むことがあります。2021年に北海道新聞の若手記者が、パワハラで辞任した学長の後任を決める会議の情報を掴むべく、立入禁止とされた旭川医科大学構内を許可なく取材し建造物侵入容疑で逮捕された事件がありましたが(22年に不起訴処分が決定)、台湾や香港ならメディアは記者を守るために徹底的に戦うというのが普通なんです。ところが、日本では多くの人が「不法侵入した記者の方が悪い」となるんです。

「中国の横暴」と「大学の学長人事の取材」とで比べるなんておかしいという人もいるかもしれませんが、記者は場合によってはルールを犯すこともあるけれども、一方でそういう取材を経なければ暴けない、権力に隠蔽される真実があるということを、今の日本は忘れかけているところがあるんですね。

これはもう、権力側があまりにも自信を持ち過ぎている、強すぎているからそうなるのかな、なんて思ったりもしていて。これは今の保守論壇を見ていても危ういなと思うところのひとつです。

倉本:それは結局、左派的なものに対する信頼度がかなり落ち込んでしまっているというか、香港とか台湾の学生運動のようにリアルな議論ができておらず、それらの意見がそのまま通るのも困るよねとセーブする必要はあった一方、権力や社会がそれ以外の分野でもどんどん抑圧的になってきてしまったという、卵が先かニワトリが先かみたいな難しい舵取りの問題が生じてしまっているのではないかと思います。

さっき、「台湾や香港の左派運動はちゃんとリアルに国防も考えていて、『とりあえず米軍が悪い』みたいな無責任なことは言わない」みたいな話がありましたが、そういうリアルに目覚めた左派運動があることと、それに対する民衆の支持がちゃんとあるということは表裏一体だと思うんですね。

だからそういう「リアルに目覚めた左派運動」を作っていくことと、「権力の不正に対して誰でも声をあげられて、それが多少過激な形態を取っていたとしてもその真意を理解して聞き届けられる社会にしていく」ことは、両輪で進めていかないと前に進まないかなと、今日の話の流れを聞いていて強く思いました。


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