CULTURE | 2023/01/16

国宝候補にポテチとキーホルダーが並ぶ理由。「150年後の国宝展」が示す未来の国宝像

聞き手:舩岡花奈・赤井大祐(FINDERS編集部) 文・写真:赤井大祐
東京国立博物館(以下トーハク)にて1月29日ま...

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聞き手:舩岡花奈・赤井大祐(FINDERS編集部) 文・写真:赤井大祐

東京国立博物館(以下トーハク)にて1月29日まで開催中の『150年後の国宝展-ワタシの宝物、ミライの宝物』。

本展はトーハク創立150年を記念して開催された、特別展『国宝 東京国立博物館のすべて』と同時期開催の展示であり、その名の通り現存する国宝ではなく「150年後の国宝候補」を展示する企画として注目を集めている。またトーハク史上初の公募型展覧会としても話題となった。

個人や企業から集められた“国宝候補”は、「手塚治虫作品」や「ファミリーコンピュータ」「ゴジラ」などの国民的・歴史的コンテンツもあれば、「努力の足跡 英単語帳」、「おばあちゃんの白いハヤシライスのレシピ」といった極めて個人的なものまでが展示されている。

個人による一般部門の応募品の一部

「国宝」とは一体なんなのだろう。なぜレシピや英単語帳すらも国宝たりうるのか。現存する国宝の保護や管理も重要だが、同時に「未来の国宝」についても同じ熱量で目を向けるべきではないだろうか。

同展の企画を担当した、東京国立博物館の学芸研究部調査研究課 課長であり、日本絵画の専門家でもある松嶋雅人氏に話を聞いた。

松嶋雅人(まつしま・まさと)

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1966年、大阪市生まれ。金沢美術工芸大学大学院・修士課程修了。東京芸術大学大学院・博士課程満期退学。現在、東京国立博物館学芸研究部調査研究課長。多数の展覧会の他、VR映像作品「国宝 松林図屛風―乱世を生きた絵師・等伯―」といった企画も手掛ける。著書に「細田守 ミライをひらく創作のひみつ」(美術出版社)、「あやしい美人画」(東京美術)、「日本の美術 No.489 久隅守景」(至文堂)ほか。

「国宝」は誰が決めるもの?

―― 本展はトーハク創立150周年を記念する展示として、特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」と同時期に開催された企画展ですね。どのような経緯で始まったのでしょうか?

松嶋:トーハクが150周年を迎えるにあたって、なにか新しい試みや、チャレンジングな展示やイベントができないか、ということを考えていました。そもそも博物館は何百年も前のもの、つまりある意味では「定まった価値観」を紹介する場所だと言えます。だから、「空想」とか「創造」といった類の体験や知見は基本的にお渡しできない場所なんですよね。

―― 博物館には「価値があるとされるもの」を確認しに行くようなイメージがあります。

松嶋:そういったものを中心に取り扱う施設でチャレンジングな試みというとなかなか難しいわけですが、今回一緒に企画を考えた方々と意見を交わす中で、ある人が国宝の一覧を見てこう言うんですよね。「国宝として扱われているような文化財って、現代でいうとどんなものなんですかね。だってこの舟橋蒔絵硯箱って、筆箱ですよね」って。それが作られた背景こそ違えど言っていることは至極真っ当ですし、そういった共通点は古美術への関心の入口になりそうだなと思いました。

東京国立博物館所蔵 国宝「舟橋蒔絵硯箱」 出展:ColBase(コルベース) より

―― 確かに、同じ性質のものならば入口にしやすいですね。

松嶋:明治以降に生まれた品々にもご存知の通りたくさんの芸術作品や文化財があるわけですが、実はその中に「国宝」はまだ一つもありません。

150年から今に至る「こちら側の時代」はそういう意味で価値が定まっていない、とも言えます。今現在も私たちが使っている道具や日々目にしている品々が、今後どういう位置づけ・価値付けがされていくのか。もしかしたら150年後に大切なものとして展示されているかもしれないし、全く失われているかもしれない。そういう考えで、150年後の国宝になるものはどんなものがあるか、という観点で展示しようと考え進めてきました。

―― ある種どんなものでも国宝となりうる可能性はあるわけですね。

松嶋:そもそも、「国宝」はどんな辞書にも最初に〈国の宝・国民の宝〉と書いてあります。そして二つ目に〈文化庁の指定品制度の国宝〉のことが書かれているんです。

―― というと?

松嶋:多くの人にとって国宝といえば、制度上の「国宝」のこと、つまり後者の定義を頭に浮かべるのではないでしょうか?でも重要なのは、「国民の宝」がどんなものかを自分たちで考えましょう、ということだと思います。

逆に現在「国宝」とされている文化財も、「本当に私たちの国の宝だと思えますか?」という問いかけでもあります。だって国宝だと言われても、なにがすごいのか、良いのかわからないものばかりじゃないですか。

国宝といえども、多くの国民が理解して共感してるものばかりではない。だからこそ、今現在生きている人たちが、「自分たちの国宝って何だろう?」と考える機会は、私たち博物館の今後の活動の中で絶対必要になってくるわけです。

―― 何を国宝とするかは国民が考えるべきもの、という意識はありませんでした。

松嶋:価値っていうのは、現代では自分で決めるものじゃないですか。その過程で社会との軋轢があるかもしれませんが、自分の価値観を多くの人にも大切にしてもらうためには、やっぱり説明して理解してもらわなければなりません。そこで伝えることができれば、「なんか気に入らんけど、そういうことか。ほんじゃ黙っておこうかな。でも自分が何か主張するときには譲ってもらおうかな」ということができる。

博物館や美術館って本来そういうための施設だということを知ってほしいです。そうではない形で表現を模索する現代美術もありますが、いろんな価値観や世界観を作家個人がどのように捉え、どう表現して造形化されたか。それを見てどう感じたか、というのがこの場所の基本だと思います。

ポテトチップスを広げ、日本に科学の素養を授けた企業たち

―― 今回の展示は企業も多く参加しています。展示品はどのように選考していったのでしょう。

松嶋:明確な選考基準があったわけではありませんが、その品物を大切にしたい背景、ストーリー、物語を語っていただきました。その物の値段や完成度ではなく、背景にある物語に多くの人が共感できるかどうかが重要な要素です。

なので、応募の際にはなぜこれが150年後に意味を持つのか、そして日本や世界の人たちにどれだけ貢献できるのか、有用なのか、ということを説明いただきました。それから私を含めた選考委員や参加いただいた各分野の有識者の方が強く納得したものから選ばせていただきました。

例えば、今回は湖池屋さんのポテトチップスとそれをテーマにしたブースを展示していただきました。ポテトチップスを作っている同業他社はカルビーさんをはじめ、たくさんありますが、他社より湖池屋さんのポテトチップスが美味しいとか、ブランドとして優れている、という判断ではありません。

湖池屋さんの場合、ポテトチップスの大量生産を可能にして日本で普及させた歴史と自負があることが非常に大きかったんです。もともとポテトチップスは洋食屋さんやレストランで付け合せとして出ていたそうですが、現代ではテレビだったり、最近だったら配信を見ながら手をベトベトにして食べるものへと完全に変わったわけです。

つまり食文化と暮らしの様式自体を変えたんです。日本発のものが文化や団らんの形を変革し、広げたという影響はとても重要なものだと感じました。

―― スマートフォンの登場然り、現代の文化創造のほとんどは企業が担っていますね。

松嶋:他にも、出展いただいている雑誌『学研の科学』の「科学のふろく」の影響は本当に凄まじいものです。昭和30年代後半から私が小学生ぐらいになる昭和50年ぐらいまでは、本当に当時の子供の3分の2が読んでいたんですよ(※編註:最盛期には兄弟誌『学習』と合わせて月の売上部数が630万部にまでのぼったこともあった)。

簡単に言うと一学年に100万人近く子供がいるわけですから、7〜80万人の子供が、自然科学の雑誌を読んだり、付録の実験キットに触れたりしていた。するとなにが起こったかと言うと、それをきっかけにしてノーベル賞研究者が生まれているのかも知れないわけですよね。要は科学の素養を国内にあまねく広げたんです。そんな国は他にないですよね、とてつもない功績だと思います。でも学研の人たちはそこまでのことだと思ってなかったのか、喋っていても「え、もしかして気づいてない?」という感じですから不思議なものです(笑)。

―― 素晴らしいですね。「企業の力」は現代的なもので、近代以前とはかなり異なるものでしょうか?

松嶋:そうとも言えません。近代以前の芸術・工芸品は、作らせていたのは武将、将軍、貴族、寺院など、格式や身分制度の高い人でしたが、江戸時代であればお金を出していたのは実は全部商人です。それが江戸中期ぐらいになると、商人が直接やり取りして作品を作るようになります。代表的なところで言えば尾形光琳の作品は、商人や民間の人たちが自分たちの生活の彩りとするために作られたものが多かったと思います。

―― では現代とそれほど変わってない?

松嶋:実は変わってないんです。見え方というか、レッテルが変わっているだけですかね。国宝に絵巻物がいくつかありますが、それと今のアニメーションは理屈は一緒なので、ほとんど同じものだと思っています。

生活に根付く「道具」と距離のある「アート」

―― そもそもなぜ公募制を採用したのでしょう?

松嶋:日本の文化って時代ごとの価値観が非常に変わりやすいんですよね。戦前、戦時中、戦後と切り取っても、どんどん変化していました。一番分かりやすいところで言えば浮世絵です。それを踏まえて、今自分たちが使っているもの、あるいは好きなものや楽しい、嬉しいと感じるものを、「150年後どんなふうになっているか」と想像することで、本当に大切にしたいものがわかってくるんじゃないかなと思うんです。

そして、何がそれにあたる品なのかはトーハク側で勝手に決められないし、固定の価値観はないので、人に聞くしかない。結局本当に知りたかったのは個々人の考えです。例えば数百年前の貴族の日記や、天皇が作らせた大仏なんかは、たくさん記録が残されているし、研究もされているので、そのものを支える価値観を学ぶことができます。

でも現代では、ある人にとっては大切なものでも、他の人にとってはどうでも良かったり、知らないものばかり。だからなるべく多くの人の意見を聞くしかない、ということで公募制にしました。

それに加えて、結局ほとんどの個人は企業に所属しているか、フリーランスなどの形で企業と関わっているわけなので、企業の話も外せない要素でした。なのでそこでは自分たちの仕事を150年後にも残していきたい、あるいはそれをきっかけにもっと人の暮らしに貢献したい、といった考えについて聞きたかったんです。

―― 個人、企業両方ですが、展示品にこれまでの国宝のイメージと近い、いわゆる美術品・工芸品と呼ばれるようなものがないことにも驚きました。

松嶋:それは近代以降の日本文化において生まれてきたものや、これから生まれるもので「大切にしたい」と思う対象が、やっぱり美術作品ではなくなっている、ということがあるからです。

今多くの博物館の展示室に飾られているものは、本来その時代の貴族や権力者である人たちの道具や調度として生み出されたものですが、一方で近代以降の美術作品などは西洋から輸入されたアートという概念と共に生まれたものがほとんどです。そして、そこに断絶があるということは知ってほしいことの一つです。言い換えれば、現代において作られる美術・芸術作品の多くは、ある意味では人々の暮らしの中に一体化しきったものではありませんし、私たちとしては「美術品であること」よりも「生活に根付いたもの」であることが大切でした。

では現代において生活に根付きながら、美術・工芸的な役割を果たしているものがなにかといえば、ポップカルチャーやサブカルチャーだと思います。もっと突き詰めていうと日本的なエッセンスや日本文化のコアの部分は、全部サブカルチャーとポップカルチャーにその本質が移っているように私には思えます。

コンテンツなき国宝とファンタジー国家・日本

―― となると今後漫画やアニメ作品などの国宝化といったことは想像しやすいです。

松嶋:今回の展示をやるまで気づいてなかったのですが、コンテンツそのものの国宝ってないんですよね。つまり「源氏物語絵巻」という物体は国宝としてありますが、『源氏物語』という文学は国宝ではありません。『竹取物語』でも『徒然草』でもそうです。文学賞はありますが、国宝にはなっていません。

これは一般部門の応募品である「それぞれの時代の源氏物語」というものを見て気づいたことです。この方の応募品は、源氏物語を漫画化した大和和紀さんの『あさきゆめみし』と、新潮文庫からでている田辺聖子さんの『新源氏物語』の2作品を並べたもので、「源氏物語」という大きなコンテンツ自体が国宝にふさわしいものであるという解釈ができると思いました。

―― 非常に興味深いお話です。国宝は定着した「物」である必要がある。

松嶋:現時点では、ですが。アトムのセル画は国宝になるかもしれないけど、『アトム』というアニメ作品自体はどうなんだ、というわけです。手塚治虫は大作家だというけど、『どろろ』や『ふしぎなメルモ』など他の作品はどうなるんでしょうか。という話をしたいんだけど、どこにもそういう話が上がらないんですよ。でもノーベル文学賞はあるので制度の枠組みといえばそれまでですが、その枠組みのことをもう少し真面目に考えた方がいいんじゃないかと思います。

だから今も展示として「物」を見せていますが、知ってほしいのはその内容です。というか、日本はその「内容」の方が強い意味をもっていることをもっと自覚するべきだと思うんですよ。物体そのものよりも内容や背景、ストーリーに感動するんです。形そのもの、見栄えそのものじゃないんですよね。

―― それは国民性、といったものなのでしょうか?

松嶋:というより、日本って結局資源が乏しく、貴重な鉱石、金属が少ないですよね。だから紙や木といった脆弱な資源でものを作ってきた。燃えたり、濡れればすぐ失われてしまいます。だから物に執着すると耐えられなくなるので、自然と内容に傾斜していったのではないかと思います。

という意味で、自然環境や資源の有り様といった日本の風土が文化の特性を作ってるのは絶対間違いありません。まあ、こうやって気候が大変動を起こしているので、今後どうなるか分からないですけどね。

―― 四季がなくなる、とも言われていますもんね。

松嶋:皆さんわりと誤解されてますが、日本には四季なんかないんですよ。日本は元々「二季」があるだけで、中国の暦のあり方を学んで、三カ月ごとに区切って四季と言って、冬と夏の移り変りの途中を春と秋と呼んでいるだけです。

例えば1月1日を新春と言いますけど、元旦から春の風情を感じている人なんてまずいないわけですよね。それは気候変動の影響とかではなく昔からそうですよ。だって雪が降ってたりするだけじゃないですか。

―― 昔からの慣習だからと思いあまり深く考えていませんでしたが、確かに言われてみれば。

松嶋:でも、雪が降り積もって、その分厚い雪の下に新しい芽が出てきている、と頭で考えるとどうでしょう、春の訪れを感じますよね。だから四季というのはそもそも観念なんです。

「炉開き」とか、強引に区切りを用意して、無理やり床の間の掛け軸を春のものに変えて、衣替えしたりするわけです。無理やりだからほぼ合ってない。でも観念的な「四季」を生み出し、それを実態とうまく結びつけることで、暮らしを彩ってきたわけですよね。つまり日本って元々ファンタジーの世界に生きてるんですよ。だからようやく国をあげて「日本の商売はコンテンツ産業だ」と言い出してくれてるので、少し安心しています。

―― お話を伺う前後で展示の見え方がよりクリアになったように思います。最後に、松嶋さんが考える展示の楽しみ方をお聞かせください。

松嶋:まずは時間の移り変わりにも目を向けてみてください。例えば「思い出のキーホルダー」という一般部門の展示があります。最初はなんでこれが応募されてきたんだろうと思いましたが、言われてみれば「鍵」ってなくなるな、と気づくんです。すでにスマートロックの普及は進んでいますよね。江戸時代の根付(印籠や巾着に使われていた留め具)がなくなったのと同じだと思います。こういった時間経過によって見方・価値観が変わるということも知ってもらえるといいと思います。

そして館内でゴジラやガンダム、プリキュアといった目を引くものがあったら、まずはそこで自分の人生の出来事と引き合わせて考えてみて、なにか感じてほしい。一見大きく展示してあるので派手に見えますが、その背景にあるストーリーを自分なりに読み取ってみてください。

それから一般部門の応募品。「日本各地で集めた煮干しのコレクション」や「おばあちゃんの白いハヤシライスレシピ」なんてものもあります。「なぜこれに心を動かされる人がいるのだろう」と思いを巡らせてみてもらえると良いかと思います。そして同じように古美術にも目を向けていただき、そこに自分なりの共通点や価値を見出していただくと嬉しいです。


『150年後の国宝展―ワタシの宝物、ミライの宝物』
会期:2022年11月2日(水) ~ 2023年1月29日(日)
会場:東京国立博物館 表慶館
開館時間:9時30分〜17時00分(入館は閉館の30分前まで)
休館日:月曜日(祝休日の場合は翌平日休館)
観覧料金:無料
※東京国⽴博物館総合⽂化展観覧券、または開催中の東京国⽴博物館の特別展観覧券(観覧当⽇に限る)で観覧可能 


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