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パパ政治学者が足を踏み入れた魔界「PTA」改革に七転八倒するエッセイ【岡田憲治『政治学者、PTA会長になる』】
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  • 2022.07.23
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パパ政治学者が足を踏み入れた魔界「PTA」改革に七転八倒するエッセイ【岡田憲治『政治学者、PTA会長になる』】

神保慶政

映画監督

東京出身、福岡在住。二児の父。秘境専門旅行会社に勤めた後、昆虫少年の成長を描いた長編『僕はもうすぐ十一歳になる。』を監督。国内外で好評を博し、日本映画監督協会新人賞にノミネート。第一子の誕生を機に、福岡に拠点を移してアジア各国へネットワークを広げる。2021年にはベルリン国際映画祭主催の人材育成事業ベルリナーレ・タレンツに参加。企業と連携して子ども映画ワークショップを開催するなど、分野を横断して活動中。最新作はイラン・シンガポールとの合作、5カ国ロケの長編『On the Zero Line』(公開準備中)。
https://y-jimbo.com/

誰の身近にも存在し得る、自分の常識が通じない「魔界」

「PTA」(Parent-Teacher-Association/ 親と先生の任意団体)という言葉を聞いたとき、私たちはどのようなイメージを連想するでしょうか。少なくとも「斬新」あるいは「最先端」なイメージではないでしょう。実際、太平洋戦争終戦の数年後からGHQによって、日本人に民主主義を教えるファーストステップ的存在として導入が進められたPTAは、学校にまつわる「古参」の団体です。

今回ご紹介する岡田憲治『政治学者、PTA会長になる』(毎日新聞出版)は、ひょんなきっかけでPTA会長になってしまった著者が、3年間の任期を通して見出した「新たな発見」をユーモアたっぷりにまとめた一冊です。

それまでは政治学者としてさまざまな経験を積み、47歳で父親となった著者は、周囲の保護者に比べてひときわ安定感を醸し出していたのでしょう。ある日、子どもが所属するサッカークラブのママ友から会長就任の誘いを受けます。

すぐには承諾しなかったものの勧誘はジワジワと続き、「半径10メートル以内の民主主義が俺の政治だ」と常々口にしていたことを妻から指摘されて観念し、最終的に重い腰をあげます。

本書に通底するキーワードとして、著者は「自治」を挙げています。「自分で考えて、自分で判断する」ということを複雑多様な社会の中で実践するにはどうすればいいのかということです。

自治という政治学の思考のフィルターを通してPTAを見ると、多くの人たちが「さほどそれでいいと思っているわけでもない」のに、誰が作ったものかもよくわからない決め事に縛られてとても苦しそうだし、そこから生まれるネガティブな気持ちを起点に苦行のようにPTAをやっている人も多い。これでは「長いものに巻かれる」という枠をすっかり出てしまっていることになる。(P8-9)

本書の帯にも冒頭にも、PTAというは「魔界」と形容されていますが、「イヤな場所」という意味ではなく「自分の常識が通じない場所」というニュアンスです。学者の間で議論されている考えだけでは追いつけないと身を持って体感し、著者は「魔界」の探索にのめりこんでいきます。

「正しい主張」をすることが正しくなくなってしまう、負のスパイラル

インターネットやSNSの普及によって、「正しさ」や「正論」が近年のコミュニケーション形成においてさまざまな差し障りを生んできたことは周知の通りです。「自分の正しさを一方的にまくし立てられて議論が進まないし、もうあの人にはうんざりだ」というような話題は巷にあふれています。

著者もまたPTAという組織で「正論」の壁にぶつかります。

会長に内定した後のお披露目の場で、別のPTA役員が選考委員会の担当者に対して気に入らないと食って掛かったのです。就任早々に“洗礼”を浴びた著者は、政治学者としても個人としても「そんなケンカが起こるようでは、選考委員会が独立している意味が全く無いじゃないか!」と、民主主義のルールがないがしろにされていることに憤りを覚えます。

その後、著者は会長として、謝罪・反省の意を認める旨の書面に、選考委員会と役員双方が署名を求めるという「正当な」(正論的な)手続きをもって事態の解決を試みたところ、予想外に猛反発にあってしまう「事故」が発生してしまいました。

PTAに限らず、なんらかの組織に新しく加わる際、最初に接した人の物腰や喋り方から、組織全体の雰囲気や考え方をなんとなく推し量る、という経験は誰しもがあると思います。大体こんなもんだろう、とあたりをつけるわけですね。

著者が前述した口論のあとに最初に接したのは、“運悪く”比較的見識のある副校長でした。著者は「正論の通じる、見識のある副校長」を基準に解決の方法を考えてしてしまったために、後に猛反発を受けることになってしまったのです。「事故」はこの時点ですでに始まっていました。

当時を振り返る著者の言葉は「正しいかどうかの話をしているわけではないと思っている人たちに、正しい主張をしたという意味で、正しくなかった」と、さながら禅問答です。

「仕事ができてしまう」ことで生まれる前例踏襲主義

このように、出だしは若干つまづき気味だったものの、著者は曖昧模糊としたPTAの「暗黙の了解」を政治学の見識も活用しながら探り当てていき、メンバーの不安・不満にしかつながっていないルールや行事を撤廃または簡素化し、ムダを切り捨てるべく奔走していきます。

運動会で来校する町会関係・他校の校長先生・PTA関係者が集う来賓席での「お茶出しのシフト表(朝9時から30分ごとに組まれた輪番表)」を目にした著者は、即座に撤廃を提案します。

役員室では、「止めようって思えば、止めればいいんだね? そうだね?」と確認し合うかのような楽しい雑談が続き、厚い雲が晴れて青空が見えたような空気が流れていた。でも、今起こったことは、僕が「もういいよ。止めよう。二十一世紀だし」って言って、みんなが「そうですね」って返しただけだ。(P88)

仕事ができる人(主に女性)が集っているがゆえに、大変なシフトでもどうにか実行できてしまう。変えることが面倒だし怖いために、それが続いていってしまう。メンバー入れ替わりの際には膨大な資料を渡し数時間に及ぶ綿密な引き継ぎがなされ、引き継がれた人も同じように大変な苦労をしつつ仕事をこなせてしまう。こうした奇妙なスパイラルによって、「自分で考えて、自分で判断する」ということが至上命題のはずの自治組織が、「当たり障りがないように努める」という前例踏襲主義を無意識に(しかし強く)志向してしまっていることに著者は気づいていきます。

自分たちで感じ、自分たちで決めて、自分たちで変わっていく輝かしさ

PTA会長になりたてで、著者が自分の責務の把握に努める局面で何度か引き合いに出されるエピソードがあります。幼稚園時代からのママ友で選考委員会の一人である女性が、著者のことを擁護してくれたという出来事です。無口かつ穏健なことで知られている彼女は、選考について役員から難色を訴えられたとき「岡田さんは幼稚園ではすべての行事に出てくれて、子どもたちを本当に大切にしてくれる立派な人です」と声を震わせながら反論したのだといいます。

「正論」や「正しさ」の主張というわけではなく、「思っていること」をただそのまま他者に示す。特に人を蔑むでもなく、極端な主張・批判をするわけでもなく、「あの人は立派だ」という感情表現をすることにそれだけの抑圧要因があるという気付きが、著者のその後の活動において重要なモチベーションの源泉となっていたことは随所で表されています。

任意参加で対価ゼロな組織であるにも関わらず、「思っていることをそのまま言えない」という状況を打破しようと、著者はコツコツと組織づくりに励み、2年目のサイクルでようやくその体制を部分的に手にします。

「やりたい」って思ってここにいる人と一緒にいるだけなのに、どうしてこんなに心が軽くなるのだろう?
逆に言えば、どうしてこんな簡単な、当たり前のことを目の前にして、日本中のPTA関係者は、深く、長く、行き場のないため息をついているのだろう?「やりたいと思った人と一緒にいる」というだけのことが、どうして何の縛りも、法律もない世界で、こんなに手に入れるのにエネルギーを必要とするのだろう?(P168)

「ムダを撤廃するヒーロー」的次元をクリアした著者は、次に多様性や包括性の課題と対峙していきます。著者のPTAのエリアには「1年に12ポイント分の活動をしなければいけない」という業務ポイント制度があり、そもそもポイント制度に懐疑的だったことから、ベルマーク収集作業や、古紙回収(月イチで古紙を回収してステーションに置く)の作業を撤廃する提案をします。

ところが著者がよくよく現場の声を聞いていくと、ベルマーク収集には作業中に女性たちが日頃の愚痴を言い合い不満のガス抜きをする意義が、古紙回収には「育児・家事が忙しくて全然貢献できないけれども、せめてこれぐらいなら…」という申し訳無さを相殺する意味合いが背後に隠れていることを発見していきます。

協力できなくて、いつも申し訳ないという気持ちがあるから、何とかできるポイント一の活動があることで、救われるような気がする。
そんな気持ちがあるなんて、ただの一度も考えたことがなかった。
だとすると、「役員さんの負担が重すぎるから止めましょう」じゃなくて、そこに込められた気持ちを汲んで、「細々とでも古紙回収は継続」するけれど、負担となっている作業を「どうすれば減らせるか」、「どうやってシェアするか」を考えるのが、日々を生きる人たちの心の縫い目に沿ったやり方になる。(P191-192)

「一見ムダだと思える作業に、元の意味合いとは全く違う意義を付与して遂行している人の考えていることが、自分の考えと相反している場合にどうすればいいか?」と思考を巡らし、著者は「すべきこと/すべきでないこと」の線引きを進化させていきます。そして、「半径10メートルの民主主義」という兼ねてからの関心領域に立ち戻っていきます。上記の「ポイント制度」のくだりについて、著者の妻はこのように意見したといいます。

「ママたち、とくに専業ママたちはね、毎日終わりのない家事をやって、育児もおっつけられて、じゃあ誰かに感謝されてるかって言えば、そんなふうに思えないまま毎日が過ぎていくの。だから、ポイントって、ただの要領目的のものでもないし、ボランティアの大切さをわかってないわけじゃなくて、自分を慰めるためのものなんだよ。きっと」(P199)

著者が「半径10メートルの民主主義」を理想として掲げているのと似たような形で、筆者は「半径500メートルの世界」に着目したドキュメンタリー映画の企画を構想しています。特に下の子が生まれる前、上の子の日々の幼稚園送迎・行事参加をしたときに見聞きしたことや、筆者自身も「専業ママは日頃の家事を誰からも感謝されていないと思っている」という生の声を「ママ数十人の中にパパ自分一人」という保護者懇談で聞いたことからは強いインスピレーションを受けてきました。偶然にも著者と自分がいくらか似通った境遇だと感じたこともあり、本書を通じて共感できるポイントが非常に多くありました。

PTAの「自治」の状態が著者の参画によって変容していき、しだいに著者自身の意思決定基準にも波及してくるダイナミズムを記録した本書は、会社組織のチームビルディングなどにも応用できるような見識にあふれた一冊です。本稿では言及できませんでしたが、コロナ禍になった3年目の経過が書かれている終盤も見どころです。


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