CULTURE | 2022/02/17

「オミクロンはただの風邪だろ!」「病床逼迫してるんだよ!」の罵り合いをせず早期に経済再開するために必要なこと

【連載】あたらしい意識高い系をはじめよう(28)

SHARE

  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • line

倉本圭造

経営コンサルタント・経済思想家

1978年生まれ。京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感。その探求のため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、カルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働く、社会の「上から下まで全部見る」フィールドワークの後、船井総研を経て独立。企業単位のコンサルティングで『10年で150万円平均給与を上げる』などの成果をだす一方、文通を通じた「個人の人生戦略コンサルティング」の中で幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。著書に『日本人のための議論と対話の教科書(ワニブックスPLUS新書)』『みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか(アマゾンKDP)』など多数。

新規感染者数が徐々にピークアウトしはじめる中、一刻も早い経済・社会再開を望む声が高まっています。一方で、医療関係者を中心に慎重な声も根強い。

この記事は、その辺りの議論のスレ違いを整理して、日本国ができるだけ早く経済・社会の平常化に向かっていくために考えるべきことは何なのかを提示する目的で書きます。

私は医療関係者でなく経営コンサルタントなのですが、「PCR検査が増えない理由の考察(2020年4月)」、「反ワクチン派への向き合い方(21年7月)」など、コロナ禍において社会的に混乱している議論を整理するための記事を何度か書いて、医療関係者の方から「専門外の人でここまでわかってくれている記事はなかなかない」などと言っていただけたことがありました。

今回も、ウェブメディア・FINDERSから「もう一度現時点でのコロナ関係の議論を整理する記事を書けませんか?」と依頼されたので書きます。

一部の医療関係者には「部外者が口を出すな」と言われそうですが、しかしコロナ関係の議論を、「医療関係者内だけ」でなく国家・社会運営レベルでスムーズに行うために必要なことは、まさに「経営コンサルタントの専門分野」的な要素があるはずです。

特に「日本人の集まりである会社や組織」のコンサルティングをしてきた経験から言うと、

「改革派(今回の場合経済再開派)」が無理に押し込もうとすればするほど、逆に意固地になって最も保守的な見積もりに引きこもってしまう

…ようなことがよくある。

マンガっぽく表現すると、以下のような感じになるのが「日本社会あるある」なんですね。

日本社会を生き抜いてきた読者の方なら、このマンガ↑のような情勢になっている場面にしょっちゅう遭遇してきたことでしょう。

過去30年ぐらいの日本は、こんな感じの相互不信が募る結果として、罵り合いだけがヒートアップして結局何も変わらない閉塞感が続く…という事を繰り返してきたのではないでしょうか。

この「日本社会あるある的硬直状態」のまま長い時間が経ち、他の国から半年遅れぐらいでやっと経済再開ができる…というようなことはぜひとも避けたいので、経済再開派の方も、あるいは慎重派の方も、医療関係者の方も、一度冷静になって読んでいただければと思います。

1:日本が欧米のようにノーガード戦法へ移行できないワケ

とりあえず普通に生きている非・医療関係者の気持ちで言えば、「英米などが完全に“ノーガード戦法”に移行しつつあるのになんで日本は!」というのは自然な不満だと思います。一刻も早く日本もそうなっていきたいですね。

ただ、「慎重派」の意見を聞いてみれば、英米などのようには今すぐにはできない理由も現時点ではあるんですね。まずはそれを整理してみましょう。

上記はOur World in Dataというサイトに掲載された、ワクチンブースター接種の人口100人あたり接種数ですが、英国や北欧など「完全ノーガード戦法」に移行した国は軒並み非常に高い接種数となっています。日本は急激に追い上げてはいますが、もう少しかかりそうです。

「オミクロン株にはワクチンが効かないと聞いたけど?」というような話も出回っているのですが、その辺りについては感染症専門医の忽那賢志氏による記事「結局、オミクロン株に新型コロナワクチンは効くのか?ファイザーとモデルナで効果や副反応に違いは?」が参考になります。

忽那氏の記事で、「経済再開問題」に関連して重要な点をざっくり要約すると以下の2点です。

上記の点が今の日本でどういう意味を持つかというと、2021年の早い段階で接種を終え、3回目接種が終わっていない高齢者層が、今まさに「ワクチン的には完全ノーガード状態」に置かれてしまっていることになるわけです。東京新聞の2月16日の記事「ワクチン3回目接種「月内ほぼ完了」は絶望的 1日100万回ペースでも計画の半数達せず」や各地の地方紙の記事を見ても、3回目接種が終わっていない高齢者が今はまだ大半であることがわかります。

結果として、確かに「感染者数↓」はピークアウトしつつあるように見えますが…

NHKの新型コロナウイルス特設サイトより、国内の感染者数まとめ(2月16日時点)https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/data-all

一方で、対策病床の使用率は以下のようにほぼ全国で真っ黒に逼迫しており、医療関係者は日々搬送先の決まらない患者と向き合う日々を送っている。

新型コロナウイルス対策ダッシュボードより、新型コロナウイルス対策病床数の使用率(2022年2月17日スクリーンショット撮影)https://www.stopcovid19.jp

オミクロンは一部の若い層には本当に「ただの風邪」的な要素があるわけですが、それで日本中あちこちにウィルスがいる状態になってしまうと、「ノーガード状態」になっている高齢者層に次々と感染し、いくらデルタよりは弱毒性だといっても感染者数が増えすぎると重症者用の病床が溢れてしまうことになる。

特に今は、若者経由で広がった感染が高齢者施設の集団感染などを引き起こしていて、感染者数の増減傾向に遅れて重症者数が急激に増える段階になってしまっている。

今後の経済社会の完全再開に向けては、少なくとも「高リスク群の高齢者へのワクチンブースター接種が進むこと」は必須だと思います。

とはいえこれだけだと、「また老人を守るために若者の貴重な人生の時間を奪うのか!」という問題になりますね。先日、また修学旅行などのイベントが中止されて嘆き悲しむ高校生の動画を見て私も胸が痛くなりました。

ではどうすればいいのでしょうか?

2:対策をする・しないの「極端な二者択一」に意味はない

こういう時に大事なのはお互いが「相手が反対している“理由”に踏み込んで一緒に考える」ことです。

「老い先短い老人の命を必死に守ることに社会全体でコストをかけまくっている一方で、若者の貴重な人生の時間は簡単に奪われる、それでいいのか?」というのも「一つの正義」です。これは今の時代無視されがちな視点なので、ぜひ一度ちゃんと考えられるべきことだと思います。

一方で、「そうはいっても救えるはずの老人を見殺しにしろというのか?」というのも「一つの正義」です。

お互いに「自分の持つ“ベタ”な正義」を絶対化し、相手が持つ「“ベタ”な正義」を全否定しようとすると、延々と紛糾して余計にまとまらなくなります。結果として日本社会の場合はこの記事冒頭の一コママンガのように「最も保守的な見積もり」に引きこもってしまうことになりやすい。

大事なのは「両方の“ベタ”な正義」を否定しないで、一段高い視点から『メタな正義』として解決策を探っていくことです。

そうすると、「老人の命を救う・救わない」「若者の時間を奪う・奪わない」という二者択一でない視点が見えてきます。

上記の図は非常にざっくりと単純化しているので医療関係者にはご不満な点もあろうかと思いますが(特に軽症・中等症の話を丸めてしまっていますが、実際にはこの階段が一段増える話なのだとご理解ください)、「専門家の世界の外側」と共有するには多少の単純化はご容赦いただければと思います。

三本の縦の棒グラフが並んでいますが、左から順番に「完全に社会全体がノーガード戦法を取った時の感染者数」「実際の感染者数」「重症者数」のイメージを表しています。

つまり、棒グラフをそれぞれの立場から無理なくできる範囲の対策をしてだんだん削っていって、一方で重症者用の医療キャパを上げるようなこともして、全体として最後の「重症者数」が医療キャパを超えないようにするのが大事なのだという当たり前のことを言っている図ではあります。

しかしこういう「当たり前の事」の全体像を共有できていないと、逆側の立場の人が言っていることがどの程度の事なのかを冷静に把握することができなくなり、ついつい「俺が勝つかお前が勝つか、二つに一つだ!」というような幸薄い二者択一の世界観でぶつかりあってしまうのです。

例えばもしあなたが「経済再開派」ならば、「あなたとは逆の立場」にいる、たとえば日々搬送先が決まらない患者さんたちに囲まれて心身が疲弊している最前線の医療関係者の気持ちを想像してみましょう。

「相互の信頼感」がない段階で「とにかく今すぐ経済再開を!」としか言わないようだと、まるで対策AもBもCも全部やめてしまうかのような印象になってしまいますね?

そうなると、Twitterなどでたまに見る「荒ぶる医療関係者」のように、経済再開派を全力で罵倒したくなってしまう気持ちにもなるでしょう。

結果として、この記事冒頭の一コマ漫画(再掲)のように…

「経済再開する・しない」の二者択一の世界観だと、日本社会では「本来可能なレベルよりもはるか手前の保守的な決着に引きこもってしまいがち」になります。

でも多くの「経済再開派」の人だって、経済再開するからといって「対策A(経済・社会に負荷がかからない程度の対策)」の部分を完全にゼロにしなきゃ嫌だ!と思っているわけではないですよね?

それが原因で暴動を起こすほどマスク嫌いな欧米と違って、日本社会は今後もしばらくはマスクを普通につける習慣は残るでしょう。感染者数が増えたら勝手に自粛する人が出てきてそのうちピークアウトしはじめたりもする。

ちょっとアホっぽいことを言うようですが、「日本人の集団」に対するコンサルティング経験から言って、

「経済再開って言ったっていきなり“対策A”部分をゼロにするわけじゃないですよ」という相互信頼感があるだけでも、再開に向けての議論を始めやすくなる効果がかなりある

…と私は感じています。

これは「今これから時間ある?」と聞かれるとどれだけ負担になるかわからないから躊躇するけど、「ちょっと3分だけ時間ある?」と聞かれると「3分ならいいですよ」と言いやすい…というような単純なコミュニケーション上の問題ですね。

これは「逆の場合」でも同じことです。

もし読者のあなたが、拙速な経済再開には反対な人だとします。たとえば日々ギリギリの状態で回している医療関係者の方の立場から見れば、社会の逆側にいる「経済再開派」の言っていることなど全く常軌を逸しているように感じられるかもしれない。

しかし、冷静になって「経済再開派」の立場になって考えてみましょう。彼らが知りたいのは、「いつ、どういう状態になったら再開できるのか」という見通しです。

ざっくりした話でもいいから、

「今ここで目詰まりが起きていて、この部分が溢れてしまっています。こういう対策を打っていけば、この数字が減ってくるので問題なく再開できるようになる見通しです」

…みたいなことを言ってくれれば納得もしやすいでしょう。その見通しが2週間後には外れてしまっていたとしても、その度に見込み違いがどこにあって、今度はどうするのか?を説明してくれたら納得もしやすい。

しかし、コロナ禍の2年間を通じて、「経済を止める」ことに抵抗感を持つ層に対して医療関係者を中心とする「経済再開慎重派」の説明は、あまり「相手の立場に立った」ものであったとは思えません。

医療関係者や慎重派は「経済を止める」ということが何をもたらすのかを軽く考えすぎる傾向は明らかにあって、いくら政府ができる限りの補償をしようと、経済は継続的な流れや手元のキャッシュが大事なので、しょっちゅうブレーキを踏まされることのダメージは、実際の経営者的な立場にある人からすれば計り知れないものがあります。

「命がかかってるんだぞ!黙ってろ!」という態度が医療関係者には出やすいですが、民間経営者からすれば「こっちだって命がかかってるんだよ!経済でも人は死ぬんだぞ!」という言い分が明らかにある。

こういう感情的対立をほったらかしにしていたら、「コロナはただの風邪」派が世間を席巻するようになるのも当然の結果だと言えるでしょう。

医療関係者の「ベタな正義」と同じレベルの「ベタな正義」が、経済再開派にもあるのだという事を認めた上での、『メタな正義』的に全体像を示して共通了解を作っていくコミュニケーションが必要な領域がここにはあるわけです。

この「立場を超えた“メタ正義的”コミュニケーション」がうまく行えるようになればなるほど、スムーズに「経済再開」に向けて動いていくことが可能になるでしょう。

そしてその「相互コミュニケーションの不足」自体の課題克服に加えて、さらに「対策B(重症化させない早期治療のしくみ)」「対策C(医療キャパシティの確保)」部分をもっと積み上げていくことができれば、日本社会は罵り合いの余地もなくスムーズに「当然経済再開を目指しますよね」という方向に持っていけるようになるはずです。

3:医療機関の負担を軽減する「社会の連携」をいかに実現できるか

上記の「対策B・C」については、毎日患者さんの搬送先が見つからなくて苦労している最前線の医療関係者が、「自分たちだけ」でなんとかしようとしても難しいでしょう。

現場の責任感と使命感がありすぎて、自分たちだけで抱え込んで潰れてしまったあげく、「自分たちを全然助けてくれない日本社会はひどい!」と恨みを溜め込んでしまったりもするというのは実に「日本社会あるある」という感じですよね。

この「対策B・C」に関しては、「広域の連携」ができれば結果が大きく変わってくる施策が沢山あります。だからできる限り社会全体で後押ししてあげないといけない。

また、使える医薬品などが増えるたびにできる対策が増え、さらに「ノーガード戦法」に一歩近づけることが可能になっていきます。

まずは「高リスク群の人へのワクチンブースター接種」自体が、この「対策B」の部分にピンポイントでかなり効く効果があるはずですよね。

また例えば、大阪府では集団感染した高齢者施設に医師が往診して、早期投与することで重症化を防ぐ薬を処方する動きもあるそうです。こういう「重症化する前の段階で早めに対処できる仕組み」を作っていくことも大事ですよね。

「対策C」の範囲では、昨年から、医療施設の広域間連携を見直すことで第5派のピークでも死亡・重症者ゼロを実現した「墨田区モデル」などが知られています。

2021年10月に掲載された墨田区保健所長のインタビューは、医療専門メディアのエムスリーだけあって非常に具体的で、「連携を見直す」上で重要な、「個々の病院側の事情を汲み取って制度設計」をする細部の配慮について詳しく書かれていて勉強になりました。

こういう部分で局地的な「良い例」は生まれてもなかなか横展開(全国で真似すること)が進みづらいのが昨今の日本の良くないところなので、社会全体でうまく後押しできるといいですね。

特にメディア関係の皆さんが、こういう情報の深堀り&シェアで果たす役割は非常に大きいので、今後もよろしくお願いします!

また、これは一般論として言うのですが、こうやって「具体的な対策内容」に踏み込んでいく時に、「部外者・初心者のアイデア」を排除せずにうまく使っていくことが有効なことはよくあります。

たとえば「保健所や医療機関への負担問題は“五類指定”にすれば一瞬で解決するのに」というような話をSNSで良く見かけますよね。

確かに「今すぐ五類にできない理由」自体は医療関係者から見れば明らかにあるようです。詳細は割愛しますが、特に高額治療費負担の問題と、保健所が担っている入院先の振り分けを管理する機能をどうするかが課題のようで、ご興味のある方は名古屋テレビ(メ〜テレ)のこの記事などをお読みいただければと思います。またもっと詳しく知りたい方は有料会員限定記事ですが、毎日新聞に掲載された太融寺町谷口医院(大阪市)の谷口恭院長による寄稿「新型コロナ 扱いを格下げすると入院できない患者が増える」が個人的には一番納得感がありおすすめです。

ただ、「五類にするかしないか」の綱引きは本質ではないにしろ、「開業医を含めた市中病院をいかに活用するか」「保健所の負担を減らしてシステム全体で受け止められる量を増やす役割分担の見直しが大事」といった視点で、大きな改善の余地が眠っていることは明らかであるように私には思われます。

沖縄のコロナ対策をリードしておられる高山義浩氏が、いずれ役割分担を見直して「点でなく面で受け止める(軽症者は市中病院で対処してもらう)」ようにできればキャパシティは大きく跳ね上がるだろうという話をNHKの番組でされていました。

「素人の意見」というのは、そういう「そのままでは使えないが大きな改善の元ネタにはなる」性質があるので、医療関係者の方は心を広く持って、

「五類にできねー理由があるんだよバーカ!」

ではなく、

「もっと医療システム全体での連携の見直しの視点を持てというご意見として受け止めました」

という感じで受け取っていただければと思います。

4:“キシダの使い方”に習熟して「本当に変われる国」になろう!

菅政権時代に当初あれほど「適当なことを言うな!」と批判されていた「ワクチン一日100万回」を実現した舞台裏について、当時ワクチン担当相として関わっていた河野太郎氏がYouTube番組で裏側を語っているのが話題になっていました。

「本人の弁」だということを割り引いてもなお、相当な苦労をしてワクチン接種の加速を実現したのだという、マスコミ報道では伝わってこない細部の話が伝わってきて面白い内容でした。

安倍・菅政権時代にはこういう「強引に組織を動かす力」がありましたが、一方で官僚の過剰な忖度が色々な事件を起こしてしまったり、強引さの副作用として再エネの導入などの改革を現場側とちゃんとすり合わせる機能が弱まって、昨年も今年も冬に大停電の危機に陥るようなことになったりしてしまっています。

そういうのでは困る!という日本国民の判断で菅氏を引きずり下ろしたのだから、後任の岸田首相が多少優柔不断に見えても、国民の自業自得というところがあるわけですよね。

しかし私は岸田政権を見ていて、例の「話を聞く力」というのは実際にあるなと感じています。

コロナ対策分科会の尾身会長も「岸田さんは話を聞いてくれる」と言っていましたし、リンク先記事にあるように、オミクロンの性質に関する科学的知見に合わせて次々と細かい対処を変えていく決断が、オミクロン感染拡大下でも「なんだかんだ普通に社会が回っている感じ」が維持されていることにつながっているはず。

机上で完璧なプランを細部まで書ききってそれですべてを動かしていきたい「設計主義者」タイプの人からするとグダグダの現状追認政策に見えるかもしれません。

しかしそうやって「地味に細かく即応的に対処を変えていく」ことで、結果として過去最高の感染者数を出す中でも緊急事態宣言には踏み込まず蔓延防止で済ませられそうな情勢になった点は、実はあまり誰も気づいていない隠れたキシダの功績と言えるはず。

そういう「臨機応変な微調整」的な事は「安倍・菅時代」はかなり苦手な分野だったことですし、自分たちが民主主義的に選んだリーダーを「どう使うか」に真剣になるのも主権者としての我々の責任だと思います。

世界中から非難轟々な上に効果も薄いと考えられていた「鎖国政策」も、緩和する方針を発表しましたよね(まだまだ不十分すぎると思いますが一歩前進ではあります)。

遅い!動きが鈍い!不十分だ!説明がわかりづらい!それらは現状全くそのとおり!

しかし、「ちゃんと話せばコロコロ変える」政権だからこそ、私達は「キシダの使い方」にもっと習熟していかねばならないはず。そしてどんどん「アレをやれ、コレをやれ!」と尻を叩いて動かしていきましょう。

過去30年間、平成時代の日本は、「ぶっ壊す!」的に無理やり「改革」を進めようとしては、一進一退の押し合いへし合いになってしまって結局変われずに終わるということを何十回も繰り返すうちにジリジリと衰退してきたのではないでしょうか。

「キシダの使い方」に習熟することで、「無理やり推し進めようとして強烈な抵抗に遭って身動き取れなくなる結果、最も保守的な見積もりにひきこもってしまう」という“日本社会あるある”を超えて、「本当に変わる」ことができる国にもなれるはず。

だからこそ、今後日本社会を本当に「変えて」いくためには、先程の例で言えば河野太郎氏のような“改革派”を、いかに副作用なくシームレスに「日本社会」とつないで変えていくことができるか?それが問われている。

実際今の河野氏は、ただ批判するだけじゃなくてワクチン接種の加速方法について具体的な提言をし、一方の岸田氏はホイホイとこだわりなくそれをまるごと取り入れることにした…という報道もありました。

昨今の政治家はこういう時にマスコミ向けに「いかに俺が有能で相手は無能かアピール」をして余計に混乱させる風潮がある中で、この河野氏の振る舞いは立派だと思います。

こうやって「根拠を示した意味のある指摘を具体的にやれば聞く」力は、岸田政権には結構あります。

現状は動きの鈍さは否定できないですが、さらにどんどん「キシダの使い方」に習熟していって、バカバカしい罵り合いでなく「本当に変える」ことを積み重ねていけば、“スピード”も徐々に出せるようになっていくでしょう。

左派から見ても、例えば福祉制度の細部について、現状と合っていなくて機能不全になっている部分は沢山あるでしょう。具体的にちゃんと調べて、制度設計もきちんとやって、キシダに話して実際にやらせましょう。

またたとえば経済関係者から見れば、今後重要になるブロックチェーン技術を基盤とするWeb3という分野において、日本の税制が時代に合っていなさすぎて無数の資本や人材の国外流出が起きている問題が指摘されています。そのこともあってかシンガポールで起業することになった渡辺創太氏のこの記事を読めばその危機感が伝わってくる。

この件について自民党の平将明議員が衆議院内閣委員会で質問したところ「成長戦略に盛り込んでいく」といったボヤッとした話には頷くものの、その課税方式の問題については同じ自民党の牧島かれんデジタル相、山際大志郎経済再生担当相からでさえ“唖然とするほどの官僚答弁”が返ってきていて、私は思わず笑ってしまいました。詳しい内容はウェブメディア「サキシル」の記事でまとめられています。

しかし、実際にWeb3分野での起業を考えているような人からすれば、こんな官僚答弁は笑って済まされない、この国に絶望するに値するぐらいの反応の鈍さだと思います。

日本の官僚組織は「平時」の分野では結構優秀な差配力があると思いますが、こういう先端的な分野やコロナのような「有事」になると唖然とするほど反応が鈍くなる事があります。

こういう場面でも、「キシダの使い方」に国民全体で習熟していくことで、もっとスムーズに「実際にやらせる」ことができるようになるはず。

何度も貼るこの一コマ漫画↓のように、日本社会は紛糾する課題を無理やり押し切ろうとすると、余計に「最も保守的な判断」に引きこもってしまいがちです。

だからこそ日本で「本当に変える」ためには、「改革を求める側」に正義があるのと同じように、「改革に抵抗する側」にも「ベタな正義」は存在する事を汲み取っていくことが必要になる。

たとえばこの記事で書いてきたように、経済再開派と慎重派の「二者択一」になってしまわないように、具体的な細部の話にいかに持ち込めるかが重要になってくる。

そこで大事なのは、お互いそれぞれの「ベタな正義」同士を絶対視してぶつけあうのをやめて、「メタな正義」のレベルでちゃんと話をし、相手の話も聞き、動かしていく意識を、メディアも、政治家も、有権者も持つようにすることです。

コロナの2年間を通じて、メディアが単なる「権力批判」でなく「今どこが制度的にズレていてどうすればいいのか」をちゃんと取材して報道する事例は明らかに増えています。

岸田政権になって「微調整」がうまくなっているのは、メディア側がちゃんと進歩してきていることも大きい。

「これからのメディアはそうあるべきだ」と私はウェブ記事や著書などでよく主張していたのですが、同世代(30代〜50代)の中堅メディア関係者などから丁寧な賛同のメールをいただいたりすることが結構あります。

「反権力!ができれば中身はどうでもいい」型の20世紀的メディアから生まれ変わっていくプロセスは着々と進行中で、2年前とはかなり違うレベルの報道が増えてきているのを感じています。

「あらゆることが権力VS反権力の政治闘争に見えるビョーキ」から脱却していって、今日本の仕組みのどこがズレていて、どこをどう変えればいいのか、具体的な話をちゃんとして、そして「キシダにちゃんと説明してやらせる」こと。

それができるようになれば、私たちは「コロナを抜けて経済社会を再開させる」プロセスの中で、自分たちを時代に合わせて「本当に変えていく」スキルを身につけることができるでしょう。

(お知らせ)
この記事で書いてきたように、無意味な罵り合いを超えて「意味のある具体的な議論」に誘導し、日本を本当に「変えていく」ための方法について、私のクライアント企業において10年で150万円も平均給与を上げることができた事例などを紹介しながら解説した『日本人のための議論と対話の教科書』という本を出しました。

上記リンク先で「序文 はじめに」を無料公開していますので、この記事にご興味を持っていただいた方はぜひその部分だけでもお読みいただければと思います。

議論という名の罵り合いだけが続いて何も変わらないこの日本を、「本当に変えていく」ことができる国に変えていきましょう!

連載は不定期なので、更新情報は私のツイッターをフォローいただければと思います。

感想やご意見などは、私のウェブサイトのメール投稿フォームからか、私のツイッターにどうぞ。


過去の連載はこちら