CULTURE | 2022/01/27

人気絶頂時にぼくりりを辞職。たなかは「20歳からのセカンドキャリア」をこう生き延びた【連載】Z世代の挑戦者たち(5)

社会にインパクトを与える活動をしている若者たちをフィーチャーする連載「Z世代の挑戦者たち」。第5回には、ミュージシャンの...

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社会にインパクトを与える活動をしている若者たちをフィーチャーする連載「Z世代の挑戦者たち」。第5回には、ミュージシャンのたなかさんに登場いただいた。

2015年、17歳で高校3年生の時に「ぼくのりりっくのぼうよみ(以下、ぼくりり)」としてデビュー。4枚のアルバムを発表し大きな注目を集めるも、2019年1月をもってそのアーティスト活動を“辞職”。その後は「たなか」と改名し、香取慎吾や水溜りボンド、ヒプノシスマイクに楽曲提供するなど音楽プロデューサーとして実績を積み重ねる一方で、2020年にやきいも屋「たなかいも。」を始めるなど、常識にとらわれない幅広い活動を繰り広げてきた。

現在はバンド、Diosのフロントマンとして再び真っ向から音楽に取り組んでいる彼に、ぼくりりを辞めてから「たなか」としての約3年間で得たものについて、そして今どんな考えを持って音楽活動を行っているかについて、話を聞いた。

たなか (Vo.)

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98年生まれ。前職はぼくのりりっくのぼうよみ。
ぼくりりを辞職した現在はたなかとして、歌手活動のほか、楽曲制作・提供や feat.としての他アーティストの楽曲参加を行なっている。
音楽以外にも、文筆業やボルダリングにも取り組んでいる。また、やきいも屋を営み、わずか2ヶ月でやきいもを 1.5 トン売るなどの成果を残し、やきいも界でも注目を集める。

聞き手・構成・文:柴那典 写真:小田駿一

みんな平等だと心の底から実感するために「何者でもない自分」になった

—— まずお聞きしたいんですが、今のご自分の肩書きはどう設定してらっしゃいますか? 

たなか:僕がこう言うと違和感がすごいですけど、今は一応、バンドマンですね。今はDiosというバンドをメインにやっているので。2019年まで「ぼくりり」をやっていて、そこから「たなか」になって、その後2年半くらいはふらふらしてたんですけれど、今はDiosを頑張ろうと思っています。

—— たしかに、仰るとおりたなかさんは一般的なイメージのバンドマンとは違いますよね。ぼくりりを辞めてから俳優をやったり、やきいも屋をやったり、趣味のボルダリングを活かしてウェブ広告に出演したり、いろんなことをやってきたわけで。

たなか:ホストもやったりしましたね。

—— その期間を総括すると、どういう時期だったんでしょうか?

たなか:世の中に慣れる時期みたいな感じですかね。ぼくりりを辞めることで、自分の中のマイナスをゼロにするという作業をやったので。ゼロになった世界を楽しむ練習みたいな感じでした。

—— 10代で華々しく世に出た自らの音楽活動を辞める、しかもラストライブを「葬式」と銘打ってその終わりをやり切るということは、他の人はあまりやってないことだと思うんです。終えた後はどういう気持ちでしたか?

たなか:長い映画を観終わって映画館を出る時の感じの延長線にある何かだったと思います。自分はもうぼくりりではないし、その時はたなかという次の活動名も決めてないので、本当に何者でもない自分がいた。それを得ようと思ってやったんですけれど、その感覚はやっぱり不思議でした。それまであまりにもぼくりりというのが自分自身とイコールだったので、それがなくなるというのが面白かったです。

—— おそらく20代前半では、ほとんどの人が自分のことを「何者でもない」と感じていると思うんです。一方、当時のたなかさんが感じた「何者でもない」は、それとは違う特殊な感覚だったのではないでしょうか。

たなか:そうですね。あまり一般的ではないですね。

—— その違いについて何か感じることはありますか?

たなか:同年代の他の人達を意識することはあまりないですけど、たとえば一緒にゲームをやってる友達は普通の大学院生として就活をしていて「エントリーシートが〜」とか「今日はソフトバンクの面接が〜」とか言っている。それはそれで楽しそうだなと思いますし、本人からしたら楽しくないかもしれないけど、羨ましい気持ちもあります。でも、本質的には何も違わないと思いますし、自分のことを特別だと思う感覚はないですね。

—— その一方で、落合陽一さんやSKY-HIさんのように、たなかさんの周辺には、行動力も発想も飛び抜けたものを持っている人も多いと思います。

たなか:そうですね。ただ、いろんな人がいるんですけど、やっぱり同じ人間だと思います。たとえば、社会的な、もしくは経済的なパワーがある、たとえば音楽ができるみたいに何らかの特殊技能があるというのも、言ってしまえばゲームの『スマブラ(大乱闘スマッシュブラザーズシリーズ)』がめちゃめちゃ上手いというのと、本質的にはそんなに変わらない。そういう感覚を心の底から得るというのが、ぼくりりを辞める時の大きな目的のひとつだったので。

—— その「本質的には変わらない」ということの意味をもう少し噛み砕いてもらっていいですか?

たなか:「みんな平等だよ」って、よく言われるじゃないですか。命は等しい、孫正義もホームレスの方も何も違わないって。でも、みんなそれを口だけの綺麗事だと思っているんですよね。「そうだよね」と言いつつも、どこか納得していない。それはなぜかと言うと、そのことが正しいと思えないよう刷り込みをされてきているからだと思うんです。そのせいで、みんなが平等だということを心の底から信じられない。それが広く共有されている価値観だと思います。

自分もそういうところがあったんですけれど、それはダサいし、よくないと思った。だから、自分にとって価値があると刷り込まれてしまっている社会的な地位とか経済力とかを手放すことによって、その評価基準のゲームから降りようと思った。そうしてみたら、そういう基準で優れているというのも、単にスマブラが上手いとか、それと同じだけのことにすぎないと思えるようになった。「僕はマリオカートが上手いけど、彼はお金が稼ぐのが上手い」みたいに並列化できる。だから、僕は「みんな平等だ」というのを単なる綺麗事じゃなく、本当に正しいと思っているんです。そうやって自分の中に刷り込まれたものを心底関係ないと思うことって意外と難しくて。その練習でもあったと思います。

—— それを経て価値観が変わったという実感はありましたか?

たなか:そうですね。ぼくりりをやってた当時と比べると、それは全然違うと思います。

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