CULTURE | 2021/11/29

支持者ですら盛り上がらず?立憲代表選後に考えうる「2つのシナリオ」

【連載】あたらしい意識高い系をはじめよう(25)

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立憲民主党公式サイトより

(公開が投開票直前になってしまったので、結果が出た後にこの記事を読まれている方も多いかと思いますが、それでも意味がある記事になっていると思うので、よければ最後までお読みになって「リベラル的感性を持つ人間」の価値観を日本で今よりも共有しやすくするにはどうすればいいか?について一緒に考えてみていただければと思います)

日本における最大野党である立憲民主党の代表選挙の投開票が11月30日に迫っているはずが、なんだかあまり盛り上がっていない感じがしますね。

結構フォローしているはずのリベラル派SNSアカウントさんたちからもあまり熱量を感じないというか、自民党総裁選の時に支持者も非支持者も毎日大騒ぎをしていたのと比べると、ちょっと寂しすぎるように思います。

というわけで、「自民党を攻撃するハッシュタグまつり」ばかりやってないで、自分たちの代表をもうちょっと応援してやってもいいんじゃないですか?という義憤を感じて、ここ数日いろいろな候補者討論会を観たりいろんな関連記事を読んだりしました。

私は立憲の支持者とはとても言えないタイプの人間ですが、そういう人間が数日かけて代表選をウォッチするとこう見える…という話から、立憲の今後、そして日本におけるリベラル派の今後のあり方について考える記事を書きます。

倉本圭造

経営コンサルタント・経済思想家

1978年神戸市生まれ。兵庫県立神戸高校、京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感、その探求を単身スタートさせる。まずは「今を生きる日本人の全体像」を過不足なく体験として知るため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、時にはカルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働くフィールドワークを実行後、船井総研を経て独立。企業単位のコンサルティングプロジェクトのかたわら、「個人の人生戦略コンサルティング」の中で、当初は誰もに不可能と言われたエコ系技術新事業創成や、ニートの社会再参加、元小学校教員がはじめた塾がキャンセル待ちが続出する大盛況となるなど、幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。アマゾンKDPより「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」、星海社新書より『21世紀の薩長同盟を結べ』、晶文社より『日本がアメリカに勝つ方法』発売中。

1:候補者四名のキャラクターはざっくりこんな感じ

「立憲の代表選挙討論会を時間をかけて観ました」とか言うと、保守派の人から

立憲の議員なんて過激派政治活動家みたいなヤツしかいないんじゃないか

とか言われるんですが、実際にある程度長い時間話しているのを直に見ると色々なタイプの人がいます。

私は経営コンサルタント業のかたわら「文通」を通じていろんな個人の人生を考える仕事もしていて(ご興味があればこちら)、そのクライアントには以前野党の国会議員さんもいたんですけど、ものすごく現実的な政策の細部に詳しい知見のある人で、

「こんな野党議員もいるんだなあ!」

と非常に驚きを持ったことを覚えています。

「旧民主党政権の失敗」のイメージを引きずっていることが根本的に苦戦の原因だと思われる野党にとって、この「驚き」の部分をちゃんと伝えていくことが、本当に野党が「政権担当できる信頼感」を得ていくために一番大事なことだと私は考えています。

そして「世間一般の印象」に反して立憲民主党の中にもそういう議員も結構いるはずなんですよね(実際そのクライアントの議員氏は落選を機会に関係が切れましたが、紆余曲折を経て今回は立憲の議員として当選されているようです)。

だから“私個人”としては、「自民党的な保守っぽさが苦手なタイプの穏健派」の受け皿となる「中道実務派政治家の集まり的な最大野党」の側面がクローズアップされてほしいという期待があります。

自民批判でよくある「モリカケ桜」とかが放置されがちなのも、「だって自民以外で選択肢がないから仕方ないじゃん」的な事情がそもそも論としてあるんですよね。

いつでも「次の選択肢が現実的にスタンバイしてます」という状況なら、一発アウトで交代させればいいけど、それがないんだから「責任感」ゆえに色々と権力にしがみつくようなことを自民党がせざるを得なくなるし、またそれが国民的に「容認」されてもいるわけですよ。

そういう目線で、私個人が今後の立憲民主党に期待する姿に近いビジョンを語っていたのは泉健太氏でした。

泉氏公式サイトより

とにかく「自民党を攻撃してみせるイメージ」が先行しがちな状況を変えて、「立憲はこういう政策を打ち出している」印象が伝わるようにすべきだ…というような趣旨の発言を一貫してしていて、そのわかりやすさからか現時点では各種報道や調査でも一歩リードしている結果が出ているようです。

一方、逢坂誠二氏は、日本記者クラブにおける討論会において、

(逢坂氏の地元)北海道で立憲が強い理由は、「国会で法案を提出する活動なども重要だが、地元の現場的困りごとに対応する組織活動を重視していることが勝因だ。そして比例が伸びなかったのは党全体の魅力を打ち出しきれなかったことが要因にあると思う」

といった趣旨の発言をしています。

逢坂氏公式サイトより

そのあたりは前回の連載記事で書いた「関西人から見た維新が大阪で強い理由」についての記事に通じるものがあるように思いました。

小川淳也氏は、一部に熱烈なファンがいる独特の誠実さを感じさせる口調で、「自民党が放置しがちな構造的課題に果敢に取り組むことの重要性」を毎回語っており、そうすることで、

自民党の保守的なテイストが好きではなく何らかの「改革」を望むが、維新のネオリベ的なテイストも敬遠する層…「穏健保守」とか「中道リベラル」と呼ばれるような層にウィングを広げて浸透していくことが重要だ

…という持論を持っているようです。

小川氏公式サイトより

「立憲を今後どんなイメージに向かわせたいのか」という観点でピックアップしざっくりまとめると、以下のような考えなのではと感じました。ただし「この人だけが強く主張しており他候補は反対している」わけではなく、むしろ「他候補の意見に同意しすぎで違いがわかりづらい」と指摘されていることに留意していただければと思います。

・泉氏が述べているのは「党の全体的な見せ方」としてどこに力点を置いて見られたいかという点において、「批判ではなく提案型の党アピールへのシフト」という話

・逢坂氏が述べているのはそれを支える地方議員や首長も含めた「地元の現場的困りごと対応組織」の足腰強化が重要だという話

・小川氏が述べているのは実際の政策内容において「自民党がナアナアに放置しがちな問題をちゃんと取り上げて構造的な改革を行う」という指針が重要なのだという話

基本的にこの三氏がそれぞれ述べていることは相互矛盾しないので、誰が代表になっても全部やればいい話だと思いました。

今回の衆院選において、

「自民党は国粋主義っぽくて嫌なんだけど、かといって左すぎるのも嫌で、リベラル寄りだけど現実にちゃんと改革を行ってくれそうな政党がほしい」

というゾーンの受け皿として国民民主や維新が伸びた…というような分析はよく聞きますよね。

「実際にやれるか」は別としてとりあえず「可能性」の話をするならば、泉・逢坂・小川氏が述べるような方向性が、党内の埋もれている実務派若手議員を引き上げつつ具体化できるところまでいけば、小川氏の言うように

「自民党的なもの」は好きではなくて「改革」を望むが、維新的なネオリベ要素や急進的な左派色が強まりすぎることも好まないど真ん中のボリュームゾーン

を取ることが可能になるかも? しれません。

一方で、唯一の女性候補の西村智奈美氏は、他の三氏とは結構違った方向性を持っているようでした。

2:引き裂かれる立憲民主党

西村氏公式サイトより

西村氏と他の三氏との思惑の違いというのは、単に代表選で誰が選ばれるか、とは別の話として、立憲民主党関係者と支持者の中で考えるべき課題があるように思います。

「政治」っぽい用語で単純化して言うと、「党内左派急進派と中道派のバランスをどう取るか?」という課題ですね。

実際に討論会の中では、小川氏の「中道リベラル層や穏健保守層までウィングを広げていく」という主張とか、泉氏の「なんでも反対しかしない、対案のない野党と思われていることを直視する」といった主張に対して、西村氏が

「そういう主張は立憲民主党の理想を揺らがせて自民党のペースにハマってしまう原因になるのではないか」

という趣旨の厳しい意見を述べる場面が何度も見られました。

そしてこの西村氏の指摘は非妥協的すぎる過剰な理想主義かというとそうでもなく、今後の選挙戦でも意味のある指摘かもしれません。

なぜなら、遠目からなんとなくムニャムニャとわかりづらいことを言われている印象だけが残ると「それなら自民党でいいじゃん」と思われる可能性がある…というジレンマがあるからです。

結果として「もっとわかりやすいこと」を言ってくれる維新や国民民主や、あるいはれいわ、共産党に左右から食われてしまうかもしれない。

3:「コングロマリットディスカウント」を避ける分離案はありえるか

上記の点を踏まえつつ、この代表選がどうなるかは別として、今後より大きな「リベラル派の理想を日本において実現していくために取るべき方法」について2つのシナリオを考えてみます。

ひとつのシナリオとしては、

・逢坂氏・小川氏・泉氏といった穏健中道派グループ
・西村氏を代表とするリベラル純粋理想主義グループ

が、どこかで「分離する」未来はありえるかもしれません。

ドイツの緑の党のような「リベラル的理想主義のテーマ設定に特化した政党」ができて、そこで思う存分「エコ・ジェンダー・人権問題・差別問題」といったリベラル派の理想を最優先に実現すべきと考えている人が集まり、そういう課題を重視する人の票を純粋に受け皿として取っていくことが考えられます。

私は選挙のプロじゃないのでざっくりした事しか言えませんが、小選挙区は他のリベラル派野党と連携していくつか狙いすました選挙区だけで出し、比例では“わかりやすいテーマ設定”で日本にいる純粋理想派リベラル票を独占的に取るようにすれば、それなりに議席は取れるんじゃないでしょうか。

一方でそういう「リベラル派の理想主義を純化する政党」が分離した後の中道派グループは国民民主党などと連携し、あるいはテーマによっては維新やれいわなどとも協力しあいながら、「政権交代可能な最大野党グループ」として、この記事冒頭で書いたような

「野党議員にもこんなに政策の細部の現実感がわかってる人っているんだなあ!という驚き」

をちゃんと与えて中道リベラルや穏健保守層の信頼感を得ていくことができれば理想かもしれない。

今は、メディアに出ている時間の半分が「モリカケ桜」的な自民党の不祥事の追求で、残りの半分が「リベラル派の理想」を基準として「自民党がいかに時代遅れなのか」と批判する時間という感じで、「私たちにも政策はあるんです!」とだけ言ってるけど、内容について踏み込んで話す時間が全然ないんですよね。

残されたほんの数秒とかいうレベルで「私たちは教育を大事にします!」とか「原発ゼロでも気候変動対策はできるんです!」とかいうスローガンだけ聞いていてもちょっと信頼感を得にくいように思います。

岸田政権だって教育投資をもっとしていくとか気候変動対策をやるとかは言ってるんで、「自分たちならもっとうまくやれるということの説得性」をアピールする時間がもっとないと、なかなか信頼感は高まらないのではないでしょうか。

「エコ・ジェンダー・人権その他のテーマ設定で自民党を攻撃する役割」は別の党に切り出して、そちらでは持ち時間を100%使って思う存分やった上で、一方「中道派グループ」の方では「自分たちは自民党よりも“うまくやれる理由”がある」と、党内実務派議員をどんどん引き上げて具体的に語っていくことが必要かもしれない。

そういう動きは「純粋理想主義派」を仲間はずれにするヒドイ話に聞こえるかもしれませんが、いざ「リベラル寄りの空気を持った政権交代可能な最大野党」ができることは、分離した「リベラルテーマ特化型政党」の支持者にとっても悪いことではないはずですよね。

自民党政権なら提案しても決して受け入れられない内容が、その「リベラル派の空気を持った中道実務派政権」が実現しているならば話が通じる…ということは十分ありえるでしょう。

企業経営で「コングロマリットディスカウント」という言葉があります。これは同じ企業グループ内で違う分野の会社が一体になっていると、相互調整に時間とエネルギーが取られて各企業ごとの最適な行動が取りづらく、株式市場からもわかりにくいので、それぞれの企業単体で存在するより評価が低くなりがちであるという状態を指します。

立憲民主党の中に「穏健中道政党のボリュームゾーンを目指すグループ」と、「純粋志向のリベラルの課題を重視するグループ」が混在していることは、ある意味でこういうコングロマリットディスカウント的な問題があるかもしれない。

「あえて分離」することで、「それぞれの機能」を徹底的に追求しつつ、選挙においては適宜連携もすればいい…というのは「一つのアイデア」ではあると思います。

そして、「自民党は嫌で改革を望むが維新のオラオラ感は苦手」という層はかなりいると思われるので、国民民主とも協力して「そこに大きな野党勢力」ができることは、

・政権交代可能なサイズの野党ができて自民党にも刺激となる

・野党内でも維新的な方向性とは違うタイプの選択肢となってお互い切磋琢磨できる

・純粋志向に分離したリベラル派にとっても強力な連携先ができることは、無党派から「自民党しか選択肢がない」としか見られていない状況よりはかなりマシになる

というかたちで日本人全体にとって良い意味を持つのではないかと思います。

だからもし本気で分離するなら、単に相互憎悪からの泥試合になって余計に世間の印象が悪化するかたちではなく、「コングロマリットディスカウントを解消してそれぞれの役割を徹底的に追求しつつ連携する戦略なのだ」というようなスマートな別れ方ができればいいですね。

4:2つ目のシナリオは「自民党モデルの反転形」

とはいえ「完全に分離」するのは共倒れの可能性もありハイリスクハイリターンなので、そこまで行けないとしたら、自民党が党内最右翼との付かず離れずの付き合いをしている戦略が参考になるかもしれません。

自民党支持者の中にはネットで「中国や韓国は大崩壊する!」「勝ったのはトランプ!」みたいなことを言っている層もいますが、そこの岩盤的支持をうまく取り込んで基礎固めをしつつ、執行部レベルにいる人はそこと絶妙に「つかずはなれず」の距離感を保ち、実行される政策は案外中道的に「そこそこ」うまくやれている側面はある。

自民党を批判する人が「彼らはこんなことまで言ってるんですよ!信じられないですよね!?」みたいなネタにする話というのは、大抵「自民党支持者の最右翼層へのリップサービス」であって、だからこそ「保守層にとってどうしても譲れない部分」で強固に保守的であるように振る舞う一方、現実レベルには結構柔軟にリベラルっぽい動きもしたりする。

そうやって、「コアな支持層で基礎固め」をしつつ、「個別政策レベルではリベラル寄りの無党派層にウィングを広げる」ことで票の積み上げをするような戦略になっているんですね。

立憲民主党も「日本のコロナ対策でやったことと言えばアベノマスク配布ぐらい!」「自民党はお友達しか助ける気がないから国民は見殺しにされている!」みたいな事実とかなり違った世界観で頭がいっぱいになっている層の声も曖昧に吸収しつつ、現実感のある中道派の実務家集団のイメージをうまく売り込んでいく「自民党の戦略の逆」ができれば、「リベラル派の意見」を日本政治に取り入れるメカニズムとして使える情勢が作っていけるかもしれないですね。

5:立憲に期待したい「難しさを認めて粘り強く解決策を考える」姿勢

最後に、立憲民主党がその2つのシナリオのどちらを目指すにしろ、今回の代表選を見ていてちょっと真剣に考えてみたくなったテーマについて書きます。

立憲民主党の代表選をここ数日追ってみて思ったのは、なまじ「与党経験」もあって現実の複雑さを理解しているからこそ、「端的なわかりやすさ」を求めてアピール合戦をするようなタイプではない人が多く、そういう競争をすると維新にもれいわや共産にも、そして自民にも遅れを取りがちだということです。

むしろ立憲の人たちには、与党経験と野党経験を両方持つ政党として、「そこにある難しさ」と自分たちはちゃんと向き合って、かつ自分たちの足りなさを直視して、その問題が解けるよう具体的な努力を毎日積み重ねる覚悟のある集団なのだという方向性を大事にしてほしいと思いました。

自分たちは他の野党みたいに、「こんなの、こうすれば簡単にできるのに自民がやってないのはあいつらがクズだからだ」みたいな威勢の良いことは言わない。自分が明日やれと言われたら難しいことはわかっている。

しかし、この順番でこうやって工夫していけば可能なんじゃないかと真剣に「自分がやるとしたら」をイメージしながら考える力があるのだ。そうやって自民党が臭いものにはフタをして放置しがちな課題もちゃんと粘り強く解決する力があるのだ。

そういう態度は即物的には「わかりづらい」かもしれませんし、本当にその路線でアピールするには単なる見た目だけのコケオドシではない「本当の努力の積み重ね」が必要でしょうが、成功すれば今の日本の政治状況ではレアな、そして日本国民の大きなニーズに合った政党ができあがるはずです。

野党の中では一応議席が圧倒的に多い存在の立憲には、他の小さな野党群と「同じ土俵」でワアワア言いあうよりも、「自分たちらしさ」を誠実に実行してくれる信頼感のようなものを得ていく道があるのではないでしょうか。

私が代表選挙を見ていて立憲民主党に期待したいと思ったのはそういう部分です。

これは立憲関係者だけの話ではなく、日本におけるリベラル派全体の課題なんですが、日本を批判し改善を提案する側が「現状を全否定して大騒ぎをする」のではなく、もう少し「現実の難しさ」に配慮しながら協調的にリードできるようになってほしい、というのは、自分自身も一応はリベラル寄りの感性を持っている人間として今後の課題だと思っています。

というのも、コロナ禍においても典型的にそうだったんですが、日本政府の現状の対策がそれなりに動いている中で、現状のどこがおかしくて、そうなってしまっている理由は何で、どこから順番に変えていけば良いのか…みたいな具体的な細部の話が全然なくて、

欧米は(韓国は台湾は)こんなにすごいけど日本はアベノマスク配布しかしてない!

みたいな全然事実と違う妄想で盛り上がっている人が多すぎて、余計にリベラル派の意見を無視せざるを得なくなってるんですよね。

現状70点取ってる必死の色々な対策が動いている中で、全部ちゃぶ台返して

これとそれとアレが全部うまくいったらこんなに完璧なことができるのに、自民党がやらないのはお友達以外にカネを回したくないからだ

みたいなことばっかり内輪で言うハッシュタグまつりに野党議員や有名なジャーナリストまで相乗りして騒いでいたら、「私達にも政策はあります!」とか言われてもちょっと信頼できない感じになりますよね。

「エコ・ジェンダーその他」のリベラル派の理想主義にしても、人類社会の1割ぐらいの上澄みでしかない欧米社会の、さらにその上澄みだけで強引に普及させた結果、欧米社会内でも分断が問題になっているビジョンを金科玉条のように持ってきて、「これを丸呑みにしないとお前は時代遅れの未開の野蛮人だ」みたいな脅迫をしまくる態度自体が、「欧米」が人類全体に占める存在感のシェアがどんどん減っていく21世紀には既に相当時代遅れ感があるんですよ。

最近A.R.ホックシールドというアメリカのフェミニスト系女性社会学者が書いた『壁の向こうの住人たち』という本を読んだんですが、これはよく言われてる「分断を超える対話が必要だ」を大マジにやろうとして、カリフォルニア(しかも左派で有名なバークレー)の学者さんが南部に何度も通って共和党(ティーパーティ)支持者と実際に友達になり、彼・彼女らの思いや憤りを精緻に言語化する…という内容で、「後のトランプ支持者の心情を理解するうえで重要な一冊だ」と評価されており非常に面白い本でした。

こういう「対話」を本気でやっちゃう人がたまに欧米の進歩主義者にはいて、そこはとても尊敬できるんですが、ただホックシールド氏が偉いなあと感銘を受けるからこそ、「ここまで相互憎悪が募ってしまったらこの先本当にどうしようもないんじゃないか」と暗澹たる気持ちになる本でもありました。

結果として、「ついてこないタイプの人たち」を声高に断罪しまくっていたら、アメリカ国内で数千万のトランプ派が「リベラルの理想の全部逆をやってやる!」と息巻くようになっていますし、中国や、さらにはアフガンみたいな欧米的理想を真っ向から全拒否にする例もどんどん出てくると、「実際にそのリベラル派の理想の下で生きられる人の数」はさらに減っていくことになるわけですよね。

中国やアフガンのように「欧米的理想を全拒否にするムーブメント」に席巻されないようにするためにこそ、「リベラル派の理想」を提示していくにあたって、それぞれのローカル社会の伝統や人々の気質にちゃんと配慮して溶け合わせていく作業が今後もっと必要になってくることは明らかです。

私のクライアントの中小企業でも、たとえば女性活躍を本当に進めようと思ったら、ほんと「社員食堂のメニューに女性向けのものを用意する」とかいうレベルでの細かい施策の積み上げが大量に必要ですし、そういう具体的な積み上げをやる上で最も重要なのは、「男性社員側の不公平感」が出てこないような配慮を相当に丁寧にやることなんですよね。

それは今のリベラル派のような「糾弾と断罪」のメンタリティとは全く違うタイプの作業が無数に必要だということです。

「アメリカじゃそんなことしなくて全部古い社会が悪いってことにできてるのに!」と思うかもしれませんが、そういうやり方の結果として国全体が真っ二つに割れて議会議事堂が武力占拠される事態にまでなっているのに、同じことを日本でやれないのは日本人が閉鎖的で人権意識のないクズどもの集まりだからだ…とか言われてもちょっと困りますよ。

エコ系の課題だって、欧米(特にヨーロッパ)が声高な理想の影に自分たちのビジネス的野心を潜ませつつゴリ押しして、ついてこない人を侮辱するようなことを言いまくっているので、余計に進展しなくなる情勢になりつつあるのではないでしょうか。

「先鋭的な理想への反応が鈍いとされる人こそが持っていたりする、現実への目配り力」をいかにうまく取り込めるかが、さらにエコ系への対策を「人類の一割でしかない特権階級の欧米社会」の外側にある「人類社会全体レベル」にまで普及させるためには重要な次の課題となるでしょう。

日本におけるリベラル派が、その心中にある「欧米文明中心主義な全体主義的性向」を反省し、「欧米」のシェアが下がり続ける21世紀の人類社会にフィットした「欧米とその他の文明をキチンと“対等に”扱って溶け合わせる努力」をするようになれば、ローカル社会の側が自分たちの美点を崩壊させないために頑なに欧米文明を拒否するような悲劇を避けることができるはず。

そうすれば自民支持者による過剰に右寄りなバックラッシュの「真因」の方を解決して日本社会を前に進めることも可能になるでしょう。

そういう問題意識に真剣に向き合うことが、米中冷戦時代に、東洋と西洋のハザマで長年生き抜いてきた私たち日本人の使命ではないでしょうか。

今回記事は以上です。

この記事の「日本社会に変化を迫る側があと一歩深く現実の複雑さと向き合う」というテーマと関連して、最近世界的にヒットしている韓国ドラマ『イカゲーム』と、その元ネタ的存在である日本のデスゲームドラマ(『カイジ』や『今際の国のアリス』)との比較から、両国の世界観の違いや、今後の日本コンテンツが取るべき戦略について考察したnote記事があるので、そちらもお読みいただければと思います。

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