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経済と人命、道徳とタブーの狭間。自己肯定感の低い日本人は激動する社会に「自分なりの答え」を見出せるか。写真家・小田駿一の挑戦
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  • 2021.11.17
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経済と人命、道徳とタブーの狭間。自己肯定感の低い日本人は激動する社会に「自分なりの答え」を見出せるか。写真家・小田駿一の挑戦

Night Order #26 / 渋谷のんべい横丁

昨年から続くコロナ禍で次々に作品を発表し続けてきた写真家がいる。写真家の小田駿一だ。ファインダー越しにコロナ禍の日本社会はどうか映ったのだろうか。

小田は、昨春の初の緊急事態宣言下、東京の夜の街を記録した写真集『Night Order』の製作と苦境に立たされた飲食店への支援を目的にクラウドファンディングを行ったのを皮切りに、今年1月にはタブーを切り口にした作品を展示し、収益の半分を開催地、日本橋の飲食店へ還元したアートフェア『Gallery of Taboo』を主宰。現在は古都、京都で初の個展『OLIVION』を開催している。小田は普段、『Forbes JAPAN』をはじめとするビジネスメディアのほか、『WWD JAPAN』『GOETHE』『Number』などの雑誌、広告で主に人物写真を撮影している注目のフォトグラファーという顔を持っている。

いわゆる商業写真を中心に活動する小田は、御三家中学から名門大学、大企業を経てフォトグラファーになった変わり種だ。その彼はなぜアートワークを始めようと思ったのか? コロナ禍でさらに分断が深まったとされる日本社会に小田は何を思ったのだろうか? 約2時間におよぶロングインタビューに答えてくれた。

聞き手:本多カツヒロ・神保勇揮 文・構成:本多カツヒロ

小田駿一

1990年生まれ。2012年に渡英し独学で写真を学ぶ。2017年に独立。2019年からSymphonic所属。人物を中心に、雑誌・広告と幅広く撮影。アートワークとしては2020年に写真集『NightOrder』を発表。2021年には『Gallery of Taboo』を主宰し、「OTONA性-百面相化する自己意識の果てに」を発表。社会との繋がりのなかから着想を得て、人の心と行動を動かす「Socio-Photography」を志向する。
https://www.shunichi-oda.com/

「大企業社員として出世できる期待値」だけで生きていけるか?を何年も問い直し写真家の道に

―― 小田さんは御三家の一つである麻布学園から早稲田大学、そして大企業の会社員を経て、独学で写真を学びプロとして活躍されています。変わった経歴の持ち主だと思うのですが、どんな経緯で写真家になったのでしょうか?

小田:自由な校風で有名な麻布に合格し、奇才や天才などいろんな才能の持ち主と出会えるんだろうと期待して入学しました。でも、そこで目にしたのはほんとんどの生徒の行動原理が期待値だったことです。つまり確率と自分にとって得をすることが起こる大きさをはじき出して「有名大学に進み、大企業への就職やその時々で良いとされる仕事に就く」という人生を選択する人が多かった。これだけ自由だと言われている学校の生徒でもやはりそうなのかとある意味で落胆したんです。それは自分自身も例外ではなく、なんの才能もなかったし、期待値で生きていた。なんとなく予見可能な他愛のない将来が見えていた。

そういう将来に対して、不満というか半ば諦めの気持ちを中学生くらいから会社員になっても持ち続けていました。だからこそ、真逆にあると感じていたクリエイティブな世界への憧れがあったんです。それで大学生になってからはファッションやカルチャーのフリーペーパーを製作する中で偶然カメラを手に取り、大学3年の時にはロンドンへ留学もしました。

ーー ロンドンではどんなことをされていたんですか?

小田:当時、日本のウェブメディア向けの特派員のような仕事をしていた人のツテを辿り、ロンドンファッションウィークの撮影のお手伝いをする機会があったんです。向こうは若手クリエイターが作品を製作する環境が整っていて、かつメジャーファッション誌だけでなくインディペンデントマガジンの層も厚く、コンビニのような店舗でさえ大量に並んでいます。インディでも名の通った雑誌に写真を掲載できると、それ単体ではギャラがもらえないことがあっても、以降ラグジュアリーブランドのアイテムでも簡単に借りられるようになり、フォトグラファーとしてのステップアップが図れるようになっているんです。

ですが日本に帰国して現実を見た時、写真で食べていく自信がなかった。日和ったんです。やはり私は期待値を考え、予測可能な安穏とした人生を生きる方が向いているのではないかと思い、就職活動を始め、ある企業にお世話になりました。会社の先輩たちはとても優秀な方々が多く、いろんなことを学びました。ただ、組織の論理の中で何十年間もかけて出世していくことを待てるほど忍耐強くも賢くもない。よくある話ですが、大企業病になりそうになったんですよね。一瞬で。頭の中では、せっかく会社にお世話になったんだから、会社にとって良いことをしよう。例え、自分のキャリアが犠牲になるとしても。と思いながらも、心が自己保身に向いてしまう。そんな自分自身の弱さを感じた時に、弱い自分に飲み込まれて、かっこ悪くなっていく姿しか想像できなかった。自分が自分自身を誇るためには、生き方を変えないといけないと思いました。

そこで改めて自分が心から好きだと思えることをやろうと考え、フォトグラファーのキャリアをスタートすることを決意しました。写真家の世界ならば、良い作品を撮れば次も仕事がある。そうでなければ仕事は来なくなる。自分自身と周りにとっての「いい仕事」の概念がなんの矛盾もなく、整合する。そういうシンプルさや明快さがすごく澄んで見えたんです。

とはいえ、フォトグラファーという経済的には不確実な生き方を選択したとき、周囲の方から心配もされました。ただ、私の中ではそういう経済的な不確実性よりも、自分を騙しながら、自分を肯定できない状態で、なんとなく多くの人がいう正しそうな道に進むことの方がもっと辛いんじゃないかと思ったんです。どんなに期待値をベースに考え、生きたって、多くの人はどこかで負けたり、頭打ちになったりする。期待値だけでは推し量れない選択にこそ真実やその人らしさが宿ると思いますし、たとえどこかで負けてしまったとしても好きだからやっているのであれば不幸にならない道が歩めるかもしれないと考えました。

2017年にフォトグラファーとして日本で独立しました。最初こそ大変でしたが、その後はありがたいことに毎日のように仕事があった。その中で作品のクオリティを上げていこうと努力はしていました。そうして過ごしてきた中、2020年4月の緊急事態宣言で突然一月半ほど全く仕事がない時間ができた。久々に仕事や自分自身を省みることができたんです。その時に感じたのが、いつの間にか写真が「仕事」になっていたんじゃないか? どこか「仕事」という見えない制約の枠に甘えているのじゃないか。怠慢なんじゃないかということです。

自分は写真を始めたばかりの頃に持っていたクリエイティブスピリットを失い始めているのではないか。若い時の、何もなかった頃のように自発的に何かにチャレンジがしたい。そこで自身の個人作品『Night Order』の制作を始めようと動き出しました。

次ページ:歴史的事象を記録し、社会と人の心を動かす写真をいかに撮るか

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