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実質的に次の「首相」を決める争いである自民党総裁選において、4候補のうち河野氏・野田氏は賛成であり、岸田氏も「検討する」、反対派の高市氏も旧姓の通称使用において不都合がないような法律改正を徹底してやる…と表明している中、いよいよ日本社会は、“少なくとも実質レベルにおいては”すでに「選択的夫婦別姓容認」の方向に舵を切ろうとしているように見えます。
とはいえ、高市氏および保守派が目指す「戸籍上は夫婦同姓だが通称使用を徹底的に認める」案と、「戸籍上も完全に夫婦別姓となる」案との間の違いは、この課題を重視する人からするとまだ大きく、岸田氏が総裁になった場合も含めて情勢は流動的です。
この課題について、いずれまとまった記事を書くと宣言しておいたんですが、そうすると、保守派・改革派含めていろいろな方から、この記事を読め、この動画を見ろ…と私のツイッターに提案(いろいろと取り上げるテーマのご提案&フォローお待ちしています)していただく例があって、ここ最近多くの記事や動画を観ました。
それらを見ていて痛感したことは、いろんなメディアでこの話が「議論」されているんですが、
「保守派の言っていることが改革派からすると意味不明すぎる」
…ということに尽きます。全然コミュニケーションが成立していない。
たとえば離婚その他で親と名字が違う家庭で育った人など普通にいる時代に、
とか言われて、今まさに結婚にあたって改姓しようか悩んでいる当事者の人が納得できるわけがないですよね。
「え?じゃあウチには一体感がないってことなの?」ということになる。
万事この調子で全然コミュニケーションが成立しないので、この話題について話せば話すほど相互憎悪が募って仕方がない。
「別姓賛成or容認派」の人から見れば、今の日本政府や自民党政治家の対応が、全く意味不明なことにこだわって無理やり古い制度を押し付けている…ように見えるのはよくわかる。
しかし、私は外資系コンサルティング会社でキャリアを始めたあと、こんなことばかりやっていると世界が「都会のインテリ階層とソレ以外」に徹底的に分断されていってしまう(結果としてアメリカはトランプ派とそれ以外で完全に分裂してしまっていますよね)…という問題意識からいろんな日本社会の「現場レベル」に潜入して働いてきた人間なんですが、そういう立場からすると、
「都会の恵まれたインテリ階層」からはなかなか想像もできない「切実な事情」が、この「保守派が心底こだわっている点」の背後には隠れていて、それを死守するための警戒感ゆえに過剰に議論をシャットアウトしてしまいがちな事情がある
と感じているんですよね。
そこで、まずは「保守派側の懸念」を「改革派側も理解できる言葉」に翻訳した上で、その上で相互に尊重しあえる点を模索していくことが必要なのだ…という話をしたいと思っています。
その視点から、この問題を解決するために必要な「社会に変革を求める側のアップデート」とは何なのか?という話をします。
倉本圭造
経営コンサルタント・経済思想家
1978年神戸市生まれ。兵庫県立神戸高校、京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感、その探求を単身スタートさせる。まずは「今を生きる日本人の全体像」を過不足なく体験として知るため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、時にはカルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働くフィールドワークを実行後、船井総研を経て独立。企業単位のコンサルティングプロジェクトのかたわら、「個人の人生戦略コンサルティング」の中で、当初は誰もに不可能と言われたエコ系技術新事業創成や、ニートの社会再参加、元小学校教員がはじめた塾がキャンセル待ちが続出する大盛況となるなど、幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。アマゾンKDPより「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」、星海社新書より『21世紀の薩長同盟を結べ』、晶文社より『日本がアメリカに勝つ方法』発売中。
1:夫婦別姓の背後にある「戸籍制度」に対する保守派の思いの集積
今回ツイッターに寄せられたいろいろな「この記事を読め、この動画を観ろ」の中で一番「保守派側の懸念がどういうところにあるのか」がわかりやすかったのは、NewsPicksというメディアにおける自民党の片山さつき氏と、元AERA・Business Insider Japan編集長の浜田敬子氏の対談でした。
これ、YouTubeにも無料部分として冒頭20分が公開されているんですが、そこの部分はなんだかべらんめえ調で高圧的な片山氏が物凄く時代錯誤なことを言っている…みたいな印象がコメント欄にも並んでいたんですよね。
でも最後まで聞くと、特に戸籍制度の維持の重要性…みたいな部分の話は、非常に「なるほど」と思いました。
「戸籍」という仕組みをちゃんと維持している国はもう珍しいらしく、結果として、自分の「ルーツ」的なものを調べられるのは有名人だけ…みたいになっている国が多いらしい。
しかし日本人なら「戸籍」制度がしっかりしているので、どんな庶民でもちゃんと自分のルーツを辿ることができる。保守派はそういう「連綿と受け継がれているもの」的な要素を重視したいのだ…という話でした。
折しも私の父親が、定年退職後の趣味と実益を兼ねて、最近あっちこっちの役所から戸籍謄本を取り寄せて家系図を作っていましたが、私の家のような「どうということのない庶民の家」でも、確実に和歌山県の高野山近辺の山村で暮らしていた先祖の人々のリストにたどり着けるというのは、たしかにものすごいことだと思いました。
では、「夫婦別姓と、この「戸籍制度」の維持は両立できないのか?」と聞かれると、これは可能なはずなんですよね。番組内ではそこの現実的な折衷案のようなものも片山氏が話していました(余談ですが片山氏がこんなにいろんな制度や法律の仕組みに詳しく細部の議論がきっちりできる人であることを初めて知って驚く気持ちにもなりました)。
ただ、この「保守派が一番大事にしたいコア」の部分までなし崩しに壊されるのではないか?という警戒心があるから、はるか手前の「選択的夫婦別姓」的な話ごとハネツケられる結果になっているんですね。
番組中の片山氏の発言をそのまま抜き書きしますが、
この動画全体で見ると、後半はかなり改革派の人にも納得感があって、対談相手の浜田氏(冒頭で「別姓制度が無いので事実婚を選んでいる」と公表している)も
と言っていました。無料登録期間もあるそうなので、ご興味ある方はNewsPicks版の方をどうぞ。
2:「相手側の懸念を自分たちのやり方で」解決する「メタ正義」的社会変革について
これは最近あちこちで書いていることなんですが、経営コンサルタントの私のクライアントの企業で、ここ10年で平均給与を150万円ほど引き上げることができた事例があります。その「改革」の成功要因の一番大事なコアは、「保守派に敬意を払う」ってことなんですよ。
事業というのは常に「利益=売上ーコスト」であり、「売上=単価✕顧客数」であるという方程式から逃れられないので、150万円も平均給与をあげようと思ったら単にもっと頑張れというだけじゃない、明確なビジネスモデルの転換が必要です。
でもそういうのは、「古い世代の社員」から反対されがちですよね。でもその「反対」には究極的には一応理由があるわけです。
何らかの「効率化」が、下の世代への社員教育的なものが疎かになったり、顧客への対応がおざなりになったりする可能性を常に孕んでいる。
過去30年間の「平成時代」の日本でよくあった事例は、そこで「抵抗勢力をぶっつぶせ!」的に押し込んで行くことで、その組織が、ひいては社会全体が2つに分断され、いずれほんのちょっとしたことでも二派に分かれて紛糾し、何もできない状態になっていくことです。
「抵抗勢力」を完全に排除できた少数部分はそれなりに成功しますが、それが「押しのけた残り」の怨念は社会の中に滞留し、いずれ強烈なバックラッシュを巻き起こしてしまいます。
そのクライアントの会社では「守旧派」的な役員をすぐには辞めさせず、ちゃんと遇して適材適所で使っていき、「社員教育や顧客対応の丁寧さ」を失わないような目配りをしながら、しかし「昔は通用したパワハラ的な態度は許容できない」という一点については譲らない態度を貫いたことで、徐々に「方針転換」が進み、最終的に完全に「方向転換」が終わって以降急激に業績を伸ばすことができました。
要するに「改革」を「平成時代よりもあと一歩丁寧に」やることが重要な時代になっているのだと私は考えています。
これは私の著書で使った図ですが、「敵」がいる時に「それが社会で少なからず支持され必要とされている理由」にまで遡って解決する、つまり「各勢力が掲げる正義同士の落とし所を模索する(これを私は「メタ正義」と呼んでいます)」ようにすれば、延々と怨念がくすぶっていつ反撃されるかわからない不安定さを抱えずに済むようになります。
3:なんでそんな面倒なことを!と思うかもしれないが…
こういう話をすると、「なんでそんな面倒なことを!」と嫌がる人も多いです。
「欧米じゃあ当たり前の事がなぜ日本でできないのか!?」と憤る気持ちもわかる。
しかしね、「欧米じゃ当たり前」って言うけど、アメリカではその「意識高い系の改革」を無理やり推し進めた結果、それに大反発する勢力で国が二分されてしまって、国会議事堂が占拠されるほどの事態になっていますよね?
そういう人たちのことを全部「馬鹿だよねえ」で済ませてたら、結局最後は「民主主義なんてもうやめちゃえばいい。エリートが全部決める社会にすればいい」っていう方向に行くのを止められなくなるわけですよ。
もっとマクロな視点で、タリバン政権の復権や、それよりはだいぶマシですけど中国政府の強権的姿勢を見れば、
「欧米的理想を大上段に構えて糾弾しまくる」方式だけでは、人類社会の1割の特権階級にすぎない欧米社会の「外側」にまでちゃんとその理想を普及させていけない情勢
に今後どんどんなっていくのは明らかです。
先日の私の「バイデン大統領の演説を関西弁で訳してみる」というご好評いただいた企画↓を読んでもわかるように、「アフガン女性の人権のために米軍兵士を犠牲にしたりはしない」と大統領が堂々と宣言してしまったりする情勢の中では、世界の人権尊重のムーブメントのうち「アメリカ軍の銃口の威圧力」で維持されていた部分は、今後どんどん退潮していくわけですよ。(下記ツイートから連続ツイートツリーになっていて読めます。ツイッターが見れない方はこちらのブログ形式でどうぞ)
「アメリカ軍の銃口の威圧力で維持されていたムーブメント」は、「より相互を尊重しあった対話」で置き換えないと吹き飛んでしまう時代になっていくんですね。
そのあたり、「人類一強のアメリカのやり方に人類社会全員が無理やり合わせる時代」だった過去30年の「平成時代の外部環境」とは大きく変わってきているわけですよ。
4:「アメリカという劇薬の副作用」までちゃんと考える
「戸籍制度」にしてもそうなんですが、日本の方が欧米よりもちゃんと「個(特に特別な才能とかがない普通の人)」を大切にしている制度は沢山あるんですね。
アメリカ的な制度になればなるほど、「都会のアクティブなインテリ階級」の「個」は無制限にエンパワーされるけれども、その「スポットライト」が当たっていない人への扱いは果てしなくザツになっていく。
「別になんということもない個人(金持ちでもないし特殊な才能もないし家柄も庶民)」でもちゃんと幕末生まれの人まで先祖を辿れる制度…というのは、「よっぽどそれを重視する精神」を共有していないと吹き飛んでしまうわけですよ。
そしてそういう「共有の精神の土台」があればこそ、アメリカなんかでは崩壊状態とされるような「僻地や貧困地域の基礎教育」みたいなものを「日本人ならこれぐらいはね」的にギリギリまで維持しようとする関係者の尋常ならざる努力を引き出すことができている。
アメリカでは貧乏人はマトモな医療が受けられない事例が多いが、日本ではそこのところを関係者の必死の過重労働でギリギリ持ちこたえている。
「みんなへの義理」をなんとか崩壊させずにいるから、ギリギリ保たれている日本社会の最低限の防波堤は沢山あるわけです。
それを尊重した上で崩壊させないように、アメリカンな個人主義者も問題なく活躍できる算段をしていきましょう…ならいいんですが、単に頭からそういう「日本的な紐帯」をすべて否定するような論調でぶちあたったら国論が二分されてどちらにも進めなくなるのは火を見るより明らかです。
私立医学部の男子優遇問題を解決したいなら、単に「男社会のゲスさ」を非難するのでなく、「それによって保たれている日本の医療のクオリティ」への敬意を持った上で、女性医師が増えても崩壊しない「仕組みづくり」について知恵を絞らないといけない。
「アメリカみたいに貧乏人はマトモな医療が受けられない社会」にならないように土俵際で踏ん張っている力こそが、その「性差別(に見えるもの)」の背後にあるものなので、単に「日本の男社会」を攻撃するだけだとどちらも譲れないので果てしない相互憎悪が募るだけです。
よく言われている急性期医療の集約化や、日本人が受け入れられる範囲での「コンビニ診療」の抑制など、制度全体を見たバランス調整がいくつも必要でしょうけど、それをちゃんとやるには、そもそもまず「差別があるのは日本の男がゲスいから」みたいな認識では「問題の核心」に迫っていけませんよね。
フェミニストに限らず多くの「改革を迫る側」があと一歩、その「日本の保守性の背後にある配慮」が支えているものへの敬意を持って「仕組みづくりで代替」できるようになれば、延々とSNSで男女問題で罵り合いを続ける必要がなくなるわけですね。
そういう「アメリカという劇薬の副作用を緩和しようとする日本社会の必死な試み」みたいなのを全部「時代遅れの差別主義」と切り捨てようとするから、保守派だって果てしなく過激化せざるを得なくなるわけですよ。
そういうのにこだわるのはいかにも「前時代的」に見えるし、彼らが「夫婦別姓になったら家族の絆が壊れる!」とか「個人レベルのこと」でしか反論できていないので余計にバカバカしく見えてしまう情勢ではある。
しかし、例えばアメリカが占領した結果「民主主義」がちゃんと根付いたのは日本ぐらいだ…とか言われますけど、イラクやアフガニスタンの混乱状況と日本との違いは、非常に高度な政治的判断によって天皇制が温存されていたことが大きいのは間違いないですよね。
「欧米的理想」と「現地社会の伝統」とを対等に尊重して落とし所を探ったからこそ、戦後の混乱を乗り切りつつ協力して再建を果たすことができた。
そういう「欧米的理想と現地社会の伝統とをちゃんと等価に見た敬意」の上での改革要求であるのなら、実質的に通称で生きている女性がこれだけ多いこの社会で、選択的夫婦別姓がここまでこじれることはなかったかもしれません。
「アフガン米軍撤退以降の世界」=「人類社会における欧米のシェアが果てしなく下がっていく米中冷戦の時代」
に合わせた、
「改革を“迫る側”の価値観のアップデート」こそがあと一歩必要
な時代なのだと私は考えています。
ある意味でこの「戸籍制度の普遍性」みたいなものにちゃんと敬意を払って尊重する姿勢さえあれば、その上で
「同性婚や夫婦別姓、外国人帰化など」も「同じ土台の上で尊重できる制度であるべき」
という議論なら乗ってこれる保守派の人も多いだろうと思います。
5:オードリー・タンの深い知恵に学ぼう
以前詳しく述べた記事があるのでそちらを読んでほしいのですが、台湾で同性婚が導入された時、台湾では最初改革派勢力が無理やり通そうとしたんですが否決されたため、オードリー・タン周辺が「保守派を警戒させない魔術的な提案」をしてスルリと通したことがあったんですね。
中国語の「婚姻」の「婚」はパーソナルなものであり、「姻」は一族同士が結びつくという意味がある
ので、だからこそ
「婚ではあるが姻ではない」という別立ての制度(結婚不結姻)
という「建前」を作った事で法案を通したそうです。
中華文明に属する台湾の「保守派」にとって「家」という制度は非常に重要なものであり、そこにノイズを入れたくない…という反発があった為に、そこを巧妙に回避するような魔術的な提案をしたんですね。
これは「保守派の世界観で彼ら保守派が一番警戒している部分を侵す存在ではない」ということを「保守派の世界観の上で理解できる言葉と用法」で「保守派の文脈に乗っかる形で」展開したところがメチャクチャ魔術的にすごい配慮だったと思うわけです。
そして同時に、上記記事には「改革派」の人からの批判が殺到したんですが、それを受けて追加で書いたこの記事で触れたように、その「改革派」の人たちはオードリー・タン周辺の「魔術的な知恵」のことについてほとんど意識してないように見えるところがさらに「魔術的」な知恵だと感心しました。
同じように、日本における保守派が警戒するのは「戸籍」でありそこと紐付けられた「天皇制」であり、そしてそれが生み出す
アメリカ的文化ではないがしろにされがちなタイプの人も“一員として”尊重する連帯感の源
のようなものである…ということを考えてそこを尊重していく姿勢を「改革派」が見せれば、選択的夫婦別姓や、その後は同性婚や外国人差別問題など…の課題も解決が見えてくるでしょう。
戸籍のようなものはちょっと「個人主義的な人」から見ると「めんどう」なものですが、しかしこういうのは網羅性があることでやっと意味を持つ制度であることは尊重されるべきだと思います。
この記事冒頭で紹介したNewsPicksの動画では「今後徹底的に通称使用が認められて不具合が解消されたなら、最後はもう戸籍にファミリーネームなんていらないんじゃないか…という気持ちになる」と浜田氏が述べたのに対して、片山氏が「実際の使用には全然問題がなくなっても最後の最後で書類上はソレを残しておきたいのが保守派の譲れない線なのだ」という話をされていました。
片山氏は夫婦別姓を使用したい人向けに、戸籍にも「通称」を書き込む法改正について検討しているそうで、浜田氏は「そこまで認めるなら別姓認めればいいのにって思っちゃいませんか?」と笑っていましたが、しかしそこで「笑っちゃうほどのこだわり」が理屈を超えたものとして存在すること、そしてそれが日本社会の「保守派」にとってはものすごく重要なことであり、「アメリカならどんどんザツな扱いになっていく」ような辺境的な領域までちゃんと「日本的なクオリティを行き渡らせる」ために重要な紐帯の源泉であることなどを、あと一歩尊重する気持ちがあってもいいのではないでしょうか。
そして、「改革派」の人はその保守派の「笑ってしまうほどの理屈を超えたこだわり」に対しては譲るからこそ、「現実的な運用における不具合」は徹底的に解消してもらうからな!という形で仁義を切らせる…そういう「手打ち」のあり方こそ、この幸薄い宗教論争を延々続けるて疲弊することがない解決のあり方ではないでしょうか。
総裁選候補の高市氏は総務大臣時代に1123件もの通称使用上の問題点について法改正を一気に行い、そしてもし首相になったらもっと徹底的にやるとも言っていました。この流れは、高市氏よりは選択的別姓制度に前向きな他の三氏の誰になっても似た動きが起こるでしょう。
改革派が問題視する「パスポートの通称併記は海外で理解されてないので身分証確認時にトラブルが頻発している」ことなどについても、もういっそ通称を「メイン」に表示して海外で誤解を生まないような表記にするとかいった徹底的な問題解決を、「保守派が戸籍にこだわる部分」を容認する代わりに引き出していくことができるはずです。
そして、「手続きの簡単さ」も大事ですよね。結婚関係でのいろいろな金融機関その他への届け出を、せっかく作ったマイナンバーを使ってネットで一括処理してくれるようにできればいいですね。
もちろんそれらが実現する過程で、改革派がギリギリまで「妥協しないぞ」と突き上げ続けることの意味だってあったでしょうし、今後も「ちゃんと徹底的に使いやすい制度」になるまで批判し続けることも大事ですが、しかし最終的な解決という意味では、「宗教レベルの論争」で延々と揉め続けるよりも、「保守派側の最終防衛ラインは認めてやるんだから、徹底的に使いやすい制度にしろよ!」という「手打ち」に持ち込む方が得策ではないでしょうか。
私としても、将来的にはともかくとりあえず直近で言えば、その片山氏の言うように
とりあえず「紙ペラ一枚のこと(それでも一応最後まで残っているもの)」
にしていくことが、アメリカ社会で起きているように、そしてマクロに見ればタリバンや中国政府の強権が問題になってしまうように、社会が果てしなく二派に分断されてちょっとした事でもバックラッシュが起きる危険性と隣合わせになる…ようなことがないようにするための、「人類社会における欧米のシェアが下がり続ける時代」の「これからの改革のあるべき姿」だと考えています。
そういう「どちらも尊重する日本のあり方」こそが、「欧米文明側の事情もわかるし、欧米文明にのしかかられている側の非欧米社会の気持ちもわかる」特殊な国として、これからの「人類社会」にとても重要な価値を持ち始めるでしょう。
「欧米文明の理想を振りかざす勢力」が、一度そのあり方は「欧米文明中心的な差別思考」を含んでいるのではないか?と毎回自省することで、「ローカル社会の保守派」を完全に「敵」に追いやってしまわずに、その土地土地の伝統と欧米的理想を“地続き”に溶け合わせる新しい社会運営を生み出し、果てしなく激化する米中冷戦の時代のど真ん中の希望となっていく未来を私は描いています。
感想やご意見などは、私のウェブサイトのメール投稿フォームからか、私のツイッターにどうぞ。
この連載の趣旨に興味を持たれた方は、コロナ以前に書いた本ではありますが、単なる極論同士の罵り合いに陥らず、「みんなで豊かになる」という大目標に向かって適切な社会運営・経済運営を行っていくにはどういうことを考える必要があるのか?という視点から書いた、「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」をお読みいただければと思います(Kindleアンリミテッド登録者は無料で読めます)。「経営コンサルタント」的な視点と、「思想家」的な大きな捉え返しを往復することで、無内容な「日本ダメ」VS「日本スゴイ」論的な罵り合いを超えるあたらしい視点を提示する本となっています。
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