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この夏必見!『未来のミライ』【連載】添野知生の新作映画を見て考えた(1)
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  • 2018.07.26
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この夏必見!『未来のミライ』【連載】添野知生の新作映画を見て考えた(1)

©2018 スタジオ地図

未来のミライ』はまちがいなくこの夏の話題作のひとつであり、今この瞬間にも多くの人が期待を胸に劇場を訪れていることだろう。

監督の細田守は、日本において、オリジナルの長篇アニメーション映画で勝負できる数少ない映画作家であり、この12年間、きっちり3年ごとに新作を世に問い続けてきた。オリジナルの、というのは、マンガや小説などの原作に依らない、既存のシリーズや映画の続篇でもない、という意味だが、実のところ、実写であれアニメーションであれ、オリジナル企画にこだわって映画を作り続けることは、世界的に見ても、どんどん難しくなっている。

添野知生(そえの・ちせ)

映画評論家

1962年東京生まれ。弘前大学人文学部卒。WOWOW映画部、SFオンライン(So-net)編集を経てフリー。SFマガジン(早川書房)、映画秘宝(洋泉社)で連載中。BS朝日「japanぐる~ヴ」に出演中。

「小さな物語」である『未来のミライ』 

原作ものも続篇もリメイクも、それぞれの見方、楽しみ方があって、映画にとって欠かせないものではあるのだが、そればかりではやはり先細りになる。予想外の驚きに不意打ちされるといったことが、どうしても少なくなる。だからこそ、常にオリジナル作品を待望しているし、面白かったら作者の勇気を讃えたい。そう考えているわけだが、さて『未来のミライ』はどうだろうか。

まず驚かされるのは、これが極めて小さな物語であること。『おおかみこどもの雨と雪』『バケモノの子』と2作続いた、堂々たる「大きな物語」の後だからこそ余計に、この不意打ちは効いている。『未来のミライ』の主人公は4歳男児のくんちゃんであり、幼児の行動範囲にふさわしく舞台はほぼ自宅から出ない。期間も冬から夏までの7カ月ほどに限定されている。

物語の見せ方にも意外性がある。見せ場の連続と緩急自在の演出によって、有無を言わせず観客を引っぱっていくという従来のスタイルではなく、短篇を集めたオムニバス形式に近い方法が採用されている。まず王子を名乗る謎の男、続いて未来から来た妹ミライちゃん、というように、5人の人物とくんちゃんが出会う5篇の物語を並べ、どちらかといえば淡々と、同じペース配分で映画は進行する。

そこにはもちろん仕掛けがあって、小さな場所に重層的に時間を積み上げ、そのなかを縦に移動させることで、ミニマルな設定を現代ファンタジーに転化している。個々の短篇は非常によくできていて完成度が高いが、それでも、大きな物語を通過してきた経験と自信がなければできない、大胆な狭小化を選んだといえる。

特徴的な家の設計と地形、時代が変わっても同一な視点

時間を積み上げるための重要なポイントは、家の設計と地形にある。

くんちゃんのおとうさんは若い建築家である。道路に向かって傾斜している長方形の土地で、まず奥に小さな家を建てる。やがて子供が生まれ家族が増えると、斜面の下に向かって延長するかたちで増築する。土地の起伏に合わせた這うような住宅で、威圧感はなく、コンクリ打ちっ放しの階段がスキップフロアをつないでいるのが特徴。道路に面した南側から上がっていくと、子供が遊ぶサンルーム、内庭、ダイニング・キッチン、リビング、そして最上部が浴室・寝室になっている。

開口部は大きくガラス張りで、窓枠は木枠。内庭にはもとからあった立木を残し、庭を囲んで家がある。見通しの良さは小さな子供のいる家では安心感につながるだろう。理に適ったおもしろい設計で、土地の条件に逆らわない穏やかな気風は、父親の人柄のあらわれでもある。義母がこの「へんな家」に不満をもっている描写も可笑しい。

くんちゃんは家の中を移動するたびに内庭を通る。天気のいい日はもちろん格好の遊び場でもある。ここにある木が時間移動の軸となり、いわば映画全体の軸の役割を果たしていく。

一方で、映画の冒頭には、奥に横浜港を望む磯子区の住宅地全体の鳥瞰ショットがあり、舞台となる家にゆっくり視点が寄っていくと、手描きのタッチで描かれてはいるが、これらの地形も建物もすべて3DCGでモデリングされていることがわかってくる。この大がかりな舞台装置は、このあと、同一のショット、同一の視点移動を、季節、時代を変えて、映画の中で繰り返すために必要な仕掛け。この繰り返しが作品全体の背骨になっている。

細田映画前2作との比較

『未来のミライ』は、大胆な思いきった形式で、穏当な好感のもてるメッセージを発信している。今作ることに意味のある映画で、しかも極めて完成度が高い。すっかり感心した私は、いい機会なので、前2作『おおかみこどもの雨と雪』『バケモノの子』を改めて観直してみた。

実のところ、細田守の作品で初めて、居心地の悪さを強烈に意識したのが『おおかみこどもの雨と雪』で、続く『バケモノの子』とともにうまく消化できないままになっていた。彼の作品には、観る者の中にある無意識、好悪の感情といったものを刺激するところが確かにあって、初見ではそれをうまく乗り越えられなかった。

結論からいえば、久しぶりに観たこの2本はどちらも、大きな物語を存分に語った、渾身の力作だった。またこの2本には、半人半獣の魅力的な描写に手塚治虫以来の伝統を感じさせる共通点があり、ふりかえってケモナー2部作と呼びたくなった。

『おおかみこどもの雨と雪』を観るのがきついのは、いつもの陽気さが影を潜め、スラップスティックなユーモアも封印され、ヒリヒリするような緊張感のなかで、死や別離が描かれるからだろう。『バケモノの子』では、主人公とバケモノの親子関係に具体的なエピソードが少なく、ともに過ごした9年の歳月を実感しづらいことが躓きの石になっていると感じた。この2本はともに、主人公の生きにくい個性、孤独、不器用さの点で際立っていて、そのことが作品の印象を暗くしているかもしれないが、それは欠点ではなく、美点に思えた。

この2本でうまくいかなかったこと、省みたことが『未来のミライ』に生かされていると感じられたのは発見だった。『おおかみこどもの雨と雪』を観ていていちばんつらかったのは、主人公が早々と夫を失い、ひとりで子育てをしなければいけない境遇に追い込まれることだった。この状況は『未来のミライ』で「おとうさんはくんちゃんのときは何もせず、仕事に逃げ、最悪の父親だった」と語られることに符合している。だからこそ、ミライちゃんが生まれたとき、今度はおかあさんが仕事に復帰し、おとうさんが家にいて家事・育児を担う設定が生きてくる。『おおかみこども~』のつらい記憶が、ここでようやく癒やされる。

また、『おおかみこどもの雨と雪』の、母親の物語が娘の語りで進行する形式は、『未来のミライ』の、家族の記憶の積み重ねが過去から未来への軸になるアイデアの祖型のように見える。

『バケモノの子』で最も魅力的だったのは、現代の東京・渋谷と異界の町がつながっていて、行き来ができるという設定だった。だがその描き方はいささか判りにくく、渋谷と異界の地形を緻密に重ね合わせる手法もあったはずと思わせた。それを実現したのが『未来のミライ』の3DCGで作られた都市図であり、それによって、異なる時代の町が重ね合わせの状態で存在し、その間を行き来することができるという現代ファンタジーを作ることができた。

また『バケモノの子』の美術設定にはすでに、高低差のある地形、段差のある家、木のある庭が描かれていて、非常に魅力的なのに、背景にとどまっていた。これを設定の中心にもってきて生かしたのが、『未来のミライ』の家ということになる。

細田作品に通底するモチーフ

こうして考えてみると、それぞれまったく違って見える細田監督の作品世界には、一貫した共通点、同じモチーフがあることがわかってくる。

日常と異界は隣り合って存在し、往還が可能であるということ。日常と異界は遠く離れて存在するのではなく、一度行ったら戻れないものでもない。デビュー作『劇場版デジモンアドベンチャー』におけるデジタルワールド、『サマーウォーズ』における仮想世界は言うまでもないし、『時をかける少女』では改変された世界がそれにあたる。『おおかみこどもの雨と雪』における異界は、主人公が大学の講義室で狼男に出遭った瞬間から始まっていると考えることができる。

また、『おおかみこどもの雨と雪』は姉と弟の物語。『未来のミライ』は(年齢は逆転しているが)兄と妹の物語。そしてこれもまた遙かにさかのぼって、『劇場版デジモンアドベンチャー』がやはり兄と妹の物語だったことを思い出させる。

長篇映画の監督に移行してからの細田守は、常に自分自身の人生から映画の着想を得てきたように思える。

『ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島』は、スタジオジブリでの挫折体験を色濃く反映し、ある登場人物は宮崎駿の戯画にしか見えない。『時をかける少女』では一応の原作があるとはいえ、ゆれうごく恋愛感情が主題になった。『サマーウォーズ』は結婚相手の実家を訪問した体験がもとになっている。『おおかみこどもの雨と雪』では一気に、出会い、性、死、子育て、子離れまでを射程に収めたが、『バケモノの子』で一歩戻って、子育ての難しさを父親の立場からテーマにした。子育てとは結局のところ子供を受け容れることであり、それによって親もまた育つという実感は、監督自身のものではないのか。そして『未来のミライ』は2人目の子供の誕生をきっかけに構想されたという。

日本を代表する長篇アニメーション映画の作家が、常に自分の体験からしか物語を構想しないのはいかがなものか、という批判は当然あるだろう。それに対しては、細田守監督の古い古いインタビューから抜粋を引用しておく。

「僕には日常とリンクしていないとできないところがあって(中略)、日常のなかで人がどう生きているか、どう思っているか、何を欲しいと思っているか、何が大事か、何が悲しいのかというようなことが、根本的にはやりたいことだと思っているんです」(2000年12月5日取材。『SFオンライン46号』より)

まだ長篇映画を監督する前から、確信犯的に自分のスタイルを選び取っていたことがわかる。どうかこのまま、自分の日常から異界を発想するやり方を続けてほしい。これから先どのような映画を作ってくれるのか、テーマや方法はどう変わっていくのか。想像しただけでも楽しみは尽きない。

©2018 スタジオ地図


『未来のミライ』全国東宝系にて公開中

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