
- CULTURE
- 2021.03.09
【ネタバレ“ほぼ”なし】『シン・エヴァ』のような「わけがわからない話」を全力で作れる国、日本を誇ろう!【連載】あたらしい意識高い系をはじめよう(14)
エヴァンゲリオン公式サイトより
私の妻は、「使徒の顔と名前が全員一致するぐらい」のエヴァンゲリオンファンなので、連れられて初日に観てきました。『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』。
私はまあ、「世代(40代前半)的に一応知っているぐらいのファン」だったんですが、そういう「ライトなファン」の気持ちもゴッソリ掴んで「1995年から延々続いてきた作品をちゃんと終わらせてくれたなあ」という完成度だったと思います。
『Q』以降の話が突然展開すぎてついていけず(多くのライトなファンはそういう感覚があると思います)、個人的には正直言ってあまり期待していなかったんですが、なんか想像の百倍ぐらい良くて、後半なんか感動してウルウルと泣いてしまいました。
もちろん、私のような「ライトなファン」はそれでいいんですが、妻のような結構ヘビーなファンは複雑な思いもあったようで、最近彼女は体調がすぐれないことも多くて心配しつつ一緒に行ったんですけど、終わった後は興奮冷めやらずという感じで
「いやああいう終わり方をするのなら旧劇でも良かったのでは?しかしアスカの最後がこうなったことを考えると…そしてカヲルくんが…」
とか延々とブツブツ言っていたんですが、一晩経ってから改めて感想を聞いてみると、
「全体的にとても良かったという結論に達した」
という話でした。
SNSでの反応を見ていても、全体的に
「深く知っているファン」
でも、
「大体のあらすじは知っているが、人類補完計画とは何なのか?を三百字以内で説明しなさいと言われても困る」
というファンでも、十分に
「よくぞちゃんと終わらせてくれた!」
という反応であることが多いようです。
なにしろ1995年のテレビシリーズから26年間延々と宙ぶらりんのまま引っ張ってきた作品が「完結」するっていうだけでも、十分なカタルシスがあり、そしてそれに「ちゃんと応えてくれた」作品と言えると思います。
「ディープなファン」は当然行くでしょうが、私のように「世代的に一応知っている」というファンでも、今回はちゃんと「人生の区切り」として劇場版を見に行っておいても損はないと思います。
倉本圭造
経営コンサルタント・経済思想家
1978年神戸市生まれ。兵庫県立神戸高校、京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感、その探求を単身スタートさせる。まずは「今を生きる日本人の全体像」を過不足なく体験として知るため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、時にはカルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働くフィールドワークを実行後、船井総研を経て独立。企業単位のコンサルティングプロジェクトのかたわら、「個人の人生戦略コンサルティング」の中で、当初は誰もに不可能と言われたエコ系技術新事業創成や、ニートの社会再参加、元小学校教員がはじめた塾がキャンセル待ちが続出する大盛況となるなど、幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。アマゾンKDPより「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」、星海社新書より『21世紀の薩長同盟を結べ』、晶文社より『日本がアメリカに勝つ方法』発売中。
1:「わけがわからない話」に全力になれるすごさってあるよね
なんか、今回の映画を観ていて思ったのは
褒め言葉としての「わけがわからない話」
ってことなんですよね。
確かに私はそこまでディープなファンではないけれども、
碇ゲンドウが「何かわからんがハタ迷惑な巨大な野望」を遂行しようとしていて、ミサトさんたちはそれを止めようとしているんだな…
ぐらいのことは理解しているわけですよね。で、どっちの派閥にも仲間なのか、それとも仲間のフリをしつつ独自の目的で動いているだけなのかわからない存在がチラホラいる。
ただ、その「先」となると、初日鑑賞するぐらいの日本人でも、6割、ひょっとしたら8割ぐらいのファンは「正直よくわからん」と思って観ていると思うんですよ。
そもそもエヴァって何? サードインパクトって? ゼーレのシナリオって? 死海文書?
…あらゆることがよくわからない。
一応「漫画版」がそういう意味では一番「わけがわかる話」にまとまっているように思うんですが、じゃあ新劇場版での設定はそれを踏襲しているのか、いやテレビ版は、旧劇場版は…とか考え始めると果てしなくよくわからなくなってくる。
さらには、「時間を何度もループしながら最適解を探している旅人」的な人物がいるんじゃないか?的な考察もチラホラ挟まれているんで、さらにわけがわからなくなってくる。
そのうちちゃんとこういうのを細部まで読み解いてくれる人がネットに現れると思うので、それを楽しみにしたいと思っているんですが、この記事で言いたいことは、
8割がたのファンはよくわからないなりに楽しんで観ていることのすごさ
ということなんですよね。
なぜかというと、今の人類社会は「わけがわかる話」ばかりで溢れかえっていて、「わけがわからない話」にちゃんとお金をかけることがどんどん難しくなっていっているからです。
2:「わけがわからない」話に全力になってこそ見えてくるものがある
最近の世界のエンタメビジネスは、というかこれはほとんどあらゆるビジネスが…ということですが、投資段階で徹底的に理屈で精査されがちですよね。
キャスティングにしろ、プロットの細部にしろ、ある種の「プロ」が集まって寄ってたかって叩いて直し、
「マトモなモノ」
に仕上げていきがちです。
「ある種の狂気」を描くにしても、それは「こういう風に狙いすまして“狂気”を表現しましょう」みたいになりがちで。
もちろんそういう「枠」をはめることで新しい世界が見えてくることが“時にはある”ことも否定しませんし、「政治的正しさ」が“必ず”作品の魅力をダメにするとまで言いたいわけではありません。
が、たまにこの『シン・エヴァンゲリオン劇場版』みたいな
「直球的なわけわからなさを、すごいお金と労力を投入してそのまま具現化した」
みたいなモノを観ると、その「現代人類社会におけるバケモノ性」というか、「よくぞこんなの作ったな!」という感動を覚えざるを得ません。
制作費が何十億円かかったかわかりませんが、噂によると前作の収入だけじゃなくパチンコ版などを含むいろいろな版権収入なども動員して、まさに「エヴァンゲリオンという作品を愛していた無数のファンたちの総意」が、“ヤシマ作戦”的に資本という形のエネルギーとして一点集中されることで、錚々たるアニメスタジオの名前がタイトルロールに並ぶ贅沢作品として結実したところがある。
普通は「こんなにお金をかける」なら、「もっと理屈で精査された作品」になるはず・・・なのが現代社会のルールなんですが、それを堂々と「赤信号みんなで渡れば怖くない」的に突き抜けてしまっている。
それが、
・20世紀なかばの芸術派フランス映画みたいな作り方の「個人(あるいは多くのファンたちの集合的無意識)の想像力だけの暴走」
に対して、
・21世紀の資本主義社会ならではのお金のかけ方と労力とテクノロジーの溢れるような使用
で形にする…という「奇跡」が起きているのだ…と私は思いました。
とにかく後半ぐらいから「なんかとにかくすごい!カッコいい!」みたいなシーンが延々と続いていて、
「面白かったんだからそれでいいじゃん」
を清々しいレベルで突っ走っているのが、最近こういうの見てないなあ、と思うポイントだったように思っています。
次ページ 3:東京という街がもたらす可能性