CULTURE | 2020/12/30

「日本はなぜ冷戦時代に繁栄できたか」から考える、イデオロギー対立の無意味さ【連載】

【連載】あたらしい意識高い系をはじめよう(10)

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オッド・アルネ・ウェスタッド『冷戦 ワールド・ヒストリー』

倉本圭造

経営コンサルタント・経済思想家

1978年神戸市生まれ。兵庫県立神戸高校、京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感、その探求を単身スタートさせる。まずは「今を生きる日本人の全体像」を過不足なく体験として知るため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、時にはカルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働くフィールドワークを実行後、船井総研を経て独立。企業単位のコンサルティングプロジェクトのかたわら、「個人の人生戦略コンサルティング」の中で、当初は誰もに不可能と言われたエコ系技術新事業創成や、ニートの社会再参加、元小学校教員がはじめた塾がキャンセル待ちが続出する大盛況となるなど、幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。アマゾンKDPより「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」、星海社新書より『21世紀の薩長同盟を結べ』、晶文社より『日本がアメリカに勝つ方法』発売中。

2020年もあと2日となってしまいましたが、今年のような「あらゆることが大激変期間」の時には、毎日目まぐるしく状況が変わり次々とニュースが消費されてしまう泥沼の中で、自分のいる位置をどう理解していいのか、わからなくなってしまうこともしばしばです。

結果として、状況がまったく変わってしまっているにも関わらず昔のままのやり方で行動してしまう、例えるなら冬になっているのにも気づかずまだ夏服を着ていて風邪をひくようなトラブルに出会いやすい。

そういう時には、毎日のニュースから少し離れて、「もっと長期の、そして広い視野」に触れてみることが役立ったりします。

私は今月、オッド・アルネ・ウェスタッドという北欧出身の歴史家による『冷戦・ワールドヒストリー』というやたら分厚い歴史の本を読んでいたのですが、本当に面白くて、久しぶりにいっぱいメモを取ったり、気になった話題を色々と調べたりしているうちに半月ぐらいかかってしまいました。

「あまりに近視眼的に次々ニュースに飛びついて評論する」世界から離れてドップリと浸かってみることで、かなり新しい世界の見方を手に入れたように思っています。

結果として、

・日本のコロナ対策はなぜ良い政策までも批判され、これほど混乱せずにはいられないのか

・米中冷戦が時代の基調となる中で、日本が自分たちのコアの価値を活かしていくにはどうすればいいのか?

・日韓関係や国内の差別問題といった課題に対する新しい方向性

…といったものへの大きな示唆を得られたと思っています。

今回の記事は、この本の紹介とともに、「100年、200年単位で歴史と人類社会を見てみる」旅に読者の皆様をお連れします。

この記事とともに、『冷戦・ワールドヒストリー』もぜひ読んでみてください。私はめっちゃ時間かけて派生の調べ物もしながら読みましたが、この記事をお供に読むなら、本を読むのに慣れた人ならお正月休み中にさらりと読み終えられると思います。もちろんこの記事単体でも意味のあるものにしたいと思っています。

1:日韓関係ひとつとっても「歴史の転換点」を理解する必要がある

DHCの公式サイトより

ちょっと小ネタから入るんですが、年末に化粧品のDHC社が「直球の韓国人差別」的な文章を公式サイトで発表してSNSで炎上していたことがありました(また例によって一瞬で流れ去って誰も覚えていないみたいなことになりそうですが)。

ただ、この文章、ネットでの「悪評」を一度忘れて全文を読んでみると、前半はそれほど悪い感じはしないんですよね。

そりゃ上品か下品かで言ったら下品だと感じる人も多いでしょうが、大枠では昔気質の老経営者が自分の言葉で「ウチはちゃんと高品質なものを良心的な価格で売ろうと頑張っている会社なんだ」というアピールとして見れば、それほど変なものではない。こういうのが好きな人もいるよね、で済む話なんですよ。

しかし後半になって、

「サントリーのCMタレントはほぼ全員がコリアン系日本人で、ネットではチョントリーと揶揄されている」

「DHCは起用タレントをはじめ、すべてが純粋な日本企業である」

…みたいな話が始まって、あまりの唐突さに相当に保守派な日本人ですら理解不能なレベルになっている。古くからのネット右翼さんとサントリーとの間には色々と因縁があるそうなんですが、今のネットユーザーでその事を知っている人はむしろ少数派でしょう。

たぶん、このDHC会長の頭の中では、「前半部分」こそが言いたいことで、それを「表現する」にあたってこの人の中では「韓国人と関係ある会社とは違って俺たちは日本人は!」みたいな差別主義と結びつくことが必須になってしまっているのだと私は思います。

これを「差別主義」と呼ぶならまあまったくその通りですし、なんとかしなくちゃいけないわけですが、問題は「彼らが前半部分を大事にしたい気持ち」を無視する形で非難だけが大きくなると、「余計にこじらせてさらなる差別に走る層が出てきてしまう」ということです。

これは「批判してはいけない」とか「無理やりにでも対話が必要」という話ではなく、ダメなものはダメだと言っていくことは必要です。

DHC社の文章をネットの風評に頼らず読んでみると、相当に保守派な日本人でも「はぁ? なんで突然韓国人の話が出てくるの?」と思うシロモノなので、ちゃんと包囲していけば「こういうのはやめよう」というコンセンサスを根付かせることは十分可能だと思います。

要するに今のままなら「変な保守派の爺さんの世迷い言」で徐々に退場させていけば済む話ですが、さらに「差別問題」としてだけ押し込んでいくと、「“この文章の前半”の価値観を大切にしたい民衆の思い」を逆側に押しやって余計に逆効果になりかねない。

つまり、「前半部分」を否定されたくないという民衆の気持ちに無理解でいるとしっぺ返しを食らうということなんですね。こちらの方は多くの日本人の共感を呼ぶ内容なので、ただ「後半部分」だけをネタに否定しにかかると、もともとなかった反発心を広く根付かせてしまうことにもなる。

2:「20世紀的イデオロギー対立という病」をいかに克服できるかが大事な時代

この問題一つとっても、大事なのは

「イデオロギー対立にいかに持ち込まずにいられるか」

だということです。

DHC社の文章の前半部分、

「無駄に高い値段で売っている会社と違ってウチは有効成分の分量と値段にあくまでこだわる会社なんだ。そういう方針でやっていくことが“良いこと”なのだ」

というメッセージを表現するにあたって、人種を持ち出す必要は全然ない。

前半部分だけで言えば、こういう志向に共感する韓国人もいれば、反発する日本人もいるでしょう。「こういう言い方」じゃないもっと広告的に練られたメッセージにすれば、それこそ「職人気質の会社精神カッコいい!」ってなってもおかしくない可能性はある。

そういう「新しい広告メッセージのあり方」を考えてあげることで、DHC社が「大事にしたいこと」と「差別主義」を分離すること…が今必要なことなわけです。

しかし現状では、DHC社の会長氏の頭の中では「その良さ」は今の社会の中で風前の灯に崩壊させられようとしている!という危機感を抱いているわけなので、単に「差別問題」として撤回を強要するだけでは余計に反発が生まれます。

むしろ、彼らの美点を大事に守り育てて売っていくにあたって、韓国人差別をする必要はないのだ…という視点を広げていくことで、単なる「反差別」を押し込むだけでは得られない「相互理解」の可能性も生まれてくるでしょう。

前段としての小ネタが長くなりましたが、今回紹介したいウェスタッド氏の『冷戦 ワールド・ヒストリー』は、

こういった「日々のニュースで目にする解決不能に見える対立・罵り合い」が、「20世紀型イデオロギー同士の対立という病」によって引き起こされており、「根治」のためにはその「真因」まで遡らなくてはいけない

ということを教えてくれる名著でした。

3:北欧人的な客観性が、「誰かをワルモノにしておしまい」ではない視点を生んだ名著

著者のオッド・アルネ・ウェスタッド氏はノルウェー出身で、現在はイェール大学に在籍する歴史学者です。この本は20世紀の「冷戦の100年間」の歴史を、人類社会全体に渡るイデオロギー対立という軸で網羅的に描いた本です。

私たちは歴史を学ぶにあたって「非常に印象的なエピソード」だけに過剰に引っ張られてしまいがちですが、たまにこういう「ガチのガクシャさんが真剣に書いた本」を読むと、

・「そのエピソードの裏で隣の地域では何が起きていたのか?」

・「眼の前の対立の背後にある大きな勢力争いは何なのか」

を大きな視点で見直すことができます。

SNSで「鈍器」と呼んでいた人もいるぐらい分厚いですが訳文も超良いので(関係者の方お疲れさまです)、「入試に世界史の論述試験がある高校生」や、電子書籍がある英語版は非ネイティブ(ノルウェー人)が書いたぶん非常に読みやすいので、時間がある大学生が英語学習を目的にちょっとずつ読んでいくにも良いでしょう。

これはスウェーデン人のハンス・ロスリング氏が書いた『ファクトフルネス』が世界的ベストセラーになった時も思ったのですが、北欧人は欧米人の中でも「帝国主義争い」からは多少傍観的な立場でいたので、

「誰かをワルモノにして徹底的に叩いておしまい」

にならず、全体を俯瞰的に見て解決策を探そうという精神があるように思います。

20世紀の歴史は、それを語る人の立ち位置によって、

・「ヒトラーや大日本帝国」をワルモノにして徹底的に叩いておしまい

・「スターリンや共産主義の暴走」をワルモノにして徹底的に叩いておしまい

みたいな見方のどちらかだけで終わってしまうことが多く、

こういうのはどちらも「俺は悪くない、あいつらが悪い」と言っているだけ

であり、

問題の再発防止に全然役立ってない

わけですね。

これは「ヒトラーは悪くない」ということを言っているのではなくて、

「独裁者的な存在の暴走を生み出してしまうのは“あの保守派のクズども”だけにあるのではなくて、リベラルな自分たちにも十分そういう傾向は潜んでいるのだ」

ということを直視することが、「20世紀的なイデオロギー対立の病」を克服するために今必要なのだ、ってことなんですよ。

私はこれを「歴史認識問題の左右対称性」と呼んでいるのですが、今後の世界においてはこの「左右対称性」を直視した上で問題解決を考えていくことがあらゆる視点で重要で、その中では20世紀には「最高なこと」とされていた、ヒトラーやナチスは突然変異的な狂人だったのでこれを切断することから始めるという、「ドイツ型の歴史認識問題の解決法」というものがいかに欺瞞を含んでいて21世紀には余計に問題をこじらせているかも明らかになっていくでしょう。

4:資本主義VS共産主義が対立する中で発展できた国の条件

で、ウェスタッド氏による「イデオロギー対立という視点から網羅的に見た冷戦の百年」を読むとわかることは以下の三点なんですね。

A:ファシズムと共産主義と、“どちらの方がより残虐か”と言えば明らかに共産主義

B:しかし「共産主義勢力のような対抗馬がいない世界(南米とか)」におけるアメリカ型資本主義の暴走は酷い社会不安をもたらす

C:「2つのイデオロギー」が拮抗状態になる中で、ある程度民族的なまとまりでグリップできた国(日本をはじめとするアジア諸国)が繁栄した

まず「A:ファシズムと共産主義と、“どちらの方がより残虐か”と言えば明らかに共産主義」については、ホロコーストの残虐性を否定するわけではないものの、共産主義諸国で生まれた弾圧・失政による死者数と悲劇性はそれに比べてもとにかく凄まじいです。

「独裁者による虐殺数ランキング」でぶっちぎりナンバー1が毛沢東、次がスターリン、次にやっとヒトラーですからね。

『冷戦 ワールド・ヒストリー』の本文から引用すると(後編323ページ)、

そこにあったのは破壊と再建、熱狂と冷笑、そしてほとんど果てしなく流れ続ける血に染まった川だった。中国に生じたこれら一連の革命をなによりも特徴づけるのは、その残虐性である。
最近の推定によると、1920年代から1980年代の間に戦争と政治的な大量虐殺の結果として、7700万の中国人が自然死以外の死を遂げており、その圧倒的多数は他の中国人の手で殺されたものであった。

ここまで巨大な問題がある時、これを「個人的資質」とか「民族的傾向」のせいにしてしまうのは良くないですよね。

ヒトラーってヤツが残虐な人間だったからだ…とか、中国人はむちゃくちゃやる民族だから…みたいなのはそれこそ「差別主義」だし、

「あいつらが全部悪い、俺たちは全然悪くない」

という話にしかならない。

共産主義的に「市場」を否定すると、各人が自由に動き回ることで発生していたエネルギーを「誰か特定の存在」にものすごい権力を与え、強制的に統御しなくちゃいけなくなるわけです。

そうするとファシスト政権どころじゃない「権力の暴走」が起きて、移行期に何百万人、何千万人死ぬことも珍しくないし、移行期の大虐殺的なものが収まってからも、とにかく「お互いの自由を制限し続けないと成立しない」システムになっているので、必然的に秘密警察が暗躍する密告社会になってしまう。今でも北朝鮮ではボスの言うことを聞かないヤツを公開銃殺とか普通にやってますよね。

資本主義社会が生み出す不公正な格差といったものに戦いを挑む時、「共産主義の理想」って物凄く高潔なものに見えたりする瞬間もあるんですが、

実際やってみたらとにかく酷いことになった

が20世紀の歴史の教訓と言っていいと思います。

しかし!

しかし、なんですが、ここからが「歴史問題の左右対称性と向き合わねばならない」という話の重要なところです。

次のB:しかし「共産主義勢力のような対抗馬がいない世界(南米とか)」におけるアメリカ型資本主義の暴走は酷い社会不安をもたらすという教訓について、

19世紀末にはアルゼンチンは非常に豊かな国だった(日本だって油断していたら今後数十年であっという間に凋落してもおかしくないぜ)

…みたいなことを言うのが“日本サゲ言論”としてネットで流行した時期があったのですが、ウェスタッド氏の本を呼んでいて印象的だったのは、20世紀が始まった頃の南米は「今の印象」とは全然違う、かなり繁栄した地域だったことがわかります。

しかし20世紀の特に後半の政治的混乱が続いたために、国としての繁栄度で言えばアジア諸国の方がよっぽど上ですし、社会内部の経済格差も非常に大きい地域になってしまっている。

その原因は、

南米はソ連から遠くアメリカから近すぎたこともあって、アメリカが「過剰に共産化を恐れるがゆえに、反共軍事独裁政権を強力にサポートし続ける」のをバランスさせる対抗勢力が弱かった

ことがわかります。

巨大な格差問題を放置し、反対者を暴力的に弾圧する政権でも、「反共してくれる」ならアメリカがどんどんサポートしたので、社会的不正が放置されて政治的混乱だけが延々と続く地域になってしまった。

今でも南米では物凄い反米主義の国や人がいるんですが、そうなるのもわからんでもないな…という感じでした。

つまり、「歴史問題の左右対称性」と向き合うと…

C:「2つのイデオロギー」が拮抗状態になる中で、ある程度民族的なまとまりで現実をグリップできた国(日本をはじめとするアジア諸国)が繁栄した

という結論が導き出せるのです。さっき南米は「ソ連から遠すぎた」ことでバランスが崩れていたという話をしましたが、ヨーロッパや一部のアジアは「米・ソから等距離」だったので、「イデオロギー対立」は均衡していたわけですね。

結果として、「資本主義と共産主義」がお互いの極論をぶつけあって混乱するだけに終わらず、その均衡状態の中で「ある程度民族的なまとまり」で社会の一体感を維持できた国は第二次世界大戦後から20世紀後半にかけて繁栄できた。

西欧諸国や日本、そして「リトルタイガース」と呼ばれたシンガポール・香港・台湾・韓国などですね。

5:「イデオロギーでイッちゃってる人」か「問題を直視している人」か

Photo by Shutterstock

このように「20世紀の歴史」を網羅的に見てみると、「片方側に肩入れしてもう一方を非難するだけの言論」がいかに意味がないかということがわかりますよね。

「リベラル派」は、20世紀の世界に吹き荒れた共産主義の脅威を軽視しすぎているので、それを抑止するために過剰に暴力的な手段を取った存在を徹底的に否定して

「俺達は全然悪くない、あいつらが全部悪い」

をやろうとするわけですが、そういうのは、

「宇宙船の自爆装置を押そうとする暴徒と、それを抑止するために過剰に暴力的になったリーダーがいた」

みたいなものなので、「お前たちの方が全部悪い」と永遠に言い合っているだけでは解決しないですよね。「俺もお前も同じ宇宙船に乗ってるんだぜ」ってことを忘れちゃ困るわけですよ。

「そもそもそういう対立が起きないように考えるのがどっちの派閥にいる人にも課せられている責任なのだ」

と考える必要がある。

DHC社の会長のようなレベルの差別主義が消えずに残るのは、「純粋な理屈だけで押し切って社会変革をしようとした時に、運動が現実をグリップする力を失って大変な悲劇に繋がった」という20世紀の歴史の教訓だとすら言えます。

大事なのは、その「彼ら側の本質的な懸念」と「差別主義」を切り離し、「彼らの懸念」は差別主義と結びつかなくても表現できるのだ…という道筋を、イデオロギー的な党派対立を離れてお互いに持ち寄って考えることなわけです。

これは逆もそうで、「リベラル側の懸念」だって両側から解決していく必要はもちろんあります。

無軌道な資本主義の暴走をそのままに放置し、あらゆる是正の動きを弾圧し続ければ、19世紀末には非常に繁栄していた先進地域だった南米が、今や巨大な経済格差と政治不安が蔓延する大陸になってしまっているわけですからね。

だからこそ、「左右のイデオロギー対立」を超えた、「リアルな議論」をいかに共有できるかが重要な時代なのだ…というのが私たち人類が20世紀で得た巨大な教訓であると言えるでしょう。

知識階層にいる「個人」からしてみれば、「リアルな議論」をするより「ワルモノ」になってくれる存在を徹底的にけなしまくる言論をやる方が楽なわけです。

全部「ファシスト」「差別主義者」のせいにすればいい。ちょっとでも気に入らないヤツは全部「ヒトラー!」「差別主義者!」と罵ればスカッとするよね!あるいは逆に、ありとあらゆることを全部「アカ・左巻き・サヨク」のせいにすればいい。

しかしこういうのは同じレベルの対立にすぎない。

特に「第二次世界大戦の勝敗」によってスティグマ(負の烙印)を貼り付ける仕草が20世紀のとりあえずの世界平和を維持していた面があるので、「リベラル側」が、「自分たち以外」を「差別主義者」とか「ヒトラー」とか呼べば「自分たちは一切何も悪くない」と簡単に思い込めてしまうモラルハザードが過去には蔓延しており、それが逆に過剰なバックラッシュを生んでしまっている側面があるわけです。

6:「あらゆる問題がイデオロギー対立にしか見えない老害」たちに退場いただこう

新聞記者が個人でSNSで発信するようになって、新聞というものへの信頼感が一気に損なわれた

みたいな話を最近よく聞くんですが、しかし私と同世代かちょっと上(40~50代)ぐらいの新聞記者のアカウント(特に海外特派員組)などは、物凄く勉強になるなあ、と思って私はたくさんフォローしています。いろいろなニュースについてその地域の実情に沿った多面的な見方を提供してくれている。

問題は、もっと上の「イデオロギー世代」とそれを目指したい少数の若いフォロワー的な人たちで…。

たとえば

「台湾のコロナ対策が素晴らしい!さすが民主主義の先進国!日本はもうダメだね!」

と言った次の日に、「じゃあ日本でも迅速な行政サービス実行のためのIT投資を」という話になったら

「国民背番号制度で民衆を管理する気だな!反対!!徹底した議論を尽くすべき!」

と反対する…みたいなのは正気の沙汰とは思えません。ほんと20世紀の人類の愚かしさを煮込んで結晶体にしたような人たちだと思います。

「こういうの」と「チョントリー発言」みたいなのは本当に同レベルなことなんだ…というのは、これからの時代真剣に理解するべきことだと思います。

コロナ対策にしても、もっと巨大で複雑な課題であるところの気候変動問題にしろ、こういう「無責任な批判」が暴走することは、現実をグリップするための調整役として過剰な「右」の暴走を必要とするわけです。

日本は、気候変動問題に対して大きなアクションが必要なタイミングだし、しかも国土の形状的に「巨大な砂漠に大量のソーラーパネルを置く」みたいなことができない中で何かとにかくオリジナルに真剣な方策を考えなくてはいけません。

しかし「実体と違う理想化した欧州の例を持ち出して日本政府をこきおろす」エネルギーが暴走すればするほど、非現実的な空論に暴走して大悲劇が起こってしまうため、「簡単な一歩」さえ踏み出せない過剰な保守性でブロックする必要が出てくるのだ…というのが20世紀の歴史の力学から学ぶべきことなわけです。

20世紀には毛沢東が「スズメが作物を食い荒らす害獣だ!」と言って中国全土でスズメ狩りを行い、結果として別の害虫が蔓延して酷い不作になったりました。それ以外にも次々と「非現実的なイデオロギー的空論」を実行しまくった結果、数千万人が餓死したと言われています。

「自然エネルギーの導入」にあたっての熱狂でも、同じことが起きないと考えているとしたら、その人は「歴史を直視していない」人だといえるでしょう。

つまり「差別主義者」に見える存在がいる時、リベラル派はそれを批判するだけでなく、「自分たちの論理が空論に陥ってないかを自己点検」するべきなのだ…というのが20世紀の歴史を直視した上での最大の教訓なわけですね。

7:本当のパワートゥーザピープル(権力を私たちに取り戻せ)とは?

要するに「すべてをイデオロギーでオモチャにする」ということは、「知識人が社会から付託されている権力」を、単に個人的鬱屈を晴らすための道具に使ってるってことなんですよ。

そうじゃなくて、ほんとうに「社会のみんなのため」に自分の言論は意味があるか?を真剣に考えなくちゃいけない時代なんですね。

最近、私と同世代の「非・イデオロギー的」な人間が社会のいろいろな場所で中堅的な役割を果たせるようになってきたことをポジティブに感じています。

「イデオロギー対立」が良くない理由は簡単に「我々VSあいつら」論法にできてしまうことなわけですが、目には目を歯には歯を、「我々VSあいつら」論法で対立者を圧殺する安易な論法に頼るヤツらには「我々VSあいつら」論法で対決することも時には必要かなと思っています。

「他者を簡単に否定しまくるってことは、自分も否定されるってことを覚悟してるってことですよね」という構造にこそ私たちのこれからの可能性は眠っているでしょう。

つまり、ありとあらゆる課題を「イデオロギー対立に読み替えて騒ぐ」ような、「言論をオモチャにして遊んでいる」ような老害世代にどんどん退場していただいて、「リアルな議論」をする世代に主導権を取り戻していくことが重要なのです。

「左のイデオロギーの無制限な暴走」をちゃんと「マトモな議論」に置き換えていくことによってのみ、「チョントリー」的な暴言を抑止することも本当に可能になる。

コロナ対策にしても、単に外国の事例を持ってきて「日本政府って最悪だよねー」と騒いでみせるだけでなく、それを日本で導入するにはどうしたらいいかについてちゃんと考える。

今の日本のコロナ対策には「これがもっとできたはず」だという思いを多くの人が持っていると思いますが、この1年間「現状ある程度うまく行っている政策すら崩壊させるような意見」があまりにも考えなしに横行するうちに、なんとか現実をグリップし続けるために当局は過剰に保守的になってしまい、現状の制度を超える機動的な対策はほとんどできずに混乱だけが続いてしまった。

この「なぜ変われないのかの全体像」を理解して、「両側から解決」できないといけない時代なわけです。

気候変動問題に対しても、「理想化された欧米の姿」でなく、日本の国土形状と経済的実情に合ったリアルな議論をいかに持ち上げていけるか。

経済問題にしても、最近ネットでやたら読まれたこの記事・・・「竹中平蔵を排除するためにデービッド・アトキンソンと組む」・・・「血も涙もないネオリベモンスター」を倒すためには「血の通ったネオリベ」を味方にする必要があるという話。で書いたように、「党派争いからいかに離れた議論ができるか」が重要なわけですね。

たとえば日韓関係などについても、「日本の右の差別主義」に対抗するために「韓国側の盲目的なナショナリズム」にまで肩入れするようなところがあるから、余計に紛糾するわけですよね。

最近、ある在日コリアン系の人のツイッターアカウントを見ていたら、「自分の父親が韓国左派の“文字が流れるYouTube動画”にハマって熱弁を振るうようになってきて、こんなの日本のネトウヨと一緒じゃんという気持ちになった」みたいなことを言っていて笑ってしまったんですが。

例の「安倍首相を土下座させる像」だって韓国人にも困惑している人が多い印象を最近では受けます。

重要なのは、

・「20世紀の人類全体の課題」に対する不可避な挑戦としての大日本帝国の存在を完全には否定しないこと

↑ここで良かった行い・悪かった行いを切り分け、「それなりの必然性」を認めることができれば、

・戦争によって生み出された災禍に関しては、国内国外かかわらずちゃんと取り扱えるようにすること

も初めて両方可能になるわけです。

8:朝鮮民族の悲哀には同情するが「全部日本のせい」にされても解決しようがない

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ウェスタッド氏の本を読んで非常に印象的だったのは、20世紀なかばぐらいの朝鮮民族の貧乏クジっぷりなんですよね。

第二次世界大戦までの「日帝支配期」は数々の問題があったにしろ、日本本土のように空襲で焼け野原になったり原爆を落とされるほどの出来事はなかったと思いますが、その後の朝鮮戦争と国土の分断は

「トラックに一度轢かれただけでなく巨大なトラックが足の上を何度も行ったり来たりした」

…ぐらいの悲惨な体験をした人も多かったと思います。

ただね、その「朝鮮民族の悲哀」は「日帝」のせいというより「人類全体を覆ったイデオロギー対立」のせいですからね。彼らが一番苦労した“そこの部分”の悲哀感まで全部日本にぶつけたって解決しないわけですよ。

もし韓国人が南北分断という民族の悲哀を本当に解決したいなら、「20世紀的イデオロギー対立」の図式をもっと深く抱きしめてしまうような方向で周囲を攻撃しまくっていても決して解決しないですよね。その「イデオロギー対立」が顕在化したのが今の国境線なんだから。

そういう意味で「単なる戦争の勝ち負けによるスティグマの貼り付け合い」ではない全体的なビジョンを模索することは、朝鮮民族全体のためでもあるはずなんですよ。

韓国映画を見ていると、単なる観念論的なイデオロギー対立ではないような、「分断国家を生きてきたリアリティ」を感じさせる描写があってハッとすることがあります。

noteで『愛の不時着』や『1987、ある闘いの真実』について記事で書いたように、

単純に「革命を目指す正義の心の学生運動マンセー」の映画になっていなくて、その学生の無邪気なエネルギーがときに物凄く残酷で血なまぐさい結果を生んだという歴史の真実に「両方」ちゃんと向き合って作ってある感じが凄くあった。

(中略)そういうシーンがちゃんと入っているところに、

「単なる観念的な左翼主義じゃなくて、分断国家を半世紀生きてきたリアリティのある左翼性」

みたいなのがあって、そのへんが日本の『新聞記者』みたいな薄っぺらい陰謀論映画とは全然違うところだと思います。

というところがある。

ネットで見かける韓国人は、「日本のネトウヨさんの鏡に映った像」みたいな人も多いので、いったいあの隣国のどこにそんな「ほんとうの良識」を持った人が存在するのかぐらいのことも思ってしまうんですが、この記事で書いたようなことは、経済発展して「先進国側の事情」も理解できるようになった韓国人の多くにも徐々に理解してもらえるというか、むしろ「21世紀にあるべき新しい大義名分論」としてそういうのに熱中するのが苦手な日本人以上に理論化してくれたりするんじゃないかとひそかに期待していたりします。

要するに日本だとか韓国だとか、そういう枠組みを超えて、

「全部イデオロギー対立にしか見えない老害世代」から、「ちゃんとリアルな議論」によって主導権を奪い返すことができれば、各国の過剰なナショナリズムの暴走を「真因」から解決できる

ってことなんですよ。

また、そういう動きを注意深く育てていくことによって、「米中冷戦」が本当に深刻なことにならないようにリードしていくことも可能になるでしょう。

9:米ソ冷戦時代に日本が繁栄できた原理を知れば、21世紀の米中冷戦時代の活路も開ける

人類社会が「米中冷戦」の時代に入るにあたって、「米ソ冷戦」時代の教訓は再び蘇るでしょう。

「イデオロギー対立」で極論同士の罵り合いに熱中したヤツが負ける。「イデオロギーというものが常に持っている空虚さ」を理解し、「リアルな自分たち」ベースで現実をグリップし続けられた存在が勝つ。

人間は、「純粋な観念」に耽溺して生身の他人を否定したい生き物なんですよね。その方が楽だから。しかしこの「純粋な観念に耽溺して生身の他人を否定する」のは、「日本人という単位にやたらこだわって他を差別する」のも、何らかの人工的な理屈を正義として押しつけてそれにそぐわない存在を果てしなく断罪し続けるのも、結局同じレベルのことなんですよ。

20世紀の米ソ冷戦の本質は、そうやって「人工的な理屈にどこまでも耽溺したい」人々の願いが世界規模でガチンコにぶつかりあい、「ちゃんとリアルな他者と向き合わないと本当に核戦争で人類が滅んでしまう」ところまで行ったことなんですね。

核戦争の脅威はたしかに不幸ですが、しかし人間が「純粋化した観念に酔い続ける」ことを許さずに、ちゃんと「リアルな他者と直面せざるを得ない状況に追い込む」効果は抜群にあったと私は考えています。

「米ソ冷戦」が終わって20~30年の間、どれだけ極論を暴走させられるかが鍵だった時代には日本は非常に不調でしたが、逆に「ちゃんと天井にぶつかってリアルな他者と向き合う必要が生まれてきた」時代における、

美しい花がある、花の美しさというようなものはないby小林秀雄

的な日本人のあり方を、人類社会の普遍的なニーズを表裏一体に貼り合わせてアピールしていける情勢に持ち込めば、20世紀後半に日本が果たした「奇跡的な活躍のポジション」を引き寄せることも可能でしょう。

日々目まぐるしく話題になっては消えていくニュースに溺れず、ステイホームで時間があるこの年末年始には、少し100年、200年単位で世界と日本とその中の自分を見つめ直してみてはいかがでしょうか。

ウェスタッド氏の本はもちろんオススメです。

また、この程度の長文を読むのは苦じゃない人向けに、さらにこの記事を深堀りした追加のnoteを二本用意しています。

一つは、この記事のような趣旨の文章を書くと、定番の反論は、「マイノリティにマジョリティへの配慮を求めるな」というのが「公式見解」なわけですが、それはもちろん「異論反論を言いやすい社会にする」ためなら大事なことです。ですがそれと同時に「それを社会の中に根付かせる努力」もまた別個にやるべきなのだ・・・という話を深くしています。(ドイツ人や北欧人が持つ理念的純粋志向というのは本当に希望を感じる時があるんですが、それをどうやって“生身の人類全体レベル”まで広げていけばいいのか?という話などもします)

もうひとつは、鬼滅の刃の大ヒットがこの記事のような「世界の歴史の変化の結果としての日本社会の転換点となっている」という話で、特に「ツンデレ女子キャラ」が鬼滅の刃にはいないのはなぜなのか?といった切り口で深堀りしたものです。なんだか随分と切り口が違うように見えるかもしれませんが、最近ちらほら書いている鬼滅の刃関係の記事はどれも好評なので、良かったらどうぞ。

感想やご意見などは、私のウェブサイトのメール投稿フォームからか、私のツイッターにどうぞ。連載は不定期なので、更新情報は私のツイッターをフォローいただければと思います。

この連載に興味をもたれた方は私の「著書」などもどうぞ。

また私は、老若男女色んな個人と「文通」をして人生を考える…という仕事もしており、これはいわゆる「サロン」じゃない一対一の文通なんでほんとビジネス的には無茶なんですが、最近やはりこれが自分が凄く楽しいこと、やりたいこと、ライフワークだな…と感じてきているので、もう少し宣伝してみようかと思っています。日本に住んでいる人も海外に住んでいる人も、都会の人も地方の人も、お金持ちもまあそうでない人も、普通のサラリーマンも政治家さんも若い学者さんも篤農家のおじさんもバブル世代のお姉さんもいます。興味があればこちらから。今を生きる色んなタイプの個人と友達になって色々と話せたらと思っています。


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