CULTURE | 2021/03/08

「3.11 あれから10年」特集を始めるにあたり、コロナ禍の今、「希望という名の光」は見えるだろうか

文・写真:米田智彦
2011年4月、僕は福島を訪れました。見事に咲いた桜の名所には誰もいませんでした。そして、さまざま...

SHARE

  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • line

文・写真:米田智彦

2011年4月、僕は福島を訪れました。見事に咲いた桜の名所には誰もいませんでした。そして、さまざまな人と会い、話を聞きました。取材でも仕事でもなく、いち編集者として、メディア人として、そうしなければいけないと思ったからです。

福島市内のとある喫茶店に行った時、僕と知人以外に誰もお客さんがいない店でマスターが言った一言を今でも覚えています。

「みんな、あっという間にいなくなったね。放射能は見えないからね」

僕が会った人の中には心理カウンセラー、幼稚園の園長、アートギャラリーの運営者などがいました。

心理カウンセラーの方は「被災者もそうだけど、役所の人のメンタルが本当に深刻」と言い、幼稚園の園長さんは、震災と津波の状況を丁寧に語ってくれました。園児たちが誰もいなくなった幼稚園で、彼は尋常ではない興奮状態で1時間話し続けました。心の底から助けを聞いてくれ、と言わんばかりに。

そしてギャラリーの運営者に会った時は、丁寧には接してくれましたが、ちょっと迷惑がられたような気もしました。「来てもらっても困る」という微細な空気を感じました。確かに僕は彼女に対して何もすることはできませんでした。

福島の浜通りをレンタカーで回ると田んぼに船があったり、漁港が破壊されていたり、道路の両脇に膨大のゴミがうず高く積まれていました。見つめると被災者の家族の写真がカゴに入れてありました。とてもとても一言では言えない状況でした。まるで爆心地のようだな、と感じた記憶があります。

余震と津波の被害と放射能の恐怖。僕も周囲の人間に「今行くのはやめておけ」と散々言われました。

そして、避難所にも足を運びました。小学校の体育館にぎっしりと人が入っていて、パーテーションや段ボールで区切られた中に人々は暮らしていました。館内には独特の匂いが漂っていたことを今でも覚えています。

物見遊山で福島に行ったわけではありません。やはり編集者として僕の見聞きした現地の状況を多くの人に伝えたいと思ったからでした。

しかし、東京に戻った僕は、福島についてまったく何も書けませんでした。何を書いても、あの惨状を実際に体験すると…と無常感に駆られたのです。

ですから、この原稿が僕が東日本大震災について初めて書く原稿です。

あれから10年経ちましたが、2月13日午後11時8分頃、福島県沖を震源とするマグニチュード(M)7.3の地震があり、最大震度6強を観測しました。東日本大震災の余震と言われています。僕が福島での今回の特集の取材を終え、帰京した日の夜に地震は起こり、僕はベッドから飛び起きました。まだ東北の大地震は終わってないんだな、と身構えるような気持ちになりました。

そして、ご存知のように、日本は新型コロナウイルスという脅威と全国民が戦っている最中です。

僕のような部外者が簡単にあの震災と福島原発の事故を「風化させない」と言って書くのは本当に憚られます。

しかし、10年経ったからこそ、僕はようやく書ける気がしました。

そして、FINDERSというメディアの編集長として「3.11 あれから10年」という、ささやかな特集を組む決断をしました。

コロナ対応とオリンピック・パラリンピックの開催の是非で、あの震災どころではない、という時代の空気を感じます。

しかし、FINDERSの今回の特集ではさまざまな観点から、当時の状況、震災、防災と言った記事を配信し、この10年はなんだったのか、未来への備えについて触れる記事を配信する予定です。

首都直下型地震が今後30年に起こる確率は70%と言われています。首都圏に住んでいる人にとっても大地震は他人事では決してありません。そして、いまだ国は原発に電力を頼っています。

僕は1995年の阪神・淡路大震災の際、大学生でしたが、ボランティアに参加しました。あの体験も衝撃的に僕の人生に刻まれています。

日本は地震大国、災害大国です。毎年のように台風が各地を襲い、各地で地震が起こります。

この特集から、少しでも未来につながる何かを感じていただければ幸いです。

この記事のタイトルは、震災後に発表された山下達郎さんの名曲『希望という名の光』から引用しました。

震災から10年、コロナ禍から1年余りの今、FINDERSの特集から希望が見えることを祈ります。

【特集「3.11 あれから10年」記事一覧はこちら】

「3.11 あれから10年」特集を始めるにあたり、コロナ禍の今、「希望という名の光」は見えるだろうか
https://finders.me/articles.php?id=2637

「10年間復興から目を背けてしまった人」であっても「ゆるい関わり」を許容する。いわきで活動するローカル・アクティビスト 小松理虔インタビュー
https://finders.me/articles.php?id=2644

アートを起爆剤に被災地の復興なるか?「OVER ALLs」×有志による、双葉町アートプロジェクト
https://finders.me/articles.php?id=2642

時価総額1000億円超えも輩出する「東北スタートアップ」の躍進。10年間起業支援を続けたMAKOTO創業者が語る最前線
https://finders.me/articles.php?id=2648

FINDERS編集長 米田智彦