CULTURE | 2020/08/12

香港民主派・周庭さんの「かわいいは正義」を習近平に思い知らせるべき

【連載】あたらしい意識高い系をはじめよう(7)

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Photo by Wikipedia

ちょっとありえないぐらい不謹慎なタイトルですが、最後まで読んでいただけると真意がご理解いただけるかと思います。

8月10日夜、香港民主派活動家のアイドル的存在であった周庭(アグネス・チョウ)さんが中国当局に逮捕されてしまい、世界中のSNSで「#周庭氏の逮捕に抗議します」や「#FreeAgnes」タグがトレンド入りするなど大きな反応がありました。

その後、私もFINDERS編集部から何か書いてくれと言われて、とにかく「逮捕された先で当局から酷い扱いを受けないように皆で中国政府にプレッシャーをかけよう」という記事を書こうと思って準備していたら思いの外はやく保釈が決まったわけですが…とにかくほっとしました。

倉本圭造

経営コンサルタント・経済思想家

1978年神戸市生まれ。兵庫県立神戸高校、京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感、その探求を単身スタートさせる。まずは「今を生きる日本人の全体像」を過不足なく体験として知るため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、時にはカルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働くフィールドワークを実行後、船井総研を経て独立。企業単位のコンサルティングプロジェクトのかたわら、「個人の人生戦略コンサルティング」の中で、当初は誰もに不可能と言われたエコ系技術新事業創成や、ニートの社会再参加、元小学校教員がはじめた塾がキャンセル待ちが続出する大盛況となるなど、幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。アマゾンKDPより「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」、星海社新書より『21世紀の薩長同盟を結べ』、晶文社より『日本がアメリカに勝つ方法』発売中。

1:「かわいいは正義」的な特別扱いについてどう考えるべきなのか?

「こんなことは中国じゃ毎日のようにどこかで起きていること」なのに、普段それには見向きもしないで周庭さんのときだけ騒ぐのはオカシイ!!

という批判はある意味正しいと思いますが、かなり声高にそういう批判をしているSNSアカウントですら、思いの外早い保釈決定に「ほっとした」気持ちを吐露している人は多かったように思います。

かくいう私も、日本語が達者で日本のメディアでしょっちゅう自分の言葉で話していた若い女性が、「中国当局の権力」によって逮捕されるという絵自体に、自分でも意外なぐらい心が乱された気持ちになりました。

私の妻はこういう「政治的」な話にあまり関わらないノンポリタイプなのですが、その妻ですら「仮面ライダー電王と欅坂46が好きで、嵐のメンバーで一番好きなのは二宮くん」という「自分とあまりに同じ好み」の周庭さんのことは他人事とは思えない気持ちになって心配していました。

保釈された直後のご本人のコメント動画はSNSに結構あがっていますが、流暢な日本語で

「拘束されているときに、ずっと“不協和音(欅坂46の)”という日本語の歌の歌詞が頭の中で浮かんでいました」

とか言っちゃう若い女性の、日本国内における世論喚起力はそれ自体馬鹿にできない物凄いものがあるのではないかという感じがします。

最近中国当局が「米中の綱引きの中で日本政府や日本世論が急激に米国側に傾きつつあるのをかなり気にしている」様子を感じるんですが、今回の周庭さんの迅速な保釈決定にも、ひょっとするとそういう日本世論への影響力は考慮されていたかもしれません。

周庭さんは香港民主派の中心人物の一人ではあるものの、いわゆる「リーダー」ではないこともあって、世界的な注目はむしろ同時期にメディア企業「ネクスト・デジタル」経営者の黎智英(ジミー・ライ)氏が逮捕されたニュースの方に集まっていたようですが、 日本における注目は断然周庭さんの方が大きかったですよね。

政治的な左右に関わらず、一般人からいろんな政党関係者まで、普段はスルーしていたこの問題に突然のように声を上げている様子がSNSで見られた。

そういう「反応の差」は政治的に大真面目なロジックから言えばいくらでも批判できることのようにも思うわけですが、ただ香港ひいては中国全体の民主化問題や、世界大戦の可能性すら否定できない米中対立の激化の中で日本人の私たちにできること、を考えるときに、ある種

この「かわいいは正義」的な感情の動きの大きさを否定せずに考えることが必要かもしれない

と、今回の件を通じて私は考えるようになりました。

2:なぜ「かわいいは正義」レベルの感情が重要なのか?

なぜ「かわいいは正義」というレベルの感情の動きが重要かというと、この問題についてのもっと「政治的に真面目」な議論はどうしても相対化されてしまうからです。

香港問題は、単に「正義の民主化運動とそれを弾圧する中国政府」というだけの見方で切り取れる問題ではありません。

ある意味で、「欧米諸国の支配をはねのけて抑圧された中国人民が自分たちの正当な権利を回復していくストーリー」的な見方だってできてしまう。

「政治的に大真面目な議論」だけだと、「全く別の交わらない論理」同士が非妥協的にぶつかりあってしまうことになるんですね。

そうすると、中国の民主化についてそろそろ真剣に考えて国際協調するべき…という趣旨の前回記事で使った以下の図のように、

そもそも自由や民主主義よりも、国家の安定や滞りのない運営の方が優先されるべき…と考えている人が多い社会において、「自由や民主主義を守れ」というだけの論理で立ち向かっていっても全然響いていかないというか、むしろどんどん彼らも意固地になっていってしまう構造がある。

要するに、

・ガチンコの中国ナショナリズムの信奉者

VS

・ガチンコの「自由と民主主義の戦士」

こういう↑二者だけしか関わっていない状態では、この問題は平行線で紛糾し続けこそすれ、決して解決の糸口すら見いだせない状況に追い込まれていくことになります。

こういう「押し合いへし合い」だけをやり続けることの最大の問題点は、

「中国に関わっている普通の生活者(多くの中国人や、ビジネスで関わる外国人)」は、現状としての中国政府支持を続けるしかなくなること

なんですよね。

実際、日本人の中でも、中国と普通に関わって生活している多くの人は、この問題に対してかなり冷淡な態度(“民主活動家の視点から見れば”ということですが)を取っていることが多いように見受けられます。

彼らとしても、日本人として育った当たり前の感情としての自由と民主主義的な価値観を持っていることが多いわけですが、「そうはいっても、じゃあ中国13億人を今のやり方以外でどう混乱せずに運営すればいいのさ?」という部分があまりにも考慮されないままだと、おいそれと「民主化バンザイ」というわけにもいかなくなってしまうわけですね。

3:「かわいいは正義」的な感情が、拮抗状態に変化をもたらすかも?

「かわいいは正義」的な形で周庭さんに注目が集まることは、この「大真面目な政治的目線」以外の「普通の目線」がこの問題に注がれることを意味します。

ガチンコの「政治的議論」だと、そもそも平行線になってしまうし、普通に中国でビジネスしていたり中国の学術界で活躍していたりする日本人としたらおいそれと乗っかるわけにもいかないことになりがちです。

しかし、

かわいい女の子が、よくわからない罪状で、強権的な中国政府に逮捕されて連れていかれた…という絵面のパワー

というのは、「普通の生活者」レベルでも無視できない影響力を持ちうるかも、しれません。

前回記事で書いたように、この「政治的対立」に新しい調和をもたらすには、以下の図のように、

今みたいに国内外全方位的に喧嘩を売りまくったり、香港への締付けを果てしなく厳しくしたりするような習近平政権の態度は、商売の邪魔になっているということを理解してもらうように持っていくことが必要です。

もちろん「ガチガチの政治的ナショナリストの中国人」にそう思ってもらう必要はないが、「普通の生活者」の中国人や中国と関わる外国人に対しては、「大事なお客さん」として扱って、彼らの考え方を徐々に変えていってもらう必要がある。

中国民主化といっても、いきなり「民主国家」レベルの完全な投票システムとか、一切の検閲のないインターネットとか、そういうものが実現すると考えている人は、今の時代もうほとんどいないでしょう。

要するに、「中国政府の強権性」が、末端で果てしなく酷い抑圧を起こしてしまわないように監視する目線がちゃんと国際社会との間でチェック&バランスとして働くようになる…それがまずは第一歩なんですね。

そのためには、まずは「政治の議論」を超えた「普通の生活者の目線」をも動員して、「中国政府が無茶をやらないようにする」監視を行えるようにしていくことの意味は大きいでしょう。

4:立場の違いを超えた「項羽と劉邦作戦」で!

前回記事でも香港民主派の人たちにメッセージを書きましたが、とにかく命を大事にして、でも現行の中国政府が「間違った威圧」を続けざるを得なくなる程度には刺激し続けてくれたら、と思います。

「すぐに勝ちはしないが、負けてしまったり、そもそも死んでしまったりはしない」道をぜひ生き延びていってほしい。

そうやって現行の中国政府が、その権威主義社会を維持するために無理を重ねなくてはいけないレベルの「刺激」を与え続ければ、日本のネットでよく見るこの図のように事態は進んでいくことになります。

そうやって中国政府に「非合理的な態度」を取らせ続けることができれば、どこかで経済的問題が、「人民を食わせることができる者のみが中華の中心たりえる」といったような中国民族の本能的直接民主主義のような構造を刺激していきます。

結果として、「大真面目な政治的議論」を超えた「普通の生活者レベル」のコンセンサスが「新しい中華の中心」を求めて本能的に動き出すでしょう。

その「彼らの民族的本能」さえ動き出せば、あとは中国国内外のビジネス関係者や国際政治関係者が、なんらかの「落としどころ」的なものを構想していけば、この問題を解決する可能性が見えてくるはずです。

それが前回記事述べた「項羽と劉邦作戦」でした。

しかし、この「項羽と劉邦」作戦を完遂していくにあたって、中国内部における民主化勢力は、

「中国政府から潰されず、しかし反抗し続ける」…そういう難しいポジションを取り続ける必要がある

わけですよね。

もちろん、諸外国は「政治的に真面目な論理」で、中国を批判し続けることが必要です。しかし、メディアですらかなり強烈な圧力を受け始めている時代には、それだけでは中国国内で生きている人間は自衛しづらいかもしれない。

その時に最後まで身を守ってくれる可能性のある力が、「かわいいは正義」的なもので国際的注目を集め続けることかも?しれません。

そういうパワーをうまく活用すれば、拮抗する政治的論理同士の相対化をすり抜けて、「日常を生きる普通の生活者」たちも無視できなくなるから…ですね。

この記事のタイトルを読んで、政治的に真面目な読者のあなたはかなり拒否反応を感じたかもしれません。

確かに周庭さんが若くて可愛い女の子だから世間の反応が全然違う…というのは、「政治的正しさ」的には零点という感じです。

しかし、ときに「正しくないこと」が歴史を作るパワーを生み出すやも、しれません。

そうやって「狭義の政治的議論以外の目線」までも動員して中国政府を監視していくことが、この課題では大事です。

5:中国民主化という「不可能を可能」にしなくてはいけない時代

中国政府に、「何らかの形でチェック&バランスを受け入れてもらうこと」というのは、人類社会にとってそろそろ切実な問題になっています。

反政府的な意見を持っている人間が、それだけで逮捕されたり、それこそ「変死」したりすることは中国では珍しくないわけですが、そもそもそんな国がそういう政体のまま世界一の経済になられたら本当に困るんだけど!…という当たり前すぎるほど当たり前なことに、そろそろ本気で世界が向き合わないといけない時代なんですよね。

それは、一つの立場からだけ無理押しにしても実現しない事かもしれませんが、「いろんな立場の人がそれぞれの立場を活かして相互無関係に行動する」結果としてなら、実現する道は見えてくるはずだと私は考えています。

以下の図は、「項羽と劉邦」作戦において「いろんな立場」の人それぞれがやっていくべきことを見取り図にしたものです。

「アメリカ」「日本の右派」「欧米メディア」「香港・台湾民主派」「中国国内の隠れ民主派やビジネスパーソン」「日本左派」…それぞれ全然違った立場なりに、「項羽と劉邦作戦」に対してできることはあります。

「ハード」路線と「ソフト路線」を組み合わせて、ぜひ現代の”易姓革命”を実現しましょう。

次回は、また新型コロナウィルスに関する話題で、中国政府が強権的な手法で無理やり抑え込もうとする中、民主主義社会では対策が後手に回りがちなわけですが、それでも人類が民主主義を諦めないためにはどういう方向性の対策が必要なのか?という話を書きます。

連載は不定期なので、更新情報は私のツイッターをフォローいただければと思います。この記事への感想やご意見などは、私のウェブサイトのメール投稿フォームからか、私のツイッターにどうぞ。

また、この「中国問題」を解決するためには、玉突き的に日韓関係や北朝鮮問題なども包含する全体的な視野が必要になってくるわけですが、話題の韓流ドラマ「愛の不時着」について述べながら、その「東アジアの新しい調和」の形について考察したnoteが結構好評だったので、よかったらどうぞ。

この連載の趣旨に興味を持たれた方は、コロナ以前に書いた本ではありますが、単なる極論同士の罵り合いに陥らず、「みんなで豊かになる」という大目標に向かって適切な社会運営・経済運営を行っていくにはどういうことを考える必要があるのか?という視点から書いた、「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」をお読みいただければと思います(Kindleアンリミテッド登録者は無料で読めます)。「経営コンサルタント」的な視点と、「思想家」的な大きな捉え返しを往復することで、無内容な「日本ダメ」VS「日本スゴイ」論的な罵り合いを超えるあたらしい視点を提示する本となっています。


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