EVENT | 2018/06/06

「平昌五輪・パシュート金メダル」の事例に学ぶ、データ分析がチームを変える方法



去る4月27日、一般社団法人日本スポーツアナリスト協会(JSAA)主催のオープンセミナーが開催された。

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去る4月27日、一般社団法人日本スポーツアナリスト協会(JSAA)主催のオープンセミナーが開催された。

今回のテーマとなったのは、平昌オリンピックでの活躍が一躍注目を浴びた団体パシュート(スピードスケート競技の一種)における、スタッフ・コーチ陣のサポートの方法論だ。スポーツ界においても映像・データの収集や分析の重要性が叫ばれる一方、ただ素材だけを漫然と揃えても、実際に選手や監督が活用できなければ無用の長物である。

映像・データをどのように収集し、それをどう分析し、いかに組織として活用していくか。当日はビジネスシーンでも広く活用できそうな議論が活発に展開された。

文:飯塚さき 撮影:神保勇揮

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【プログラム】

映像はスマホ・タブレットで観れなきゃ意味がない

2014年に設立された一般社団法人日本スポーツアナリスト協会(JSAA)は、スポーツパフォーマンス向上に必要なデータ収集と分析を担う「スポーツアナリスト」を養成し、その活躍の場を広げるための活動を行っている。スポーツアナリストの職能を育むことで、アスリート支援環境を発展させ、スポーツの社会的価値向上に寄与することを目的としている。

JSAAは8回目となるオープンセミナーを開催。「スピードスケート女子団体パシュートにおける金メダル獲得を支えたスポーツ科学の総合力」と題し、今年2月に行われた平昌オリンピックのスピードスケート競技における、アナリストたちの活躍にスポットを当てた。

セミナーを通してモデレーターを務めたのは、筑波大学体育系准教授の河合季信氏。

河合季信氏(筑波大学体育系准教授)

自身もかつてトップ選手としてスピードスケート競技に取り組み、冬季オリンピックでメダル獲得をした同氏。「過去のJSAAセミナーにも何度か出席していますが、今回初めて記録系競技をテーマに取り上げてもらったので、楽しみにしています」とあいさつした。

はじめに登壇したのは、平昌オリンピック スピードスケート映像サポートスタッフの横山瑠依氏。

横山瑠依氏(平昌オリンピック スピードスケート映像サポートスタッフ)

横山氏は3月まで独立行政法人日本スポーツ振興センターのハイパフォーマンス・サポート事業スタッフだった人物。ちなみに「ハイパフォーマンス・サポート事業」とは、スポーツ庁からの委託で、オリンピック・パラリンピックでメダル獲得が期待できる競技において、多面的・専門的なサポートを行う制度であり、同氏は主にスピードスケートでの映像撮影・分析に携わった。

パシュート日本代表チームに帯同したスタッフ一覧。

同氏のミッションは、専門スタッフとして選手や監督・コーチ陣が「いつでも・どこでも・気軽に」練習や大会時の映像をチェックできる体制を構築すること。選手や指導者の要望も聞きつつ、大会の際はもちろん、練習でも映像を撮影した。

実際に使用する機器はというと、家庭用ビデオカメラ・パソコン・タブレット端末など、いたってシンプルで軽装備。追従撮影(滑走する選手を追いかけての撮影)が主で、時々の練習の流れや、強化ランクなどによって撮影する選手やチームを判断する。パシュートに関しては、隊列や先頭交代を考えるために、こうした追従映像が活用されるのだという。

こうして撮った映像を活用してもらうためには「視聴しやすい環境を整えることが大切」だと横山氏は話す。

「選手たちは、競技会場だけでなく、移動中や滞在先のホテルでも映像を見たいと思っています。いつでもどこでも見られるよう、膨大なデータをわかりやすく整理してフィードバックすることを心がけていました」

撮影した映像データは、市販のアプリや国立スポーツ科学センター(JISS)の開発した独自のアプリなどを駆使し、なるべく早く、そしてわかりやすく選手と指導者にフィードバックする。

「選手ごとにフォルダ分けし、選手が自分のタブレット端末やスマートフォンで映像が視聴できるようにしています。直接データを渡せない場合は、リクエストされた映像をLINEで個別に送ることもありました」

近年は、こうして選手から自主的に映像提供や撮影の要望がある。映像サポートスタッフを派遣できない時には、不満も出てくるほどだ。横山氏は、「スピードスケートにおいて、映像を活用することは競技力向上に不可欠だと言えると思います」と講演をまとめた。

映像分析と実証実験を通じてチームの戦術が変わる

次に登壇したのは、公益財団法人日本スケート連盟科学委員・スピードスケート強化部委員の紅楳(こうばい)英信氏。

紅楳英信氏(日本スケート連盟科学委員・スピードスケート強化部委員)

横山氏らが撮影した映像を利用し、データ分析をするのが紅楳氏の役割だ。2014年のソチ・オリンピックのスピードスケート競技では、メダル0個、入賞4つに終わったが、今回の平昌大会では、メダル6個、入賞15と好成績を収めた。その背景として、「科学技術そのものよりも、スタッフが選手たちをサポートする環境の変化が大きい」と紅楳氏は強調する。

「平昌大会前には、連盟が初めてナショナルチームをつくり、オランダのヨハン・デビッドヘッドコーチを招聘しました。デビッドヘッドコーチをはじめとするオランダ人のS&C(ストレングス&コンディショニング)コーチたちが、データの活用方法を選手たちに落とし込んだことで、選手たちの意識が変化しました。つまり、データそのものよりも、現場での活用の仕方が変わってきたのです」

大会前には、強化部長が中心となって強化方針を打ち出し、しっかりと明文化。それだけでなく、これまで曖昧だった選手選考基準やスタッフの派遣基準も明快に定められた。そのおかげで、選手や指導者だけでなく、紅楳氏をはじめとするサポートスタッフも、大会までにできる準備をすべて済ませることができたという。

では、具体的にどのように分析を進めていくのだろうか。基本的には、撮影した映像を駆使し、選手の位置情報、滑走速度、そして軌跡を追っていく。例えば、各種分析により、コース取りがタイムに大きく影響するとわかった。カーブではラインより50cm外側を回るだけで、滑走距離が1つのカーブにつき1.57m長くなる。また、滑走速度が1周30秒相当の場合、1m外側を回ると、1週につき1秒遅くなるのだ。

2016年に長野で行われたワールドカップ男子5000mにおいて、各選手の実際の総滑走距離を調べると、ラインに沿って滑走していた海外のトップ選手たちは5002~5006mであったのに対し、日本人選手たちは5050mほど滑っていた。ロスしている時間は約4秒。当時、この分析結果をデビッドヘッドコーチに見せたところ、ぜひ選手にフィードバックしてほしいと言われたという。

「スピードスケートは、いかに早くゴールするかを競う競技なので、たとえスピードが速くても良いタイムが出なければ意味はありません。早くゴールすることに焦点を絞った分析が、平昌大会のサポートにも生かされました」

パシュートでは、3選手がいかに効率よく先頭交代(2番目以降の選手は空気抵抗が弱まり体力を温存できるため、交代を繰り返すことでトップスピードを維持できる)できるか、その戦術を練るための分析が行われた。

カーブの局面で、ラインより1m外側を滑走すると3.14m多く滑ることになる。しかし、先頭の選手が後ろに回るには、3.5m後ろに下がらなくてはならない。つまり、先頭の選手が1mほどしか外に出ない場合、カーブの入り口から交代し始めると、出口を過ぎてから追いつくことになってしまうため、その前に追いついて直列になるには、全体が減速せざるを得ない。

「私は、この滑走の加減速が体力消耗に直結すると予測しました。そのため、交代の際には大きく外側に出ようというのが、日本チームの戦術だったのです」

大会まで、実にさまざまな実験と検証を重ね、綿密に準備したサポートスタッフ。紅楳氏は最後に、「オランダとの決勝では戦術通りに試合が進んだのですが、それでも会場ではドキドキしながら見守りました」と当時の心境を明かした。

紅楳氏による所感。

映像・分析チームは選手の成績アップに直接貢献できる仕事

セミナーの最後には、日本代表コーチを務めた糸川敏彦氏(写真左から2番目)を交え、登壇者によるパネルディスカッションが行われた。糸川コーチは、「映像を活用した、科学スタッフからもらうフィードバックは、私たち現場の人間にとってとても新鮮でした。選手が体感としてできていると思っていることが、客観的に見るとできていないこともあるのですが、そうした映像を見せることで納得してもらえるのです。映像や分析のフィードバックが豊富になってきたことで、選手たちの向上心が高まったと感じています。今では、選手同士でも積極的に映像を撮り合っています」と、映像活用による選手たちの成長について語った。

映像スタッフに求められる資質を問われると、横山氏は「とにかく興味をもつこと。私はこの仕事を始めてから、スピードスケート競技にのめり込みました。よりよくしようと努力するには、興味をもって取り組むことが一番なのではないかと思います」と回答。紅楳氏は「アナリストという職業は、まだあまり一般に浸透していません。能力よりも、あらゆる分野で幅広く活動することで、道を切り拓いていけるのではないでしょうか」とコメントした。モデレーターの河合氏は、「かつて競技に取り組んでいた身ですが、スピードスケートは速さではなくタイムを競う競技であるといった再定義をはじめ、たくさんの学びを得ました。次の北京大会に向けて、皆さんの活躍を祈念しています」と締めくくった。

参加者たちは皆、メモを取ったり写真を撮ったりしながら、すべての講義に熱心に耳を傾けていた。登壇者たちへの質疑応答も活発に行われ、セミナーは盛況のうちに幕を閉じた。


日本スポーツアナリスト協会(JSAA)