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中川淳一郎
ウェブ編集者、PRプランナー
1997年に博報堂に入社し、CC局(コーポレートコミュニケーション局=現PR戦略局)に配属され企業のPR業務を担当。2001年に退社した後、無職、フリーライターや『TV Bros.』のフリー編集者、企業のPR業務下請け業などを経てウェブ編集者に。『NEWSポストセブン』などをはじめ、さまざまなネットニュースサイトの編集に携わる。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社新書)、『ネットのバカ』(新潮新書)など。
政府を動かしたツイッターの検察庁法改正案抗議デモ
政府・与党は検察庁法改正案の今国会成立を断念した。ハッシュタグ「#検察庁法改正案に抗議します」が約600万ツイートされるなど、「みんなの声」が動かすことになった。著名人も多く声をあげるなど、さすがにこの件は政権をビビらせたとは思うものの、時にネットの「みんなの声」はロクでもない結果をもたらすことがある。
というのも、ネットの投票はアテにならないからだ。最近では「一人一日一回しか投票できない」などの対策は取っているものの、あまりにも熱狂的信者を持つ著名人や、特定思想を持つ者がIDを大量に作って何度も投票するため、ロクな結果にならないのだ。
この点については私も長年指摘してきたが、今もあまり変わっていない。むしろ「こんな投票やってるぜ!」と同じ思想を持った者同士で情報を流通し合い、見せかけ上の数字を高くする動きはより活発化している。
初期のネットのアホ投票の2大巨頭は2001年の米『TIME』誌が行った「PERSON OF THE YEAR」における「田代祭」がひとつだ。田代まさしが投票時期に風呂場覗で逮捕され、覚醒剤所持・使用により再逮捕された。2ちゃんねるを中心とした日本のネットユーザーが同賞を田代に獲得させようと公式サイトでの投票を続け、後に「田代砲」とも呼ばれるようになる自動投票スクリプトを開発する者まで登場し、一時期田代が首位に立ったのだ。
その後、海外のバカも同様にどうでもいい人間や架空の人物を投票し上位に来たところから、『TIME』誌は不正があったとしてこの投票をやめ、結果は米同時多発テロで陣頭指揮を執ったルドルフ・ジュリアーニ元ニューヨーク市長が選ばれた。
2つ目は「川崎祭」である。2000年のプロ野球シーズンオフにヤクルトからFA宣言した川崎憲次郎投手は中日に移籍したが、2001、2002年シーズンはケガのため出場はゼロ。2003年シーズンになっても出場しない状況が続き、晒し者にするためか「川崎憲次郎をオールスターファン投票1位にしよう」というスレッドが2ちゃんねるに立ち上がり、結果1位になった。川崎は当然辞退した。
このツートップがありつつも、個人的に味わい深いのが、「クラリオンガールネット投票」である。アグネス・ラム、原千晶、蓮舫氏などを輩出した1975年から2006年まで続いた伝統あるコンテストだ。