「京都大学×マッキンゼー×船井総研×肉体労働出身」
これが今回から連載が始まる経営コンサルタント・経済思想家、倉本圭造氏のデビュー作『21世紀の薩長同盟を結べ』の帯に書かれたキャッチコピーである。
連載「あたらしい意識高い系をはじめよう」は主に時事ネタを評論する内容となる予定だが、彼の書く話はこの約10年間でずっと一貫している。それは「欧米エリート流グローバル社会の良さと、日本の一億総中流な現場の良さをミックスできれば、これからの日本はきっと良くなる」ということだ。
これを読んだ読者のみなさんは、「ああ、外資コンサル出身者の意識高い系机上の空論ね」と思っただろうか。それとも「無闇に愛国心をくすぐる日本スゴイ系言説ね」と思っただろうか。もちろんそのどちらでもない。むしろその両方を批判しつつ第3の道を模索していくものであり、それを担うのが「あたらしい意識高い系」である。
第1回記事「怒ってもいいし政権批判もいいが、陰謀論はやめよう」と同時掲載するこのインタビューでは、倉本氏のこれまでの経歴、そして日本のこの20年間を振り返りつつ、連載タイトルにもある「あたらしい意識高い系」とは一体何かをうかがった。
倉本圭造
経営コンサルタント・経済思想家
1978年神戸市生まれ。兵庫県立神戸高校、京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感、その探求を単身スタートさせる。まずは「今を生きる日本人の全体像」を過不足なく体験として知るため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、時にはカルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働くフィールドワークを実行後、船井総研を経て独立。企業単位のコンサルティングプロジェクトのかたわら、「個人の人生戦略コンサルティング」の中で、当初は誰もに不可能と言われたエコ系技術新事業創成や、ニートの社会再参加、元小学校教員がはじめた塾がキャンセル待ちが続出する大盛況となるなど、幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。アマゾンKDPより「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」、星海社新書より『21世紀の薩長同盟を結べ』、晶文社より『日本がアメリカに勝つ方法』発売中。
グズグズと「変われない日本」だったからこそ温存されている可能性がある
―― 倉本さんのプロフィールを読むとキャリアがとにかく摩訶不思議なんですが(笑)、どのような流れで現在に至ったんでしょうか。
倉本:わかりました(笑)。まず京都大学を卒業してマッキンゼーに入社したのが2002年です。2002年というのはサッカー日韓ワールドカップの年で、その後すぐ小泉・竹中路線みたいな感じになって、いわゆる“ネオリベ”が一番調子に乗っていた時期ですね。マッキンゼーにいる人も「遅れている日本社会を、グローバリズム的に最新の手法でバッタバッタと改革していくんだ!」みたいな感じで。とにかく「グローバルなやり方=善、日本的なもの=悪」的な空気が、当時の「意識高い系」の人たちの中には溢れていました。
私も、海外企業がクライアントのプロジェクトではそんな感じでバッタバッタ「改革」をしていくことになんの問題感もなかったんですが、いざ「日本企業」相手にそういうことをやろうとすると、どうも自分たちの一番の強みを人工的な理屈で強烈に抑圧してしまっているような、物凄い違和感があったんですね。
―― それはどんな違和感だったのでしょうか?
倉本:グローバルな経営手法には学ぶべき点がたくさんあるとは思っていましたが、こればかりが「唯一の正解」という扱いで日本中でゴリ押していっても、サイズの合わない服を無理やり着させるような感じで、結局日本社会の自然な個性や生命力が次々と抑圧されていって、結局経済的に力強い発展とか、人々が自分たちならではの個性を活かして生きる社会とか、そういうことはどんどん不可能になっていってしまう予感がヒシヒシとしたんですよ。
その当時は、なぜ欧米企業相手のプロジェクトではこういうグローバルな手法に違和感がないのに、日本だと違うのか…が不思議でしたが、しかし今考えてみると、欧州の極右勢力とか、ブレグジットとか、アメリカのトランプVS反トランプ…的な分断が世界的に明らかになった中で、その「グローバルな経営手法」が取りこぼしてしまっているものは当時の欧米にもあったんだけど、ただそれを黙殺していただけなんだな、ということがわかってきた時代だと思います。
要するに、「ほんの一部の知的な個人主義者」だけの力しか吸い上げられないシステムになっていると、それが目先の短期間には経済合理性があるように見えても、長期的にはサスティナブルじゃないんだな、ということを、直視せざるを得なくなった時代なのだと言えます。
で、私は有名私立中高進学校じゃなくて関西の普通の公立中学・公立高校出身ですし、全国大会を目指すような「部活!」みたいなのを真剣にやってたこともあるし、あと地味に大きいように思うのが高校時代に阪神大震災を経験したことだったりと、「知的な個人主義者以外に存在価値がない」的なグローバルな経営手法自体が見落としている力がこの社会には巨大な要素としてあるということが体感として非常にわかるというか、性質として無視できない人間だったんですよ。
というわけでだんだん「グローバルな経営手法を金科玉条として、日本企業に“改革”を迫る」という仕事が精神的に辛くなっちゃって、いずれこういうことを続けていたら社会がもたなくなってくるだろうから、その時に、「2つの世界」をうまく融合するような知見を持った人が必要になるだろうし、それを10年20年かけて準備していこう!みたいな、若気の至り的な感じですけど、「大志」的なものを抱いたわけです。
「短所是正でなく長所伸展」を徹底してやることで生まれる「ほんとうの多様性」
―― そして倉本さんはマッキンゼーを退職されたわけですが、その後は何をされていたのでしょうか?
倉本:結果としてやりはじめたのが、「ザ・古き良き日本企業の経営ってこうだろう的価値観」でユニークな成果を上げている、船井総合研究所という日本のコンサルティング会社の内定を取りつつ、「さらにその外の領域も実体験として知らなきゃいけない」と思って、入社する前のタイミングでブラック企業やカルト宗教団体、ホストクラブ、肉体労働現場その他への潜入…というムチャクチャなことをやっていました。
当時20代なかばの若気の至りでやってたことなんで、最初どういう考えではじめたのかは忘れてしまいましたが、若いなりの必死さみたいなのがあって「来るべき“2つの世界の分断”をシナジーするビジョンを打ち立てるには、ルポライターとか社会的支援活動とかいった“観察・サポート”じゃなくてほんとうに自分が“中に入って一員として扱われて体験する”レベルで、社会のいろんな立場からの視点を経験しておかなくてはいけないという強烈な直感的切実さがあったんですよね。
その後、船井総研で数年間マッキンゼーとは全然違うスタイルのコンサルのあり方を学んだ上で、今は個人でコンサルティング業をやってます。
船井は何百人も個人営業のコンサルが集まって多種多様なことをやっている感じの面白い会社なんですが、彼らの基本方針は、「長所伸展」というスローガンで、「どんな個人、会社にも長所と短所があってそれは表裏一体だから、短所だけを直そうと思ったら長所もダメになっちゃう。だから長所を伸ばしていけば、短所は気にならなくなるものだ」みたいな感じなんです。まあ船井のコンサルタントが全員、実際にそれを実現できているかはともかくとして、私自身も非常に影響を受けた考え方だと思っています。
「グローバルに統一的な基準でローカルな存在を裁きまくる」ようなシステムだと、多様性を大事にしようなんてお題目を唱えても、結局みんな「世界統一のグローバルシステムにみんなを無理して合わさせる」ことになりますよね。
一方でちゃんと「個別の存在の短所に見えるものの背後にある長所」を活かすようにテーラーメイドにやっていって、それがグローバルな経済的結びつきとうまくシナジーするようにできれば、「ほんの一部の、今活躍しやすそうな人」だけじゃなくて、ありとあらゆる人たちの「ほんとうの個別性」「ほんとうの多様性」が活きる社会にできるはずですよね。
私がずっと取り組んでいるのは、そういう経営のあり方、モノの見方…で社会を運営していくやり方について考えたり実践したり発信したりしていくことなんです。それは20年前には「何言ってるの?」って感じだったですが、トランプVS反トランプとか、米中冷戦とか、そういう時代背景の中で、やっと世の中が追いついてきてくれて、聞く耳を持ってくれはじめたかなという感じがしています。
時代が一巡して、「あたらしい意識高い系」の活動が増えてきた
―― 倉本さんが外資コンサルの世界に身を投じた2002年というと、日本でも金融危機があってリストラの嵐が吹き荒れ、バブル崩壊後もうっすらと残っていた“ジャパン・アズ・ナンバーワン”的な自信が完全に打ち砕かれ、“構造改革”が天からの啓示のように重用されていた時期ですね。
倉本:そうそう。だからあの時期は、まだ世間には「日本的なもの」に対するプライドがアチコチにあって、なんとなく惰性でこのまま繁栄し続けられると普通の人は思ってたけど、外資コンサルにいるような人は「この遅れた日本のやり方を根底から覆して改革してやる!」みたいな気分の人が多かったです。
でも逆に、あれから20年経って、今度は日本中で「日本ってもうダメだよね」みたいな感じの空気が蔓延するようになった反面、逆にマッキンゼーにいるような人が「いや、日本のこういうところは欠点ではなく美点なんだ。問題はどうやってその長所を活かすかが大事なんだ」とか言い始めているところがあって、時代が一巡したなって思いますね。
世間で「まだまだ昔の延長で惰性でなんとかなる」という空気が大半だった2000年代前半のあのタイミングで「もう今まで通りじゃダメだ、目を覚ませ」みたいなもの言いは確かに必要だったと思いますけど、今は状況が逆なので「単に欧米のマネをするだけじゃなくて、自分たちのいいところを自覚してもっと活かしましょう」、「しかし一方でこれはズルズル続いちゃってますけど、悪影響が出ているから止めちゃっていいですね」というようなことをちゃんと選り分けて考えていこうという、「あたらしい意識高い系」とでも言えそうな人たちがチラホラ出てきました。
つまり「ローカルに昔からあるもの」を「グローバルな抽象的基準」で上から目線でぶっ叩いて「ダメだねえ」みたいな感じで覆そうとするのが「古い意識高い系」だとすると、そうじゃなくて、短所と長所は表裏一体だから、その「長所」をグローバルな環境変化の中でどう活かしていったらいいのかを考えないといけないんだ、そうすることでやっと「短所」に見える部分も是正できるようになるんだ…というような発想をするのが「あたらしい意識高い系」ってことですね。
SNSの暴走で、「古い意識高い系」の攻撃的な盛り上がりがかなり目立つ時代背景にはなってはいますが、一方でネットを離れたところでのいろんなチャレンジとしては、そういう「長所伸展型で、古い社会を全否定せずにうまく活かしていく」ような「あたらしい意識高い系」が徐々に出てきているのが今だという風に思っています。
メディアの一時的流行から離れたところでないとできない活動もある
―― 倉本さんの文筆家としてのデビュー作は2012年に出版された『21世紀の薩長同盟を結べ』(星海社)です。今に至るまでの8年間はどんなことを考えて活動をされてきたのでしょうか?
倉本:当時なりに必死になって書いた本だったし、物凄い熱烈なファンになってくれた人もいたんですが、ただ大枠で言えば時代のムードに対して早すぎたなと感じていました。
「物書き業」を本業にしてしまうと、長期的に見るとあまり本質的でない出版業界の時々の流行に必死に参加し続けないといけなかったりするんですが、そういう風に「論壇芸人」みたいな感じの仕事をしていてもあまり意味のある変化は起こせないですし、一度距離をおいて実力をたくわえたほうがいいな、と思いまして。
同時に、あの本を凄く熱烈に受け入れてくれた一部のファンの人がけっこういたので、そこから関係ができたいろんなクライアントと、個人経営のコンサルタントとして直接仕事をしているほうが有意義だなと思って、そうしていたら10年ぐらい経ってしまったという感じです。
―― 今も個人でコンサルをされているということですが、どういうプロジェクトがあったんですか、その間に。
倉本:製造業や農業クライアントが言っていることを深く知ったり、若い世代のチャレンジしている人たちとのつながりができたり、付き合う人の幅がより広がった感じですね。
あと、僕は月額1万円、メールの“文通”というかたちでコーチングみたいなこともやっているんですが、利用者には「自分が理想としている教育はこれじゃなかった」ということで小学校教師をいきなり辞めて地域の学習塾を始めたら、一気にキャンセル待ちが続出する大盛況になった女性がいたりします。
その人は「今風に活躍しそう」なタイプではなかったのにそんな展開になったので、やはり「今のメディア的流行」で「現場の人」を裁きにかかるんじゃなくて、「人それぞれのほんとうの長所」をちゃんとエンパワーしていくことを基本にして、すべてを考えていくことが大事なんだな、という風に思い知らされる体験でした。
そういう現場レベルの「長所伸展」をやっていくには、「出版業界」的なものの一時の流行に必死に後追いするようなことからはとりあえず距離を置かないといけなかったんですよね。
「インテリな人」と「現場っぽい人」が、長所を活かしあえるビジョンが今の人類には必要
倉本:そういうことを続けながら、じゃあ「時代の節目」はいつ変わるのかというと、これまで全盛だったグローバルに対抗する“何か”が現れて拮抗状態に陥らないと次に行かないじゃないですか。
トランプVS反トランプ的な構図だったり、米中冷戦みたいなものがクローズアップされたりしてくると、20年前のようにアメリカ型のグローバル資本主義をとにかくゴリ押せばいいのだ的な、ネオリベ思想の限界が明らかになってきますよね。
で、「2つの世界」が拮抗して押し合いへし合いになって、どちらにも進めなくなってきた…となってはじめて、「両者をどうシナジーするかが大事ですね」という私が20年ずっと言っていたことが受け入れられる可能性が出てきたんじゃないかなと。
「敵側」を無視して押し切ってしまえるとどっちもが思っている時代には、僕が言っているようなことは迂遠すぎるように感じられちゃいますからね。
特に中国があれだけ大きくなり、「欧米文明とは違うあり方」を強烈に主張するようになる中で、欧米も含めて中国的な政治体制になるわけにはいかないけど、単に欧米的なモノの見方をゴリ押しすればいいってわけでもないよね、というのは否定できなくなってきたのは大きいと感じています。
たぶん、日本における「知的な個人主義者」の人の多くは、過去20年間いろいろと「変われない」日本に非常に不満を持っていたと思うんですね。身軽な諸外国が、クリアーな理屈でバシバシ「改革」を行ってグローバルな状況変化に対応していこうとしているのに、なんで日本は変われないままなんだ!という不満が渦巻いていた。
ただ一方で、例えば今のアメリカに見られるような途方も無い経済格差、あるいは欧米全体で見られる絶望的な社会の分断はそうした「変わらなかった日本」のおかげで生じなかったとも言えるわけですよ。
あらゆる社会制度は全体的に絡み合っているので、よっぽど気をつけないまま一部をイジると全部が壊れたりする。たとえば日本の医療制度とか、「知的な個人主義者」が考えがちな視点からだと改善点が山積みなように見えますが、浅はかなイジり方をするとアメリカみたいに結構裕福そうに見える人ですらちょっとした病気で破産しそうになるようなイビツな制度になってしまう。あるいは欧州の多くの国で見られるような、ちょっとした病気で治療受けるのも何カ月待ち…みたいなことになってしまったりね。
新型コロナウイルスについても、たしかに感染症専門家が強力な権限を持ってリードする体制とか、それ単体で見ると物凄く「合理的」に見えるし日本にも取り入れると良いんじゃないかとは思いますが、そういうところに予算を配分しまくって普通の人が安価で受けられる病院網の維持ができないと…。
結局今回アメリカがすでにブッチギリで世界最大に死者を出してしまっているし、死者数の増加率もなかなか下げ止まっていません。「アメリカのCDC(アメリカ疾病予防管理センター)ってのが超凄いらしい、日本はできてないからダメだ」神話ってなんだったんだ?って話ですよね。…そういう「狭い意味の合理性の追求」がもたらした脆弱性の弊害は、今回の新型コロナウィルスの問題でどんどん可視化されていっていると思います。
なんらかの「改革」が不要だというわけじゃないんですが、ちゃんと日本の国情と持っているリソースを勘案した上で、「今よりももっと深い合理性」を実現しようとする必要があるんですよね。
つまり大枠でいうと、「古い意識高い系」の活動を過去20年間抑え込んで来たから、アメリカや欧州で起きているような、「ほんの一部の都会のインテリとそれ以外の絶望的対立・分断」みたいなものが起きていないし、格差が開いているとはいえ、「日本人ならまあこれくらいはね」みたいな生活クオリティがギリギリ維持されているわけですよね。
「アベというフタ」の功罪とは?
―― そうしたお話を踏まえて第二次安倍政権以降の7年間を振り返ってみると、今までにないレベルのムチャクチャな所業も多数あった一方、株価と就職売り手市場は維持してきたのも事実です。そうした「経済は順調っぽい」というムードの中で「パワハラやセクハラを止めよう」「LGBTに関する理解を深めよう」ということを一部のリベラル層だけでなく社会全体で考えられる余裕もあったのかな、ということも思ったりします。
倉本:なるほど、あまりそういう視点で考えたことはなかったですが、ツイッターを拝読する限りバリバリの左翼の神保さんがそういうことを言うと説得力がありますね(笑)。
グローバル経済の容赦ない競争圧力にも“ある程度”対処しつつ、それが破壊してしまう日本ならではの良さをなんとか“誤魔化し誤魔化し”守りつつ、しかもLGBTの権利やパワハラやセクハラをやめよう的なムーブメントにも“そこそこ”対処しつつ…と全方位的にいろんなものをやりくりしてきたので、「グローバル経済至上主義者」からも「LGBTやフェミニズムといった新しい社会運動の支持者」からも「日本主義者」みたいな人たちからも、それぞれどの立場から見てもほんとうに中途半端で不満が溜まる時期だったですよね。
ここのところの難しい構造が、安倍政権に対する非常に難しい感情的対立につながっているんですよね。物凄く嫌っていて諸悪の根源だと思う人たちもいれば、なんだかんだ言って5割弱の人は安定的に支持していて選挙にも何度も勝っている。
個人的には安倍氏が嫌いな人が嫌う理由もすごいわかるんですが、過去20年間のグローバリズム的圧力が「日本的な良さ」を崩壊させようとするエネルギーは物凄かったので、とりあえず「アベというフタ」をして自分たちのコアの部分を崩壊させないように維持しておくことを最優先にしよう…という日本人の集団的無意識の決断の結果が、「知的な個人主義者」の一部の人たちからすると心底許しがたい長期政権ということだったと私は思っています。
もちろん、そのシワ寄せを受ける立場の人のことがあるので、手放しに最高というわけにはなかなか言えませんが。
ただ、「あたらしい意識高い系」が育ってきて、長所と短所が表裏一体であり、欧米的価値観から一方的に断罪するのではなくて、現地現物に自分たちの良さを時代の変化の中で伸ばしていけばいいのだ…という機運は徐々に高まってきていると私は感じています。
そうやって「あたらしい意識高い系」のムーブメントが育っていけば、「アベというフタ」をしてあらゆる変化を押し留めておく必要性が根底的になくなりますから、「反アベ」の人たちにとっても受け入れやすい社会に変えていくことは可能だと思います。
ネットでこういうことを言うと「反アベ」の人たちから「さっさと死ね」的なメールが送られてきたり、「絶対こいつはアベから金もらってる」とか言われたりするんですが、そのあたり、別にいますぐ僕の言っていることを受け入れてもらえなくてもいいんですが、考え方としては理解してもらって、いずれ一緒になって「あたらしい意識高い系」のムーブメントで日本をよりよい国に変えていく動きを起こしていければいいなと思っています。
これから日本は、ちゃんと「あたらしい意識高い系」が次々と現れてきて、世界中でどうしようもなくなってしまったその分断を超えていくようなビジョンを提示していく国になれますよ。
インタビューの後編で詳しくお話しますが、たとえば日本の製造業の現場とかでは、ちゃんと「インテリな人」と「現場っぽい人」がうまく長所を活かし合って活躍している文化が生き残っている。
世界のテクノロジー的な変革が、「重さのないIT」の世界から、徐々に「重さのある世界とITとの相互作用」が主戦場になってくる今後の時代には、そういう「2つの世界を分断しない、お互いの良さを発揮できる」ような日本スタイルの変革のあり方が、世界の新しい希望になるという道は開けていると思います。
それは社会全体の運営としても重要なことだし、目先の経済運営的にも、その「両方の力を吸い上げられる」スタイルの必要性が増してきているからですね。
だからこそ、過去20年間の流行にはあえて乗らずに、「変化できない国」としてグズグズしてきた日本だからこそ可能な、「2020年代以降の繁栄の仕方」ってのは必ずあります。
今までの日本の「変われなさ」に不満をつのらせていた人たちにも、ちゃんと「あたらしい意識高い系」的な視点から活かし合う変革が起きてくれば、むしろ願ったり叶ったりでその変化の中で腕を振るう充実感を感じてもらえるようになると思います。
メディアの流行とはかなり違う方向性で20年間地味な模索をしてきた経験から、そういう新しいビジョンを示す連載にできたらいいなと思っています。
ちなみにここまでの話で興味を持っていただいた方には、今年出した「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」を手にとっていただければと思っています。「みんなで豊かになる」という人類永遠の、しかし叶わずにいる目標に近づいていくためにはどういう考え方が必要なのか、について、「経営コンサル」的な実地の話と、「思想家」的な広い視野からの捉え直しを往復しながら浮かび上がらせていく内容になっています。