BUSINESS | 2020/04/17

左翼と右翼、フェミと反フェミ、時代遅れとイノベーション…「ほんのちょっとの工夫」で分断の時代は超えられるはず(後編)

【連載】あたらしい意識高い系をはじめよう(0)

聞き手・文・写真:神保勇揮(連載編集担当)  トップ画像デザイン:大嶋二郎

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前編はこちら

経営コンサルタント・経済思想家、倉本圭造氏のインタビュー後編をお届けする。

同氏はインタビュー前編で、過去20年の世界的な流行にあえて乗らなかったことで、経済的パフォーマンスは低いままになってしまったが、そのぶん欧米社会に見られるような社会の分断が起きていないことが、これからの日本の可能性だと語った。

つまり、「古い社会」が持っていた良い面を徹底的に否定してぶち壊そうとする「古い意識高い系」を拒否してきたからこそ、その「グローバルな世界とローカルな世界」の「2つの世界」のそれぞれの良さを持ち寄って「短所是正でなく長所伸展」的な変化をもたらす「あたらしい意識高い系」のムーブメントの起点になれるというわけだ。

後編では、より具体的な事例のもとに、経営・経済の話から、より広い社会全体の話まで、「あたらしい意識高い系」のムーブメントをはじめるのにどういう視点が必要なのかについて、お話を伺った。

連載第1回「怒ってもいいし政権批判もいいが、陰謀論はやめよう」はこちら

倉本圭造

経営コンサルタント・経済思想家

1978年神戸市生まれ。兵庫県立神戸高校、京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感、その探求を単身スタートさせる。まずは「今を生きる日本人の全体像」を過不足なく体験として知るため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、時にはカルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働くフィールドワークを実行後、船井総研を経て独立。企業単位のコンサルティングプロジェクトのかたわら、「個人の人生戦略コンサルティング」の中で、当初は誰もに不可能と言われたエコ系技術新事業創成や、ニートの社会再参加、元小学校教員がはじめた塾がキャンセル待ちが続出する大盛況となるなど、幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。アマゾンKDPより「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」、星海社新書より『21世紀の薩長同盟を結べ』、晶文社より『日本がアメリカに勝つ方法』発売中。

経済の主戦場が「重さのない」ITの世界から「重さのある」現場の世界に変わってきている

倉本:少し前に、テスラモーターズのイーロン・マスクが、最初は全部自動化してしまおうと思っていた製造現場において、やっぱり人間の作業員をもっと使うことが大事だとわかった、人間の力を過小評価していた…と語って話題になっていました。

それは、単に作業的にロボットにはまだ苦手な作業があるっていうだけの話ではなくて、やはり常に進歩し続ける製造技術をどの工程にどういう形で取り入れたらいいのか、いやむしろこういう工程は昔のやり方の方が現時点では低コストだとか、いろんな種類の製品を多彩に作り分ける調整を行ったりとか、そういう細部の意思決定を状況変化に応じて常にほんとうに最適化していくには、ほんの一部の勉強できる人が隅々まで全部設計するだけじゃ「工夫の量」が足りなくて、現場レベルで働いている人のその場その場の工夫の積み重ねが重要になってくるってことなんですね。

製造業に関わったことがない人からすると、モノ作りなんてなんのクリエイティブさもない、ただそれこそロボットみたいに言われた通りに手足を動かす真面目さだけが大事な産業のように見えるんですが、高効率に高品質なモノを大量生産するっていうのは、それはそれで非常に現場レベルの「クリエイティブ」な発想を吸い上げることが日々必要な分野なんですよ。

で、過去20年間経済の主戦場だった「重さのない世界」のIT分野では、物凄く勉強できるごく少数の人間が一貫して隅々まで設計してしまい、そこにノイズを入れさせないことが大事でしたよね?

しかしだんだんそれが自動運転車とか各種シェアリングサービスとかIoT(モノのインターネット)とか、「重さのあるリアルワールド」に主戦場が移ってきて、そことIT分野とのインタラクションが大事になってきた今の環境では、「知的な個人主義者の世界」と「その外側の世界」との間のうまい連携を打ち立てることが重要になってきているわけです。

世界のあちこちでは過去20年の間グローバル資本主義の容赦ない暴走によって、その「現場的な世界」の共同体は、かなり痛めつけられてしまったわけですが、日本においては必死に過去の遺産で食い延ばしながら「変われない日本」をグダグダと続けてきたおかげで、そういう「現場レベルの共同体」を完全には崩壊させずに余力を残している。

たとえば私のあるクライアントのような、大卒社員が2割ぐらいしかいない地方の会社でも、ちゃんとモノ作りの技術と効率をブラッシュアップし続ける共同体感覚を維持していることで、グローバルサプライチェーンの中でちゃんと有能さを維持できていたりする。

そのあたり、GAFAで働くような「ほんの一部の知的な個人主義者」以外は経済的に戦力にならなくなって、「単なる手足」扱いになってしまっている国とは違う可能性がまだ残っているわけです。

ともあれ、そういう会社は、「現場力」はあるけど、時代の変化にはちゃんとついていけてないことも多かったんですが、最近の日本のITベンチャーにはそういう部分をちゃんと「強み」として位置づけて、そこと協業するような新しい発想のビジネスをするところがチラホラ出てきてるんですね。

つまり、一昔前には、「こんな“昭和な”奴らはぶっ潰してしまわなければならない!」的なのがIT系の人たちの基本発想だったと思うんですが、今はむしろ「彼らのほんとうの強みを最先端技術で解放しさえすれば、短所に見えるものはそのうち自然と解決するだろう」みたいな発想が出てきている。

「あたらしい意識高い系」に必要なのは「ほんのちょっとの工夫」

―― IT業界と製造業などの現場がうまく噛み合って力を発揮するためには、何が必要なのでしょうか?

倉本:単に「2つの世界」を無理やり一緒にしようとしてもダメで、「あたらしい意識高い系」には「お互いの違いを理解して、うまく組み合わせる」発想が重要です。そのためには「その2つの世界の境界」の部分で「ほんのちょっとの工夫」をちゃんとやることが大事なんですね。

過去20年のIT技術は発展途上だったので、末端の共同体をボコボコに崩壊させてしまって、人々を「他と切り離された孤立無援の個人」にしてしまいがちでしたよね。

でも例えば最近の日本の事例ではキャディ株式会社っていうところがあって、ここは全国にある板金加工業の工場の受発注プラットフォームを運営してるんです。これは業界の問題を最先端AI技術で解決しつつ、「現場レベル」の共同体の内部問題には踏み込まずに活かす構造になっているんですね。問題の切り分けが天才的なんです。

つまり、「ITに無理やり合わさせられる」のではなくて「現場的な組織の強みを活かすようにIT技術が寄り添ってくれる」発想になっている。社長さんは元マッキンゼーで最年少役員になった人で、技術トップは元AppleでAirpodsを作っていたエンジニアっていう「めっちゃピカピカのグローバル資本主義最先端」みたいな経歴の人たちが作った会社ですけど、それが凄く「日本の現場レベルの強みを持った共同体を崩壊させない、むしろ活かす」ビジネスをはじめているのは、過去20年とは全然違うところだと思います。

他にも、たとえばIoT(モノのインターネット)分野ではi Smart Technologies (iSTC)という会社があって、これは元トヨタのエンジニアが子会社のトップになってから製造業の現場をカイゼンするためのIoTソフトウェアを作っています。

ここの面白いところは、最先端の高価な機械を導入しないと使えないシステムにするんじゃなくて、たとえ“昭和“の時代から使ってる減価償却が終わった古い機械でも、秋葉原で買ってきたような100円とかの安い安いセンサーを取り付けて、ガシャコン!っていう機械の動き自体をセンシングして情報を取り込めば、それをカイゼンに活かせるデータとして扱えるようにしてるんですね。そして、その情報を見ながら現場の作業員が自主的に次々と工夫を載せていけるような仕組みになっている。

家電に例えると、新築で空調が一括管理されていて常に一定の湿度温度が保たれている住宅…って凄い一部の金持ちだけしか実現できない感じがしますよね?でも、安いセンサーをあちこちに取り付けて温度とかの情報を取って、加湿器とか空調へのリモコンとつないだら、あとはその間をソフトウェアでつなぐだけで、築40年で昭和の時代から使ってるような空調機器しかない家でも同じことが実現できますよね。

「インテリの世界」と「現場の世界」の境界領域において、そういうクリエイティブな「ほんのちょっとの工夫」があれば、「一部の特殊なインテリ以外徹底的に排除されている」形の経済にはない可能性が生まれてくるんですよ。

「重さのない世界」から「重さのある世界」にIT技術の応用が進んでいく中で、「一部のインテリだけがすべてを差配する世界」から、日本ならではの「インテリの人と現場レベルの人」がちゃんとお互いの良さを活かせる世界が見えてきているんですね。

日本のスマホゲーム運営から学べる「2つの世界」の間の連携

―― 製造業での協業のあり方はよくわかりましたが、他の業界でも同じようなことは可能なのでしょうか?

倉本:確かに過去20年、そういう「日本ならではの良さがちゃんと経済的な価値として発揮されてる」世界をあまり体験せずに来た人の方が多くなってきているので、そういう人でもイメージしやすいかなと思う例で言うと、日本のスマホゲームの運営さんとプレイヤーの関係がちょっと似てるなと思うんですよね。

なんか、「環境の変化」を運営さんがルールの変更とか新しい要素の追加とかで発表すると、それを結構インテリなプレイヤーがちゃんと解析したあと、攻略サイトとか動画サイトとかでプレイヤー全体に伝えていったりするじゃないですか。

凄いマニアックなダメージ計算式の細部をちゃんと解析してまとめる人がいたりする。一方でその内容がある程度薄まりつつもリレーされていって、いずれ「本とか読まない、動画しか観ない」層にまでちゃんと浸透する。で、「要するにこの数字ができるだけ減るような方法考えればいいんだろ?任せときなよ」的な単純な発想とヤンキー的なガッツで工夫に参加する人たちも、その輪から排除されない大事な戦力になったりする。

ちゃんと「インテリの世界と現場レベルの世界」が地続きに連動するように持っていければ、スマホゲームにハマる人とか、あとパチプロとかスロプロみたいな人たちにも似た印象を持つんですが、彼らが独特の集中力を使って現場レベルの課題をちゃんと精度高くブラッシュアップしてくれる連携が生まれるんですね。

そういう非常に日本的な連動性を経済的価値として活かしていくための、あたらしい取り組みは、ビジネス的な世界ではすでに見えてきているんですよ。「環境の変化」をインテリがちゃんと分析して、解決策の方向性を示したら、それは動画メディアみたいなのでちゃんと末端まで伝わって、「よし、じゃあこれがこうなるように工夫すりゃいいんだな、やるよ」的なトライが無数に行われる。

「インテリ」と「それ以外」が徹底的に分断されている社会では実現できない可能性が、みなさんの「普段接する体験」の中ではたとえばそういうスマホゲームの運営の中にはあるんですよね。

読者のあなたが明日からできる「あたらしい意識高い系」のチャレンジとは?

―― これから読者一人ひとりが「あたらしい意識高い系」に変わっていくためには、どんな取り組みが必要になるんでしょうか?

倉本:とりあえずは、普段のしごとでも、プライベートでもいいんですが、まず身の回りで発生する「古い社会」と「あたらしい発想」とのぶつかりあいを、うまく仲裁できないかどうか考えてみるといいと思いますね。

私のクライアントの会社で、ちょっとマニア向けの小売店なんですが、長い間使ってたスタンプカードをアプリ化するっていう話が最近あったんですよね。

これ、「いまだにスタンプカード??」って思う人は使わなきゃいいだけな一方で、ずっと昔からスタンプカードを溜めていて、通販の時はシールを同封してるんですがそれも綺麗に貼り付けて…みたいなことをしてくれる「溜めてる人」は明らかに大事な顧客なので、やはり店舗の運営者からするとその仕組みを止めてしまうことになるアプリ化に抵抗感があったりしたんですよ。

こういう時に大事なのは、「古い発想」にも存在意義があるよね…ということを理解して、それをちゃんと言語化することです。

この場合、「配慮なしに強行したら大事な顧客が離れるかもしれない」というのは、それはそれで明らかに正当な懸念ですよね。そしたら、過去のスタンプをどういう比率でアプリのポイントに変えたらいいのかとか、その告知をどうやってハートフルで顧客との関係をより強化できるものにするかとか、「あたらしい意識高い系」として工夫すべきポイントが見えてきます。

その「懸念事項」さえ解決すれば、そりゃ実物のスタンプカードで財布がパンパンになってしまうよりアプリの方が便利なのは当然なんで、実際のところ誰も反対しないで変化は進むんですよ。だから、「古い社会」と「あたらしい発想」がぶつかりあってるとしたら、その「古い社会がそれに反対する理由」をちゃんと深堀りするべきなんですよね。それを解決する方法を考えさえすれば、協力しあって一緒に変化していける。

そういう「理解する」ことをしないで「遅れてる!あんな昭和なヤツらはぶっ潰してしまわなければならない!」みたいなことしか言わないから、結局押し合いへし合いになって何も変化できないまま何年もたってしまうわけですね。

みなさんが普段出会う仕事面でも、そしてプライベートでも、今の日本には「こういう課題」はありとあらゆるところにあるので、とりあえず、身の回りのその「小さな課題」について、「あたらしい意識高い系」の解決策を考えてみることからはじめてみてほしいですね。

社会問題では「ミクロには妥協しない、マクロには対話する」

―― それは経営とか経済だけじゃなくて、いろんな社会問題に対する課題でも同じことが言えるかもしれませんね。

倉本:そうなんですよね。「古い社会」が持っているいろんな要素を徹底的に悪!だと捉えて非難しているだけだと変わっていけない問題がたくさんあるんですよね。

―― この辺りの問題が難しいのは、マイノリティにしろフェミニストにしろ、抑圧されている側としては「まずその踏んでいる足(抑圧)をどけてくれ」と言わねばならない段階にあるからだ、という認識が広がっているからだということもありますよね。そしてその物言いが気に食わない層が反発して一向に問題が解決しないという。

倉本:それはまっとうな指摘だというか、ほんとうに今まさに足を踏んづけられている人はまずそれをみんなに伝えなくちゃいけないというのはまったくその通りです。

ただ、その「異議申し立て」と「社会のがわの事情」をちゃんとすり合わせて解決する回路が全然働かないで言いっぱなしに放置されてしまうから、結局異議申し立てそのものを抑圧せざるを得なくなってしまうんですね。

たとえば、こういう「日本古来のもの」と「グローバルな状況変化による新しい考え方」の対立が、今社会問題的に一番紛糾しているのはフェミニズム的な考え方と日本社会の対立だと思うんですけど。

文通」のクライアントにはフェミニスト的な考え方の女性もちょくちょくいるのですが、そういう人に僕がいつも言ってるのは、「ミクロには妥協しない、マクロには対話する」ってことなんですね。

ミクロには妥協しないっていうのは、たとえばセクハラだとか、職業上の差別だとか、たまに日本の高齢政治家とかが「いつの時代やねん」的な性差別的なこと言ってネットで炎上してますが、そういうのに怒ったり糾弾したり改めさせることは全然容赦しなくてよくて、むしろバンバンやったらいいんですよ。

「フェミニズム」に対して結構厳しい態度をSNS上の論戦(というか罵り合い)では見せるタイプの人でも、そういうことに関してはほとんど反対の人はいないと思いますし、世間的なコンセンサスも実はすでにあるし、バンバンやればやるほど喝采を受けるぐらいだと思います。

だから「ミクロな」ことはバンバン糾弾していいし怒っていいんですが、それが「マクロ」な問題に関わってくる時には、諦めなくてもいいけど対話することが必要というか、「そうなっている理由」をちゃんと深堀りする作業が必要なんですね。

―― 確かにそうですね。

倉本:たとえば医学部入試の女性差別問題とか、それ自体もちろん是正されていくべきだと思いますが、その背後には崩壊寸前の国民皆保険制度をなんとかやりくりしながら、日本人が求める安くて便利でハイレベルの医療を凄い安い自己負担で万人に提供しようとする必死の努力があるわけですよね。

昔ネットで匿名の女性医師が、「女性医師も厳しい労働環境の診療科で頑張って働かないと、今後女性医師が増えたら医療崩壊してしまう。それはわかってるから頑張ろうと思ってたけど、私だって結婚したいし子供もほしい。だから申し訳ないけど私はラクな診療科に行って今の彼氏と結婚します」みたいな記事を書いていたのが凄い印象的だったんです。

これ、アメリカじゃあできてるのに日本じゃできないのは日本の男が性差別的だからだ…って言うだけでは解決できない問題ですよね。じゃあアメリカみたいに貧乏人はマトモな医療が受けられない国にしていいのか?みたいな話になるわけなので。

今のフェミニストは、こういう問題が起きた時も全部「日本の男が差別的だから全部ダメなんだ」みたいなことばっかり言うんで、「医療制度をどうすれば、女性医師の働きやすさにちゃんと配慮しながら、日本人が満足できるクオリティの医療を万人に向けて受け入れ可能なコストで実現できるのか?」という問題の根本のところに話が全然進まないんですよね。

そういうすれ違いが放置されていると、結局フェミニストの言うことを実現すればするほど、マクロに見た時に日本社会はどんどん「どこかにシワ寄せをしてとりあえず解決する」みたいなことばっかりすることになる。そういうことばかりやってると社会が崩壊してしまうので、結局どこかで女性の意見を抑圧することが必要になってしまう。

ミクロに見た時の「医学部試験の女性差別」は解消しましょう…というのは全然妥協しなくていいけど、その先の「方法」を考える時に、ちゃんと「マクロの問題」については真剣に実務家さんたちに働きかけて共同戦線を作るようにしていかないと、結局ミクロな部分の怒りも抑圧せざるを得なくなってしまうんですよね。

別に、実際に試験で差別されて落とされた女の子にそこまで考えろって話じゃないんですよ。そういうミクロの怒りを吸い上げるフェミニズムムーブメントのリーダーたちは社会経験も視野の広さも学識もあるわけですから、ただ「日本の男が性差別的だ」と悲憤慷慨してみせるだけじゃなくて、そういう「具体的な改革テーマの投げかけ」までやってくれないと。

そのあたりで、「ミクロには妥協しない、マクロには対話する」あたらしい意識高い系のモードが浸透してくれば、「ミクロ」な話で女性の意見を抑圧する必要性がそもそもなくなっていくので、普段SNSで常に怒り心頭に発しておられるフェミニストのかたがたも、最終的には生きやすい世の中に変えていけると思います。

罵り合いより「ほんのちょっとの工夫」の追加を

―― 「ミクロには妥協しない、マクロには対話する」という方向性はその通りだと思います。

倉本:経営的な問題にしろ、社会問題にしろ、プライベートで出会う価値観の違う他人とのやりとりにしろ、「相手側の事情も考える」ってことは、過去20年くらいくりかえされてきた、日本人の悪癖であるところの「足して2で割った妥協策」になるってことじゃないんですよ。

さっきの「スタンプカードをアプリ化する話」みたいな感じで、ちゃんと「相手側がそれを主張している理由」まで深堀りして、「より深い理屈」で解決すれば、ありとあらゆることを日本的な情実でグダグダにしてしまって知的な個人主義者が発狂するみたいなことにならずに済むんですよね。

「相手の事情なんて考えてたらスピードが遅くなる」って思うかもしれないけど、両方が譲らずに押し合いへし合いになる方がよっぽど時間かかりますよ。

経済も経営も社会問題も、さらにはプライベートで出会ういろんな価値観の違う他人とのいざこざも、ここまでに話した例でいえば「スタンプカードとアプリのポイントの交換比率をちゃんと考える(私のクライアントの会社)」とか、「安いセンサーを取り付ければ昭和の時代の機械でも使えるIoTシステムにする(iSTC)」とか、「人工知能で解決する部分を厳選することで現場的共同体の繋がりを破壊しないようにする(キャディ株式会社)」とかいった、「考えてみればあたりまえの、ほんのちょっとのこと」を「改革を迫る側」が配慮するだけで、今まで対立してたのがバカバカしくなるような感じで前に進ませられるものだと私は感じています。

こういうのは、アカデミックに知的な個人主義者だけが全知全能の役割を与えられている欧米諸国ではなかなか実現できない問題だし、過去20年「わからずやさん」たちに邪魔されてグズグズと混乱の中でもがいてきた日本ならではの、あたらしいイノベーション、あたらしい社会運営ビジョンとして、提示していけるものがあるはずだと思っています。

「あたらしい意識高い系をはじめよう」の連載では、当分は新型コロナ問題をテーマにしつつ、いずれは経営・社会問題・歴史認識問題とか外交問題とか、いろいろな課題を扱いながら、この「あたらしい意識高い系」の考え方を提示していければと思っています。

週イチ程度の連載ができればいいなと思っていますが、とりあえずここまでの話で興味を持っていただいた方には、今年出した「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」を手にとっていただければと思っています。「みんなで豊かになる」という人類永遠の、しかし叶わずにいる目標に近づいていくためにはどういう考え方が必要なのか、について、「経営コンサル」的な実地の話と、「思想家」的な広い視野からの捉え直しを往復しながら浮かび上がらせていく内容になっています。


連載第1回「怒ってもいいし政権批判もいいが、陰謀論はやめよう」はこちら