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『「好き」の因数分解』最果タヒのネットとの距離感。共感をゴールにせず、好きなものについて書けばいい
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  • 2020.03.16
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『「好き」の因数分解』最果タヒのネットとの距離感。共感をゴールにせず、好きなものについて書けばいい

‪詩人・最果タヒによる『「好き」の因数分解』(リトルモア)が2020年1月31日に刊行された。ファッション誌『FUDGE』連載の書籍化で、タイトルの通り最果タヒさん自身が好きなものを「因数分解」するように綴っていく内容となっている。48個の「好き」について3層のテキストで語られているが、扱うテーマは「よつばと!」「マックグリドル」「ゆらゆら帝国」「Instagram」「ポイント10倍キャンペーン」などユニークで幅広い。‬

‪気持ちを素直に書くと炎上しないか、否定されないか……少し躊躇してしまう雰囲気がSNSを含めいまネット上にはあるように思える。ネットで詩を書き始め、雑誌『WebDesigning』で「詩句ハック」を連載していた最果タヒさんは、今、ネットとどう向き合い、書いているのか。「好き」の話と合わせて訊いてみた。‬

聞き手・‪文・写真:平田提‬

「面白いでしょ」より「分かってもらえないかも」と書いた文の反応が大きい

―― 『「好き」の因数分解』楽しく読ませていただきました。特に「マックグリドル」の項が面白くて……“甘いとしょっぱいが50:50のハーモニー、ではなく、100:100で陣地の取り合い・殴り合いをしているような食べ物なのです”というのには「分かる!」となりました。

最果:ありがとうございます。なんという味の暴力だって思いますよね。

―― 他にも「古畑任三郎」「タモリさん」「宇多田ヒカル」「BLANKEY JET CITY」など、平成のカルチャーを思い出しながら読み進めました。テーマの選定はどうやって進めたんですか?

‪最果:『FUDGE』の連載が始まった頃から、好きなものについて勝手に書くのは決まってたので、とにかく好きなものを列挙していった感じです。本としてまとめたときに、編集者の方が帯に「平成カルチャー論」って書いてくれて。それで「ああ、そうも読めるのか」と思いました。‬

―― 本を手に取られた方からは、どういう反応が多いんですか?

‪最果:「このページが好きです」みたいな反応をいただくことが多いです。人によって選ぶページが違っていて面白かったです。まさに「マックグリドルの文章、超分かります」とか、「読み終わってマックグリドル食べに行きました」という方もいらっしゃいました。‬

‪最果:詩人としての私を知らなくても「美容院でいつも『FUDGE』の連載読んでます」なんて人が多くて、不思議な出会いのある連載でした。カルチャーページにあるのですが、どこまでも「好き」の個人語りで、参考になりそうなところはあまりないです。でも、そういうものにふと出会って好きだなと思ってくれる人がこんなにいるんだっていう驚きをくれた場所です。

この連載だけでなく、いつも「分かってください」って書いたものより、「たぶん分かってもらえないだろうなあ」って書いたもののほうが反応をもらえるのが嬉しいです。「これ面白いでしょ!」って書いてないから、そういう文章を面白がってくれるのは、まだまだ書ける気がして嬉しいです。‬

‪――  この本は本文、キャプションのようなテキスト、詩のようなテキスト……という3層構造のレイアウトも面白いですよね。‬

‪最果:雑誌連載時は、本文と、そのモノについての短いキャプションを載せていました。ファッション誌の中でカルチャー紹介のふりをして全然「紹介」はしていないという、へんなギャップのある連載だったんですけど、それはやはり雑誌に載っているからこそ成立する見え方で……。単行本としてはどう見えるのだろう、と出す前に暫く考えました。読む人が、どの距離で読んだらいいのかわからなくなるのではないかと。でも、だからってこう読んで、とこちらから親切に説明するのも違っていて。

それで、「もっと分かんなくしよう」、「多面的な本にしよう」って思って、さらにもう一つの文章を付け足し、見開きに三つの文章が並ぶようなレイアウトになりました。デザイナーの佐々木俊さんによって、この文章が並ぶ感じ、多面性をより打ち出すデザインになっています。‬

‪―― 読んでいくうちに、「分かる!」もたくさんあったんですけど、「好きって結局なんなんだ?」という気持ちにもなりました。‬

‪最果:好きなものが好きな理由を書こうとすると、それについての話にはならない感じがあります。好きは好きだし、好きなものを「なぜ好きなのか?」、わざわざ分かる必要を自分は感じていないし、好きなものについて語るとき、それはなぜ好きなのか、よりも「自分はここにいます」って話にしかならないように思うんです。‬

‪昔は自分が好きなものはみんなも好きになると思ってたんですけど、必ずしもそうじゃないことがだんだん分かって。好きっていうのは、自分から見た世界がこういう風に見えるってこと。好きっていうのは、世界から何かを選び取ってるんですよね。そこに自分が映し出されている。だから「好き」を語るのは、自分自身の話をすることにも近いと思うんです。それに気がついてからは、好きなものについて書くとき、それそのものの説明をしなくなりました。それを通じて自分がどう生きてきたか。どう思うのか。それが「好き」なんじゃないかな、と思って大事にしています。‬

‪―― なるほど。だからこそ『「好き」の因数分解』を読んで共感したのかもしれません。モノに反射された自分の好みや人格が分かってくる、その過程を追体験するような感覚でした。‬

‪最果:なぜ好きかを書こうとしたらこういうことになりました、というのが「因数分解」なんですよね。因数分解って式の形を変形させていくこと。答えが出ることもあるけれど、答えを出すというより変形させていくことで気持ちを見る角度を変える。そうすると、なぜ好きか、よりも先に、知らなかった自分が見える、気がしています。‬

‪―― ちなみに最果さんが最近「好き」なものはあるんですか?‬

‪最果:それは、もう……宝塚(歌劇)ですね。観劇していると「ここは極楽!?」って感じるぐらい多幸感があるんですよ。この間、(『「好き」の因数分解』版元の)リトルモアの広報の方にもお勧めしたらハマったんですけど、「アクアヴィーテ(aquavitae)!!」っていうウイスキーがテーマの演目がすごくて。宝塚は前半・お芝居、後半・ショーか、全編お芝居のものがあって、「アクアヴィーテ!!」は前者なんですよ。‬

‪お話はほとんどなくて、めっちゃきれいな人たちが金ピカのスーツで出てきて1時間ぐらい歌って踊り続けるんですけど、体感5秒ぐらいなんです。「5秒で終わった」ってみんなが言う(笑)。ウイスキーがテーマのショーで、衣装もセットも音楽も、徹底的にかっこよくて、極限まで美しい人でないとあの場には立てないだろ……みたいな場に、タカラジェンヌの方たちはみんな堂々と立っている。そしてどこまでも綺麗なんです。「そこにいる」っていうそのこと自体に無限のエネルギーを感じる。素晴らしいショーでした。‬

「好き」は自己完結する、流されずに自分を守る砦

―― 「インスタグラム」についての文章で、“「好き」は自己完結すると、昔書いたことがある。「嫌い」は誰かに承認されたくて、つい言葉を尽くして説明してしまうが、「好き」は私が好きであればそれで良い、と思える”、”好きなものについて調べるならインスタグラムが一番しあわせ。嫌いなものを調べる気も起きなくなる“と書かれていたのが印象的でした。

‪最果:嫌悪感って「見たくもない」って感覚だと思うんです。Instagramは写真をシェアするSNSで、画像を検索できるけれど、嫌いなもの・見たくもないものはわざわざ検索はしないんじゃないかと。SNSでは仲間を探す欲求も強いと思うんですけど、Instagramでは「嫌い」仲間が見つかりにくいし、そもそも求めようとしなくなるんじゃないかな。「好き」と思ってその写真を上げている人がほとんどだから。‬

‪―― SNS上での無言の同調圧力とか、事件や世論の流れで自粛モードになったり、自分の「好き」を発信すると誰かに否定されないか、あるいはその表明で誰かを傷つけないか……などと周りを気にして言いたいことが言えない状況もあるように思うんです。‬

‪最果:自粛についてと、好きなことについて発信することは、そんなにつながることではないと感じますし、そこは別の問題であるように思います。自粛は人の好き嫌いに対してどう言うか、というよりは、自分の危機感や正義感に対してどう言うかであるように思います。それぞれが非常に不安だったり焦っていたりして、求めている答えだけが聞きたいとき、それ以外の答えに拒絶反応を見せてしまう。否定するのは、怒りからじゃなくて、不安で、落ち着かないからじゃないかと思っています。どういう言葉が受け入れられるかとか、炎上したくないとか、受け入れられるかとかの問題ではなく、不安な人は自分が握りしめているたった一つの答えを否定されたくない、それ以外は何も見せないで、と言っているのではないかと。でも、不安だから、インターネットやテレビを見てしまう。自分が信じていることが間違っていないと確かめたくなってしまう。そこで大量の情報に触れてしまい、パニックになってしまうんじゃないかなと。‬

‪それとは別の問題で、好きなものについて語るっていうのは、本来は、共感を求めなくても平気なことだと思うんです。「好き」は、自分がそう思うだけで満たされるものだし、そこに仲間がいなくても、あまり関係ないはずなんです。私はこれ好きだし、自分の中で完結できる。大量の情報が巡っている中でも、便乗とか派閥とか関係なく、「私」って砦を保つために「好き」はあるんじゃないかと。逆に、そうした他者の「好き」を「こんなのが好きなんておかしい」とか簡単に否定すること、「これが好きなんて変なのかな」と、「好き」という気持ちさえも不安とともに抱かなきゃいけないように誰かを支配することは本当に恐ろしいことだと思います。「好き」は、その人と世界の間にある境界を作り出すものだと思うから。その人自身の輪郭であるはずなんです。‬

‪―― “「好き」は自己完結する”ですね。仲間をつくらなきゃいけない、コミュニティをつくらなきゃいけない、じゃないということですね。‬

‪最果:そうです。もちろん同じものが好きな友達をつくりたいとか、一緒に盛り上がれる人が欲しい動機もありますけど、人とつながるためだけに「好き」を表明するわけではないですし、「好き」はあくまで自分のためのものです。‬

テキストサイトで好き勝手に書く大人を見て、詩を書き始める

‪―― 同じく「インスタグラム」の文章で、「ツイッター」についても書かれていて“知らん人を知らんままでいたい、という曖昧な感覚がツイッターでは通じないのが近年とてもつらくなってしまいました。どうして「みんなの話題になっているツイート」だとかをまとめて毎日提示してくれるのだろう。そんな、教室みたいなことしなくていいのに”と。これもすごく分かりました。‬

‪最果:昔のTwitterに戻って欲しいですよね。急にテレビ画面つけないでっていうか。まとめたニュースは知らんよ、果たしてこれはインターネットなのか?って思います。‬

‪―― 「これはインターネットなのか?」っていうのはどういうことですか?‬

‪最果:昔からインターネットをやっているせいか、昔のインターネットのイメージが強くて……。現実からはみ出した世界というイメージなんです。いまだに。なんというか、現実からの避難場所のようでした。当時はテキストサイト全盛期で、大人がそれぞれ好き勝手に何かを一方的に発信していた。流行とかは特になくて、他人の顔色なんて全く見てなさそうな文章がたくさんありました。‬

‪―― 昔のテキストサイトって、「PV稼いで広告収入得ようぜ」なんてものじゃなかったですもんね。‬

‪最果:本当に好き勝手にやっている感じが好きでした。当時私は中学生ぐらいだったんですけど、大人でも空気とか読まずに、他人の反応なんて期待せずに言葉を書くんだな、というのが衝撃でした。テレビで見る大人とか、学校の先生とかとは全く違っていた。当時はブログやSNSもなくて掲示板機能ぐらいで、それも誰かに反応を返すようなものじゃなくて、みんな言いたい放題だし、流行りもないし、文体もないし。それがすっごく好きでした。大人って教科書みたいな文章以外にも書くんだなっていう。

それまで、友達が言ってほしそうな言葉を選んで喋ったり、空気を読んでコミュニケーションしたりで、言葉にはむしろうんざりしていたのですが、そういうのを見て「私もこういう風に文章を書きたい」と思って、インターネットに書き始めました。‬

共感をゴールにせず、好きなものについて書けばいい

‪―― 誰にも発見されない片隅にこっそり書かず、人に見られるところに書き始めたのはなぜなんでしょう。‬

‪最果:最初はネットの片隅で書いていたので、見る人がいるのかはわからなかったです。ただ、ネットにある言葉に感化されたので、自然とネットで書くことを選択していました。誰かが見るかもしれないっていう方が、言葉がするする出てくる感覚もあったので……。‬

‪書こうとした時に困ったのは、当時のテキストサイトって変わった趣味がある人や、何かを極めている人が多くて、ただの10代がただの日記を書いても意味がないな……と思ってしまったんです。それで、もっと頭の中身をそのまま言葉に映し出すようなそういうことをやってみようかなと思いました。思いつくままに一行書いて、そしたらその言葉に触発されて次の行が生まれてって。私の頭にあったとは思えない言葉が出てくるのがとても楽しかったです。それを「詩みたい」って言ってくれる人がいて。それで詩の投稿サイトを見つけて投稿するようになりました。その後、それを見た人たちに「詩の雑誌に投稿してみたら」と言われて……。そこで雑誌に掲載されて、今があります。‬

‪私は自分の中から言葉が湧き出てくるタイプじゃなくて。言葉はパブリックなもので、人と人との間にあってみんなが借りて使うもの、という捉え方をしています。だからこそ言葉がどんどん更新されて、流動的であり続ける。その変わりゆく感じが好き。誰かが見るかもしれない、ぐらいのふわっとした前提で書くと、言葉の動きに影響されて、自分からだと出そうもない言葉が現れたりする。それが面白いし、書くのが刺激的です。だから閉じてない空間で書くのが向いてるみたいです。死後に大量に日記帳が見つかるとか……私にはできない。‬

‪―― 『非現実の王国で』のヘンリー・ダーガーみたいな……。‬

‪最果:あれはすごい……わたしには無理です……。インターネットのおかげでみんなが発信することになって、多くの言葉が点在するのではなく大きな海のように動いていて、それが非常に書いていて「面白いな」と思います。単語一つ一つの使われ方も変わっていきます。例えば「愛」という字にどんな印象を抱くか。「愛」という言葉に触れると、その印象がその人の中で爆発する。言葉を書くとは、それぞれの人の中にあるスイッチに触れていくことでもある。たったひとつの意味を書いていくのではなく、読む人の数だけ作品があるのだと思います。‬

‪書く瞬間ってそういう言葉のパブリックな部分につながる瞬間っていうか。なんの気もなしに一文字書いたら次の一行が出てくる時って、そういう言葉の風速に乗ってる感じがあると思んです。だから書いてて刺激的だなと思います。自分自身が一番楽しい。みんなの言葉の渦みたいなものに乗せてもらっている感覚です。‬

‪―― 「好き」は自己完結でいいんだけど、いざ書くとなったときに読まれるものになるべきというか、言葉を使うことで自然とパブリックなものになっているんですね。心がすり減る文章を書くのって辛いので、「好き」について自由に書くのはとてもいいなって思いました。‬

‪最果:言葉は楽しいだけでなく、しんどいものでもありますよね。言葉にすることは自分自身を簡略化することにも繋がりかねないし、空気を読んで語った言葉が、自分を乗っ取るような感覚にわたしも昔なったことがあります。言葉はコミュニケーションの道具だ、という認識がとても強いので、言葉を自分のためだけに、自分の思うままに選べることって本当はとても少ないのかもしれない。‬

‪『「好き」の因数分解』を読んで「自分の好きなものについて書きたくなりました」って感想をいただくのはとても嬉しいです。共感を得るのがゴールじゃない文章を書くのに、好きなものってテーマにとても向いていると思います。共感される必要を本人が感じてないから。そういう文章を書くと健康になる気もする。人の顔色を見ずに文章を書けるから。「言葉ってこんなするする出るのね」とか、「私こんなこと思ってたっけ」みたいな感動があります。そういうのがすごく良いなと思います。‬


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