CULTURE | 2019/12/21

池袋事故で「上級国民」が流行語に。誕生は4年前の一般国民を巻き込んだあの大炎上【連載】中川淳一郎の令和ネット漂流記(7)

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中川淳一郎
ウェブ編集者、PRプランナー
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中川淳一郎

ウェブ編集者、PRプランナー

1997年に博報堂に入社し、CC局(コーポレートコミュニケーション局=現PR戦略局)に配属され企業のPR業務を担当。2001年に退社した後、無職、フリーライターや『TV Bros.』のフリー編集者、企業のPR業務下請け業などを経てウェブ編集者に。『NEWSポストセブン』などをはじめ、さまざまなネットニュースサイトの編集に携わる。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社新書)、『ネットのバカ』(新潮新書)など。

「上級国民」の元ネタは東京五輪エンブレム盗用疑惑

今年の春から話題になった言葉が「上級国民」だ。東京・池袋で当時87歳の男が自動車を暴走させ、母子が事故死するほか、9人が負傷した。男の名は飯塚幸三。元通産官僚で、勲章も受章している。その後、飯塚も負傷していたことから病院へ搬送されたが、その翌日に神戸でバス運転手が死傷事故を起こした時に逮捕されたことからネットでは「上級国民」論争が勃発。

飯塚が元官僚で勲章持ちの「上級国民」のため逮捕されないし、メディアも忖度して「飯塚幸三元院長」と肩書で読んだり、「飯塚幸三さん」と表記した、と指摘されたのだ。いずれも各メディアの表記ルールや共同通信の「記者ハンドブック」に準じた報道姿勢だったが、ネット上では「上級国民様は人を殺しても逮捕されない」といった言説が多数書き込まれた。

結局「上級国民」は『ユーキャン新語・流行語大賞』にノミネートされ、ガジェット通信主催の「ネット流行語大賞」では「上級国民/上級無罪」が銅賞を獲得した。『上級国民/下級国民』(橘玲・小学館)という本も出版された。

この事故では「プリウスアタック」という言葉も誕生。高齢者がアクセルとブレーキの踏み間違え等で事故を起こすニュース映像が流れると、そこにトヨタのプリウスが多い、といった声があり、こうした言葉が生まれた。とはいっても、トヨタからすれば風評被害だろう。単にプリウスがよく売れているのと、高齢者に人気ということによる因果関係だと思われる。なお、飯塚はプリウスを暴走させたことについては「ブレーキをかけたが利かなかった。アクセルが戻らなかった」と供述したというが、その後の点検で車に異常は発見されず。トヨタは飯塚を訴えてもいいレベルである。

それはさておき、この「上級国民」という言葉が生まれたのは2015年9月1日に遡る。同年7月24日に、デザイナー・佐野研二郎氏による東京五輪のエンブレムがベルギーの劇場のロゴに似ているとそのデザインをした当人から指摘され、「パクリ疑惑」が発生。その後、ネット上では佐野氏の過去のデザイン物にも剽窃があったといった検証が次々とされていった。元々デザイン的にも「えっ?」と思った人が多かったのだろうが、あのまま使い続けていれば普通になじんでいたのでは、とも思う。

それはさておき、「上級国民」という言葉が生まれた経緯については、9月1日にエンブレムの白紙撤回を発表した武藤敏郎五輪組織委員会事務総長の以下の発言がきっかけだ。以下、産経ニュースの会見詳報から抜粋する。

「永井審査委員長に見解を聞いたところ『デザインの(プロの)世界では、佐野氏のデザインとベルギーのデザインは違うと理解している。しかし同時に、一般の国民からみて、納得できないだろう、分かりにくいだろう』ということだった。組織委としては『模倣でない』という専門家の説明がある以上、われわれは専門家ではないのでそう理解していたが、一般国民からは分かりにくいということは一致した見解だった」

武藤氏の「一般の国民」「一般国民」という言葉がネット上ではツッコミの対象となった。この時は「一般国民には理解できないほど高尚なデザインってことか」などと書かれ、「一般国民」の対義語として「さすが上級国民様はお分かりになられるデザインってことですね」的なことが書かれ、「上級国民」が一気に広がった。

2ちゃんねるには「五輪組織委員会『上級国民には理解される。しかし一般国民がこの説明を納得することは難しい』」というスレッドが立ち上がり、以下のような意見が書き込まれた。

「他人を見下す崇高なデザイナー様は言うことが違いますな」

「一般人は口をはさむなだとさwwwなら上級国民の金だけでオリンピックしてくれよなwwww」

そして「一般国民を敵にまわしてどうすんだろこのおっさん」という意見に対しては「上級国民様だぞ。言葉を慎め」というツッコミが入った。こうした経緯で生まれた言葉なのだが、それがその4年後に「流行語大賞」にノミネートされるという異例の事態となったのだ。

「上級国民」vs「一般国民」!燃え盛る嫉妬の感情

この一連の騒動というのは今考えてもおかしな騒動だったとしか思えない。撤回発表時の「上級国民」というキーワードがとどめを刺したのだが、当初から金持ちに対する嫉妬がネット上で蠢く感覚があった。

「上級国民」という言葉が生まれるまでの経緯を振り返ってみよう。まず、佐野氏が受賞した直後は「えっ? これがエンブレム……?」といった戸惑いは確かにあった。その後、ベルギーのデザイナー・オリビエ・ドビ氏がパクリだとFacebookで指摘し、一気に炎上。佐野氏への個人攻撃が開始した。

そしてこの件についてはエンブレムの選考委員が、いわゆる「デザイン村」の大重鎮だらけでしかも佐野氏と深いつながりがある、という点も批判の対象となった。確かに選考者を見ると同氏の出身である博報堂の関係者も混ざっていた。同氏が一緒に仕事をしていた電通の高崎卓馬氏も関与しており、日刊ゲンダイには組織委関係者のコメントとして以下の記述がある。

「佐野氏の関係者で固められた審査委員の人選を担当し、自らも審査委員を務めたのが高崎氏。佐野氏がコンペに出展した『原案』の商標登録が通らない可能性が分かった後も、別の作品を選び直そうとせず、修正の道へと主導したのも彼です」

そもそもコンペに応募できる基準がとんでもなく高かった。応募資格は、「東京ADC賞」「TDC賞」「JAGDA新人賞」「亀倉雄策賞」「ニューヨークADC賞」「D&AD賞」「ONE SHOW DESIGN」など、権威ある賞を過去に二つ以上を受賞している人に限られていた。だからこそ応募総数は104作のみ。佐野氏のエンブレム撤回後の新エンブレムの公募では約1万5000件の応募があっただけに、選考過程でも「上級国民」であったと解釈されてもおかしくない。

デマも飛び交う異様なバッシング

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2015年、もっとも炎上した騒動はこの件だと個人的には感じているが、あの時の佐野氏へのバッシングは異常だった。そこには嫉妬の気持ちが多分にも存在する。何が根拠なのかは分からないが、同氏の年収が10億円という説がまずは登場。さらには2ちゃんねるに同氏の妻が30億円のビルを物色していた時に「うちの年収は5億円しかない」と言っていた、という真偽不明の情報も書き込まれ、これも独り歩きする。

さらには、五輪ロゴの入ったライセンス商品が売れる度にデザイナーにもお金が入るという説が登場し、「200億円を組織委と佐野氏で折半する」と囁かれた。他にも北京五輪のグッズ販売額が4500憶円で、デザイナーには4-5%が報酬として与えられる、という説も登場し、これにより佐野氏が180憶円を手にする、という書き込みまでされた。

当初採用されたデザイナーへの賞金は100万円と報じられており、これについては広告業界の人々は「サノケンにとってはあくまでも名誉みたいなものだよね」と当時語っていた。この「100万円」という数字が正しいものであり、「200億円を折半」やら「180億円」という数字は完全に嘘である。しかしながら、こうしたデマにつられてしまった著名人がいる。

尾木ママこと教育評論家の尾木直樹氏である。同氏は「東京オリンピックのエンブレム デザイナーにはいるお金 200億!と言われ 私たちもエンブレム入りのグッズ買えば料金の中にはデザイン使用料が入っているのではないのでしょうか!?」とブログに書いた。

この「200億円」の根拠については、TBSの『NEWS23』で、「宣伝会議」の田中理沙氏が北京・ロンドン五輪ではグッズの売り上げが4000~4500憶円あり、ライセンス使用料は4~5%であり、これを掛けると200憶円ほどになる旨を語っていたことにあるだろう。

田中氏はライセンス使用料については言及したものの、デザイナーの懐に入るとは一言も言っていない。だが、これがネット上に書かれ、「佐野に200億円入る!」やら「組織委と100億円ずつ山分け!」といった説に繋がった。尾木氏はこれにまんまと釣られてしまった形となった。そして、その後ブログは削除し、謝罪のブログエントリーを書いた。

さらに問題に火を注いだのが、デザイン村の著名人たちである。名の通ったデザイナーが一斉に佐野氏の擁護をTwitterで開始したのだ。その擁護は大別すると「サノケンはパクリなんかする人ではない」「彼はそんなことをせずとも十分な名声がある。わざわざこのコンテストに応募する必要さえなかった」「彼は心がきれいな人物だ」といったものだ。いずれも「ワシはサノケンと近いゾ!」的な自慢も含まれているような物言いだった。さらにはベルギーのデザイナー・ドビ氏による売名行為では、という意見さえ出た。

そして、彼らの物言いは「ネット上で騒いでいる連中はデザインについては無知であり、素人のくせにガタガタ言ってるんじゃねーよ」「オレ様のようにプロから見ればあのデザインは優れているんだよボケ!」的なものもあった。

こうした「上級国民感」のある展開が続いただけに、2015年の夏は一般国民が上級国民を引きずり落とす、ということで一致団結した形となった。結果的にエンブレムは撤回され、同時に「上級国民」という言葉の誕生に至ったのである。

冒頭の池袋の飯塚幸三により「上級国民」という言葉を知った人も多いだろうが、そこに至るまでの経緯を知れば飯塚への執拗なバッシング(それは当然ではあるが)の理由も分かるのではなかろうか。ただし、今でも思うのは、2015年のあの騒動は佐野氏とその家族に対する重大な人権侵害であり、あそこまで長期にわたる苛烈な個人叩きをするというものは三原じゅん子ではないが「恥を知れ!」である。


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