ITEM | 2019/11/25

オバマやザッカーバーグを夢中にさせた「宇宙人との闘い」。知られざる現代中国SF小説の世界【ブックレビュー】


神保慶政
映画監督
1986年生まれ。東京都出身。上智大学卒業後、秘境専門旅行会社に就職し、 主にチベット文化圏...

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神保慶政

映画監督

1986年生まれ。東京都出身。上智大学卒業後、秘境専門旅行会社に就職し、 主にチベット文化圏や南アジアを担当。 海外と日本を往復する生活を送った後、映画製作を学び、2013年からフリーランスの映画監督として活動を開始。大阪市からの助成をもとに監督した初長編「僕はもうすぐ十一歳になる。」は2014年に劇場公開され、国内主要都市や海外の映画祭でも好評を得る。また、この映画がきっかけで2014年度第55回日本映画監督協会新人賞にノミネートされる。2016年、第一子の誕生を機に福岡に転居。アジアに活動の幅を広げ、2017年に韓国・釜山でオール韓国語、韓国人スタッフ・キャストで短編『憧れ』を監督。 現在、福岡と出身地の東京二カ所を拠点に、台湾・香港、イラン・シンガポールとの合作長編を準備中。

中国最先端SF小説3部作『三体』シリーズの世界観とは?

※今回はやや作中のネタバレがございます

2100万部。これは、中国のSF小説である劉慈欣『三体』(早川書房)のシリーズが本国で売り上げた数だ。3部作の第1巻(2、3巻は未邦訳)は、1960年代・文化大革命の時代からはじまる。天体物理学者の葉文潔(イエ・ウェンジエ)は、文化大革命の最中で物理学者の父を失う。自身も政治的に危うい立場に追い込まれるが、人民解放軍の極秘プロジェクトに参加することで身の安全を確保する。紅岸基地と呼ばれるその軍事基地で、文潔は異星人と思われる存在からの通信をキャッチした……。

バラク・オバマ元大統領は本書の感想を「非常に面白い。私は毎日の些細な仕事で頭を抱えてしまうときもあるが、それは宇宙人との闘いとは比べ物にならない」とコメントしたという。マーク・ザッカーバーグは、2週間ごとにお勧めの本を1冊紹介する企画「A Year of Books」で、2015年に本書を選んだ。新作ゲーム『デス・ストランディング』が話題のゲームクリエイター・小島秀夫も帯の宣伝文で「本作は、中国で生まれた突然変異ではない。普遍性と、娯楽性、そして文学性の、まさに“三体”の重力の絶妙なるラグランジュ点でこそ生まれた奇跡の“超トンデモSF”だ。」と評している。

本作は2006年にSF専門誌で連載され、08年に出版。15年には米国の有名なSF・ファンタジーの文学賞「ヒューゴー賞」をアジア人作家として初めて受賞した。そしてついに今年、待望の邦訳がなされた。本書の邦訳出版から数カ月経ったこともあり、若干ネタバレもさせてもらうが、オバマ元大統領のコメントにある通り本作は異星人との闘いをテーマにしている。そして、随所随所で「人類の限界」を読者に問いかける。

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宇宙の最後の秘密がすべて明かされたとき、人類はそれでも生存しつづけられるだろうか。自信満々にイエスを言える人間は、実際には浅はかだ。なぜなら、その秘密がなんなのか、まだだれも知らないのだから。(P95)

本書のタイトル『三体』は、3つの天体が互いに万有引力を及ぼし合いながら行う運動を解く「三体問題」という天体力学の問題に由来している。三体問題は「解けない」ということが証明されているそうだ。このタイトルは、人類が「知らないことを知らない」という危機に瀕しているストーリーを示すとともに、自分の知識では及ばない領域があることを多くの人は想像できないという、人間の傲慢さも暗示している。

架空VRゲーム『三体』―異星人という脅威的存在かつ救世主

物語の続きをもうすこし紹介しよう。文化大革命から40年後の現代社会で、「三体」という架空の惑星を舞台にしたVRゲームがカルト的な人気を博している。その世界では天体の運行が不規則で、太陽が昇ったり昇らなかったりする。惑星には定期的に大災害が訪れ、世界に住む「三体人」が絶滅するとゲームオーバーだ。プレーヤーは神のような立場で文明(科学力)を発展させ、大災害が起こる前に原因だと思われる「三体問題」の謎を解き明かすことが求められる。文明が興亡を繰り返し、ひとつの文明が滅びるとコメントと共に次の文明に進む。しかし奇妙なのは、「三体」を誰が何のために作ったのか明らかになっていない点だ。

その世界観は、宋の時代に描かれた水墨画『清明上河図』を例にとって説明される。『清明上河図』は歌川広重が描いた浮世絵『東海道五十三次』のいくつかに見られるように、多くの人が橋を行き来している画巻だ。その描写の中で当時の人々の暮らしがわかる。複雑な物事を、そのままの複雑さをもって描く手法だ。『三体』の世界観は『清明上河図』の描き方とは違って、「一見何もないものに多くが含まれている」性質だと表現されている。

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ゲーム・デザイナーはふつう、できるだけ多くの情報量を表示することで、ゲームの中の現実感を強化しようとする。だが、『三体』のデザイナーは、情報量をできるだけ圧縮することで、もっと複雑な現実を単純なものに見せかけている。(P126)

現代社会において神の絶対性は薄れ、人間は最上の存在になってしまった。人間のことは人間自身でどうにかするしかないのが現状だ。脳で脳のことを考えることに限界があるように、人間が人間のことについて考えることにも限界があるのかもしれない。そう考えると異星の知的生命体の存在は脅威であると同時に、救世主の可能性も秘めている。紅岸プロジェクトの機密文書の描写がなされる一節には、戦争や環境破壊を繰り返すヒトが地球で生きるのにふさわしいかどうかの尺度、いわば「人類の物差し」を模索した痕跡が残っている。

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この宇宙に、他の知的生命体や文明社会が実在するとすれば、なんと素晴らしいことなのだろう。もしそうなら、傍目八目という言葉とおり、まったく中立的な傍観者が、われわれが歴史上の英雄なのか悪漢なのかについて判断を下してくれるだろう。
【署名】**** 196*年*月*日(P189)

本書には異星人=三体人側の考えも描かれており、人類文明は「永遠の春のような美しい温室で甘やかされて育った社会」と揶揄されている。隕石に地球には全く無い物質が含まれているというが、人類の殻を破るようなブレークスルーを、隕石飛来というような外から起こる現象ではなく内から醸造するように飛来させるにはどうすればよいのだろうか。異星人という存在は、そのような観念を誘発するためのメタファーとして考えることもできるだろう。

いつか必ず滅亡する地球で、いつか必ず死ぬ人間が残せる輝きとは?

さらに物語を続けよう。ナノマテリアル研究者の汪淼(ワン・ミャオ)は、相次いでいたエリート物理学者の自殺の謎を追う中でVRゲーム「三体」に出会う。ワンはゲームに入り込むにつれて、文潔の存在を知るようになる。そしてあるきっかけにより約40年の時間を遡り、読者は文潔が三体人からのコンタクトに勘付く瞬間に同席することになる。

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文潔がいちばん嫌いだったのは、ディスプレイ上をゆっくりと動く曲線を見ることだった。それは、紅岸システムが宇宙から受信した無意味なノイズの視覚的記録だった。この無限に長い線こそ、宇宙の純粋な姿だと文潔は思っていた。一方は無限の過去へ、もう一方は無限の未来へとつながり、その中間はただランダムに上がり下がりしているだけ——生命も法則性もなく、大きさが不揃いな砂粒の集まりのように、さまざまな高さの山と谷が連なっている(P298-299)

前述した通り、『三体』のゲームの描写では度々世界の終わり、つまりゲームオーバーのような瞬間が訪れる。これは、今の宇宙が始まり(ビッグバン)と終わり(ビッグクランチ)を何十回か経た宇宙であるというサイクリック宇宙論を想起させる。人類がどうこうしようが宇宙には痛くもかゆくもない。サステナビリティもデベロップメントもゴールも、数々の文化遺産も、数十億年後に地球が太陽に飲まれるときには跡形もなく消える。私たち人間の社会は宇宙全体の歴史の中でどんな意味があるのだろうか。「働けないものには死が与えられる」という世界に住む三体人は、地球文明についてこう話している。

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「おまえが憧れるようなタイプの文明は、かつて三体世界にも存在したことがある。彼らは民主的で自由な社会を築き、豊かな文明遺産を残した。おまえたちはそれについてほとんど何も知らない。彼らの文化のほとんどは封印され、閲覧を禁止されているからだ。三体文明の全サイクルの中で、そういうタイプの文明がもっとも脆弱で、もっとも短命だった。それほど大きくもない乱紀の天災ひとつであっさり滅亡した。」(P391)

その一方で別の三体人は「それでも(脆弱で短命でも)素敵だ」と語る。巻末の解説によると、著者は文化大革命の時代に少年時代を過ごし、電気もない村で空腹を感じながら天の川や人工衛星を見上げて育ったという。そしてその村では世界最多の約25万人が犠牲になった板橋ダム決壊事故と大洪水があった。「嘘から出た真」という言葉があるが、本書は「真から出た嘘(フィクション)」なのかもしれない。

著者の心に激しく突き刺さった世の中の不条理は、異星人の存在を生み出させるほどの宇宙への憧れを宿した。その眼差しは、崖っぷちに深く刺さって孤独に人間世界を俯瞰する伝説の剣のようだ。目にした人を魅了する、鋼のような光沢を持った本作の物語にぜひ触れてみてほしい。