取材・文:石井徹 写真:KOBA
ソフトバンク先端技術研究所が3月22日、23日に開催した技術公開イベント「ギジュツノチカラ ADVANCED TECH SHOW 2023」。
FINDERSでは、2日間にわたってイベントをレポート。すでに公開済みの〈前編〉では、6つのテーマに沿った展示をご紹介した。後編では、8つのスペシャルトークセッションで語られた内容をレポートする。
ソフトバンク先端技術研究所 湧川隆次所長
モビリティ、XR、次世代電池、モバイル通信、量子暗号といった技術をテーマに、ソフトバンク先端技術研究所メンバーだけでなく、ソフトバンクと協業を行う、さまざまな企業や大学からゲストが登壇。各技術の最先端を知るだけでなく、そこで共有されている課題意識や、それぞれが臨む未来を垣間見る機会となった。本稿では8テーマを省略することなく、順にレポートしていく。
自動運転実用化はすぐそこ?
セッション1のテーマは「自動運転」だ。ソフトバンク先端技術研究所からは山科瞬氏が登壇し、自動運転の現況とソフトバンクの取り組みについて紹介した。
ソフトバンク先端技術研究所 山科瞬氏
ソフトバンクは、自動運転の社会実装に取り組んでいる。高齢社会に突入した日本は、高齢者の移動ニーズが増える一方で、公共交通ではバスやタクシーの運転手の人手が不足し、ニーズに対応しきれない現状がある。ソフトバンクは、自動運転やMaaSなどの投入により、柔軟な移動サービスを提供し、移動ニーズに対応しようとしている。
自動運転の技術は洗練されつつあり、法制度上の対応も進んでいるが、現実的な形で社会実装する上で、今なお課題が残されている。考慮するべき課題の1つが、コスト面の削減だ。先端技術研究所の山科氏は、1人が10台~100台の自動運転車を効率的にモニタリングするための技術開発について紹介した。
NAVERからは、Jongyoon Peck氏が登壇。韓国での自動運転の現況について紹介した。韓国にて公道での自動運転や、ビル内の無人ロボット配送など、自動運転技術を応用した多くの実証実験を行っている。同社は特に高精度な3Dマップを短時間で生成する技術に強みを持ち、ソフトバンクとは竹芝エリアの3Dマップの作成で協力している。
NAVER Jongyoon Peck氏
MONET Technologiesからは鈴木彩子氏が登壇した。MONETは、ソフトバンクとトヨタ自動車の合弁により設立され、さらに国内自動車メーカー7社と資本提携している企業だ。全国各地の自治体や交通事業者と協力し、自動運転時代を見据えたMaaSサービスの社会実装を進めている。鈴木氏のプレゼンテーションでは、モビリティサービスにおけるデータ活用について、実際の事例を交えて紹介された。
MONET 鈴木彩子氏
続く対談パートでは、NAVERのPeck氏、MONETの鈴木氏、先端技術研究所の湧川隆次所長の3人が登壇。自動運転の社会実装する上での課題について議論がなされた。
Peck氏は「自律走行は公道での技術検証も重ねられており、技術としてはレディだと考えている。一方で、現実の路面ではさまざまなことが起こる。なかには、自律走行技術を磨くだけでは対処が難しいものも存在する。高精度な地図やセルラーV2Xのような車両間通信システム、AIによる状況判断などの技術を活用し、対応能力を高める必要がある」と指摘した。
MONETは、各地の自治体や地域の企業と連携して、MaaSのプラットフォームを展開している。鈴木氏はサービス提供者としての視点から「モビリティサービスを通して、街づくりの在り方を議論するのが重要。デマンド交通のようなモビリティサービスでは、乗客の利便性を重視して運行コストを増やすか、相乗りを増やして運行コストを抑えるかなど、相反する条件の中から持続可能な提供形態を模索する必要がある」と実感を述べた。
議論を受けた先端技術研究所の湧川所長は、「自動運転単体では完全体でなくとも、セルラーV2Xなど他の技術との組み合わせで社会実装できる。日本は完璧主義になることが多いが、それではいつまでもサービス提供できない。ソフトバンクのノリで、安全性は確保しつつ、まずは出していくことが重要だ」とコメントした。
「XR」は人類史とともにあった!?
自動運転とならんで、Beyond 5G/6G時代により身近になる技術が「XR」。セッション2では「次世代エンタメを成長させるXR基盤技術と取り組み。」をテーマに話が展開。
ソフトバンクは、XR開発において、ライブ体験における没入感をいかに深めていくかを重視して開発を進めている。例えば、VTuberやアニメのキャラクターがリアル空間でライブを行っているときに、観客がスマホをタップしたり振ったりして反応を送れるといったようなリアル空間で反響を返せるようなアプリを手がけている。この分野で研究を進める先端技術研究所の楠弘次氏は「本当の楽しみは“スマホを操作すること”ではない。ステージから目を離すことなくライブに集中できるように、直感的に行える操作を研究している」と紹介した。
ソフトバンク先端技術研究所 楠弘次氏
ソフトバンクのXR開発の方向性に影響を与えたのは、エイベックス・エンタテインメントの中前省吾氏だ。中前氏は、XRエンタメの本質が、人類の「想造(想像・創造)」にあると主張する。想造とは、人々が価値を定義し、既成概念や共通認識として成立しているモノを指す、中前氏による造語だ。例えば、アートやお金、国境が「想造」に当てはまる。中前氏はXRを、物理法則や自然界には存在せず、人々の共通認識として存在する体験を示す概念として紹介する。この定義において、XRは体験者の主観性と、体験の現実世界への影響度により、Virtual(仮想体験)、MR、AR、VRに分類される。
エイベックス・エンタテインメント 中前省吾氏
中前氏の定義に基づくと、XR自体は人類史とともに存在する体験ということになる。一方で、近年の情報社会化の進展により、仮想世界が人間社会に及ぼす影響が増大し、現実世界を相対化する非物質化(VR化)が進んでいる。これにより、エンターテイメント体験の受容も変化しており、コンテンツは従来の消費型から、体験型で参加型のコンテンツ、すなわち、ユーザーが形成過程に関わり、クリエイターとともに作り上げていくようなものへと変わりつつあるという。こうした前提を踏まえ、中前氏は「エイベックスのXR LIVEはコンサート事業ではなく、コミュニティ事業。XRはコミュニティだ」と主張した。
トークセッションでは、中前氏と湧川所長が登壇。楠氏がモデレーターを務めた。湧川氏は「XRというと、メタバース、アバターによるコミュニケーションといったところにフォーカスが当たりがちだが、単なるエンターテインメント体験の1つなのか、それとも通信という技術の本質的な部分に関わる体験なのかを含めて、整理すると、これまでとはまったく違うこと可能性が切り開けると思っている」とコメントした。
河瀨直美、吉井仁実らがデジタルアートの可能性を考える
セッション3では、「デジタルアート」をテーマに、アーティストや研究者による対談が行われた。
先端技術研究所の朝倉慶介氏は、ソフトバンクの5Gがアートにもたらす可能性について、通信技術の観点から紹介した。5Gには大容量や低遅延性といった特性があり、クラウドでの映像処理と組み合わせれば、映像処理を簡易的な設備で行える。朝倉氏は「リソースの不足や計算負荷は、芸術表現における一種の制約となっていた。ソフトバンクの5Gがあれば、この制約を開放することができる」と話した。
トークセッションは映画作家の河瀨直美氏、慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス(SFC)教授でアーティストでもある脇田玲氏、湧川所長が登壇。アートディレクターの吉井仁実氏がモデレーターを務めた。
東京2020オリンピックの公式記録映画をはじめ、映画監督として多くの実績を持つ河瀨氏だが、「ギジュツノチカラ」の展示の中で特に興味を持ったのはHAPS(High Altitude Platform Station=ソフトバンクが研究を進める、高高度ネットワーク提供システム)だった。
河瀨直美氏
河瀨氏「成層圏に、音もなくふわーっと飛んでいく。それが全部通信の機能になっていく。通信が届いていないところにもたらすつながりのアイテム。地球というものを豊かにする形を目指しているのだなと、とても興味深かった」。
多彩な展示からインターネット草創期を思い出したという脇田氏。技術の進化を実感しつつも、「研究所のみなさんは、熱心に質問されているが、“正しい使い方”をおっしゃっている」と指摘する。「アーティストは、“間違った使い方”得意。しかし、それが新しいサービス開発につながったり、法整備のきっかけになったりする。今後、技術を自由な発想で使う人が増えれば、一層盛り上がるのではないか」とコメント。
脇田玲氏
湧川所長はこの発言を受けて「ソフトバンクは技術を作れるが、技術者の発想は既成概念の枠内にある。この概念を壊して新しいものを作りだせるのは、やはり表現者・アーティストだ」と応じる。
河瀨氏は4K、8K映像を扱う際のデータサイズが大きくなりすぎてしまうことを指摘しながら、「8K映像はめっちゃきれいだけど、美しさだけだと映画にはならない。物語を盛り込んでいく過程が必要だが、映像があまりにきれいすぎると、かえって人の想像力を奪ってしまう」と、技術の扱いの難しさを指摘する。一方で、「8Kから映像を切り出すと、例えばスポーツのシーンでは、アスリートに近寄らずに、彼らの汗や息使いを取ることもできるかもしれない」と可能性にも言及した。
吉井氏が総合ディレクターとしてプロデュースする清春芸術村の「安藤忠雄 光の美術館」では『真鍋大度個展 – EXPERIMENT –』が2023年5月10日まで開催された。この個展では、先端技術研究所が技術協力した光無線通信などを用いて、離れた場所をつなぐような展示もあり、アートを通してテクノロジーの進化を考えるような展示となった。
吉井仁実氏
湧川氏は「アートは、こうあるべきというものが無い。答えがないというところに、すごく意味がある。そこに表現者がどう挑むのかに、ソフトバンクは非常に興味がある」と期待を寄せた。
通信だけじゃない!ソフトバンクが開発する「次世代電池」の活用
セッション4では、先端技術研究所から3人が登壇。ソフトバンクの取り組む「次世代電池」の開発状況を紹介。
2021年に設立された「ソフトバンク次世代電池Lab.」は、未来のデバイスに搭載される高性能、高効率な電池を研究している。ソフトバンクは、HAPSによるモバイル通信サービスの実用化を目指しており、実現のカギとなる技術が、この次世代電池だ。
より軽く、より効率の高い電池を開発すると、HAPSのサービス範囲の拡大につながる。HAPSは、日中に太陽電池で発電し、夜間は余剰電力で飛行する。このため、HAPSが飛行し続けられるかどうかは、その地点の日照時間に左右される。
一方で、電池の性能向上は、需要の規模によって左右される。二次電池は量産コストに見合う段階で性能向上が進められるため、HAPSのような高性能な用途に対応した電池は市場では流通しない。そこで、ソフトバンクは、用途に合わせた高効率な電池を自前で開発する戦略をとった。
先端電池研究室の齊藤貴也氏は「ソフトバンクはメーカーではないので、メーカーとは違った発想で開発できる」と説明する。電池市場で製品を投入することが目的ではないため、幅広いパートナー企業や研究期間と協力して研究開発を行えるという。
次世代電池の開発の上で重要なのが素材選定だ。電池は正極材料、負極材料と電解質で構成されている。市販の高効率な電池としては、リチウムイオン電池が市場の大勢を占めているが。次世代電池ではさまざまな素材の組み合わせが提案されている。ソフトバンクはその中でも、あまり着目しない素材にフォーカスし、性能向上のポテンシャルがある素材の見極めを進めているという。
ソフトバンク先端技術研究所 高柳良基氏
先端技術研究所の高柳良基氏は、HAPSに搭載し、テストフライトに成功したリチウム金属電池の研究開発を説明した。
ソフトバンクでは電池性能をさらに高め、1000Wh/kgまで向上させる研究計画を有している。先端技術研究所の宮川絢太郎氏は、エネルギー密度1000Wh/kgに向けた、6つの技術的アプローチを紹介した。
先端技術研究所の宮川絢太郎
スマホ通信を支える「コアネットワーク」がピンチ?
スマホと基地局との無線通信の先にある、携帯電話の通信を支えるサーバー群「コアネットワーク」に関しても、ソフトバンクは新たな姿を描いていることが、セッション5から伺いしれた。
コアネットワークでは、どのスマホがどの基地局につながっていて、どのような通信を行っているのか等を制御している。1つの携帯キャリア当たりで数千万という端末を管理する。
一方で、これまでのコアネットワークの構成では、将来的に「持ちこたえられるのか」と疑問を呈する研究者も存在する。ソフトバンクと共同研究を行っている東京大学の関谷勇司教授だ。5G時代には、さまざまなIoT機器がモバイル網につながるようになる。端末を厳密に管理する従来のコアネットワークの仕組みでは対応できず、大規模な障害が発生しやすくなるのではないか、というのが関谷氏の懸念だ。
東京大学 関谷勇司教授
これを解決するため、関谷氏らは、新たなコアネットワークの形として「プロシージャ型モバイルコアネットワーク」を提案する。参考にしたのは大規模なECサイト。クラウドベースのバックエンドを採用し、数億もの同時リクエストをさばいている。これをモバイルネットワークにも取り入れ、従来はコアネットワークの各機能で保持していたデータベースを、クラウド上のデータベースで一括管理し、障害が連鎖的に拡大する“輻輳(ふくそう)”という状態の発生を抑えることができるという。
また、ソフトバンクでは、NECとともにコアネットワークにパブリッククラウドを活用する検証も進めている。この技術検証では、既存の5GモバイルコアネットワークをAWSのパブリッククラウドで再現。ソフトバンクの商用通信サービスの約50分の1の規模となる、最大20万ユーザーでの検証を完了している。
後半パートでは、「未来のコアネットワークのあるべき姿」と題したパネルディスカッションが実施された。登壇者はNECの神成直輝氏、東京大学大学院 関谷勇司氏、AWSの山内晃氏、先端技術研究所の渡邊大記氏。先端技術研究所の堀場勝広氏がモデレーターを務めた。
NECの神成氏は「予備の設備をできるだけ持たない。必要なときに必要な分だけ設備を立ち上げていく。そこに対して、自動化や運用の効率化など、しなやかなネットワークがあるべき姿だ」とコアネットワークの将来像を示す。
NEC 神成直輝氏
AWSの山内氏は、クラウド化について「通信に限らず、新規で始まるときと既存の事業を移すときに、求められる要件は変わってくる。小さく始めて大きくスケールできるのはクラウドの大きな特性だ」と説明した。
AWS 山内晃氏
先端技術研究所の渡邊大記氏は「コアネットワークの立場からすると、手離れのいい、どこまでもスケールする運用を目指したい。例えば、『明日100万台新たに端末つなぎたい』という要望に対応したり、障害発生時にクラウドの機能をうまく使って自動で回復したり、さらには新しい機能を柔軟に投入できるネットワークが理想だ」と期待を述べた。
期待される「RANの仮想化」
セッション6では「RANの仮想化」をテーマとして、ソフトバンク 先端技術研究所、NVIDIA、インテル、NEC、名古屋工業大学大学院がそれぞれ取り組む技術の動向と課題をプレゼンテーションした。
いま、“RANの仮想化(vRAN)”が注目されている。RANとは、無線アクセスネットワークの略称で、携帯電話での無線通信を担う通信設備群だ。
RANには無線電波の取り扱いなど、高い処理能力が要求される機能があるため、専用の機器が多く用いられている。ネットワーク構成を変更する際には、これらの機器の設定は1台ごとに行う必要があり、柔軟なネットワーク構築の上で課題となっていた。
汎用サーバーのソフトウェア基板上でRANを動作させるvRANの導入により、仮想化には設備をスリム化し、運営コストを削減する効果が期待される。さらに、汎用GPUを用いた場合、RANの機能はそのままに、余剰な計算リソースをAIのトレーニングなど、モバイル通信以外のインフラに割り当てることも可能となる。
ソフトバンク先端技術研究所 花岡博和氏
先端技術研究所から登壇した花岡博和氏は、ソフトバンクが目指すRANの将来像を「ソフトウェアでフレキシブルに制御が可能となるネットワーク基盤に生まれ変わっていく」とし、RANの持つさまざまな機能を集約的に管理し、電力消費を削減しつつ、新たなサービスを柔軟に導入できる仕組みを目指す方針を紹介した。
RANの通信ベンダーとして、ソフトバンクと協力関係にある各社から、NVIDIAのSoma Velayutham氏、イベントインテルの土屋建氏、NECの田上勝巳氏が登壇し、各社の有する技術を紹介した。
日本電気 田上勝巳氏
インテル 土屋建氏
NVIDIA Soma Velayutham氏はオンラインにて登壇
RAN仮想化が進むと、Beyond 5G/6Gに向けたユースケースの開発も容易になる。名古屋工業大学大学院の岡本英二准教授は、仮想化によりOpen RANの標準仕様に基づいた新機能が導入しやすくなると説明し、一例として、自動運転を想定した低遅延な無線通信技術の開発状況について紹介した。
名古屋工業大学大学院 岡本英二准教授
「クルマ、通信、交通インフラのすべてが高度に融合していくことが重要」
セッション7では、「未来のモビリティ」をテーマに、商用化に向けた動きが広がる「セルラーV2X(C-V2X)」の現状や展望が語られた。
C-V2Xは交通分野でモバイル通信を活用するための技術だ。この技術により例えば、車載カメラの死角に当たる部分の歩行者を、対向車のカメラが得た情報から検知したり、街灯カメラから検知したりといったことが可能になる。また、高規格道路でのトラックの隊列走行など、複数台のクルマを連動させる際の活用が期待される。先端技術研究所の芹澤弘一氏は「ソフトバンクの観点(キャリアの視点)では、クルマ、通信、交通インフラのすべてが高度に融合していくことが重要と考えている」として、自動車メーカーや交通事業者との連携が重要であると訴えた。
ソフトバンク先端技術研究所 芹澤弘一氏
C-V2Xは、米国と中国、韓国などの多くの国で標準規格として選定している。商用化では中国が先行しており、すでに複数の自動車メーカーが標準化したほか、クルマの安全性の目安となるNCAPの評価項目に取り入れるなど、積極的な導入が進められている。
トークセッションでは未来のモビリティのあり方について、パネルトーク形式で議論された。ソフトバンクの実証実験のパートナーから、本田技研工業の髙石秀明氏と慶應義塾大学大学院/東海大学の佐藤雅明氏が登壇。標準化及び業界活動に関わる立場から、クアルコムジャパンの城田雅一氏が登壇した。モデレーターは先端技術研究所の小宮山陽夫氏が務めた。
クアルコムジャパン 城田雅一氏
慶應義塾大学大学院の佐藤氏は、クルマとクルマ、人やさまざまなモノがネットワークに接続したときにこれまで以上に移動の自由度が高まることから、「未来のモビリティは人間のアビリティ(能力)を拡張するもの」と表現する。各国で技術検討が進められる中で、日本はITSと呼ばれる交通分野での情報システムを世界に先駆けて整備してきた経験を生かし、本当に必要なサービスを国際社会に提案する責任があると指摘した。
慶應義塾大学大学院 佐藤雅明氏
本田技研工業の髙石氏は、自動車メーカーの立場から「モビリティの環境があまりにも国によって違うため、交通事故を減らしていくにあたってはその国にあわせたアプローチが必要」と指摘する。米国のように四輪事故の多い国では車車間通信を、日本のように歩行者事故の多い国では車車間通信だけでなく歩行者も含めた通信が求められるため、各国の事情を踏まえた技術を提供していくことが重要と主張した。
本田技研工業 髙石秀明氏
佐藤氏は「インターネットでは、通信とサービスが分離され、個別に成長してきて今がある。これからのモビリティサービスも、通信とサービスの双方が“ベスト”でないと使わないのではなく、現状より“ベター”であれば導入して健全に育てていくような考え方も重要ではないか」とまとめ、髙石氏は「CV2Xを活用して、全ての交通参加者が安心、安全に暮らしていける情報プラットフォームを創っていければ。そして、交通事故のない社会を実現するだけでなく、社会システム全体の変革へ繋げていけば、新しい世界観が生まれてくるのではないか」と期待を述べた。
量子コンピューター時代のセキュリティはどう変わる?
セッション8のテーマは量子暗号、つまり量子コンピューター時代のセキュリティだ。
量子コンピューターは、量子力学の原理を応用した次世代計算機だ。創薬分野や機械学習の効率化、未解決の数学的課題の解明などへの応用が期待されている。一方で、量子コンピューターの実用化により、新たな課題も生じるとされている。通信におけるセキュリティ低下だ。現在主流の暗号化技術は、量子コンピューターの性能が向上すると、容易に解読されてしまう恐れがあると、先端技術研究所の前川直毅氏が解説。
ソフトバンク先端技術研究所 前川直毅氏
将来的な量子コンピューターによるサイバー攻撃に備えた対策として、セキュリティ業界では、従来のRSA暗号に代わる、2つの次世代暗号化技術が期待されている。量子力学の原理を用いて暗号鍵を配送する「量子鍵配送(QKD)」と、従来型の数学的アルゴリズムを複雑化した「耐量子計算機暗号(PQC)」だ。
QKDについて、自社で開発を進める東芝デジタルソリューションズの村井信哉氏が説明。QKDの暗号鍵は、量子力学の原理を応用した暗号。第三者に盗聴されると暗号鍵の状態が変化するため、盗聴を検知できる。そのため、専用の光通信網が必要なものの、攻撃に使われるコンピューターの性能向上がどこまで進んでも、通信の安全を保てるという特性がある。
QKDは世界的に実装が進んでおり、米国では民間企業が、欧州ではEU加盟国の合同プロジェクトとして開発が進んでいる。また、中国や韓国、シンガポール、インドなど、国家プロジェクトとして開発をリードしている国も多い。なかでも中国では総延長1万kmに渡るQKD用光回線を国内に整備し、人工衛星経由でウルムチや海南島などともつながるネットワークを構築している。
一方、PQCは、従来のRSA暗号の系譜にある技術だ。暗号化に用いる数学的アルゴリズムを複雑化し、量子コンピューターでの解読を困難なものとする。従来技術と同様にソフトウェアで実装できるため、QKDより早く普及が進むと見込まれている。
PQCで用いられる数学的アルゴリズムは複数の種類が提唱されており、標準化団体での評価が進められている。標準化に関わるSandbox AQ社から、James Howe氏とNikolai Chernyy氏が登壇し、PQCの最新動向を紹介した。
SandboxAQ James Hoew氏
SandboxAQ Nikolai Chernyy氏
ソフトバンクでは、PQCの実践的な評価も行っている。先端技術研究所の前川直毅氏は「従来の暗号化方式とPQCを組み合わせたハイブリッドな証明書による実装で、使い勝手はそのままで、量子コンピューターへの耐性を高めたネットワークへと強化したい」と将来像を示した。
トークセッションでは、東芝デジタルソリューションズの村井氏と、Sandbox AQのHowe氏とChernyy氏、先端技術研究所の湧川所長が登壇。前川氏がモデレーターを担当した。
東芝デジタルソリューションズ 村井 信哉
PQCの導入に対する課題を問われたHowe氏は「新しい規格や新しいアルゴリズムの性能が、現在あるインフラにどのような影響をもたらすのか、ベンチマークとなる実験を通して検証する必要がある」と言及。組織が巨大化するほど自社で使っている暗号化技術の把握が困難になるため、暗号化技術を管理するためのソリューションが必要になると主張した。
Chernyy氏は、従来技術をベースとしたPQCについて、IT先進国ほど導入する意義があると指摘する。「米国と日本のような先進的な国家は、ITインフラの90%ほどがレガシーインフラとなっている。例えば1995年に設計されたスマートカードをQKDで動かことはできるのか。おそらく無理だろう」(Chernyy氏)。
QKDの導入の課題について問われた村井氏は「技術的な壁があるとは考えていない。セキュリティ技術はじわり、じわりと普及が進んでいくもの」と回答し「既存のシステムの上に、いかに上手に統合するかが社会実装のポイントとなる」という見方を示した。
こうして振り返ると、ソフトバンク先端技術研究所の取り組みは、ビジネスの現場だけでなく、私たちの社会や生活に非常に密接に紐付いたものが多いことがわかる。そして、あらゆるフィールドにおいて、これを支える通信技術の重要性がさらに増していくことは想像に難くないだろう。先端技術研究所2022年4月に始動したばかりの組織。これからの動向に注目だ。