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スマホから毎日洪水のような情報が流れてくるのに、なぜ時間とお金を使って観光し、立ち止まってものを考える必要があるのか【ブックレビュー】
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  • 2019.11.18
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スマホから毎日洪水のような情報が流れてくるのに、なぜ時間とお金を使って観光し、立ち止まってものを考える必要があるのか【ブックレビュー】

神保慶政

映画監督

1986年生まれ。東京都出身。上智大学卒業後、秘境専門旅行会社に就職し、 主にチベット文化圏や南アジアを担当。 海外と日本を往復する生活を送った後、映画製作を学び、2013年からフリーランスの映画監督として活動を開始。大阪市からの助成をもとに監督した初長編「僕はもうすぐ十一歳になる。」は2014年に劇場公開され、国内主要都市や海外の映画祭でも好評を得る。また、この映画がきっかけで2014年度第55回日本映画監督協会新人賞にノミネートされる。2016年、第一子の誕生を機に福岡に転居。アジアに活動の幅を広げ、2017年に韓国・釜山でオール韓国語、韓国人スタッフ・キャストで短編『憧れ』を監督。 現在、福岡と出身地の東京二カ所を拠点に、台湾・香港、イラン・シンガポールとの合作長編を準備中。

http://y-jimbo.com/index.html

地球全てがテーマパーク化し「秘境」の存在はなくなる?

「秘境」と聞いて思い浮かぶのはどこだろうか。ジャングルの奥底、洋上にぽつんと浮かぶ島、氷の大地の果て……実際、最果ての地でも飛行機の上でも電話やWi-Fiが通じるようになってきて、「秘境」と呼ばれる場所は地球上から怒涛の勢いで減りつつある。

今回ご紹介するのは、「秘境」とは真反対の性質を持つ「テーマパーク」という言葉を軸にした論考集、東浩紀『テーマパーク化する地球』(ゲンロン)だ。批評家・作家である著者が東日本大震災以降に記した47の論考が選出され加筆のうえで収録されており、「慰霊と記憶」「批評の役割」も大きなテーマとして扱われている。

まずは、著者が「テーマパーク」という単語をどのようなニュアンスで使っているのかご紹介しよう。

ぼくたちはいまや、つい十数年前までは命を落とす覚悟でしか赴けなかった場所に、あるていどの金さえだせばいともたやすく行ける時代に生きている。
ツーリズムのフラットな視線が引き起こすその変化を、地球のテーマパーク化とでも呼んでみよう。そう、ぼくたちはいま、地球全体がテーマパーク化しつつある時代に生きているのだ。(P27)

「テーマパーク」の入口が開放的なのに対し、「秘境」の入口は狭く閉ざされている。筆者は以前秘境専門旅行会社に勤めていたが、秘境というのは決して遠く離れた国にあるとは限らないと考える。異質なものに触れようとする心があれば、近隣国でも自国でも、ジャングルの奥地でも住宅地の中でも秘境になり得るということだ。

世界のどこにいても同じ仕事ができ、同じライフスタイルをできる環境が整いつつある。そして、遠く離れた地に来ても同じ音楽や映画を好きな人たちと出会うことが容易となった。それは言い換えるならば、異質なものが稀少になっていく過程である。そうした環境下では、段々と異質なものは「ない」という嘘、あるいは「ないほうがいい」という暴力がまかり通るようになる。こうした時勢の中で本書の掲げる最も重要な課題は、「異質な存在をどのように支えられるか」という点にある。

公共に「よくないもの」があることの是非

瞬間移動やどこでもドアが実現しない限りは、飛行機・電車・車・船に乗って旅に出るのは紛れもなく私たち自身の身体だ。何か「いいもの」をかぎつける感覚が旅の発見において重要なのは今も昔も変わらないが、著者によると自分の検索ワードが変わるということも「発見」の類に入るという。

プールサイドでネットするだけなのであれば、東京でもインドでも同じだと思うとしたら、それは大まちがいだ。現実にはひとは、インドに行くだけで、日本では決して検索しない言葉を検索し、けっして読まないサイトを読んでしまうものなのである。 (P42)

普段検索しないようなことを検索するようになる。これが一個人にとって立派な変化であるとするならば、テーマパークはそれを助長する空間ではない。東日本大震災直後にアート集団Chim↑Pomとガレキ撤去をする相馬市の若者たちが相馬港で円陣を組み一発撮りした映像作品「気合い100連発」があいちトリエンナーレに出展されていたことに対して、「これは公共が推進すべき芸術なのか」と議論が巻き起こっているニュースを例にとって考えてみよう。

特に争点となっているのは、映像の中で「放射能浴びたい」という旨の叫びが繰り返されることだ。その時のリアルな心情を反映したある種の比喩・皮肉の表現と解釈する人もいるし、字面通りに解釈して不謹慎に聞こえる人もいる。あいちトリエンナーレでは公共の助成金を得て展示が行われているという理由で、個人の解釈と国民感情が結びつき、強烈な批判や憎悪の声が巻き起こった。

テーマパーク的価値観が優位を占める世の中においては存在するもの全てが無害であるべきで、目を背けたくなるものや冷水を浴びせるようなものがあると、攻撃的な意味合いとして解釈されやすくなる。そして、「こんなものに税金を使うのは不適切だ!」という声が誘発され、「よくないもの」を最小限にしようと試みる世論が醸成されていく。

目を背けたくなる現実は、この世から抹消されるべきなのだろうか。「あったこと」を「なかったこと」にしてしまうということは、「よくないこと」をなくすことに本当につながるのだろうか。広島の原爆ドーム、広島・長崎の原爆資料館、ポーランドのアウシュビッツ強制収容所を巡るような旅は、ダークツーリズムなどと呼ばれている。人類にとって辛い記憶を見つめ直そうとするタイプの観光だ。著者が福島第一原発を観光地化しようと提案した際にさまざまな方面から批判を浴び、「なかったことにする」という日本独特の思考傾向を感じたという。

この国では、復興は忘却のひとつになっている。復興は穢れがなくなることを意味している。だとすれば、原発事故の跡地を傷ついたすがたのまま、つまり穢れたすがたのまま残し、観光客に公開しようというぼくたちの提案は、記憶をめぐる日本の伝統にまっこうから衝突するものだったにちがいない。 (P114)

ある人にとって「よくないもの」は、他の人にとっても「よくない」のか……あいちトリエンナーレ問題など今まさに議論の的となっていることが、本書では2011年からの著者の思考の軌跡とともに収録されている。

プロセスに価値を置けない国・日本は変われるか

デジタルネイティブ世代の身体感覚は、公共空間を従来とは全く異質なものに変貌させつつある。かつては黙って一人で観るコンテンツやゲームは、今では配信・実況されたプレイ動画を観るものになっている。YouTuberだけでなく、Instagramにアップするために自分を撮りながらスマホやカメラに向かって話しかける人がいたら、「ああ、自撮りしてるんだね」と認識されるようになった。そうした身体感覚の中で、「発見」という瞬間はどのように訪れるのだろか。

「◯◯は××のはずだったのにじつはちがったんだ」という心の動きはとても大切で、そういう心の動きが可能になるような空間こそがほんとうの公共空間だというのがぼくの考えです。それをかつてぼくは「郵便空間」と名付けました。(P198)

本記事では「郵便空間」という概念について説明するのに十分な文字数はないが、その根幹の考えは示すことができる。郵便物は依頼人から受取人まで届いて初めて郵便物たりえるが、その途中には幾層にもわたる時間と空間が積み重ねられている。郵便を回収する人(その人はどのような家庭で暮らし、朝何時に起きて、何を食べて、どんな喜びと悩み事があるのか?)、郵便局での仕分け(依頼人と受取人が仕分け機のベルトコンベアのことを思い浮かべなくても、ベルトコンベアは動いてくれる)、配達(雨の日も風の日も配達がなされる)、ポストへの投函(すぐ受け取られる場合もあれば、再配達が繰り返される場合もあれば、チラシにまぎれて捨てられてしまう場合も稀にある)と、ラフに書いただけでもこれだけの時間・空間を思い浮かべられる。

テーマパークでは、華やかな表舞台とは一転して、それを成立させているさまざまなプロセスは暗闇に包まれているが、そこに敬意を払うことを著者は「郵便空間」という概念によって示したいのだろう。公共空間について言うならば、お互いが「なぜその場にいるのか?」ということに対して最大限の想像力が駆使されるのが理想で、それが現代社会においては「発見」につながりやすいということだ。

筆者が従事している映画産業に関して言えば、日本は完成品に対する助成は多少あっても、企画開発などプロセスに対する助成やリスペクトは僅少だ。そして10月には出演者の不祥事を理由に、映画『宮本から君へ』への公的助成金約1000万円の交付が取り消され、いよいよきな臭い状況が訪れている。

それでもやはり「テーマパーク化」という言葉をタイトルに据えたいのは、いくらテーマパーク化への抵抗が重要だとしても、現実にはその抵抗の記憶そのものがテーマパーク化を通してしか後世に伝わらない、その逆説こそが現代社会の条件であり、また本書全体に通底する主題だと考えたからである。(P393)

資本主義の浸透によりひとまず社会は地球レベルでテーマパーク化してしまい、その波は容易には歯止めがきかない。心地良い同質性の中になんとか異質性を混ぜ込み、「内から破る」ということが今後のキーとなると本書では主張されている。テーマパークの楽しみの中でふと我に返り、通用口を探して内部に入り込むと、きっとそこには秘境が広がっていることだろう。その地道な探索によって、現代社会に生きる私たちは変わることができるのだと、聡明な見地から教えてくれる一冊だ。


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