CULTURE | 2019/11/06

小学生を「データも読み解けるアスリート」に育てる慶應KPAの挑戦【連載】Road to 2020 スポーツ×テックがもたらす未来(5)

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取材・構成:鈴木智之

神武直彦
慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科 教授
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取材・構成:鈴木智之

神武直彦

慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科 教授

慶應義塾大学大学院理工学研究科修了後、宇宙開発事業団入社。H-IIAロケットの研究開発と打上げに従事。欧州宇宙機関(ESA)研究員を経て、宇宙航空研究開発機構主任開発員。国際宇宙ステーションや人工衛星に搭載するソフトウェアの独立検証・有効性確認の統括およびアメリカ航空宇宙局(NASA)、ESAとの国際連携に従事。2009年度より慶應義塾大学准教授。2013年にSDM研究所スポーツシステムデザイン・マネジメントラボを設立・代表就任。2016年日本スポーツ振興センターマネージャー。2017年同アドバイザー。2018年度より教授。総務省「スポーツ×ICTワーキンググループスポーツデータ利活用タスクフォース」主査。博士(政策・メディア)。

データ活用のできる人材育成がスポーツ界でも急務

近年、テクノロジーが高機能化し、誰もが使えるようになったことで、さまざまなスポーツでデータを活用できるようになってきました。そのような時代になってきたからこそ、「収集したスポーツデータをどう役立てるか」という点が重要になりつつあります。近年では監督やコーチがデータを読み解き、トレーニングや試合の作戦に役立てることも求められてきていますが、そのデータを活用できる人材は現在のスポーツ界では限定的です。

そのような背景のもと、子どものスポーツへの興味を喚起し、さまざまな運動を通して体と心の成長をサポートする。それを支える手段としてデータを有効活用する。そのようなことを目的とした新たなスポーツプログラム「慶應キッズパフォーマンスアカデミー」(以下、慶應KPA)が今年5月に慶應義塾でスタートしました。これは、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科一般社団法人慶應ラグビー倶楽部(以下、慶應ラグビー倶楽部)の共同運営による小学生を対象にしたスポーツプログラムです。この活動は「研究教育」と「地域連携」、そして「チーム強化」という3つを同時に満たすことを目的としています。プログラムの設計や検証、データ活用の有効性などの研究を行い、その研究成果を反映したプログラムを運営することで地域とのつながりを深める。そして、それらの成果を活用することで、慶應義塾大学でのスポーツの強化につなげることを目指しています。

慶應KPAに参加できるのは、1年生から6年生までの小学生。小学1年~3年生と小学4年~6年生の2つのクラスに分かれており、どちらのクラスも月曜日と土曜日の夕方に開講し、現在は70名ほどの子どもたちがアカデミー生として参加しています。

運営責任者の和田康二さんは、かつて慶應義塾大学体育会ラグビー部の選手として大学日本一を経験し、その後、監督になり、現在はジェネラルマネージャーを務めています。和田さんやさまざまなスポーツに関係する方々と話をするうちに「大人になってからでは獲得できない運動能力がある。それを子どもの時から身につけ、その過程で心の成長につなげることができれば、その子どもは、将来、良いアスリート、そしてより良い大人になれるのではないか?」という考えから、慶應KPAを開設することになりました。心と体の成長を支援するプログラムの設計や検証、そして、データの有効活用に関して、私が所属するシステムデザイン・マネジメント研究科と慶應ラグビー倶楽部の連携体制が実現しました。

私たちが設計したプログラムの特徴のひとつは、特定の競技に特化するのではなく、走ること、体を思いどおりに操ること、ボールを使うことなど、あらゆる競技の基本となる部分にフォーカスしていることです。例えば、私たちが普段ご一緒することが多い横浜市の小学校は、校庭が広いところは少なく、思い切って走ることもままならない子どもたちも多いそうです。それに対し、慶應KPAは、ラグビー部が普段利用する人工芝の広いグラウンドを使っています。現状、月曜日と土曜日の夕方にラグビー部の練習はなく、安全な環境で思いっきり体を動かすことができるので、子どもたちだけでなく、保護者の方の評判も上々です。

鬼ごっこをドローンで空撮すれば「空間の使い方」がわかる

アカデミー生の空間的な動きを空撮するドローン

データの収集については、位置情報や運動強度などを計測することを目的として、アカデミー生が着用するビブスやシャツにGPS受信機や心拍計を装着できるようにし、ラグビー日本代表も使用しているコンディション管理のウェブサービス「ワンタップスポーツ」を使い、身長や体重などの身体データと走行距離やスプリント回数、運動強度などのデータを計測しています。

GPSや準天頂衛星「みちびき」といった測位衛星からの信号を受信してアカデミー生の運動量や走行時のスピードを計測するデバイス

アカデミー生の身体情報や運動能力に関するデータを記録し、過去との比較などを行うスマフォアプリ

これらのデータを計測することで、身長、体重、立ち幅跳びの距離、10メートルや 50メートル走のタイムなど、アカデミー生のデータを記録し、全体の平均値を確認したり、他人や過去の自分と比較したりすることができます。これらのデータを継続的に収集していくことで、体の成長とともに、運動能力がどう上がっていくのかがわかりますし、練習の際の走行距離や速度などを見て、負荷をかけすぎた、運動量が足りなかったといったことも考えることができます。

また、ドローンを飛ばして空撮し、子どもたちの空間的な思考にも働きかけています。たとえばプログラムの中で「鬼ごっこ」をする時にドローンで撮影した映像を使うことで、自分たちの動きを俯瞰して見ることができます。その映像を活用してコーチが「みんなは一箇所に固まっていたけれど、こっちに空いているスペースがあったよ」と映像で見せると、子どもたちもすぐに理解することができ、頭上から周囲を俯瞰して見るという新たな視点を獲得することができます。それも子どもたちの成長に良い影響があると考えています。

データ活用で選手やチームの成長を助ける「スポーツデータファシリテーター」を輩出したい

ほかにも、光電管というセンサーを使った計測器で50メートル走などのタイムを測ることで、精度の高いデータを収集することに取り組んでいます。体を思い通りに操るという部分では、新体操の元日本チャンピオンをコーチに迎え、前転や側転など簡単なものから始めて、高学年になるとバク転ができるようになる子もいます。学校体育ではアプローチできない部分に、専門的な知識を持った指導者が関わることができるのも、慶應KPAの強みです。

さまざまな角度から子どもたちにアプローチして、運動能力の向上を目指すとともに、そこで得たデータを分析して、さらなる強化をするというサイクルを作るためには、データを活用する人材の育成が不可欠です。私はデータを活用して選手やチームの成長につなげる「スポーツデータファシリテーター」のような人材を輩出したいと思っています。

実際に、慶應KPAには私が所属する慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科の研究員も「パフォーマンスコーチ」として参加し、慶應KPAで収集したデータをもとに「身長、体重の変化にともなう、運動能力の変化」などのテーマで研究をしています。身長が伸びることによってストライド(歩幅)が変わり、足の速さも変わるので、早い段階から運動データと身長、体重の変化を比較できるようにしておき、運動能力向上との関連性をデータから読み取っていくような研究です。

慶應KPAを巣立っていった子どもたちが、将来的にどうスポーツと関わっていくのか、ここで身につけた運動能力の土台が、次のステージでどう役に立つのかといった部分も、追跡調査していきたいと思っています。

さらには、子どもたち自身が自分のデータを見て、考えて、仲間やコーチと対話をするという、スポーツデータを身近に感じられる取り組みもできれば面白いと思っています。今の子どもたちは、生まれた時からスマートフォンがある世代です。それと同じように、データをスポーツ能力の向上に役立てるのが、当たり前のような考え方になると、スポーツデータが活用できる人材が増えるとも考えています。

近い将来、データを収集することのハードルがさらに下がり、誰でも手軽にスポーツデータを集めることができるようになるでしょう。例えば、GPS受信機をつけて試合や練習に臨むチームは増えてきており、データが手に入りやすい環境になってきています。そのデータを強化に活かすためには、スポーツデータファシリテーターの育成に加えて、チームのトップである監督やコーチ、そして選手がデータを読み解き、それを練習に落とし込むこと、試合に向けた対策を立てることなど、誰もがデータリテラシーを必要とする時代が必ずやってきます。

そのために研究と人材育成、そして地域の子どもたちの運動能力向上に寄与する取り組みを進めています。日々の成長をデータで記録することで、保護者はお子さんの発育状態を振り返ることもできます。これは一例に過ぎませんが、限られたトップアスリートだけでなく、身近なところでスポーツデータ活用の兆しが出始めています。今後、慶應KPAを起点にさまざまなデータ収集、活用の方法を探求し、拡げ、運動トレーニングのプログラムも含めて、各地で展開できるようにしたいと思っています。