CULTURE | 2018/10/23

IMAX版が公開中!未見でもわかる『2001年宇宙の旅』の何がどう凄かったのか【連載】添野知生の新作映画を見て考えた(4)

(c)2018 Warner Bros. Entertainment Inc.
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この連載は題名のとおり新作映画について書きたくて、編集部と相談して始めたものだが、今回は例外的にリバイバル公開の作品を取り上げたい。久しぶりにスクリーンで観て、その力、観る者の心に入り込み、それを内側から押し広げる力が、まったく衰えていないことに驚かされたからであり、だからこそ今観ることに意味があると強く感じたからである。

添野知生(そえの・ちせ)

映画評論家

1962年東京生まれ。弘前大学人文学部卒。WOWOW映画部、SFオンライン(So-net)編集を経てフリー。SFマガジン(早川書房)、映画秘宝(洋泉社)で連載中。BS朝日「japanぐる~ヴ」に出演中。

ヤング・パーソンズ・ガイド・トゥ『2001年宇宙の旅』

『2001年宇宙の旅』が公開されて今年で50年、半世紀になる。これを記念してまず国立映画アーカイブで「70mm版特別上映」が行われ、こちらは無事終了。今度は全国の映画館で「IMAX上映」が始まる。両者はまったく方向性の異なる試みで、大ざっぱにいえば「70mm版」は50年前に人々が見たものをできるかぎり追体験しようというもの。それに対する「IMAX上映」は、これから先ずっと見られていく未来の観客のためのもの、という位置づけになるのだろう。

実際、今回初めて観る、あるいはスクリーンで観るのは初めてという人も多いだろう。いくら「SF映画史上の最高傑作」のほまれ高く、何度かリバイバル公開されてきたとはいえ、半世紀のあいだには作品をめぐる記憶も言葉も薄れるし、観客も入れ替わる。広く共有されていると思われた常識的な知識がもはやそうでもなかったりする。

そこで、ここではまず、映画の内容とそれが作られた経緯について、ごく入門的な事柄を書いてみたい。ほんとうは何の予備知識も先入観もなく、いきなり作品と出会うのが理想的なのだろうが、そういうことはなかなか起きないので、前口上の役割を果たそうということだ。

『2001年宇宙の旅』についてまず書いておきたいのは、「話がわからない」「難解」「長すぎる」などと言われることがあるが、まったくそんなことはないということ。恐れず構えず観てほしい。2時間半の映画はかつては長いと思われたが、今ではまったくめずらしくないし、親切にも90分を過ぎたあたりでいちど休憩が入る。

原題は『2001: A Space Odyssey』で、そのままだと「2001年:宇宙のオデュセイア」の意味。オデュセイアは古代ギリシアの叙事詩『オデュセイア』の主人公で、苦難の旅から故郷に戻った英雄。『2001年宇宙の旅』は直訳に近いが、簡潔で悪くない邦題と言える。オデュセイアは地中海を船で旅し、乗組員を失ったり、怪物と戦ったりしながら、さまざまな冒険を経てついに自分の家に帰還する。題名からは、宇宙時代のそのような旅が描かれることが読み取れる。

映画の全体は大きく三部に分かれていて、それぞれ主人公が異なる。第一部の舞台は400万年前のアフリカで、主役は“月を見るもの”。第二部は西暦2001年で、地球から月に向かうヘイウッド・フロイド博士が主人公。第三部はその1年半後、人類初の木星探査に出発したデヴィッド・ボウマン船長が主人公となる。

そして三部のすべてにモノリスと呼ばれる謎の物体が登場する。モノリスは平たい直方体で、黒く、光を反射しない。モノリスは4つあり、それぞれ機能が異なる。モノリス(1)(2)はほとんど同じ大きさだが、モノリス(3)は巨大であり、モノリス(4)の大きさははっきりしない。

「話がわからない」のは当たり前で、それは監督のスタンリー・キューブリックが、説明のナレーションや科学解説をすべて取りやめにしてしまったから。キューブリックには最初からこの映画を、話を追いかけるのではなく、ただ体験するような映画にしたいという野心があった。わざとわかりにくくした、というよりは、自分にとっていちばんカッコいい映画の中に、説明や解説を入れる場所をどうしても見つけられなかったというのが真相だろう。

例えば、第一部から第二部に移る瞬間は、宙に投げ上げられた白骨が、次のカットで地球をめぐる人工衛星に変わるというカットのつなぎで表現される。アクションや物、あるいは題材によって2つのショットをつなぐカット技法を「マッチ・カット」といい、『2001年宇宙の旅』のこれは、映画史上もっとも有名なマッチ・カットと呼ばれることがある。キューブリックにとっては大きな見せ場であり、どうだカッコいいだろうという、してやったりの表情がのぞく。

だがこのマッチ・カット、「白い物体が宙を舞う」というアクションだけでつながっているわけではない。白骨は人類の祖先が初めて手にした道具であり、殺すための武器である。そこから変わった400万年後の人工衛星も、実は核兵器を搭載した軍事衛星なのだ。それはアクションと主題の両方でつながっているのだが、キューブリックはそれを説明しない。ただ、こうして第二部の冒頭に登場した4つの人工衛星には、よく見ると、米、西独、英、中国の順にすべて各国の空軍の記章が描かれ、注意深い観客には軍事衛星であることがわかるようになっている。

道具を手にすることで始まった人類の夜明けは、400万年後、その道具で自らを滅ぼす日没の瀬戸際まできていた。21世紀の最初の年、2001年という年は、全面核戦争による人類滅亡の年として映画の舞台に選ばれたのだ。

2つの才能による2つの『2001年宇宙の旅』

この映画はそもそも、アメリカの映画監督スタンリー・キューブリックと、イギリスのSF作家アーサー・C・クラークの出会いから生まれた。

キューブリックはニューヨーク市で生まれ育った早熟の天才であり、独立系の映画作家としてスタートしながら、『博士の異常な愛情』が完成するころには、ハリウッドのメジャースタジオと契約しつつ、作家としての自由を確保できる、独自の地位に昇り詰めていた。

キューブリックは1作ごとに新たなジャンルに挑み、準備のたびに、その分野の最高の専門家を見つけ出して、徹底的に教えを乞うというやり方を好んだ。1964年3月、次回作にSFを考えていた彼は、「語りぐさになるような、いいSF映画を作る可能性」について話し合いたいという有名な手紙を、一面識もないアーサー・C・クラークに送る。翌月、ニューヨークで初めて対面したとき、キューブリックは36歳、クラークは47歳。二人は時間を忘れて議論に没頭し、ここから始まった2年間の共同作業、二つの偉大な頭脳の融合の中から、当初の予想をはるかに超える大きな物語として『2001年宇宙の旅』の構想が生まれた。

そう、『2001年宇宙の旅』ほどスケールの大きなSF映画は、これ以前にはなかったし、実はこれ以後もない。「人類はどこから来てどこへ行くのか」という大テーマを掲げて、400万年という時間と、銀河系ではないどこか他の宇宙への旅という距離をあつかったSF映画は、私の知るかぎり他にはない。

小説続篇の映画化『2010年』(1984)も、キューブリックがもう一度SF映画に挑もうとして果たせなかった『A.I.』(2001)も、そこまでのスケールの大きさはなかった。スター・トレックの映画シリーズや、『コンタクト』(1997)、『銀河ヒッチハイク・ガイド』(2005)、『アバター』(2009)、『プロメテウス』(2012) 、『インターステラー』(2014)、『メッセージ』(2016)といったSF映画には、部分的にこれに迫るところはあるが、超えているとは言えないだろう。

1964年当時のアーサー・C・クラークは、1950年代から『火星の砂』『幼年期の終り』『地球光』『都市と星』『海底牧場』『渇きの海』と立て続けに代表作を発表し、作家としては一段落していた時期にあたる。それと同時に、クラークがその名声と科学解説者としての実績から持っていたNASAやIBMとのコネクションが、内容の面でも人材の面でも『2001年宇宙の旅』の製作に大きく寄与することになる。

そして2人の共作は最終的に、キューブリックが『2001年宇宙の旅』という映画を監督し、クラークが同名の長篇小説を書くという2つの作品に結実する。

だから、映画の話がわかりにくくても、何も心配することはない。アーサー・C・クラークの『2001年宇宙の旅/決定版』(伊藤典夫訳/ハヤカワ文庫SF)を読めば、話は完全に理解できる。この小説は長くないし、難解なところもない。そして読み終えたあとの高揚感には、映画とはまた違った独自の深みがある。クラークにとっても、この長篇小説は全盛期を締めくくる特別な傑作となった。

とはいえ、あなたがまだ映画を観ていないのであれば できれば映画を先に観て、小説を後から読んでほしい。スタンリー・キューブリックがアーサー・C・クラークに対して、ひとつだけ絶対に許さなかったことは、映画のロードショー公開が終わる前に、小説を発表することだった。映画の製作は困難を極め、公開予定は何度も延期され、おかげでクラークの新作小説も発売できないまま時間が過ぎていったが、クラークはそれを耐え忍ぶしかなかった。

そこまでしてキューブリックがこだわったのは、この映画を特別な体験として観客に届けるという野心であり、先に物語や意味を知られてしまうことは絶対に避けたかった。

『2001年宇宙の旅』は、ロードショーという特別な公開形式(一流の映画館、特別料金、完璧にコントロールされた前奏曲、開幕、休憩、閉幕、退出音楽)と、シネラマという特別な上映システム(観客を取り囲むように湾曲した大スクリーン、高精細のプリント、独自の音響システム)のために作られた映画だった。今回の「IMAX上映」がそれにどこまで迫り、どう超えてくるか、楽しみでしかたない。

1968年の公開時、映画は難解と言われ、厳しい批評も出たことから、興行的には失敗だったというイメージがあるかもしれない。だがそれはまちがっている。アメリカ国内の興行収入は5,900万ドルで、これは(インフレ調整抜きでも)キューブリックの全作品のなかで最高額。つまり実はキューブリック最大のヒット作なのだ。

たしかに製作費と製作期間は当初予定を大きく超過したが、前作『博士の異常な愛情』の6倍の製作費をかけても、6.5倍の興収をあげており、浪費作のイメージは不当なものといえる。また、同じMGM配給のシネラマ映画である『西部開拓史』(1963)、『グランプリ』(1966)、『北極の基地/潜行大作戦』(1968)の興収も超えており、60年代の大画面大作としても、最大級のヒット作だったのである。

映画館への旅から帰って来たら

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映画の内容について、もう少し突っ込んだことを少しだけ書いておきたい。あなたがまだ『2001年宇宙の旅』を見たことがないなら、この部分を読むのは映画館から帰ってからの方がいいかもしれない。

公開から半世紀が経てば、どんな映画にもその後の時代とのズレは現れる。とくにスタンリー・キューブリックは、その時代の最新の知識を渉猟して映画の構想に役立てていたため、ズレが生じるのは仕方がない。

『2001年宇宙の旅』の場合、ヒトザルから人類への進化を武器の使用と同胞殺しに起因するように描き、これをキューバ危機当時の全面核戦争への恐怖に直結させている。これは1961年に出版されて大きな話題になったというロバート・アードレイのノンフィクション『アフリカ創世記 殺戮と闘争の人類史』に影響をうけたものだという。今で言えば、ジャレド・ダイアモンドやユヴァル・ノア・ハラリのベストセラーをもとに映画を作るようなものかもしれないが、アードレイの見方は現在ではほぼ否定されているようだ。

アーサー・C・クラークはさすがに慎重で、小説では「世界は二つの問題をかかえこんでおり」(p.70)として、「武器」と並ぶ2001年の問題として「飢餓」をクローズアップしている。これは300万年前(映画では400万年前)の世界で、ヒトザルが飢えに苦しめられていたことに呼応しており、つまりモノリスの救援がもたらされるのは、二度とも食糧難によって絶滅に瀕している時だったという描写になっている。

もうひとつ、現代の観点からどうしても気になるのは、宇宙開発の現場における男女の人数比と役割分担である。月面クラビウス基地の機密会議では、出席者13人のうち女性は2人。モノリス(2)発掘サイトを訪れる6人のうち女性はゼロ。ディスカバリー1の乗員5人のうち女性はやはりゼロである。他の乗物も操縦者は全員男性であり、女性はスチュワーデスと受付係に限られている。ソ連の科学者グループだけが4人のうち3人が女性で異彩を放っていた。

小説では、クラビウス基地の男女比は「男性千百人と女性六百人」(p.98)となっており、キューブリックほどではないが、クラークも同数になるとは思っていなかったことがわかる。時代の限界で仕方のないこととはいえ、例えば、半世紀後の“リアルな”宇宙SF小説であるニール・スティーヴンスン『七人のイヴ』がどうなっているか、当時の二人に耳打ちしたくなる。

また1950年代のSF小説が『2001年宇宙の旅』のもとになり、『2001年宇宙の旅』が1970年代のSF映画ブームを準備した――という時代の流れにも触れておきたい。

『2001年宇宙の旅』は1968年の映画だが、その構想は1964年に始まっており、下敷きとして選ばれたアーサー・C・クラークの短篇「前哨」は1948年発表。その他の参照された短篇もすべて1950年代の作品である。

つまり、1950年代のSF小説の精華が『2001年宇宙の旅』という映画の土台となったのであって、1960年代の同時代のSF小説(例えば『高い城の男』や『デューン/砂の惑星』や『光の王』のような)が映画に影響を与えるのはもう少し先のことになる。

同時におもしろいのは、『2001年宇宙の旅』の製作過程で、妥協を知らないスタンリー・キューブリックの要求を受けて試行錯誤を重ねた特殊撮影の技術や、イギリスの撮影所における優れた人材の蓄積が、次の時代の『スター・ウォーズ』や『エイリアン』を準備したということ。ここにも時代を超えた影響の転移が見られる。

フランク・プールのセリフに「I've got a bad feeling about him.」とあるのを聞いて、『スター・ウォーズ』への影響を夢想してしまうのは私だけだろうか。

もうひとつ指摘しておきたいのは、これはイギリスのSFだということ。同じ英語圏のSFでもアメリカのそれとはちょっと違っていて、彼らは「人間はどこから来てどこへ行くのか」という大テーマをつねに考えている。アーサー・C・クラークはイギリス人であり、H・G・ウェルズやオラフ・ステープルトンに強い影響受けて、進化テーマに強いこだわりがあった。人類は子供で、地球は揺り籠であるという観念。海から陸へ、地球から宇宙へという超越的な進化。これらはイギリス人作家としてのクラークに染みついたもので、そのテーマをずっと突き詰めていくと、科学とは対極にあるはずの神秘主義みたいなものに到達する。そこがおもしろい。

HAL9000の歌う「デイジー・ベル」も、じつはイギリス人作曲家のヒット曲。IBMコンピュータが合成音声で歌う実験を聞いたアーサー・C・クラークが、映画に取り入れた。

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デイジー、デイジー、君の答えを教えて
私は半分おかしくなっている
すべては君への愛のせい
(中略)
二人乗り自転車で結婚しよう

私にはこれがどうしても、HALから人類への愛の告白に聞こえる。AIと人類がディスカバリーという“二人乗り自転車”に乗って幸せになれたかもしれない、という潰えた夢を歌っている。そう思うと泣けてくる。

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2001年宇宙の旅

◆2001年宇宙の旅
◆公開日:2018年10月19日(金)
◆公開表記:IMAXにて2週間限定上映
◆配給:ワーナー・ブラザース映画
製作:1968年  原題: 2001: A Space Odyssey
◆劇場名(28館)
109シネマズ(二子玉川、木場、湘南、菖蒲、大阪エキスポシティ、箕面)
TOHOシネマズ(日比谷、新宿、ららぽーと横浜、なんば、二条、仙台)
ユナイテッド・シネマ(としまえん、浦和、豊橋18、岸和田、キャナルシティ13)
T・ジョイPRINCE品川/横浜ブルク13/広島バルト11/鹿児島ミッテ10
シネマサンシャイン(大和郡山、衣山、土浦)
イオンシネマ大高/成田HUMAXシネマズ
USシネマちはら台/エーガル8シネマズ
【キャスト】
デヴィッド・ボーマン船長:キア・デュリア
フランク・プール:ゲイリー・ロックウッド
ヘイウッド・R・フロイド博士:ウィリアム・シルベスター
HAL 9000(声):ダグラス・レイン
【スタッフ】
監督・製作:スタンリー・キューブリック
脚本:スタンリー・キューブリック、アーサー・C・クラーク
【シノプシス】
人間 vs. コンピュータの戦いを、陶酔の映像と音楽で描き出し、アカデミー賞®を受賞した『2001年宇宙の旅』。キューブリック(アーサー・C・クラークと脚本を共同執筆)は、有史前の類人猿から植民地化が進む宇宙へ、数千年もの時間を超越(映画史上最高のジャンプ・カット・シーンのひとつ)する離れ業をやってのけた。人類がまだ見ぬ宇宙の領域に足を踏み入れた宇宙飛行士ボーマン(キア・デュリア)は、不滅の存在へと昇華していくのだろうか。「HAL、進入口を開けろ!」という悲痛な願いと共に、無限の可能性に満ちた未知への旅を始めよう。