小説・詩・俳句・短歌・ノンフィクション・エッセイ・評論など、多種多様なテキストメインの同人誌が販売されるイベント「文学フリマ」。バックに大資本や自治体がついているわけではないインディペンデントなイベントだが、その歴史は20年以上積み重ねられており、全国各地で開催されている。コロナ禍を経た2023年の東京会場では来場者が過去最大の1万人を突破、しかも前年より倍増近い人数になっており周囲を驚かせた。しかも2024年には過去最大規模となる、東京ビッグサイトでの開催を予定しているという。
初期からプロの小説家、評論家、編集者なども出店はしているが、ファンがそれだけを目当てに買いに来るイベントでは全くない。むしろ最近では、ネットで話題になった新世代の書き手の紙媒体デビューの場として、また未来のプロとなる書き手が継続的に活動するためのプラットフォームとなっている側面も大きく、多くの来場者も「まだ見ぬ一冊」を楽しみにしている、そんなイベントだ。
第2回以降の継続的なイベント開催のために立ち上げられた、文学フリマ事務局の代表に就任し、現在に至るまでその歴史を作り上げてきた望月倫彦氏に話をうかがった。
第1回から「続けられそうだ」という確信が持てた
―― こうしたインタビューでは大抵「文学フリマを始めた経緯を教えてください」的なことを聞いてしまうのですが、公式サイトにかなり読み応えのあるアーカイブ資料が多数アップされているので、興味ある方はそちらを読んでくださいということにしたいと思います。
望月:過去の記録が消されてしまう、下手すると第1回がいつ行われたのかすら公式サイトから消されてしまうイベントって結構あるじゃないですか。それが問題だなという意識がずっとありましたし、文学フリマも歴史をちゃんと積み重ねて続いているイベントだということ自体が、信頼性・安心感みたいなものにつながっていくだろうし、入りやすさにもつながるかなと思っていて。
ーー サイトには文学フリマが開催されるきっかけになった、まんが原作者・批評家の大塚英志さんによる『不良債権としての「文学」』も全文公開されています。2002年に文芸誌『群像』で発表されたこの文章で、「文学コミケ」を自身が開催すること、そしてその参加者を募ることとなったわけですが、望月さんもこれを読んで応募したんですよね。
望月:正確に言うと、ここで募集されていたのは「出店者」でしたので僕も出店しています。応募した人向けの案内状に、大塚さんが主催するのは1回限りだから、やりたい人がいたら続けていいよということが書かれていたんです。
第1回が開催された日、片付けのタイミングで大塚さんが、「今後引き継ぎたい人はまた連絡しますので、名前と連絡先を書いてください」というスピーチをしていて、ちょっと興味があるんでと書いたうちの一人が僕だったということですね。
―― 第1回の出店者はどんな方々で、会場はどんな雰囲気だったんでしょうか。
望月:みんなが手探りだったから、若い学生サークルみたいな感じの人たちも出ていたし、古典的な文芸同人会みたいな、各地方で何十年もやっていますみたいなグループが出ていたり、ドストエフスキー研究会みたいな読書会サークルもいました。文学フリマがあるから本を作ろうというより、既に出品できるものが手元にあるから集まった人たちが多かったんですよね。だから横のつながりも全然なくて。
―― 第3回(2004年)の開催時には会場として予定していた青山ブックセンターの破綻により急に使用不可能となり、以後第7回(08年)までは東京都中小企業振興公社の秋葉原庁舎で開催しています。
望月:当時のブース数は100ぐらいで、段々と出店者が増えてきて、青山ブックセンターでは手狭になってきていたこともあり、別の会場を探しているタイミングでもありました。
当時の秋葉原はまだかなりマニアックな怪しいイメージの街だったんですよ。まだヨドバシAkibaもオープンしておらず、2ちゃんねる発の『電車男』が書籍化される前後ぐらいのタイミングで、オタクカルチャーも今より一般化していませんでした。ただこの会場を使うようになって、机やイスを自分たちで業者さんに連絡を取り用意しなければならず、一般的なイベントとしてのノウハウが固まっていったという良い点もありました。
ーー 「このイベントは長期的に続けられそうだな」という手応えを感じたのはいつごろからだったのでしょうか。
望月:それは第1回からですね。青山ブックセンターの本店内(カルチャーサロン青山)で開催されたこともあってイベントを知らない人も自然に流れてきたのもあり、いち出店者の立場から見てもそれなりに賑わっているように感じられましたし、出店者も満足げというか楽しい感覚を得られているように思えたので。
各地での開催を続けるコツは「余計なことをしない」
―― となると次の転機は、東京以外での開催になってくるのでしょうか。
望月:そうですね。最初は名古屋でやりたいと名乗り出てくれた人がいて、2006年に1回だけスピンオフ的に開催しました。今でも当日の運営は現地の人に任せることになるのですが、まだどういう連携の仕方がベターかということもわかっていなくて、今思えばこちらにも多くの反省点があります。アドバイスも不十分だったし、「それはやめた方がいいよ」と言うことがなかなかできませんでした。
―― それは理念的なことでしょうか。それとも実務的なことですか?
望月:両方ですね。まず、これは後の「文学フリマ百都市構想」にも通じることですけど、新規開催を申し出てくれる人に対して、今なら「開催・運営をスムーズにするため以外の余計なことをしない方がいいよ」と必ず最初に言うようにしています。具体的に何かというと、例えば「トークショーをやった方がいいんじゃないか」とか言いだす人が出てくるんです。
―― 開催前のイメージ醸成、あるいは集客の保険としても、そういうことをしなきゃいけない気になってしまうのは少しわかります。
望月:そもそも1回目の開催実績もないのに、そんなことをできる余裕はないはずなんです。後は「他はこうだけど、我々は独自のこういうことをやりたい」みたいな話が出てきたりしがちなんですが、それも間違いです。参加者は「あの文学フリマが自分の地元にやってくる!」と喜ぶんであって、他会場とぜんぜん違う自称文学フリマが来ても喜ばないですよ、と。それを説明するとみんな納得してくれるんですが。
文学フリマをやりたいんだったらちゃんと文学フリマをやるべきで、違うことをやりたいなら違うイベントをやればいいという話なんです。お客さんの立場から見てもそう思うでしょう。
実務的な面でも、例えば独自の公式サイトを立ち上げたいと言われたら、「いやいや、そんな無駄なことはしない方がいいから」と。アクセスが分散してデメリットしかないですし。出店料の金額設定も、「高いと参加してくれないんじゃないか」と不安になって、ついつい安く設定しようとしちゃうんです。他の同人誌即売会の情報を調べれば相場がわかるので、それをベースに考えるべきなのに。
ただ、今の文学フリマの出店料は世の中の同人誌即売会に比べると、実はちょっと高い部類に入っているんです。あえて高く設定しているというところはあるんですけど、他の相場に合わせようとするとすごく低くなっちゃうんです。来場者の入場料を取る・取らないの違いもありますが、何よりも赤字になってしまえば運営が続けられないので。
―― そこから東京以外の会場を使い始めるのが、2013年4月に幕張メッセで行われた「ニコニコ超会議2」の会場内イベント(超文学フリマ)で、同じ月には第16回文学フリマが大阪で開催されています。
望月:もともと東京以外、特に大阪でやりたいねという話は以前からありました。あとは2011年の東日本大震災を受けて、1箇所だけで開催していると、もしその地域で災害が起こったら開催ができなくなっちゃうな、そして災害がなくても会場から「今回はこっちの事情で使えない」と言われたらアウトだなという危機感もありました。2011年の文学フリマで開催したトークショー「震災下の文学」で大塚英志さんが「東北で文学フリマをやっていれば、わざわざ『震災下で文学に何ができるか』なんて考えなくてもよかったはずだ」といった趣旨の発言をしていたことも頭に残っていました。
とはいえ2011年は東京会場が大田区産業プラザPiOから東京流通センターに変わるタイミングで、並行して新地域での立ち上げは難しかったのと、ブース数が300、400を越えてくると開催できる場所がかなり限られてしまうんです。もちろん予約もそう簡単にはできない。
そこから東京流通センターでの開催が安定的にできそうだと一段落したタイミングで、大阪でやりたいという人が名乗り出てくれて。この2013年が、東京流通センターで予約できる日程があまり良くなかったのもあって、東京での開催を告知する前に「次は大阪でやります」と宣言したんです。
―― 結果的には「超文学フリマ」も開催されることになりましたが、当時は東京の人も「大阪でしかやらないならそっちで出店してみようか」となっていましたよね。
望月:発表時にはまだ「超文学フリマ」のオファーをもらってなかったので「東京ではやりません」と宣言しちゃったんですよね。大阪で失敗したら他の地域でもできるわけがないので、こちらとしても背水の陣でした。もちろん既存の参加者からすれば驚いたでしょうが、「大阪なんかでやるな、東京でやれよ」とは言えないだろうなという目論見もあって。
―― 「大阪を下に見ているのか」みたいな話になっちゃいますしね。
望月:そうです。だから不満を持つ人が出るであろうことも分かっていましたけど、大阪開催を歓迎する声のほうが強くなると見越して決断したわけです。
―― 東京以外の会場での雰囲気に違いは生じるものなのでしょうか。
望月:地域によって異なりますが、地元の人たちの参加が4〜6割ぐらい、あとは東京からも含む遠征組の参加という感じですね。雰囲気としては大阪のほうがにぎにぎしい感じもするし、近くても京都はまた全然違います。
ただ僕らとしては、さっきも言った通りプラットフォームとしての文学フリマは全国どこでも同じものを提供する、むしろ違う文学フリマを開催してはいけないと思っているので、地域の独自性みたいなものは主催者が演出するのではなく、出店者・来場者たちが自ら作り上げるものだと思っています。
また地元の人たちにとってお得感があるポイントとしては、文学フリマの来場者には遠征組も多いということが挙げられます。例えば福岡だと、東京・大阪からの参加者もそれなりにいるし、鹿児島から来る人にとってもちょっとした小旅行じゃないですか。だから、そういう人たちが集まる場ということも魅力のひとつになっているんじゃないかなと思いますね。
「プロが出店」から「出店者がプロに」という転換
―― 出店者については、第1回から「文学フリマプロデュース」的なことをせずとも、その時代時代で話題になる人がずっと途切れませんね。ゼロ年代には東浩紀さんのゼロアカ道場で「文学フリマでの同人誌の売上を競う」という企画が行われ書籍化もされましたし、2010年代にはnoteなどで頭角を現した書き手が文学フリマに出店する流れも定着しました。
望月:漫画化、ドラマ化もされたこだまさんの『夫のちんぽが入らない』が収録された同人誌『なし水』が初めて販売されたのも2014年の文学フリマでした。
最近だとエッセイストの岸田奈美さんも2021年の文学フリマ大阪に参加してくれていて(※編注:本人は「2年前(19年)から匿名で参加していた」ともポストしている)。当時はもう『スッキリ』のコメンテーターとしてテレビにも出ていたので当然行列になったわけですが、スタッフがおらず一人で運営されていてびっくりしました(笑)。
他にもいくつもの例が挙げられますが、大体2010年代後半ぐらいから、書き手として有名になってきた人が「ちょっと文学フリマ向けの同人誌を作ってみようかな」というきっかけに使ってくれる流れが確立したように思います。
初期のころは、プロの小説家・批評家などが出店するというのが一つのトピックになっていたりして、それこそゼロアカ道場のようにバッと盛り上がったのもあるし、桜坂洋さんと桜庭一樹さんが合同誌を出したり、長嶋有さんが出たり、あとは又吉直樹さんがサイン会の列に並んだことが『火花』誕生のきっかけになっていたり、ずっと色々あったんですけど、10年、15年と続けるようになって、文学フリマで活動していた人が後から有名になるパターンが出てきましたね。
こだまさんは文学フリマだけで有名になったわけじゃないですけど、2022年に芥川賞を獲った高瀬隼子さんは文学フリマでもともと活動していて、その後に新人賞を獲ってデビューして、という流れなので。
―― コミケだと何らかのオタクカルチャー的な文化、マニア文化みたいなものが関連している本が集まっている一方で、少し違うおしゃれカルチャー系みたいなものも、文学フリマというプラットフォームがあるから、ちょっと出してみようかという雰囲気があることは感じます。
望月:それはあると思います。かつ、そういうアプローチの本だとコミケほどの規模を必要としないんですよ。
もう一つは、最近はそうでもないですがコミケは出店落選の可能性が毎回あるので、自分たちの活動のベースにするのは難しい状況が続いていたと思うんです。その中で、文章系、あるいはカルチャー雑誌的なアプローチだったりすると、文学フリマという場が活動のベースになりやすかったのかなとは思いますね。
この10年ぐらい、紙の本を作るという行為が、インターネットでの活動のまとめ的になりがちなところがあります。紙の本にすると、それはそれでいろんな価値が生まれてくるとかあるし、あとは「締め切りができる」という機能を果たしている側面は強いと思うんです。
―― ここ最近の文学フリマは、短歌勢の勢いがすごいと感じます。出店者も多いですし行列ができているのもこのジャンルです。しかも一人のカリスマが牽引している感じでもないという。
望月:短歌が文学フリマの中での存在感が高まっていると聞いたのはもう少し昔で、2015年に金沢で初めての文学フリマが開催された頃に、歌人の黒瀬珂瀾さんから教えてもらいました。「文学フリマに合わせて若手が本を作る循環ができつつあるから、界隈にとっても無視できないイベントになっているんです」と。
―― なるほど。ブースの出店割合の変化は感じますか?
望月:ここ3、4年で一番割合が増えているのはノンフィクション、エッセイです。つまり「note以降の書き手」みたいなところですね。他のジャンルは割合は変わっていないですが、出店者の数が増え続けているのでそれぞれ規模が大きくなっていっている印象です。
あと、もともと一番出店者が多いジャンルは小説で、入れ替わりも激しいですし伸び率も高いというのは見えていますね。評論系は文学フリマに参入するのが他のジャンルより早かったというか、2010年前後ぐらいから「ウェブだけでやってるんじゃダメだ。同人誌ぐらい作らないと」という空気がありましたし。
―― 何度も話題に出ているゼロアカ道場もそうですし、文学フリマ発ではないですが宇野常寛さんの『PLANETS』もありましたしね。
望月:文学フリマで本を出すとなると、自分は書き手だけじゃ済まなくて、編集者じゃなきゃいけないしデザイナーも必要、出店や印刷の手続きといった事務作業も必要だし、本を売るためにマーケティングや売り子も必要ということで、とにかくそこで蓄積される経験がすごく多様なんですね。
だから「それぐらいの視点を持たないとダメだよ」という感覚になるのは分かるなと思います。これは評論系に限ったことでもないでしょうが。
他方、短歌・俳句系だと、紙の本に対する思いみたいなものが強いのかなという気がしていて。短歌・俳句の本は、相対的に商業出版として厳しい現状がありますよね。基本的には自費出版ベースで本を出すことが多いと思うんです。
そうした状況もある中で、紙の本としてこういうふうに文字を並べた、こういう紙質のこういう装丁で自分の作品を読んでもらいたい。それも含めて作品づくりであって、電子書籍として同じ文字が並んでいたとしてもそれは別物なのだという意識が非常に強いと感じます。
コロナ禍を経て来場者が倍増。要因は「怖くなさ、メジャー感」?
―― 次に来場者数の話を伺っていきたいんですが、2019年11月の東京会場(第29回)の来場者が6000名ほどでした。コロナ禍の間は中止もありつつ22年には来場者数が戻り、ようやくイベントを通常営業にできるようになってきた23年5月(第36回)はなんと1万人超え。いきなり倍増近くになっています。
望月:「一気に増えたな」と思ったのは1つ前の2022年11月の東京会場(第35回)からで、この時にコロナ禍前の人数も超えた過去最高の来場者数になったんです。もちろんそれは嬉しい出来事で、当時「コロナ禍を経てイベントもウェブや配信がメインになってきたから、今後リアルイベントは厳しいんじゃないか」なんてまことしやかに言われてたじゃないですか。
この先、文学フリマはどうなるのかと不安になりながらも必死に開催してきました。2020年でも中止がありつつも4会場(京都・広島・大阪・東京)でやっているし、21年も5回開催できました。そうやって続けてきたことで、存在感が途切れなかったのは大きいなと思っていますね。「あのイベントはどうなったんだっけ、なくなったんだっけ」みたいにならなかったという。
これも東京だけで開催していたら結果は違っていたはずで、「この会場では中止になっちゃったけど別会場では開催できた」という実績が残ったからこそ、文学フリマの相対的なプレゼンスが高まってきたんだと思います。そうして2022年11月の東京ぐらいで「よし、参加してみようか」みたいな雰囲気になり、人が一気に増えたという印象ですね。
―― ただ、来場者倍増とまでなると、他の要因も何かあるんじゃないかという気にもなってしまいます。
望月:僕らはここ10年ぐらい「メジャーな雰囲気を作る」という運営をかなり意識して行っています。それも理由としてはあるかもしれません。
例えば同人誌イベントでよく使われる「サークル」「スペース(Sp)」といった言葉を基本的には使わないようにしています。ある界隈でしか使われないジャーゴンは全部一般用語に置き換えようと。
SNSでの展開についても、僕らが主催者として開催の宣伝はする一方、それ自体に大きな集客力があるわけでもないですし、イベントの存在だけ知っても具体的に何を買えばよいのかわからないわけじゃないですか。だから「出店者の皆さんが宣伝を頑張ってください」と訴えることに力を入れています。あとは細かいところで言うと、X(Twitter)ではハッシュタグが3文字以下だとトレンドに入らないらしいという話があるので、公式では「文フリ」という略称を使わないようにするとかですかね。
―― なるほど。いち来場者として客層を見ても、若返りもできている印象があるんですよね。具体的に言うと20代の女性が増えている印象があります。
望月:その辺りについて、アンケートで取れる範囲で言うと、以前から別に高齢化は進んでいなかったんですよ。だからこそ、そういうハッシュタグの戦略に価値を見出したんです。
実際に効果は出てきたかなと思っているし、さっき言ったメジャー感を出したいという話もそうですけど、3、4年ぐらい前に大きくルールを改正して、ハラスメント防止ポリシーを提示したり、写真撮影の条件を明文化したり。「これはNG」じゃなくて「こうすればOK」という言い方をするように意識しています。いろんな人の声を聞くと、大規模即売会に「怖い」というイメージを持つ人が結構いるんですよ。暗黙のルールがいっぱいありそうで怒られるのが怖いというか。
あと、買った同人誌を「戦利品」と言うノリもありますが、それもまた「即売会は戦場だ!」という負のイメージ形成につながってしまっているんじゃないかと考え、文学フリマでは開催日前後にXで「#文学フリマで気になる本」「#文学フリマで買った本」というハッシュタグを使ってみなさんがチェックした本を紹介してほしいとお願いしています。これも本の感想とか、イベントレポートみたいになると作成に時間もかかるし気軽にはできませんよね。でも、自分が買った本の写真をアップするだけだったら誰でもすぐできますし。
―― 戦場ではない、つまり「並んで買うイベントじゃないよ」という居心地の良さはずっと感じますね。
望月:「コミティアや文学フリマはちょうどいい混み具合だ」という声をよく聞きますね。にぎわっているけど、そこまでキツくはないというか。人が少なければ盛り上がらないですが、盛り上がっているけど辛くない、怖くないというのが大事かなと思いますね。
僕らは「文学フリマ百都市構想」を打ち出して全国各地での開催を後押しし、具体的には開催ノウハウの共有、申込受付・出店料決済システムの共同利用などを提供しています。今後も規模が大きくなっていけば内輪感のようなものもより薄れていくと思いますし、そうなればなるほど「あんなの内輪の集まりで影響力なんか無いよ」みたいな批判もしにくくなっていくはずです。
文化芸術の愛好者・創作者・継承者を増やすこと
ーー 関連するようでやや異なる質問をしたいのですが、文学フリマのようにイベントの場の盛り上がりが高まっていく一方、各地の書店、劇場、映画館などの苦境も伝えられています。これは文学フリマや望月さんが悪いという話ではありませんが、一方で「ハレの場ばかり注目が集まり、日常=ケの場には誰も目を向けてくれない」という指摘もあります。こうした意見についてはどのように考えていますか?
望月:難しい質問ですね。「同人誌」ということで考えると、1日限りのイベントとして終わるという形式が非常に合っているのだと思います。それはコミケ、コミティアなどの隆盛を見ていてもそうですよね。一方で町の書店となると、基本的には商業出版、つまり既存の出版社の本の流通の上に成り立っているので、ネット通販や電子書籍の影響も直撃していて厳しい環境になってしまっています。
僕は文学フリマの開催で各地に行くとき、その土地のレコード店にもよく行くんですが、ショップごとの個性が明確にあるからこそチェックするのが楽しいと思っていますし、同じように新刊書店より古書店の方がワクワクしてしまう部分がどうしてもあります。だからこそ近年オープンする小さな書店はセレクトショップ的なアプローチが増えているのではないでしょうか。
「現代のエンタメは可処分時間の奪い合いだ」なんてよく言われますけど、文学フリマという活動も、本=テキストを読む人を増やすことを目的にもしているので、そういう意味では書店さんの領域を侵食する気はさらさらないし、むしろ一緒に頑張りましょうという気持ちでいるんです。
希望は全然あると思っていて、なんで文学フリマにこんなに参加者が増えているかというと、自分の文章を人に見せる人の数が今こそ一番多いからでしょう。そうした中で自分の本を作ってみる、売ってみるとか、あるいは見たことのないような本をその場で買ってみるみたいな、そういう体験を提供して活字の面白さを広めていきたいというのはありますね。
文学フリマ百都市構想を掲げる目的は、文化芸術の愛好者を増やすこと、創作者を増やすこと、継承者を増やすこと、この3つを増やすことだと書いているんです。それはいまだに変わっていないですし、作る人だけじゃなくて読んでくれる愛好者も必要だし、文化芸術である以上は継いでくれる人というのも俳句、短歌などにはあるでしょうし、評論もそうだと思うんですよね。ある種、継承みたいなものが必要だと思うんです。
文学フリマをビッグサイトで開催することの意味
望月:とはいえ、文学フリマが「次の次(2024年12月開催の第39回)は東京ビッグサイトでやるよ」となったら、一体どういうことなんだとなりますよね。
ーー 僕も含め全員驚愕したと思います(笑)。
望月:そう、異常事態ですよ。東京国際ブックフェアですらもうないのに、マンガではない活字系メインのイベントで成り立つのかと。10年前だったらそんなことができると思っていなかったし、当時のインタビューでも「ブースは1000ぐらいで横ばいになるんじゃないでしょうか」なんて話していましたし。
―― これはいつごろ、どんな流れで決断されたんですか。
望月:2022年11月の時点で、東京会場の来場者が1万人の大台に乗りそうだということが見えてきたんです。来場者だけでなく出店者も増えてきて、東京流通センターで2会場に規模を拡大してもなお、追いつかないかもしれない勢いになってきていた。じゃあ、これを超える規模の会場ってどこなの?となると、もうビッグサイトか幕張メッセぐらいしか無いわけです。
ビッグサイトはコミティアさんの開催実績もありますから、ありがたいことにいろいろ参考にさせていただきながら、会場側に問い合わせてみたという感じです。ただ、ビッグサイトも2023年から26年にかけて大規模改修が入るので、工事中は使える面積が減っちゃうんですよね。だからこの先も、会場問題はずっと頭を悩ませることになるんだろうなとは思っています。
―― 併せて2024年5月の東京会場(第38回)から入場料も導入されることとなりました。
望月:それも出店者、来場者の数が両方増えてきたことによって、対応コストや印刷物コストがすごく上がってきていますし、世の中全般が値上げしていますから。
何もしなくても経費が上がっている状況で、出店料だけで黒字を確保するのが端的に厳しくなってきたというのはありますね。さらに、23年11月の東京会場(第37回)の時点で、既に出店者の落選を出してしまっているんです。つまり出店料収入の増加はこれ以上見込めないという。
―― そもそもの話なんですが、望月さんは専業でこの運営をされているんですか?昔のインタビューではイベント会社の社員をしながらやっていると話されていましたが。
望月:今はほぼ専業です。規模の拡大に伴って各種法令の遵守、会場など関係企業との契約で現行の体制では対応が難しい面が生じていたため、2022年に法人化(一般社団法人)して代表理事になり、23年から文学フリマがメインの仕事です。
ーー 最後に、文学フリマの歴史も20年を超えたわけですが、今後はどのようなイベントにしていきたいですか?
望月:今は「ビッグサイトでの開催を無事成功させる」が最大の目標ですけど、一度開催してしまえば「日本で一番の展示場でも開催されているイベント」になるわけですよね。それが他の地域で開催する文学フリマにとってもすごく良い影響が生じるだろうなと思っていて。
ちょっと嫌らしい話ですが、今後も東京会場以外では入場料を取らないので、東京一極集中みたいなふうに思われずに、全国で文学フリマを広めていきたい、大きくしていきたいと思っています。
さっきもお話しした通り、文学フリマを続けていくことで日本の本・活字文化、ひいては文化芸術全体をしっかり支えていきたいし、そういった文化に携わる人たちを育てていければという目標も、もちろんあります。そこはブレずに続けていきます。
コミケ、コミティア、文学フリマ、その他の同人誌即売会も含めて言えば日本は確実に世界一のZINE大国ですよね。印刷所のインフラも整っていて、こんなに安価に、簡単に本を作れる国は他にないと思います。それはもちろん、コミケ、コミティアといったマンガ系の即売会の長い歴史があって、文学フリマのような後発イベントが助けられている面もかなり大きい。
その環境をこれからも守り支えていく側に回っているよなとも思うので、今後は同人誌印刷所さんを含め、そういう人たちのことを応援していきたいと思っています。
ーー 古本の買取・販売から始まり、徐々に事業を広げていったバリューブックスのような存在になるイメージでしょうか。
望月:なるほど。ただ、法人化して私がほぼ専業になったのも、「ガンガン儲けてやるぜ!」という考えというよりは、止むにやまれずな部分が大きかったんですよね。インボイス制度とも無関係ではないし、運営だけでなく税務や契約業務を考えればもう片手間でできる規模でもなくなってしまっている。ビッグサイトでやるんだから当たり前だろうという話なんですが。
―― 第1回から今に至るまで、超インディペンデントな集合体ですしね。
望月:第1回から20年経った今でも思いますけど、後発の即売会であるにも関わらず、大塚英志さんが旗を振って、下駄を履かせてもらったイベントだと思っています。それで良いスタートダッシュを切れたとか、いろんな要素があって20年続けてこられたなという気がします。
もちろん、出店者の皆さんが出続けてくれることも大きいです。多くが常連かと思いきや、データで見ると3〜4割ぐらいは入れ替わっているんですよ。学生時代はグループで出していたけど、卒業して社会人になってからは個人として出すというようなパターンもあります。新しく本を作ってみようと思う人が参入し続けていることが文学フリマを続けることの最大の理由ですし、そういう場所として求められていることがありがたいなという気持ちですね。