選手のデータをさまざまなセンサーで取得し、ケガの予防や練習の質の向上に役立てることは以前から行われてきたが、得られるデータの質が向上し、量が大幅に増加した現在、それらのデータをどのように保管して活用すればよいのだろうか。また、このデータを選手や指導者だけでなく、観客にとっても役立つものにするためにはどのようなアプローチができるのか。こうした問いに応えるためにAIに代表されるテクノロジーによって「AI時代のスポーツ」を実現するため、ソフトバンク先端技術研究所と慶應義塾大学神武直彦研究室は昨年より「スポーツ×データ」をテーマに研究に取り組んでいる。 4部構成のシリーズ『スポーツ×データ 最先端のその先へ ~AIスタジアム構想~』では、その共同研究の内容を明らかにし、スポーツデータの現在と未来、スポーツ現場におけるデータ活用の実践と成果について議論する。
今回は、ラグビーワールドカップ2023で日本代表チームを支えた、データのスペシャリストたちによる対談が実現した。『スポーツ×データ 最先端のその先へ ~AIスタジアム構想~』の最終章にあたる本記事では、大会を振り返りながら、その仕事の内容や大会での動き、そして「データ」視点で見るこれからの日本チームとスポーツ界に必要なものについて語っていただいた。
生成AIも活用。2019年から進んだツールの「自動化」
――今回はラグビーワールドカップ日本代表チームに帯同した太田コーチ・浜野アナリストと、慶應SDM(システムデザイン・マネジメント研究科)の神武教授の対談となります。まずはお三方の自己紹介をお願いします。
浜野:ラグビー男子15人制日本代表チームのアナリストをしています、浜野俊平です。大学時代までラグビーをプレーしていまして、そこでゲームの分析に関わる機会があり、そこからインターンとして7人制の代表に携わりました。リオのオリンピック後は男女15人制に移って活動しています。2019年・2023年のワールドカップも帯同しまして、その間の期間もU20であったり、サンウルブズという日本代表のクラブチームのような形のチームでも活動していました。
普段は国内リーグのリーグワンで活動している選手たちのパフォーマンスをモニタリングしながら日本代表をサポートし、合宿期間であれば対戦相手や他チームの分析なども行います。ラグビーの映像やデータを解析する活動を常にしており、今はワールドカップが終わったところですから、大会全体の比較などをしながら振り返りを行っています。
太田:ラグビー男子15人制日本代表チームのS&Cコーチという立場で仕事をしています、太田千尋です。S&Cは「Strength & Conditioning」の略で、選手の体を鍛え、それを回復させてパフォーマンスを発揮できるように育てていく、フィジカル面での強化サポートを行う仕事です。僕自身、大学でコンディショニング科学を学ぶかたわら、社会人ラグビーのクボタスピアーズというチームでインターンをさせてもらいながら、大学院を出た後に、クボタスピアーズでプロのコンディショニングコーチとしてチームに携わりました。2011年から2018年まで慶應大学のラグビー部でS&Cコーチをしています。
日本代表の方は2013年からサポートしており、2015年のラグビーワールドカップでは国内の直前合宿まで帯同し、大会中は日本からデータのサポートし、2019年に引き続き今回も現地入りをしていました。また、現在は慶應SDMの特任助教という立場で、GNSS(全地球航法衛星システム=GPSや日本の準天頂衛星「みちびき」を含む各国の測位衛星システムの総称)を使ったパフォーマンスの分析や、GNSSをもっと幅広い世代・分野に使えるようなシステムを神武先生と一緒に考えながら研究しています。
神武:慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科(慶應SDM)で教授をしている神武直彦です。お二人のお話を踏まえて少し自己紹介をしますと、大学時代は慶應の理工学部ラグビー部でラグビーをやっており、そこから現在のJAXAに相当する宇宙開発事業団(NASDA)に就職しまして、H-IIAロケットに搭載する電子機器などの設計担当になりました。これが今のキャリアやラグビーとも繋がっていきます。なぜかというと、ロケットに搭載するGNSS受信機の開発も担当することになったから。これが私とGNSSとの最初の関わりで、そんなことやっていたら今度はJAXAの中で日本版GPSの準天頂衛星「みちびき」の設計に関わることになり、GNSSのような測位衛星の信号を受信する機器の開発から、その信号を発信する測位衛星の開発に関わることになりました。
2009年4月に縁あって慶應SDMに転職したのですが、平日にラグビーをやっても、観戦しても「素晴らしいことをしていますね」って言われるような研究がしたいと思って、「ラグビー x システムデザイン x 宇宙」に関係する仕事ができないかなと考えていたところ、様々なご縁で、太田さんと出会ったり、研究室に様々なスポーツ関係者が加わってくれたりしました。そうしたこともあって、太田さんが携わるS&Cの領域や、子供たちのラグビーアカデミーなどに、GNSSをはじめとするセンサーから得られるデータを使って自分を客観視することにつなげるような研究もしています。今回、私はラグビー経験者であり、太田コーチとともにGNSSを利用したスポーツでのデータ活用に取り組む研究者として参加させていただきました。
―― 早速ですが、ワールドカップの話に移りたいと思います。まずは2019年の前回大会から2023年の今大会までの4年間というのは、どのような取り組みをしていたのでしょうか。特にデータ、つまりテクノロジーの領域となると、数年単位で様々な変化もあったのではないでしょうか。
浜野:そうですね、扱っているデータ自体に変化はありません。ですが、データの取り扱い方には変化がありました。2019年までの体制では、基本的に外部の業者からある程度かたちになっているデータを買い取るため、ざっくりとした加工済みのデータしか取得できなかったんです。そういった加工が行われる前のデータ、いわゆる「生データ」を自分たちで技術的に処理しきれなかったことが大きな課題でした。たとえば「キックを受けた回数」というのは取得できるわけですが、それよりも細かい「グラウンドのどこで蹴ったのか」とか、「誰が、どちらの足で蹴ったのか」などを深く見ていくことは生データでないとできないんです。
たとえばベスト4に残るようなチームは選手の層も厚く、試合ごとにメンバーを総入れ替えすることもある。となると直近の数試合を見ても、自分たちが分析すべき編成とそうでないときがあり、データの収集も非常に非効率になります。そこで特定のプレイヤーやプレーの回数や質をより細かく見ていくことが2019年の課題で、実際それができなかったのが2019年の準々決勝で南アフリカに負けてしまった一因と感じていました。より細かく・よりスピーディーにやること、そのために自動化を進めることが2019年以降の目標でした。
そこからはBIツール(ビジネスインテリジェンスツール:大量のデータを集めて分析するためのツール)を使って迅速にビジュアライズできるようにしたり、最近はChatGPTを使いながら自分たちでコードを書いてそういうシステムを作っていくような取り組みを4年間の課題としてやってきました。データの見方や、それを踏まえたディスカッションのプロセスや内容はあまり変わっていませんが、それをやるために、より効率化していくことがこの4年間の課題であり、進歩した点です。
神武:ChatGPTも使っているんですね。どのように使っているんですか?
浜野:自分が使うBIツールのためのデータの処理をしてもらったり、書き出したCSVを結合するコードを書いてもらったりしています。業務の性格上いろんなツールを使うわけですが、使っているシステムが違うと、いちいちプログラミング言語を一から学ぶ必要があり、時間がかかりますよね。「やりたいことは説明できるのに、それをプログラムにすることが大変」ということが多々あり、チャットAIはこれを人間に変わって実装してくれるので、役立っています。
神武:AIは「誤ったことを堂々と出力することもある」とよく言われますが、出力結果の誤りというのはどうやって見つけるんですか?
浜野:試合の映像を見て確認しています。「今、誰がここで蹴った」という実際のシーンと出力された数字を照らし合わせて、誤りがあったらコードを修正していきます。
神武:なるほど、面白いですね。これは4年前にはやっていなかったことですよね。
浜野:そうですね。当時は全部映像を書き出して、そこからデータを抽出して……と、アナログな方法でデータを集めていたので、データを見えるようにするまでだいぶ時間がかかっていました。今はボタンを数クリックするだけで求めるシーンのデータを取り出せるようになりました。当時はアイデア自体はあったものの便利なAIがなかったため、お金を払って人に頼んだり、あるいは外部業者のデータを買ったりしていましたが、こうしたデータは求める最適な形ではなかったりというジレンマがあり、それが解消されました。アナリストとしては、このように新しいテクノロジーをキャッチアップしながら業務に組み込んでいくところがあります。他にも画像生成AIなんかも活用していましたね。
――どのように使っていたのでしょう?
浜野:短期的な「チームとしてのマインドセット」を、イメージとして選手やスタッフと共有するために使用していました。「この場面ではキックをこう蹴る」といった、具体的な作戦・戦術がありますが、そういった戦術を採用する根拠となる、会社で言えば社訓のような「マインドセット」を共有する必要があります。そこで、たとえば「今週は侍が刀を抜いているシーン」などを画像にして、その中で具体的なプレーを考えていくような取り組みをしていました。侍の画をチームミーティングルームに映し出し、選手に見えるようにしたり、パソコンのデスクトップピクチャにしたり、スライドの背景画像にしたりと、何をするにしてもそれが見えるようにすり込んでいくということをやっていきます。
――データを大量に取得して、生データの処理をAIに任せるというアプローチは、以前の取材で神武さんにお聞きしたAIスタジアムの事例を思い出しました。
神武:新しい技術を積極的に採用することにはリスクもあるので、たとえば宇宙業界だと新しいものを取り入れると実績がないから失敗するかもしれないということで、割と安全な、枯れた技術を採用することが多いんですが、逆を言えばスポーツの方がトライアンドエラーができる分野だということですよね。とはいえ、ChatGPTでコードを書いているスポーツチームというのはあまり聞いたことがありません。面白いですね。
有名シェフの起用でチームの雰囲気も改善
――太田コーチは、2019年から2023年の間、どのような取り組みをしていたのでしょうか。
太田:僕の方では2019年のワールドカップのレビューから始まりました。世界でベスト8にはなったけれど、優勝するためにはまだまだ課題がありました。ベスト8以降の対戦は当然相手チームのレベルも上がるうえに、そこまでに至る予選の4試合で選手のコンディションは当然低下していますから、余力で勝っていかなければなりません。その余力を残すために、選手の層を高めるのはもちろんですし、よりハイレベルなフィジカルコンディションを獲得したり、あるいは大会中にそれを維持するための環境を整えることに課題がありました。
当時扱っていたコンディションのデータやGNSSのデータを見ていくと、一番は「睡眠」についてで、予選と決勝トーナメントでは選手の睡眠のクオリティに大きな差があることがわかったんです。環境要因はもちろんありますが、やはり疲労の蓄積によってどんどんコンディションが低下していくんです。また前回大会の2019年は日本での開催でしたが2023年はフランスでした。国外の大会は環境も大きく変わってしまいますし、その中で睡眠環境や疲労回復環境をどう整えるか、ということにフォーカスして取り組んでいました。その取っ掛かりとして、2021年頃から睡眠の質を測るために、スマートリングデバイスを使って海外遠征期間中の睡眠データを取り始めました。
また、滞在地での生活環境を整えること、これについてはアナリストやマネジメントスタッフを含めて、ベースキャンプの生活空間をどうすればリラックスできて、かつパフォーマンスに繋がるのかをそれぞれの立場で考えて環境を作っていきました。たとえば今回、目に見えて大きく効果が出たのが食事面です。
太田:今大会は、ラグビー協会として初めてチームにシェフを帯同してもらいました。サッカー日本代表の専属シェフとしても知られる西芳照シェフです。事前キャンプのイタリアから、常に美味しい日本食が食べられる環境を作ったんです。海外での大会中は基本的に日を追うごとに選手の体重が落ちていくものですが、日本の慣れた食事を食べられるということで、今回は食欲とコンディションを維持できました。
そして副次的な効果として、食事の時間の増加や、自分たちの食べたい食事をとれたこともあって、選手のダイニングルームの滞在時間が目に見えて伸びたんです。今までは食事を終えたらそのまま自室へ戻ってしまうことが多かったのですが、去年の同会場でのテストマッチと比べて今回は自然とコミュニケーションが生まれ、明らかにチームの雰囲気が良くなりました。やはり海外でタフな状況に置かれても、ホームにいる感覚が作れたのは非常に大きい。今大会のデータはこれから分析するところですが、前回大会のレビューを踏まえ、成果は出ていたと思っています。
データ活用の面では先程の浜野さんの話と同様にやること自体はあまり変わっていませんが、GNSSのライブ情報をよりたくさん扱うようになったり、「今どれだけのスピードが出たか」ということを即座にフィードバックできるようになってきたので、そういう意味ではデータを活用する"幅"が以前よりも広がっていると思います。
太田コーチは「DJ」もやる!? 試合当日のスタッフはなにをしているのか
―― 大会中のお話をお聞きできればと思いますが、試合前から試合が終わるまでの浜野さん・太田さんのスケジュール、どのようなことをされているのかをお教えください。
神武:僕も気になりますね。サモア戦を見に行ったとき、試合当日の朝に着くという結構ギリギリの到着だったんですが、それにも関わらず、空港に太田さんがサプライズで迎えに来てくれたんです。私は「試合の当日に、なんで太田さんが私を迎えに来れるんだろう」と感激するとともに驚いたのですが、あの日の太田さんはどんなスケジュールだったんですか?
太田:あの日は試合が夜9時からでしたね。普段は一日の終わりの時間ですから、普通に朝起きて夜9時の試合に臨むと身体的・精神的に疲れてしまうんですよ。だから「夜9時にピークを持っていくためにはどうすればいいのか」というのを逆算したスケジュールが組まれるんです。僕の場合、当日は試合に向けたスタッフミーティングが11時頃にあり、朝起きて、神武先生を空港までお迎えに行って、11時からのミーティングを待つというような感じでした。そしてミーティングが終わると、気持ち的にはここで一度、一日を終わらせて試合に臨むわけです。ちなみに選手とコーチは試合前日までに準備をすべて終えているので、試合前日の夜のミーティングが終わったら、みんなリラックスして本番に備えるという感じです。
11時からのスタッフミーティングの後、昼寝をして試合の4時間前にホテルで一度軽いウォーミングアップを行います。ウォーミングアップの内容やタイミングに合わせて音楽のチョイスをしたり、気持ちを上げるタイミングで音楽のボリュームを上げたりといったことも重要な仕事のひとつです。
―― DJのようなことまでやってるんですね。
太田:その後、試合開始の3時間45分〜4時間前に、炭水化物を中心とした試合前最後の栄養補給の時間があります。こうした選手の準備を見届けたら現地に向かいます。チームは試合開始の80分前に到着するので、それまでにロッカールームやフィールドのセットアップを行います。内容は、必要な水分やエネルギー補給の品をテーブルに置いて、セルフウォームアップに必要な道具の準備を行います。その後フィールドに出たら、フィールドで行うウォームアップの準備や、GNSSの設定などを行います。
神武:機器がちゃんと使えるかは事前にテストされているわけですか。
太田:前日にできればそこで確認していて、できなければ当日。また、ウォームアップでつけるGNSS受信機と試合中につけるGNSS受信機を分けているので、それぞれ確認しています。自分の試合中の役割はインパクトプレーヤー(交代選手)のウォーミングアップをヘッドコーチの出したいタイミングに合わせて行うことです。15分毎に5分ほど選手と一緒にゴール裏に行ってウォームアップさせてベンチに戻ってきます。もちろんコンタクトのウォームアップもするんですが、ペアがいない選手がいる場合は僕がやらなきゃいけないんで、選手とバチバチにぶつかってます(笑)。
神武:サモア戦で見ましたが、選手とぶつかっているときの太田さんがすごいちっちゃく見えるんです(笑)。試合が終わったらどうするんですか?
太田:試合が終わったら、時間との勝負でリカバリーに必要なドリンクと栄養を急いでグラウンドに持っていって口にしてもらいます。あと選手のジャージからGNSS受信機を急いで取り出して、すぐGPS分析担当に渡します。理想はすぐにでも栄養をとって体を休めることですが、選手によってはファンサービスもあるし、ワールドカップの場合はフィールド内を歩いて挨拶してまわることもあります。あとはインタビューやドーピング検査がある選手もいるので、試合後の動きは結構まちまちです。
神武:浜野さんはいかがですか。
浜野:アナリストは11時のスタッフミーティングまでは同じようなスケジュールで動いていますが、代表チームの帯同となると、機材などの拠点を移していかなければいけないので毎回引っ越しです(笑)。グラウンドやホテル、一つ一つの会場で使っている撮影機材や、ミーティングの機材、テレビモニターも含めて全部を動かすので、常にスケジュールを確認しながら行動しています。会場では、大会の運営から放送用に撮影している映像をケーブルで引き込んでもらい、自分たちの機材に取り込んで確認します。放送局の人が撮影するカメラ映像が中継機のトラックを経由し、色々なシステムを介してコーチボックスと呼ばれる僕らの部屋に届きます。その間で音声や映像などのエラーが起きるのでその調整も行います。ワールドカップでは2列のコーチボックスがあり、チームの中でネットワークがあらかじめ組まれているんです。コーチボックスと、ベンチ横とロッカーでクローズドなネットワークが構築されているので、このネットワークの確認をします。
神武:離れた場所からすぐ指示を送れるようになっているんですね。
浜野:そうですね。今回はコーチの1人がベンチ横で選手と喋りながら映像を見たいという話だったので、ベンチ横にパソコンを用意して、そのネットワークを使用して映像をその場で見られるようにしました。
そして試合中の分析は「スポーツコード」という分析ソフトを使い、現在の試合のスタッツなどがどうなっているのかを確認できるようにしていました。事前に「相手チームはこういうチームで、こういうラグビーをしてくる」という予想を立てていますから、予想とデータを常に照らし合わせながら、相手が予想と違うことをしてきているのか同じ状態なのか、常に今の試合状況がどうなってるかを見ていくんです。
コーチは今のプレーは何が起こったのかを、手元のパソコンを使って映像で振り返ります。画角も7つあるので、寄りや引きの映像、カメラの向きなど色々な要望に答えられるようにしつつ、「レフリーがどういう反則でホイッスルを吹いてどういう注意を選手に与えてるのか」も音声で入ってくるようにセットアップしています。それを試合前、試合中に行って、最後に、試合中には入力しきれないようなチームのデータや個人の情報を入れていきます。ただ、ワールドカップは同じ日に3試合とか試合があるので、次の対戦相手の情報などもそこから手分けして解析・入力していきます。なので1日が始まってしまうと終わってからもデータの作成や映像共有などがあるため、長い1日になります。
神武:データ解析の予行練習などはするんですか?
浜野:最初はどうしても欲しいデータといらないデータの取捨選択がしきれないので、徐々にその場でブラッシュアップしていくということになりました。いらないものは削って、見ていくものはより精査していきました。データはローカルと、外部業者、クラウド内の共有データとで持っておきます。ただ外部業者に提供(加工)してもらったデータは「何秒で倒れてから何秒で立ち上がった」みたいな本当にきめ細かいものではないので、必要に応じて自分たちで切り出していかなければなりません。
「トライの嗅覚」の正体
神武:選手たちのデータとの向き合い方について伺ってもいいですか?データを自分で解釈して意識を変えて、行動を変えるというプロセスがある中で、選手やコーチのリテラシーの違いなど、考えるべきことや課題が色々あると思うんです。たとえば「データ分析よりまずは筋トレだ!」という選手やコーチもいたりますが、「データ分析と筋トレ」ってどちらかを選択するものでもない。筋トレはもちろん必要で、そのためにデータを活用しましょうということだと思うんです。そこがうまく理解されていないように感じます。このように、データを活用することへの理解が一般に広がっていない中で、代表選手と言えどすごく意識的な選手とそうでない選手とである程度分かれるのではないかと思います。いかにその選手たちに解釈してもらって、意識を変え、行動に変えているのか、どうやって工夫されているんですか。
浜野:ラグビーにおけるデータ活用、これは太田コーチも同様のことを考えていると思いますが、やはり一般的な、何かを落とし込むプロセスと同じことが言えると思います。つまり、「相手が何をしてくるのか、自分がそれに対して何をしなくてはいけないのか」を常に明確にすることを意識しています。その上で、データをあとから参照するんです。選手のリテラシーを育てるというよりは、行動目標を選手にいかに落とし込んでいくのかが重要です。ゴールを明確に持った上で、ゴールに至るために必要な要素を参照する、ここでデータを活用することが重要だと思います。「行動に移さないと何にもならないよね」っていう意識はコーチも選手も持っていると思いますし、そのイメージにおいて選手と共通認識を得ることが大事なので、そのために、先ほどのAIで作ったイメージ画もそうですし、言葉など色々な手段でイメージを共有しています。
――今回の代表チームは21歳のワーナー・ディアンズ選手から最年長・37歳の堀江翔太選手まで、幅広い年齢の選手がいました。年齢によってデータへの接し方が変わったりすることはありましたか?
浜野:選手が触れる段階のデータというのはかなり局所的な、我々が絞ったあとのデータを渡していますから、選手の世代や年齢がギャップになることはありません。それよりもやはり自分の主観と客観がマッチできる、つまり自分の主観的なイメージの動きと、実際の動きを頭の中ですり合わせる能力の高さに比例していて、この能力は経験値で大きく差が出るんです。なのでデータの理解度という意味ではむしろ、若手よりも経験豊富なプレイヤーの方が高いように感じています。
神武:まさにデータに関するリテラシーですね。
浜野:そう思います。単純にスマートフォンを使いこなすなどの能力は若い方があるのかもしれないですけれど、データを吸収し、消化、理解する能力は選手としての経験によって養われるものだと思います。
太田:データは客観的な数字なので僕らは「強い事実」と呼んでいます。要は誰が見ても同じ答えで、要素要因は違うかもしれないけれど結果は変わらない。それを解釈する能力が大事だと思います。また再現性を高くできることは、アスリートには必要な能力なので、キックでもパスでも、状況が変わる中でも再現性の高い動きをどのように作り上げていくのかが重要です。客観的な数値と自分の主観的な体の感覚のすり合わせができる選手は非常に能力が高い。大会中に僕がやったのは、GNSSでトレーニングを計測しながら「あなたの80%のスピードで走ってください」と言うことです。自分の感覚で「自分の80%」を当てられるというのは、体の動かし方を理解しているということですから。
神武:100%の力で走るよりも難しいですよね。
太田:そうですね。ラグビーはスキルを発揮しながら体を動かすスポーツなので、常に100%で走る感覚でいると、走ることだけに一生懸命で視野が狭くなる。自分のコントロールの中で走れる能力をつけさせたいと思ってやってみたんです。すると、ビタっと当ててくる選手とそうじゃない選手とで分かれるんですよ。
――日頃からトレーニングメニューとして、数値と自分のすり合わせをするのですか?
太田:1週間に1回、2回、「高強度運動距離のターゲットはこれぐらい行きましょう」ということをやっています。ラグビーの情報が多いシーズン中は情報の出し入れに気を使いますが、選手のデータのすりあわせを行います。今日指導を通じて、僕自身へのフィードバックとしても「もっとこう言ったら良かった」とか「何を合図にすると良かった」という知見を育てています。
――これからのスポーツ選手は、データを見て自身の成長に役立てることが基礎スキルになっていくのですね。
神武:とは言え「データなんて知らないぜ」と言いながらとても能力の高い人もいるでしょうから、能力の高さとデータに関するリテラシーは必ずしも一致しないような気がしますが、その辺りはいかがですか。
太田:能力の定義にもよりますよね。ラグビーという競技はフィジカルが大きく影響するスポーツですから、足が速いとか、体がデカいっていうのはすごく大事。あとはそれをコントロールすることでギャップを作るんです。それでいうと、加減速の数値が高い選手はパフォーマンスが高いなと思います。
浜野:結局データを使う際にはチームでPDCAサイクルを回していくことが大事なので、データがどうこうというよりもそういう考え方をプロとしてできているかが重要なのかなと。たとえば試合中にボールを5回しか触らなかった選手がいるとして、その理由は自分自身にしかわからない。ただ、インターナショナルの選手たちの基準だと15回はボールを触らないといけない、というようにフィードバックしていきます。それを自分でできるようになるには、プラス10回をどうやって埋めるのか、戦術の部分なのかフィジカルの部分なのか。それを選手本人が考えて徐々に良くしていくと、5回を10回に、15回にしていくプロセスを踏める選手が成長していくのかなと思います。
神武:日本代表のコーチやアナリストは、ワールドカップのような大会が終わった後も、そのポジションのお仕事をされることもあるかと思っているんですが、代表チームの選手が各プロチームで何をしてるかを、ずっとモニターしているんですか?
浜野:そうですね。大きめのスコッドで代表候補として見ていますので、その選手たちに対して彼らが自チームでやった試合のフィードバックを与えていきます。その中ではどうしても戦術的な部分、そのチームの戦術として求められている動きがありますからそういった部分ではなく、たとえばワークレートや判断だったり、基本的なスキルの部分にフィードバックしながら試合を見ていきます。
神武:一方で選手の所属チームにもアナリストとコーチがいるわけですよね。何か相反する話をしていると選手はどう対応するのでしょうか。
浜野:それは私たちもできるだけ問いかけながらコミュニケーションを取っていくことになります。僕らから見たらこういう状況でこういうふうに見えるけど、チームからはどんな指示を受けているの?といった形です。ただ、いいラグビー選手というのは、戦術理解もあって体も強いという選手がやはりよく顔を出す。いわゆる「トライの嗅覚」って言われるものは多分そういうものの積み重ねだと思うんです。
ニュージーランド、イングランド…強豪国は「データ」も強い
神武:話を大会に戻すと、ニュージーランドやフィジーといったポリネシアンのチームを見ると、日本ほど規律よくやっていなさそうだなという……これは私の勝手なイメージですが、だけどすごいアンストラクチャー(陣形が整っていない状態)でとんでもないことをやってくるじゃないですか。ああいうスタイルも日本ができたら……なんて思いつつ、でもやはり一人ひとり個々の力というものが日本よりも圧倒的に強いように見えます。やはりスタイルとして日本代表はお互い補いながら、チームとして勝つという戦略だからこそ、そういったプランニングになるのでしょうか。
浜野:そうだと思います。規律とチームの戦術は結局同じになるので、厳しい戦術・ややこしい戦術を取るチームというのはだいたいチーム内の決め事も多いものです。逆の言い方をすれば、規律に固執してしまうと現場での判断が鈍ってしまう。戦術としてはパスをするのが正しいけれど、前が空いてるんだから走ればいい、というような状況はどのレベル感でもありますよね。
代表レベルでも、世界大会というものすごいプレッシャーの中では「チームの戦術に沿ってパスを回したほうがいいんじゃないか、パスを回していれば怒られないんじゃないか」と思ってしまう選手もいます。かと言って規律を決めすぎずに自由にやってしまった方がいいんじゃないかというと、多分ポリネシアンのチームはそういう動きが得意なのでうまく作用しているのではないかと思います。逆に自由にしすぎても当然うまく機能しないわけで、そこの塩梅がうまくいっているチームというのは、たとえば今回のフィジーのようにベスト8に行けるのだと思います。どちらがいいということではなく、塩梅が大事ですね。
――浜野さんから見て、日本チームと他国のデータの使い方に違いを感じることはありますか?
浜野:先ほど生データの話がすこし出ましたが、やはり海外の強豪国は、外部業者とのデータの取り扱いや、組織内で扱うデータ自体の量においても進んでいると感じます。僕たちもまさに今やろうとしていますが、ラグビーのゲームのデータと選手のコンディションのデータを照らし合わせることに取り組んでいます。それも自分たちの手で入力したものでやるのではなく、できるだけ自動化していく。特に今回も上位に残ったニュージーランドやイングランドはそうしたデータ活用が進んでいる印象です。僕らがイングランドのアナリストに負けているとはまったく思わないですが、ただいくら僕らが徹夜でデータを解析しても、その数時間ではとても埋まらないような組織とシステムを彼らは持っている。システムを作ることは短期間ではなかなか難しいことで、その点では日本がやらなければいけないことはまだたくさんあると思います。
神武:それはまさにシステムデザインですから、ぜひ慶應SDMに入学していただければと(笑)。でも本当に思うのは、日本代表だけが頑張っていても、やはりそれはすごく局所的なものになってしまいますよね。日本代表がやるようなことを日常的に、リーグワンや大学ラグビーと言った場所にも広げていかないと、日本代表になった途端に「じゃあこれからはデータに沿った動きをしてください」と言われても、困惑します。今までと違うことをやらされるような状況ではなかなか人が育っていかないですよね。点ではなくて面でやるようなアプローチができればいいと思うんですが、代表としてなのか、JRFU(日本ラグビー協会)としてなのか、そういった動きはありますか?
太田:日本代表はわかりやすいロールモデルだと思うので、メッセージも伝えやすいし、世界の状況もわかってる中で何が必要なのかというのを協会に伝えて、ベンチマークをアンダーカテゴリー(育成年代)まで伝えていくことは僕らとしてもやるべきことだと思っていますし、2019年から行ってきました。
浜野:そうですね、子供には伝えにくい情報や、押し付けてはいけないものもいっぱいあると思いますが、基本的な取り組みの考え方は多分変わらないと思うので。日本サッカー協会(JFA)はそういう発信をやっていますけど、JRFUはまだそこに課題をもっていると思うので、現場から発信する必要もあると感じています。
そして2027年に向けて動き出す代表チーム
神武:最後に今回大会の振り返りと、2027年のワールドカップに向けてどういった取り組みをやっていくのか教えてください。
浜野:これからの数年間でAIやBIツールのシステムがどんどん良くなっていくと思うのでそれは使いつつ、これからはもっとコンディションやフィジカルのデータを試合のデータと混ぜながら解析していくことに取り組んでいきます。最終的にはグラウンドに立った23人もそうですし、チーム全体でワールドカップのスコッドに選んだ33人が、ベストな人間であるということが一番大事なので、そこに向けてベストコンディションを作っていく。いずれは専門家だけがデータを持っているような状態ではなく、チームスタッフ全員がデータに触れるような、分析できるような仕組みを作っていくことが目標です。
誰か一人がデータを抱えていると透明性がなくなってしまうので、そういった取り組みは2027年に向けての課題だと思います。それをシステムとしてやっていく、現場の人間だけが頑張るのではなくて、組織として、システム化して取り組んでいくというのがさらに長期的な課題だと思います。「代表キャップ数」という数字がありまして、これは各選手が代表試合に出た数なんですが、実はベスト4に残るチームは、この代表キャップ数でもベスト4なんです。つまり、強いチームほど経験を積んでいるということ。そういった状況下で勝つためにも、それに比する経験を4年間のうちに作っていく、システムとしてやっていく必要があるとは思います。
太田:まず一つ、目標となるベンチマークをどれだけ選手に対して与えられるのか。2019年から2023年の大会を見ても、フィジカルとスキルがレベルアップしていると思うんですね。だから常に目標値をしっかり超えるために、新しい目標値をしっかりと設定し、そこに追いつけるための努力をできる環境作りをすることです。そうなったときにフィジカル面でのデータは、自分たちのGNSSのデータは取れるけれど、相手のデータは取れない。だからスキルはわかるけど、そこにかかってる出力やスピードは現状ではわからないので、それをどうやったら取得できるのか、というところを画像認識などを使いながら、神武先生含めて研究を進めていきたいと思っています。
あとは先程の浜野さんからも出た「キャップ数」、つまり経験値をいかに積ませるかはS&Cの立場からも重要な課題です。やはり怪我が多いと試合にでる機会が失われますので、怪我をせずにしっかりと経験を積んでいける選手を作るために、自分たちはどういったフィジカルコンディショニングができるのか。これを持って考えていく必要があると思っています。
ーー やはり怪我は選手のキャリアを左右しかねないものですから、データを利用した怪我の予防は、選手、ファンともに大いに期待したい領域です。
神武:山は頂上が高くなると裾野も広がるので、やはり日本代表が良い結果を出せば当然裾野も広がっていくはずです。また、今日教えていただいたような知見が一部の人にとどまると、それがシステムとして広がりが制限されてしまいます。どうすればこうした取り組みが日本代表やプロだけでなく、大学、できれば小学校まで広がっていくのか。そして同時にこれを考えるときに、どうやって各レベルに合わせた内容にするのかも、関係者でしっかり考えていかなきゃいけないですよね。事業が良くなると人が育ち、人が育つと事業が良くなると言いますけど、それと同じです。チームが強くなると人は育ち、人が育つとチームが強くなりますから、そういうものの一つの手段として、データを使うというのが面白いのではないかと思います。
あと、最後にもう一つだけ質問させてください(笑)。この今回のラグビーワールドカップに関わって「一番大変だったこと」と「一番嬉しかったこと」をぜひお聞きしたいです。
浜野:大変だったのは、やはりどうしても結果が評価される世界ですので、2019年の結果と今回の結果で比べると、2019年の後の方が盛り上がりはすごかったですし、本当にあの試合で勝てなかった・あのタックルが決まらなかった・あのゴールが決まらなかった・あの判断を一つ間違えた・あのボールを落としてしまった・ボールが思った方に転がらなかったっていうだけで、もうこのぐらいの盛り上がりが違う。逆にこれを取り返すためには4年待たなきゃいけないということが苦しいと、今、帰国後の数週間で感じてますね。
嬉しかったことは、自分とチーム、両方の成長を感じられたことでしょうか。新しいことにどんどん取り組んでいく中で、先ほどもお話したようにBIツールで見えるものが増えたこともそうですし、AIの活用もそう。ちょっと振り返ったときに自分が考えられなかったような状況になっているので、数ヶ月、数年単位で成長を感じて、すごい楽しかったです。
太田:苦しかったこと・大変だったことは浜野さんと一緒です。みんなで作り上げてきたものの結果が出なかったことに対して、皆さんに申し訳ないなと負けた瞬間に思いました。嬉しかったことは超個人的な話ですが、僕、小さい頃から親不孝で。
神武:そうなんですか?
太田:反抗期がすごくて(笑)。で、今大会ではうちの母親を現地に呼ぶことができて、ラグビーを通して何かちょっとでも恩返しできたことが嬉しいです。
神武:それはとても嬉しいことですね。これからのお二人の目標は?
浜野:本当に現場で頑張っても結果が出ず、とはいえ自分が他の人より劣っているのか、他国のアナリストに劣っているのかといえば、そうじゃないと思うところもあります。ただやはり仕組みとして、システムとして継続的に何かやっていく部分の弱さがどうしてもあるので、とにかくそういった仕組みを作っていくことがすごく大事だと感じています。ただ、自分で楽しいと思うのは、新しいことを学んだり、新しいことを自分ができるようなったとき。そういった自分の楽しみを見つけながら、仕組みづくりとどちらもやっていくことが挑戦かなと思います。
神武:たとえばNASAとJAXAの宇宙開発を個人レベルで照らし合わせるとあんまり変わらないんだけれど、組織になると何かが圧倒的に違う。それは仕組みやルールなんですよね。欧米の方がうまくいくように世界の色々な仕組みが作られているように思えます。これはラグビーに限らず日本全体のこれから挑戦すべきことだと思います。太田さんは?
太田:僕は「宇宙に行きたい」っていうのが一つ。
神武:私と一緒じゃないですか(笑)。
太田:宇宙に行きたいという発想を持ったのは、日本をワールドカップで優勝させると考えたときに、僕は宇宙に行くのと同じようなそれぐらいの発想をやはり考えないといけないなと常に思うようにしています。不可能ということではなく、目標に向けて多くの人が自分の役割をこれでもかと緻密に考え、実行してこそ達成できるプロジェクト。そのためにはシステムデザインというか仕組み作りもそうですし、そこにいる人間がどう関わるのかとか、熱量がどうとか、あとはそこに定量的な情報も組み合わせながら作っていかなければいけないし、もしかしたらそれがラグビー協会だけではなく、サッカーやバスケットボールなど、違う業界の方とも接しながら、ワールドカップで優勝することを目標に何ができるかを考えていきます。
神武:やはり、目標は優勝なんですね。応援しています。ありがとうございました。
太田・浜野:ありがとうございました。
第1回:スタジアムへのAI導入がスポーツの発展を加速する ソフトバンクと慶應大学の共同研究で挑む「スポーツにおけるデータ活用」