BUSINESS | 2025/03/28

日本の紙の歴史(4)
「和紙とは何か?」 明治から令和、
紙を巡る時代の変遷と未来

「Paper Knowledge -デジタル時代の“紙のみかた”-」
“令和の紙の申し子”吉川聡一と紙について考える。

吉川 聡一
吉川紙商事株式会社 常務取締役執行役員

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吉川 聡一 (よしかわ そういち)

吉川紙商事株式会社 常務取締役執行役員

1987年東京生まれ。学習院大学卒業後、飛び込み営業を含む営業職の期間を2年半経て、現在の吉川紙商事に入社。現社長・吉川正悟が掲げる「人と紙が出合い、人と人が出会う」を実現するため、同社にて平成25年より取締役を務める。2017年にはオリジナルブランドの「NEUE GRAY」を、2020年には和紙のオリジナルブランド「#wakami」をプロデュースし、紙、ステーショナリーの双方を発売。現在はそれらを国内外にて販売するという形で活躍を続ける。

日本の紙のアイデンティティ~「和紙」の定義を探る

寒い時期の終わりが見え始めたかと思ったら、季節外れの降雪・・・など、なにかと落ち着かない3月も終わりに近付いて来ました。大変遅くなりましたが、本年も何卒よろしくお願い致します。昨年に引き続き、私の感じたことを書かせて頂きたく思います。

さて、今回は「日本の紙の歴史」の4回目。前回のコラムの最後にも記入させていただいた通り、今回は、明治時代の後期から平成時代までの紙の歴史を書こうと思います。

「近代史」とも言えるこの時期。しかし、この時代の話をコラムにすることは、「和紙とはなにか?」を語ることと同じことだと感じています。と、言いますのも、私自身、昨年の夏以降、プロデュースしている #wakami というブランドを海外で展開するにあたり、この質問を数多く受けてきたからです。そして、とてもシンプルなこの質問は、普段から紙を扱い、和紙のブランドをプロデュースさせて頂いている私とってこの上なく難しい質問でした。単純に言えば「和」が指し示すのは「日本」であり、「紙」はそのまま「紙」なので「和紙」=「日本の紙」ということになります。しかしながら、私たちが、日常的に使っている紙は和紙ではないし、かといって海外の紙とも違うことはなんとなく皆さんもお分かりかと思います。では一体、「和紙」とは何で、現代においてどう定義するべきなのか?この疑問に約半年間悩みました。そして、その中から私が導き出した結論は、【和紙とは洋紙が日本に入ってくる以前より存在している紙をベースに作られている紙のこと】でした。

「和紙」とは、「洋紙」が日本に入ってくる前より存在している“紙”

では、なぜ私はそんな結論を導き出したのか?

それは、【日本という国は世界で唯一、「紙」という言葉の中に「洋紙」と「和紙」という2カテゴリーが存在している、特別な価値観を持つ国である】 ということに気付いたことがきっかけでした。これは服やお酒、食事にも言えることと思いますが、日本には「元々、日本に存在していたもの」と「海外から入ってきたもの」を分けて表現する単語が多数存在します。例えば、洋服と和服、洋酒と日本酒、洋食と和食や洋菓子と和菓子のように…。

歴史を辿れば、これらのほとんどは、今回のテーマとなる明治時代中期以降から昭和時代に日本に入ってきたものです。それまでは「紙」と言えば「和紙」を指していたと思いましたし、服や食事も「服=和服」「食事=和食」のことを指していたのではないかと思います。しかし、明治以降、西洋のモノや文化、考え方が入って来た中で、言葉自体が変化したものもあれば、言葉は同じであっても指しているものが違う‥。当時、「なんとなく」使っていた言葉が、100年の、特に短い時間の中で劇的に変化があった「昭和」という時代の中で「意味が曖昧なまま、言葉だけ根付いてきた」ことに、歴史を振り返った際に気付いたからです。

明治以降の「紙」の変遷~洋紙の登場と社会の変化

では、実際、「紙」というジャンルでどんなことが起きたのか?

明治時代以降、最も変化したのは「紙の価値」です。

というのも、江戸時代までに再生紙が普及し、一般の人も少しずつ「藁半紙」と呼ばれる再生紙を使用できるようになっていたものの、紙は相変わらず「ご奉納品」として存在していたため、とても高価なものでした。しかし明治6年に渋沢栄一氏によって設立された「抄紙会社」の登場によって、紙の価値は一転します。

渋沢氏は「あらゆる事業の隆盛には一般社会の知識の発達が必要であり、文運の進歩に資する書物や新聞の原料となる紙、特に印刷が容易で安価に製造できる洋紙が必要だ」との考えを持っており、日本国内に「抄紙機」と呼ばれる洋紙を抄くための機械を持ち込みました。その後、すぐにこの政策は日本国内に浸透していったわけではありませんでしたが、富国強兵や印刷の国内需要の発展、第二次世界大戦での敗戦、GHQの来日・・など、我々の生活に西洋の文化が入り込んできた上に、「印刷」が紙の使用用途の中心になってきたことで徐々に浸透していきました。細かく「どんな紙が浸透したか・・」といった話は後ほど記載しますが、ここで最も注目して欲しいのは「洋紙」という言葉がここで初めて登場したことです。

おそらく、この時、使われている「洋紙」という言葉は「西洋(特にここでは主にヨーロッパを指す)で使用されている紙をモデルとして作られた紙」という意味で使われたのだと思います。当時、国内には1000年以上の歳月を掛けて、自分たちの生活に根付いていた紙=「和紙」があったため、この西洋から来た紙を「洋紙」と表現したのだと思います。しかし、この言葉と曖昧な概念をこの時代に明確にしなかったことこそが、現代になって「和紙とはなにか?」を再定義しなければならないようにしたのだと思っております。

印刷に適した洋紙の登場は日本人の生活様式を一変させた

その後、「明治」「大正」「昭和」という約150年という期間の中で我々の生活は「日本的な生活様式」から「西洋的な生活様式」に急激に変化します。その変化は紙にも大きな影響を与えました。では、どのような変化だったのでしょうか?

なにより大きな変化は「印刷」が使用用途のメインになっていったことです。元々、渋沢栄一氏が「洋紙」を国内に取り入れた目的は「国内の事業が発展するためには教育が必要であり、その教育を行うためには新聞や書籍を安く多くの人に届けられるようにする必要がある。そのためには印刷に適した洋紙が必要である」といった理由でしたが、まさに戦後、特に高度経済成長期において、「印刷が必要な時代」が訪れます。その最たる要因になったのは、テレビやラジオ、新聞や出版、広告といった「メディア」の大幅な進歩です。今でも「マスメディア」という言葉があるように、この時代、メディアは「マス」=「大衆」「多数」に向けての発信力を一気に伸ばしました。ここでは、深くその中身については触れませんが、その中でも紙媒体と縁が深かったのは新聞・出版・広告の3点です。テレビやラジオが爆発的に伸び、大きなコンテンツ化していったことで増えていった広告物、昭和の初めに誕生し、高度経済成長と共に発行部数を爆発的に伸ばした「週刊誌」に代表されるような雑誌類、そして全国のご家庭に朝と夕方になると届いた新聞…。

これらは全て「マス」を対象にしたものでしたので、同じ内容を短時間で多く生産できる「印刷」がこれら全てに採用されました。

朝・夕の1日2回、全国のほとんどの家庭に新聞が届いていたわけですから、その量の多さは一目瞭然ですね。

そして、もう1つ。それは「大量生産、大量消費」という価値観が全世界的に時代の中心であったことです。あらゆる産業において、テクノロジーの進化が著しかった昭和の時代。多くの人が「テクノロジーの進化により、生活が豊かになること」を求めました。その結果、ありとあらゆるものが「安価」に人の手に渡るよう「機械化」され、「効率的」に「大量」に生産されました。「紙」も例外でなく、安価に多くの人に届ける目的として日本に持ち込まれた「洋紙」は時代に後押しされるようにその生産量を順調に伸ばし、「かつてより日本にあった紙」=「和紙」の生産量を超え、我々の生活における「紙」の主役の座を掴むだけでなく、その座を確かなものにしていったのでした。

洋紙の登場で紙は大量消費されるようになった

変わる時代、変わる価値観~和紙の未来と私たちの言葉

そして、現在。

かつて世間を席巻した「大量生産」や「効率性」が支配した価値観は終焉を迎え、「自由」や「多様性」と言ったワードが鍵になる「風の時代」と呼ばれる時代が令和になり、訪れました。

明治の終わりから「かつてより日本にあった紙」と「西洋の紙をベースに作られた紙」という「和紙」「洋紙」の定義は変化することなく使われてきました。が、その言葉を使っている私たち自身が「紙」という物質自体への「触れ方」を変えてきた・・。

このことが、現在になって「和紙とは何か?」の定義を複雑にしていたのです。

「紙の未来」についての私の私見を述べる回は、今後予定されていますので、そこでまた詳しく触れたいと思いますが、当然ながら「紙」の分野においても、これからまた新たな時代が訪れるのは間違いないことと思われます。なぜならば、昭和時代の終わりにできた「インターネット」により、人々のコミュニケーションは一気に多様化したので…

様々な世代が交わることで「新たな価値観」が生まれつつある現代

今回、このコラムを書くにあたり、「昭和」という時代が「あまりにも近年過ぎた」ため、参考文献がほとんど存在しなかったため、様々な人に色々なお話を聞かせて頂きました。そのお話を聞かせて頂く中において、64年という短い時間の中で劇的な変化のあった「昭和」という時代の特別であったこと、そして、現在は、その時代が次の世代にとっての「歴史」になりつつあることを、私自身、強く感じました。「激動の昭和」を駆け抜けた人たちと、その後の「バブル崩壊後に育った世代」が激突している現在。この「衝突」が、「新たな価値観」を生むのではないかと思います。

そんな衝突をする前に…

普段、何気なく使っている私たちの「言葉」を見直してみてはいかがでしょうか?

もしかしたら、今回の「和紙」のように「曖昧」なまま100年以上放置されている間に「定義」が変化している言葉があるかもしれませんよ?


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連載:「Paper Knowledge -デジタル時代の“紙のみかた”-」
“令和の紙の申し子”吉川聡一と紙について考える。
https://finders.me/series/kqJTU8QI-runTUncm-A/

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