CAREER | 2024/01/26

狐野扶実子が次に探求する
「おいしさのデザイン」と、
未来に伝える「愛」ある食事

聞き手・文:赤井大祐(FINDERS編集部) 写真:橋本美花

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食プロデューサーの狐野扶実子。出張料理人に始まり、JALのファーストクラス/ビジネスクラスで提供される機内食のプロデュースや、35歳以下の若手料理人たちによる日本最大のコンペ「RED U-35」の審査員長を務めるなど、「食」にまつわるさまざまな活動に取り組む人物だ。

キャリアの中でも目を引くのが、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科(SDM研究科) での研究員としての姿だ。狐野はここで神武直彦教授と出会い、学生として入学をし、「システムデザイン・マネジメント」を学びながら研究に取り組んで修士号を取得し、現在も研究員として研究を継続している。

そんな狐野が近年立ち返ったテーマが「おいしさのデザイン」だという。いったいどういうことか。この記事は、狐野扶実子の経歴を振り返りながら、神武直彦教授と共に、これから狐野が向かわんとする探求の一端を伺った。

狐野扶実子

東京都生まれ。パリの名門料理学校「ル・コルドン・ブルー」を首席で卒業。三ツ星レストラン「アルページュ」の副料理長を務める。パリの老舗「FAUCHON」のエグゼクティブシェフを経て、アラン・デュカス氏主宰の料理学校で非常勤講師を務める。著書「La cuisine de Fumiko」がグルマン世界料理本大賞でグランプリ受賞。JAL国際線機内食、ファースト&ビジネスクラス担当。2023年AMBASSADOR OF TASTE 日本代表。

神武直彦

慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授

慶應義塾大学大学院理工学研究科修了後、宇宙開発事業団入社。H-IIAロケットの研究開発と打上げに従事。欧州宇宙機関研究員を経て、宇宙航空研究開発機構主任開発員。2009年より慶應義塾大学へ。日本スポーツ振興センターアドバイザーや慶應義塾横浜初等部長(校長)などを歴任。慶應義塾大学野球部や蹴球部(ラグビー部)のアドバイザー、宇宙政策やロケット開発などに関する政府各種委員。名古屋大学客員教授。大学発宇宙ベンチャーなどの12社で構成する宇宙サービスイノベーションラボ事業協同組合代表理事。

調理場の掃除からはじまった料理への道

―― 狐野さんは食にまつわるさまざまな活動をされていますが、肩書きは「料理人」ではないのですね。

狐野:コンペティションの審査をさせていただいたり、出張料理をしたり、今はJALの機内食のプロデュースをしたり、食プロデューサーとして食に関する色々な仕事をしています。大きく言えば料理人の枠に入るとは思うのですが、レストランをもってらっしゃる方々と比べると「料理人」と名乗るのには少し恐縮してしまいます。 

―― そもそも料理の道に進んだタイミングもいわゆる「料理人」の方々と比べると遅かったですよね。

狐野:はい。きっかけは夫の赴任でパリに行きそこで料理学校にはいったことですね。それまでは料理といえば趣味で作るくらいなものでしたし、当然レストランで働いたこともありませんでした。将来料理の仕事をするというつもりでもなかったんですが、フランスの現地の料理を知りたかったというのと、あと不純な動機なんですが駐在ママ友のランチ会みたいなのにあんまり参加したくなかったからなんです(笑)。

それで料理学校を卒業してから「レストランが実際にどういうものかな」「どうやって料理が作られているのか」をこの目で見たいと思い、レストランの調理場に入りました。もちろん最初のころはずっと掃除ばっかりしてたので、料理なんてさせてもらえなかったんですけど。

狐野扶実子

―― いわゆる伝統的なフランス料理のお店だったんですか?

狐野:どちらかというと現代的なそのシェフ独自の料理を出すようなお店ですね。和食の要素が入ってたりするときもありましたよ。

神武:レストランに入ってお掃除ばっかりで、嫌にならずに頑張れましたか?

狐野:私、それまでレストランで働いたことがなかったので、「こんな未経験の人をレストランに入れてくれたんだったら掃除させられるのも当たり前だろうな」みたいな感じで(笑)。それまでの経験がなかったから変に比べずに済んだんですよね。

神武:でも駐在員の方の奥さまとして駐在しているんだったら、掃除ばかりしなくてもいいじゃないですか。

狐野:でも掃除からもすごい学ぶことがあるんですよ。

神武:おお、前向きですね(笑)。

狐野:たとえば棚に並んでる食材。缶詰でも何でも、このマークが入っているとか、このブランドが良とか、全部インプットされるんです。だから一人で料理をやり始めた頃も、お店で使っているブランドを探して集めました。そこで知識が得られたなと思います。

―― やっぱりどこの国でも「見て学ぶ」的な姿勢は変わらないんですね。

狐野:それはありますね。というか、教えてもらえる時間なんてなかったんですよ、私がいたレストランの働き方では。一日17時間ぐらい働くんですから(笑)。なので、先輩を真似るとか、いつもポケットにスプーンを入れておいて、ちょっと味見しながら「こういう味付けにするんだ」とか。実際のところ野蛮な世界って言ったら悪いですけど、厳しいは厳しいんですよね。だから入ったその日の午前中でやめちゃう人もいましたよ。私は料理の世界をここで初めて知ったので「こういうところなんだな」って、全て受け入れることができました。

神武:どれだけ厳しいんだろう(笑)。レストランでは3年間修行されていたんですよね。

狐野:はい。たまたま友達に「今日ホームパーティーするから料理を作ってほしい」と頼まれたのがきっかけで、出張料理を始めました。そこに呼ばれていたお客さんに「来週はうちに来てくれない?」って言われて、そのうち「領収書も出してほしい」って言われてそのために小さな有限会社を作りました。ほとんど1人会社というか、友達にちょっと手伝ってもらったりしながらですが。

このときに本当に色々なお仕事をさせていただきましたね。ベルサイユ宮殿の中でも料理をさせてもらいましたし、ルーブル美術館の絵を搬送するためのエレベーターの中で料理したこともあります。

出張料理人時代の狐野(写真提供:狐野扶実子)

―― それはどういう状況なんですか?

狐野:システィーナ礼拝堂の修復に寄付した会社のディナーパーティだったと思います。ルーブル美術館の中だったので火を使っちゃいけないんですよ。もともとは中のカフェを使う予定だったんですが、それが急遽使えなくなってしまったんです。ルーブル美術館なので、何かを壊してしまったときのための保険の金額があまりに高すぎて、私一人じゃどうにもできないので、大きなケータリング会社と共同の仕事でした。そのケータリング会社が、エレベーターの中に電気調理器具や水のタンクをセッティングしてくれたんです。と言っても、美術館の搬入用のエレベーターなのでものすごい広いんですよ。この部屋(会議室)くらいはありますよ。

神武:ムバラク元大統領夫人の食事会もご担当されことがあるとおっしゃっていましたね。

狐野:そうですね。フランスの経団連の会長さんがセッティングした、エジプトとフランスの昼食会でした。フランス国旗の赤白青をテーマにした昼食を作ってくださいと言われ、そっちで頭がいっぱいだったというのもあるんですけども、宗教上の理由で絶対にアルコールを出さない料理だったのにも関わらず、デザートの中に少し入れてしまったんです。フランス側の方からも「美味しかったからよかったよ」と言っていただいたもののそのデザートは全部戻ってきてしまったんですね。「こんな大切な昼食会を台無しにしてしまってしまったんだ」とこのときはかなりショックでしたね。

ムバラク元大統領夫人を迎えた昼食会の様子(写真提供:狐野扶実子)

―― どういった経緯で世界的VIPの方々とのお仕事が生まれるのでしょう?

狐野:出張料理で伺った先にいた方からご依頼をいただくことがほとんどでした。どこかに呼ばれて料理をすると、そこに呼ばれていた別の方が「じゃあ次うちでも」っていう感じで広がっていくんです。なので営業をかけたりというのはほとんどないんです。

―― 出張料理人はどのぐらいやられていたのでしょう?

狐野:2000年に始めて、紅茶で有名なフォションのエグゼクティブシェフを2006年から担当させていただいたタイミングまでやっていました。でもそれ以降も完全にやめたわけではなくて、たまにやったりはしていましたが、フォションでの仕事が終わってから日本に戻ってきてからあまり出張料理はやらなかったですね。というのも、日本はフランスと比べて衛生管理の基準が高くて、冷蔵車で移動しなければならかったりと、いろいろとハードルが高かったんです。

「なぜ狐野さんがこの大学院で神武の指導を受けるんだ」って

慶應SDM修了式の写真(写真提供:狐野扶実子)

―― それからJALの機内食のプロデュースなどをされたりと現在の代表的なお仕事に繋がっていくんですね。神武先生の研究室に入られたきっかけは?

狐野:機内食のプロデュースをさせていただく中で、機内食のロスが気になりはじめたんです。特にファーストクラスの食事は三種類から一つを選んでいただくので、半分以上が選ばれず廃棄になってしまうんです。それをどうにかできないかなというふうに思って、そういった問題に対してアプローチするための「システムデザイン・マネジメント」というものがあるのは知っていて、興味があったんですよ。それで大学院の説明会に参加させていただいたときに、たまたま神武先生とお話させていただく機会があったんです。

先生のご活動の中で当時すごく感動したのが、マレーシアの大規模農園で人工衛星を使ってパーム椰子を効率的に植えるというものでした。システムデザインやシステムエンジニアリングについて私は詳しくは知らなかったんですが、現地の方の生活を支えてらっしゃるっていう、そういうところですごく感動したんです。食品ロスの問題と直接関連していたわけではないけれど、SDGs 的に言えば、誰1人残さないっていう一番大切なところっていうのを実際にやってらっしゃるっていうところにすごく感銘を受けました。SDM研究科には素晴らしい先生方がたくさんいらっしゃったんですが、神武先生の研究室に入りたいと思いました。

神武:その研究について補足しますと、大規模農園の生産効率を上げるというもので、たとえば、パーム椰子を1ヘクタールあたり80本しか植えられなかったところを、いわゆる GPSやドローン のようなテクノロジーを使い、作業のプロセスを改善することで、生産効率を2倍とかにしようというものなんですが、僕らの研究の本質的な部分は最先端のテクノロジーを利用するということではないんですよ。

それよりも現地に行って作業者と対話をして、一緒にドリアンを食べたり、いろいろと体験しながら取り組んでいくというのがまさにシステムデザイン・マネジメントなんです。今の例でいうと、テクノロジーによって生産効率を上げることだけに集中すると、パーム椰子を3倍植えることだってできちゃうかもしれないけど、そうすると作業者の負担が大きくなってしまったり、パーム椰子の数は増えるけれど、それぞれの椰子には十分な栄養が行き渡らず、品質が良くないものになってしまうこともあります。そうなると、結果的に現地の人の生活が改善されない、ということになりかねなかったりもするんですよね。

たとえば工学的な視点のみでものごとに取り組もうとすると、課題の背景の把握よりも、技術的な改善にフォーカスするようなこともあるんですが、それだと本当に現地の人に役に立ってるのかっていうと実はそうでもなかったりすることがあります。そういった背景や事情も含めてデザインするのが僕らの取り組みの特徴です。

それで話を戻すと、狐野さんが機内食などのお仕事をやられていて、食品ロスやエシカル消費の研究をされているんですが、客観的に見ると「なぜ狐野さんがこの大学院で神武の指導を受けるんだ?」って皆さん思うわけですよ。僕も含めて。最初は(笑)。

神武直彦氏

狐野:えー!そう思ってたんですか?

神武:だって僕は食品ロスや機内食の専門家ではないし、知識や経験も豊富なわけではなかったから「指導できるのかな」って(笑)。でも、僕らの大学院は専門性が異なる多様な方々が集うところに価値があって、何かしらの価値を生み出そうと思ったときに、その「何かしら」を構成している複数の要素の関係性を把握して、新たに組み合わせ方を変えると、今よりいいことが起きるはずだという考え方で研究や教育を日々行っています。今の組み合わせが最適かというとそうじゃないことが多いし、今は最適だとしても5年後は最適じゃない可能性も大いにある。それを考えて、行動するからシステムデザイン・マネジメントって面白いんです。

だから、私自身が、ある領域の知識や経験がなくても、組み合わせの分解や統合についての考え方や方法をお伝えすれば、専門知識を持っている方の力によって、良い価値を生み出すことができる。狐野さんだったら料理や食に関する深い知識と豊富な経験をお持ちなので、そういった専門性を「縦ぐし」、そして、私のシステムデザイン・マネジメントの専門性を「横ぐし」と捉えて縦と横で組み合わせることで、面白いことが起きるかなと思ったりもしました。

狐野:神武先生が「不安だった」って仰ってましたが、私は全然不安じゃなかったですよ。というのは、神武先生と初めてお会いしたときに機内食のお話をしたんですが、メニューを決めるときに、 当然私だけじゃなくて、実際に作ってくださるJRCさんという企業の方々がいて、お客様に提供するCA さんがいて、JALという企業もあったりする。それぞれの立場の考えや理念があって、それを汲んだ上で実際に生産、運用できるかたちに落とし込むんですが、そのことを話したら「それはまさにシステムデザインですね」っておっしゃってくださったんです。

神武:そうだったんですか(笑)。狐野さんは私がお話ししたことを全て覚えていらっしゃるんじゃないかって思うことがあります。あと、システムデザイン・マネジメントをやる人は何よりも楽観的じゃないといけないと思っているんですが、狐野さんは行動力とも合わさって非常に向いている方ですよね。

―― それはなぜですか?

神武:「どういう組み合わせがベストか」ってシミュレーションや試行錯誤をするので失敗もあるわけですし、異種なものを組み合わせると必ず何かしらの衝突が起きるんです。でもある程度の失敗を受け入れるとか、失敗を次につなげる良い経験だと思うといったおおらかさやマインドセットも大切だと思います。広い視野で未来をしっかり見据えていれば、衝突や失敗が起きても、共感、共創できるんです。一方でものごとを主導する立場の方が不安そうにしていると、協力している周りの方々もどんどん不安になる。狐野さんは研究指導させていただいていても、「まあ狐野さんなら何とかなるだろう」と安心できるパーソナリティをお持ちですよね。

場所も相手も食事の一部? 「おいしさのデザイン」とは

Photo by Unsplash by Max Anderson

―― 実際に入学してからいかがでしたか?「料理」と「システムデザインマネジメントの研究」というと、なんだか全然違う世界のように感じます。

狐野:やっぱり神武先生に授業を受けていて思ったのは、料理とシステムデザインとでは、全然違う世界と思ってたけど同じものなんだ、ということです。さっきの機内食の話がいい例だと思います。でも料理の世界の中ではシステムデザインと料理とでは全然別の世界というか、結びつけて考える方は多くない印象がありました。この共通点に気づいてから、いい意味で「世界が縮まった」というか、他業種の方々とも共通の話題や問題意識がもてて、一緒に仕事やりましょう、という風にもなりやすくなったんです。

―― 具体的にシステムデザイン・マネジメントと料理ってどのように結びつけて考えているのでしょう。

神武:まず私が基本となるシステムの説明をしますと、「システム」とは目的を持った複数の要素とその繋がりのことを指します。そうすると、何でも大抵のものはシステムなわけです。自動車をよく例に説明をするのですが、自動車は「移動する」という目的を提供するために、複数の要素が組み合わさっています。具体的には、エンジンがあって、タイヤがあって、ボディ、座席、他にもたくさんのものが要素として存在します。でもそれがバラバラにあっても移動できない。この要素が適切に繋がっていることで目的を達成できるようになります。たとえば、エンジンをかけてアクセルを踏むとタイヤが回り始め、タイヤと地面の間で摩擦が起きて自動車が動き出すというようなことです。また、たとえば「環境負荷を抑えて移動する」という目的になると、要素の中のひとつであるエンジンをモーターに変えて、今で言う電気自動車のようなシステムにするということも考えられます。このように目的に対して構成要素を決めて、繋がりによる相互作用を考えて、決められた予算やスケジュールの中で実現していくこと、それが「システムデザイン・マネジメント」なんです。

料理に当てはめてみて、その「要素」を考えると、たとえば食材の選び方もあれば、同じ食材でも関係性をどう持たせるかによって生み出される価値、つまり、それを頂く人の「食体験」が変わってくる。「複数の要素とその繋がり」と考えれば、自動車を作るのと同じ考え方が適用できるわけです。

狐野:これが私が今すごく重要だと考えている「おいしさのデザイン」という話にも繋がってくるんです。

―― 「おいしさのデザイン」。

狐野:「おいしい料理」を作ろうと考えると、料理人はついお皿の中だけでものを考えてしまうんですよね。もちろんそれも重要なことですが、たとえばテーブルセッティングやその空間なんかも同じぐらい重要な要素ですし、同じ料理でも、「一緒にいて緊張してしまう人」と食べるのと「大好きな人と2人っきり」で食べるのだと多分多くの方は後者のほうがおいしいですよね。

あとは「おいしさ」と考えた場合はその料理を食べる前、お店に着いて入った瞬間から食べ終わるまでの間の体験も大事です。「とっても綺麗でとっても素敵な人と一緒においしい料理を食べたんだけど、トイレがすごく汚かった」みたいなことがあると、やっぱり「おしかった」と素直に思えなくなっちゃうかもしれません。そうやって分解して考えると、やっぱり神武先生のようにロケットや人工衛星を作るのも、自動車を作るのも「おいしさ」を作るのも同じなんですよね。

皿の上だけを気にしてると実は「おいしさ」っていうものは必ずしも提供できないし、逆に料理自体があんまり良くなくても他の要素がうまく繋がって機能していれば、全体的にはおいしくなるみたいなところが面白くて、それを知ってると、1通りだと思ってた「おいしさ」が1000通りにも1万通りもなるんです。

神武:さらに先程の狐野さんの話を補足しますと、システムデザイン・マネジメントを考えるときに「3つの観点」を意識すると良くて、どういうことかというと、一つは「空間的」な観点。狐野さんもおっしゃったように、「おいしさ」はやっぱり味覚やお皿の中の料理だけじゃなくて、部屋やテーブル、そこに誰がいるのかも関わってくる。もう一つが「時間的」な観点で、食事が始まってから終わるまでにどんな体験を提供していくか、ということです。そして最後が「意味的」な観点です。料理をする上でも、最終的にはどのような食材をどのように調理してお皿に盛り付けるかといった、「何を」「どのように」というところが目に見えるところですが、結果的にそこに至ることになった「なぜ」という点を常に意識することが大切です。これらの3つの観点を軸にすると、分析する際にも、何かを作り出す際にも俯瞰的かつ緻密に考えやすいんです。

たとえば冒頭のムバラク夫人のエピソードを「時間」で切って考えてみると、デザートのタイミングでこんな失敗があった、という分析ができたりもしますよね。あとは味覚的にも嗅覚的にもよかったんだけど、「空間」で考えると視覚的にもっとよくできたねとか。

システムデザイン・マネジメント的な考え方って、特別に学んだ方じゃなくても、人が普段から意識せずにやってたりすることでも多くあるんです。でもその暗黙知を形式知にすることで、活用できる範囲を意図して広げ、深めることができるんです。やり方が形式知としてわかっているとできることの選択肢が増える。研究の幅だって広がるんです。何事も知っていると選択肢が増えるからいいですよね。

―― なるほど。「システムデザイン・マネジメント」と言われるとなんだか難しいフレームワークのように感じてしまいますが、必要以上に複雑に捉えなくても良いのかもしれませんね。

神武:私たちの研究室には、狐野さんのような専門性を持った方や、たとえばアスリートの方なんかも多く所属していて、他にもいろんな方が学びに来てくれるおかげで、料理を作るのもアスリートを育てるのも、ロケット作るのも考え方は一緒だなってわかってきたんです。ある意味、その領域でいろんなことを極めた方々と一緒に研究しているからこそ納得感があるんですよ。でも料理でもスポーツの業界の方でも、最初に「システム」と言われると、「いや、理系じゃないんで」みたいな反応をされる方は結構多いです。世の中全体で、システムに対する考え方のバリアが壊れたり、変わっていくとすごい面白いことが起きると思うんです。

狐野:本当にそう思います。そのためにも、「おいしさのデザイン」についてはいずれ何らかのかたちで書籍にまとめたいなと考えています。

機内食で「愛」を伝えるには

狐野氏が手掛けた機内食メニュー(写真提供:狐野扶実子)

―― そんな研究室での狐野さんの研究についてもう少し詳しく教えてください。

狐野:機内食のロスをきっかけに食品ロスの問題に関心を持ち始め、最終的に「人の気持ち」というか、その食を消費することに対しての考え方、いわゆる「エシカル消費」の意識に関する研究をしたいなと思ったんです。

食品ロスを正面から扱おうとすると、本当に具体的なシステム設計の話になっていくんですが、それよりも「じゃあ人間の心という数値で測れないものをどうやって評価して、バリデーション(妥当性を確認)するのか」というのが、面白そうだなと思いました。

その研究でやったことは、作り手であるシェフがどうしてそのメニューに決めたのかにはじまり、食材の選び方、たとえば一般的に肉質が劣るとされている経産牛を使うメニューがあったら、なぜ今その牛を使う必要があるか、といったことを、飛行機内で映像を使って伝えることで、エシカル消費の意識を高める、というものでした。飛行機の機内では座席の前にモニターがあるので、そこで提供する料理について見て、聞いて、知ってから、CAさんがその料理を運んできて食べるという一連の体験をデザインできるんです。

いままで廃棄や肥料となっていた経産牛も調理次第でおいしく食べることができ、食品ロスへの一つのアプローチとなりうる、といったことをテレビやネットで知識として知ったとしても、実際にすぐに家で食べることってなかなかないじゃないですか。でも飛行機の中だったら実はそれが可能なんです。

―― なるほど、確かに飛行機の中なら時間もたっぷりありますし、ある種半強制的に映像を見ることになってもストレスを感じないかもしれません。

狐野:この取り組みは一時期、実際にJALの機内で行いました。メニューについても「未来に残す機内食」というものを3種類、シェフの方々に参加いただいて作りました。環境負荷の低減などに取り組む「LOVE FOR THE PLANET」、伝統的な調理法や食材などを使い、社会との繋がりに取り組む「LOVE FOR THE SOCIETY」、栄養価の高い食材や、参加シェフの新たな挑戦も交えた「LOVE FOR OURSELVES」というものです。

するとお客さんの中に「愛を感じた」と言ってくださった方がいたんです。「機内食を食べて愛を感じたのは初めてだ」って。機内食って普通なにも考えずにワーッて食べちゃうか、途中でやめたりもしますが、そのストーリーを知ることで「もっと食べてみよう」とか、「機内食はあんまり期待してなかったけどちょっと手をつけてみよう」って思ってくださった方々が増えたんです。

―― 他にも食品ロス関連の取り組みをされているんですか?

狐野:WWFとクノールが発表した「未来の食材50」というものがありまして、環境負荷が低く、価格も手頃で栄養価の高い食材のリストなんですが、その食材を使った機内食作りをやっています。まずこの括りで食材を選ぶと、皆さんもそれを見て「未来の食材50って何なの?」「その50種はどうして選ばれたの?」って興味や疑問を持つきっかけになるんです。もちろんそれを使うだけで何かが解決するわけではないけども、まずは知ってもらうきっかけになればと取り組んでいます。

やっぱり飛行機は環境負荷の高い移動手段なのでJALのみなさんもすごく意識していらっしゃって、持続可能な航空燃料であるSAFを導入したりもしていますが、機内食からもそういったメッセージを伝えていきたいと考えていらっしゃるんですよね。

神武:でも機内食からメッセージを感じるって結構難しいというか、メッセージをあまり感じない機内食がほとんどですよね。いわゆる防災食的なパッケージで、どちらかというと提供する側にとって提供しやすく、提供される側にとっては食べやすいように工夫されている印象です。だからこそ、新しい価値を生み出す方向への工夫の仕方は確かにあるかもしれませんね。

―― 狐野さんはRED U-35の審査員長も務めていますが、やはり審査の場面でも、持続可能性は意識するのでしょうか?

狐野:そうですね。昨年は「2030年のお子様ランチ」というお題で、食を通じて未来の子どもたちにどんなものを残していけるのかというテーマに審査を行いました。持続的であることを一番に見るというわけではありませんが、「あって当たり前」の前提みたいな感じですかね。REDでも実はいろいろな視点を取り入れたいと思っています。

たとえばがん患者の方の料理を専門的にやられている方がいるんです。テクニック的にはいわゆる三つ星レストラン的なものは持っていないかもしれないけど、「がん患者の食事」に関する知識だったりはすごいものを持っているんです。そういう方がREDで優秀な成績をおさめた料理人さんたちのグループに入っていただけると、まわりも触発されて、いろんな観点の食事が生まれると思っています。参加者についても、そういう視点で挑戦している方々をちゃんと上にあげたいと考えています。

RED U-35の様子(写真提供:狐野扶実子)

神武:昨年のRED U-35のお題は「2030年のお子様ランチ」でしたが、最後に狐野さんとして「2030年の機内食」ってどうなってると良いと思うかお聞かせいただけると嬉しいです。僕としてはわくわく感がもっとあるといいなと思います。

狐野:もちろんわくわく感はもっとあった方がいいと思います。私としては愛を感じるというか、人間と人間の感情みたいな部分がもっと重視されて良いのではないかと思うんです。だって「環境のために」と言いますが、それってその先にある、みんなが幸せに過ごせるための言葉ですよね。そう考えたら、もっとハートの部分が大切にされるべきかなと思っています。


慶應義塾大学大学院 システムデザイン・マネジメント研究科