一般企業に務めながらライター活動を続けるレジー氏の新著『ファスト教養』(集英社)にまつわるロングインタビューの後編をお届けする。
インタビューと言いつつ聞き手の名前を出した対談形式となっているが、「ファスト教養」というワード自体がレジー氏と筆者による、当媒体の記事の打ち合わせの中で誕生したという経緯もあり、2人で「ファスト教養とはそもそも何か」「現状が問題と言うなら何をどうすればいいのか」を説明するためにこの形式としている。
後編では「中田敦彦のYouTube大学」、映画『花束みたいな恋をした』、AKB以降のエンタメシーンなどを題材に「ファスト教養との適切な距離の取り方」について語り合う。これを踏まえて読者の皆さんが書籍『ファスト教養』について、あるいはこの記事について、どんな感想を寄せてくれるかをとても楽しみにしている。
聞き手・構成:神保勇揮(FINDERS編集部)
レジー
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1981年生まれ。一般企業に勤める傍ら、2012年7月に音楽ブログ「レジーのブログ」を開設。アーティスト/作品単体の批評にとどまらない「日本におけるポップミュージックの受容構造」を俯瞰した考察が音楽ファンのみならず音楽ライター・ミュージシャンの間で話題になり、2013年春から外部媒体への寄稿を開始。著書に『夏フェス革命 -音楽が変わる、社会が変わる-』(blueprint)、『日本代表とMr.Children』(ソル・メディア、宇野維正との共著)がある。
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神保勇揮(FINDERS編集部)
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1986年生まれ。大学卒業後、出版社で不動産業界向け経営誌の記者・編集者として勤務、ウェブメディア運営企業での編集職を経て、2017年からFINDERSの創刊メンバーとして立ち上げに参画。
「中田敦彦のYouTube大学」以外にも優れた時短コンテンツは存在する
神保:「中田敦彦のYouTube大学」の話に移りたいんですが、レジーさんは本書で以下のように言及しています。
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「勉強の楽しさを伝えたい」という中田の志自体はとても立派ではあるものの、「中田敦彦のYouTube大学」のコンテンツは短期的なマネタイズに特化するべく「人工的な刺激」と「複雑性を排除したわかりやすさ」が過剰に強調されているという問題をはらんでいる。ビジネスの論理に基づいて制作された彼のコンテンツが「新時代を生き抜くための教養」として支持されている状況は、社会全体の「ファスト教養化」のわかりやすい事例として捉えることができるのではないだろうか。
(『ファスト教養』P65)
これは「彼がネクスト池上彰である的な扱いで本当にいいのか」という問題提起だと思うんですが、一方で特に国内外の政治経済時事ネタに関して、彼以外にこれだけのスピードでそれなりのボリュームがある、しかもキャッチーな入門コンテンツを出せているだろうか、ということも思ってしまうんですよね。
個人的には2021年の自民党総裁選で4人の候補者全員をそれぞれ1時間紹介する動画を作り、さらに選挙戦の推移を説明する動画も1時間あって、全部観れば5時間ですがいずれもしっかり閲覧されていることに舌を巻いたり、書評回で扱うのは自己啓発本が多いものの、たまにブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』、斎藤幸平『人新世の「資本論」』みたいな本がラインナップされたりもしていて驚きました。
その意味では今でも新聞やテレビといったマスメディアはものすごく頑張っていると思う一方、どうしてもそれらの情報はこれまでの歴史的経緯なんかを、新書1冊分ぐらいは勉強した人向けであることも多いと常々感じているんです。これがSNSを通じた情報摂取の加速と組み合わさると、どうしても初心者が置いてけぼりになってしまいがちになるというか。
僕もそういう体験として、就活ぐらいの時期に「いっちょ日経新聞でも読んでみるか」と思い立って眺めはしたものの、それぞれのニュースにどんなインパクトがあるのか、そもそも何の話をしているのか全くわからなくてショックを受けたことをよく覚えています。そうなると「自分はバカだから勉強しなくちゃいけないんだ!何かを!」って焦っちゃうんですよね。
レジー:神保さんの言っていることも確かに一理あると思っています。やっぱりテレビの第一線で戦ってきた人のトーク力は凄いと思うし、要約もほんとに鮮やかですよね。とはいえ『幸福論』という彼の著書の中で「リサーチとファクトチェックはミニマムにしかできない」とも明言しているわけで、そういう人の情報発信を「これだけ見ておけばOK」とは言えないだろう、というような「良くも悪くも」な評価をしておかないと危ないんじゃないかとも思っています。
彼は意図的に「本を読むのって難しいじゃないですか」というところから入っていて、それは今の生活者のインサイトを捉えるという意味でもパーフェクトだと思うんですけど、要は顎の弱い、情報の咀嚼力が低い生活者をどんどん増やしていっているということにつながってしまっているんじゃないかというか。
神保:例えば我々が何かネットで調べ物をした際に、Wikipediaが出てくればまだ御の字で、どんなバックグラウンドの人が作ったかわからないトレンドブログとか2chまとめサイトとかを結構見ちゃうわけじゃないですか。2010年代中盤ぐらいまではキュレーションメディアも勢いがありましたし、新聞や雑誌の解説記事よりはキャッチーでわかりやすそうで、「今日こそ勉強するぞ!」的に意気込まなくても寝っ転がりながらスマホで気軽にアクセスしやすい雰囲気もあった。
中田さんの動画がこれまでなぜ批判されたかという理由もわかってはいるつもりですが、それでも「責任を取る主体が出てくるようになったことも含め、以前より多少はマシになったと言えるんじゃないか」と思ってしまうところもあります。
レジー:相対的に見れば、という話で言えば確かにそれもわかります。その上で、今は他にも専門家レベルの人たちが複雑な情報をわかりやすく解説しているケースが増えてきたこともあり、それをプッシュしていきたい気持ちがあるんですよ。
例えば経済情報であれば日経新聞を退職してフリーになった後藤達也さんがいますし、国際政治であればテレビ東京報道記者の豊島晋作さんの動画もコンパクトで非常にわかりやすい。今までは玉石混交というより大量の石の中で必死に玉を選り分ける必要がありましたが、今は玉もかなり増えているので後はそれを探し出してレコメンドするだけだと思うんです。
神保:確かにそれはありますね。
レジー:今は「これは良いけど、これは良くないよ」と発言すること自体に結構リスクがある時代じゃないですか。みんな違ってみんないいよね、人それぞれ、みたいなのが一番安全なスタンスだと思うんですけど、大人としては若者に「これはダメなんだよ。なぜなら〜〜」ということをちゃんと伝えなきゃいけないといけないと思っています。それでなくても日頃から醜態を晒しがちなわけですし。
『花束みたいな恋をした』の麦くんにオススメしたいビジネス書
神保:若者と言えば、本書でも結構ページ数を割いて言及されており、その前にFINDERSでも記事を書いてもらった映画『花束みたいな恋をした』が公開時にどれだけ衝撃を与えたかという話をしたいです。カルチャー青年だった主人公の麦くんが専業イラストレーターの道に挫折し就職した瞬間、本棚に自己啓発書が並びまくる描写を見て「気持ちはわかるけどもうちょっと別のやり方もあるよ!麦くん!」と励ましたくなりましたし、ああいうかたちで「ファスト教養的世界観の何が問題なのか」を解像度高く描いたという点でも非常に優れた作品でしたよね。
レジー:公開から1年以上経っていますが、いまだに自分の中では後を引いてますね。あの場面で麦くんの本棚にどんな本がラインナップされていたかをチェックして一覧を載せたんですが、象徴的に扱われる前田裕二さんの『人生の勝算』よりもさらにインスタントな成功を謳う自己啓発本が何冊も並んでいるわけです。20代のための教養と銘打った本で「セックスには、教養が出る」みたいな乱暴すぎる話が書かれていたりする。
麦くんが「やりたかったこととは違うけど、今は仕事を頑張るぜ」となったときにどんな本を読んでもらうべきか。本書では彼のような20代前半向けの選書として森岡毅『USJを劇的に変えた、たった1つの考え方 成功を引き寄せるマーケティング入門』や安宅和人『イシューからはじめよ』をレコメンドしましたが、自己啓発本やファスト教養本ではない、けれど読みやすく滋養になりやすいビジネス書が選択肢に入る世の中にしないといけないよなという思いを強くしました。
神保:加えて言うと、本の中で「ファスト教養が広がった先の社会が新しい価値観を許容するものではないことを、『はな恋』における麦と絹のすれ違いは表している。そしてその社会のあり方は、自助や自己責任を掲げながら、ステレオタイプな家族観を強調し、特定の属性の人たちの権利を認めるのに積極的ではない昨今の政府の方針とも奇妙につながっている」(P156)と書かれていましたが、これもかなり重要な指摘ですね。
レジー:『はな恋』は実は家父長制の話じゃんと思ったんですよね。これが最新モードですと売り出しているのにものすごく保守的であるみたいな感じ。結局、多くをカネや数字だけで評価するファスト教養の世界観は多様性とは相容れないよなと改めて思いました。
神保:そこで第5章「文化を侵食するファスト教養」で書かれたAKB以後のエンタメ業界の話が入ってくるんですよね。数字を稼げるものだけ是とされると、倫理的な問題が浮上するしない以前に「肝心の表現のクオリティはこれで良かったんだっけ?」というものにしばしばなってしまう、ということなのかなと。
レジー:そうですね。関連してアイドルファンダムの話も書きましたけど、何もかもが定量化される状況において、好みの問題に帰結しがちなクオリティの話ではなくて誰でも理解できる数字の話にファンの興味が偏りがちになる難しさですね。
「売れているものは本当に良いものなのか」という話は昔からありますが、今はストリーミングサービスの再生回数とかYouTubeのチャンネル登録者数なんかで明確な数字の評価がわかりやすくなったうえに、ファンが働きかけることで数字を伸ばせる世界になり達成感も味わえるということでどんどんそっちに向かっていますよね。
エンタメもビジネスである以上数字の追求は不可欠ですが、ファスト教養的な「数字こそ全て」の価値観に染まってしまうと、倫理的な問題を孕んでしまったり「さすがにそれはダサいんじゃないか」という審美眼が曇ってしまったりする。
でも、表現の良し悪しというものを体感する前に「そういうことが応援の仕方だ」とインストールされちゃうと、他の楽しみ方を知るのもなかなか難しそうだなと思います。
神保:2000年代ぐらいまでは「オタクというものは、どれだけマイナーで知られていなかろうが、自分が大好きな作品についてどれだけ詳しくなれるか、どれだけ多くの作品を知っているということが重要なのだ」「だからゲームの売上本数とかアニメDVDの売上枚数なんかでマウントを取り合うのは邪道なのだ」という価値観が色濃かったと思うんですが、今はもうすっかり変わってしまいましたね。
レジー:でも、例えば90年代だとポケットビスケッツとかモーニング娘。とか、CDの売上枚数でデビューだ対決だなんていうメディアイベントが度々あって、みんな無邪気に参加してましたよね(笑)。
神保:確かに(笑)。
レジー:僕もその手のやつは大体持っている気がする(笑)。あの当時はお金を払って参加していましたけど、YouTubeやSpotifyの再生回数を回すだけなら今は無料でできる。しかもSNSでお祭り気分も味わえる。実際参加すれば楽しいですよね。
神保:そこに何らかのドラマが生まれ、ジェットコースター的なドキドキ感が味わえるというのもわかるんですけど、カルチャーの喜びってそれだけじゃなかったはずなんだよな、と思ってしまうんですよね。どれだけ小規模でしょうもなくて経済に結びつかなくても、それを堪能するあなた自身のストーリーがあるはずで、それもかけがえのない経験であり財産なんだというか。
その辺りから最後の第6章「ファスト教養を解毒する」にある、ファスト教養と適切な距離感を保つための方法論について話していきたいと思います。例えば「世間から名作と評価されていようがいまいが、あなたの人生における古典作品を見つけろ」というのもすごく良いアドバイスだなと思っていて。
レジー:そうですね。トレンドを無理に追いすぎない、数字の良し悪しじゃないところで自分にフィットする作品や判断基準を持っているかどうかは、今のこの濁流に流されないために大事です。
神保:あとは千葉雅也さんの『勉強の哲学』で書かれた「欲望年表」の話を紹介して、自分が何に影響を受けたのか、どんなことを好きになってきたのかを時系列に沿って書いてみようというのもいいなと。「就活の自己分析みたいでしんどい」「そもそも好きなものなんかない」と思う人もいるかもしれませんが、もっと緩いものなんですよね。何の理由もないけど、好きだと思ったワケを無理矢理にでも理屈付けしろというワークショップみたいなものというか。
レジー:そうなんですよ。「自分の好きなものをちゃんと自分で分かっています?」という話ですよね。自分の好きなものと必要に迫られてやるものが交わる領域こそが、自分にとって本当にやるべきことなんだという道しるべになると思います。
神保:自分の好きなものがある程度言語化できていると、仕事を含むアウトプットだけじゃなくて、インプットにもかなり使えるんですよね。「ロックが好きだ」だけじゃなくて「俺が好きなのは1990年代のアメリカのオルタナティブロックだ」みたいにサブジャンルへの理解が進んでいくと、宣伝フレーズを一読しただけで自分が好きそうな作品かどうかわかるということが結構あります。それは「ビジネスに即役立つ教養」ではないかもしれないけれど、人生の豊かさを格段にアップする「知識」ではある。
レジー:ただ、「好きを見つける」と両輪で必要な発想として、「競争しないといけない場面があるならちゃんと競争しよう」も重要だと思っています。で、じゃあどうやって競争するの?というところでさっきの審美眼の話ともつながるんですけど、ビジネス書を読むにしても「まともなビジネス書」を手に取ることが大事なんですよね。そういうガイドはもっと増えた方がいいし、自分もオススメ本の発信をできるといいなとは思います。
神保:それで言うと「今はファスト教養的論者とされている人の本でも、その人が有名になるきっかけになった本は専門知が凝縮された良書であるケースが結構あるから、何か読むならそれから手に取るべきだ」という指摘もありました。有名になってから出版された「これからの日本」「これからの働き方」みたいな本じゃなくて、一見古くて難しそうに感じてもデビュー作とか出世作の方がよっぽどわかりやすくて中身がある可能性が高いという。
レジー:例えば『ファスト教養』では若干ネガティブに評している田端信太郎さんですが、彼の書いた『MEDIA MAKERS』は、刊行から10年経った今読んでも古びていない、メディアに対する本質的な洞察が書かれた良い本です。改めて言っておくと、『ファスト教養』は一概にファスト教養的な論者がダメだとか、ビジネス書なんて読むなという本では全くないです。
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