2017年、書籍『ハードウェアハッカー』を出版したばかりのバニー・ファン(左)と筆者。シンガポールにて
【連載】高須正和の「テクノロジーから見える社会の変化」(26)
高須正和
Nico-Tech Shenzhen Co-Founder / スイッチサイエンス Global Business Development
テクノロジー愛好家を中心に中国広東省の深圳でNico-Tech Shenzhenコミュニティを立ち上げ(2014年)。以後、経済研究者・投資家・起業家、そして中国側のインキュベータなどが参加する、複数の専門性が共同して問題を解くコミュニティとして活動している。
早稲田ビジネススクール「深圳の産業集積とマスイノベーション」担当非常勤講師。
著書に「メイカーズのエコシステム」(2016年)訳書に「ハードウェアハッカー」(2018年)
共著に「東アジアのイノベーション」(2019年)など
Twitter:@tks
MITメディアラボや様々なハードウェアスタートアップで「ハードウェア製造の師匠」「深圳の男」と呼ばれている、ハードウェア製造の達人バニー・ファン。書籍『ハードウェアハッカー』は、彼が革新的なものづくりを志す人を増やすべく、自分の経験をまとめた良い本だ。同時に「人生のゴールは何で、そのためにどうやって仕事を選ぶか」を語った本として読むことも出来る。僕はこの本を1年かけて翻訳し、自分のキャリア観にも大きな影響を受けている。
ふと訪れる、「これ、自分のやりたいことだったっけ?」という問い
人はだれでも、「これ、自分のやりたいことだったっけ?」という問いに襲われる。多くの映画や流行歌が歌うように、自分の役割が見つかる前、社会に出る前の若い頃は特にそうだ。
仕事であれ部活であれ、向き合うテーマやゲームが見つかると、人生をどう生きるかという方向性は見つかるが、それを成功に導くための環境から来るストレスは倍増する。
バニー・ファンが「とりあえず、今の仕事をやめて自由になろう。1年間休暇を取ろう」と決めたのは、彼が30代半ば、自分が尽力したスタートアップの終わりが見え始めたころだった。
iPhoneに先んじたIoTを開発したが、ビジネス的にはうまくいかなかった
バニー・ファンは1975年生まれのアメリカ人。今年47歳になるハードウェアエンジニア・起業家・研究者だ。
彼はMITで電子工学のPh.Dを取得したあと、企業の研究職として働いていたが、「顧客に直接使われる製品を作りたい」という想いから、2006年(31歳)にChumby(チャンビー)というスタートアップに加入する。同社が開発していたChumbyは今で言えば「液晶付きスマートスピーカー」のようなガジェットで、ベッドサイドに置いて常にインターネット上の情報が表示されるというコンセプトは後のスマートフォンを先取りし、「最初のIoT」と呼ぶ声もある。
バニーがデザインしたChumby One(この画像は画面などをはめ込んだ設計用のもの)。ネットに常時接続するIoT端末としては最初期のもの
出典:ハードウェアハッカー
社内でただ一人のハードウェアエンジニアである彼は、ハードウェア全般と製造に関する責任者(副社長)として、中国・深圳に渡って、経験したことのない「ハードウェアの量産」に取り組む。30代の初めから後半まで、彼はChumbyの成功のためにアジアを飛び回っていた。マーケティングのために一時期日本にいたこともある。スタートアップならではの、業務領域を超えた仕事ぶりは、とてもエキサイティングだったろう。
Chumbyでの仕事はバニーのスキルを伸ばし、研究者を超えて「深圳での小ロットハードウェア製造名人」の評価を確立した一方で、会社としては成功できず、2012年にはバニーもChumbyを離れる(同社は2014年に破産)。
中年で改めて考える、自分がやりたいことはなんだろう?
バニーはChumbyと自らのキャリアについて総括したインタビュー(米Make Magazine誌のもの、日本語訳は『ハードウェアハッカー』P220〜に収録)で、
「実業家とはいえないことをやるために、1年休暇を取る予定だ。いま僕が考えている優先順位は、まず仕事を楽しむこと、あまりお金を失いすぎないこと、なにかしらハッカー精神・ボランティア活動・オープンソース活動のやり方を組み合わせてコミュニティに貢献できることをやりたい。今年はこれまで置き去りにしてきた自分のいろんな部分をまとめなおし、人生の価値を上げる魔法を学びなおすときだ」
と答えている。ちなみにこのインタビューでは、「だれにとっても、所有するハードウェアのなかで最もクールなのは自分の身体なんだ」と食生活を改善し身体を鍛えることの重要性も語っている。
その後の彼の“休暇”は1年でなく、インタビューから10年経った現在でも続いている。
ただこの間、本当に何もしていなかったわけではなく、いくつかのスタートアップをハードウェア製造の顧問として助け、自身でもかなり趣味的・実験的なハードウェアを企画し、クラウドファンディングを成功させて実際に製造にも至っている。顧問としての収入はプロジェクトベースだから、スタートアップ創始者のような億万長者は望めない。趣味的なハードウェアも採算は取れているものの、自分の工数はカウントに入れていない。
それでも、自分の納得行く範囲で収入を得て、時間の使い方を決められる生活を、バニーは「会社やVCの支援を受けていた頃よりはずっと慎ましい暮らしだけど、僕はずっと独立している」と評価している。
自分で挙げたとおりの、ハッカー精神、ボランティア活動、オープンソース活動、コミュニティに貢献できる日々を遺憾なく楽しんでいる。
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