ある日突然目が見えなくなったらどうするだろうか?
突拍子のない質問に聞こえるかもしれない。しかし、日本で暮らしている視覚障がい者およそ30万人のうち、17才までに視覚障がいになった人は17.4%なのに対し、40才以降に障がいを負った人は58%もいるのだ。(厚生労働省「身体障害児・者実態調査(平成13年)」)晴眼者であっても、視力を失うことは決して珍しくない。「突然目が見えなくなる」ことは、いつ誰の身に起こってもおかしくないのだ。
「どうして今なのか?という疑問が頭から離れませんでした」
そう、15年前を振り返るのは、久我裕介さん。現在40歳で、普段は公務員として働いている。久我さんは、塾講師として働いていた25歳のときに視力を失った。当たり前に来るはずだった未来が閉ざされ、悲しみに打ちひしがれていた久我さん。仕事でもプライベートでも、再び様々なチャレンジをするきっかけとなったのは、一頭の犬の存在だった。
その犬は、視覚障がい者の指示に応じて歩行を助ける「アイメイト(盲導犬)」。目の見えない人が晴眼者の同行や白杖なしで歩けるよう、特別な訓練を受けた犬だ。
日本で盲導犬の育成を行う団体は11ヶ所。なかでも「公益財団法人アイメイト協会」で訓練された盲導犬は、「私の愛する目の仲間」という意味を込め、アイメイトと呼ばれている。現在、日本では、233組(2018年3月末時点)が共に暮らす。
自らの足で自由に歩ける。健常者にとっての“当たり前”は、久我さんの人生に何をもたらしたのだろうか。
突然の失明。絶望から一歩ずつ前へ
久我さんは、幼い頃から暗い場所では目が見えづらい症状を抱えていた。しかし、日中は健常者と変わらない生活を送ることができ、医者は「悪化する可能性は低い」と言う。大学を卒業する頃には自らの症状を意識することもなくなっていた。
しかし、25歳のとき、目の前に書かれた文字が曲がって見えた。忘れかけていた症状の悪化、その先に待ち受けていた失明という現実。外を出歩くのも怖くなり、1ヶ月間、家に引きこもる日々が続く。
積み上げてきた人生が崩れていくような絶望を前に立ちすくむ久我さん。その様子をみて、母親が「一緒に死のうか」と呟いた。
「当時は、両親が僕以上に悩んでいたと知らなかったので、その一言に衝撃を受けました。両親を幸せにするためにも、しっかり自立して生きなければと、頭のなかでスイッチが切り替わったんです」
しかし、一人で外を歩くことすらままならないのに、目の見えない人がどうすれば自立して生きていけるのか、久我さんには見当もつかない。「まず日常生活のために点字や白杖歩行を学ばなければ」と考え、盲学校に入学した。
そして目が見えなくてもできる仕事を探した結果、久我さんは視覚障がい者でも公務員試験に応募できることを知る。朝から晩まで猛勉強を重ねる日々が始まった。
「問題を読むのも、文章を書くのもひと苦労でしたが、何とか公務員試験に合格できました。塾講師の経験も活きたので、『目が見えなくなったことで、これまでの人生で積み上げてきたもの全てを失ったわけじゃなかった』と少し自信を持てましたね」
公務員として県税事務所に勤めはじめてからは、音声パソコンを駆使し、目の前の仕事に没頭する日々。職場に通勤する際には、足元の安全を確認する白杖が欠かせなかった。しかし、白杖では、高さのある障がい物、例えば街路樹の枝などを避けることはできず、「いつも緊張感を持って外を歩いていた」という。
そんな久我さんは、ある日、視覚障がい者の友人がアイメイトと共に歩いている姿と出会う。
「もともと犬が好きだったこともあり、とても興味が湧きました。さっそくアイメイトと一緒に歩く体験歩行をしてみると、犬の尻尾が心地よいリズムで左足に当たって、犬の体温も伝わってくる。白杖で歩いているときに比べて安心感があるなと思いました」
視力を失ってからの2年間は白杖のみで過ごしていた久我さん。結婚と会社の異動が重なった年、待望のアイメイトを持つことを決意する。ライフステージが変わるタイミング、新たな挑戦の始まりだった。
アイメイトと共にある、より自由で充実した毎日
アイメイトを持つためには、訓練されたアイメイトとの歩き方やしつけの仕方、使用者としてのマナーを学ぶための指導を受ける必要がある。4週間にわたる歩行指導を経て、久我さんとアイメイトの暮らしがスタートした。
共に時間を重ねていくうちに、一人で外出するときに感じていた緊張はどんどんとほぐれていった。久我さんは、視力を失う前のような暮らしを、少しずつ、しかし着実に取り戻していく。
「アイメイトは、段差の前で止まるよう訓練されているので、安心して迷うことができる。耳や足の裏から情報をしっかり取りながら、余裕を持って周囲を確認すれば大丈夫。その安心があるので、ちょっと知らない路地に入ってみることもできます。目が見えているときと同じように、散歩を楽しめるようになったんです」
散歩を通して行動範囲もどんどん広がっていった。今では、休日に趣味のボルダリングや囲碁へ積極的に出かける。
また、以前は躊躇していた仕事での出張にも率先して出かけるようになった。「出張を通してしっかりスキルを高めていきたい」という向上心溢れる久我さんを、職場の人たちも安心して送り出す。
一人で自由に外を歩くことができる。これにより、ただ行動範囲が広がるだけでなく、仕事やプライベートが豊かになっていく。アイメイトとの暮らしは、より自由で充実した毎日を、久我さんにもたらしてくれた。
主役は人、アイメイトは名脇役
久我さんにとって、仕事でもプライベートでも、欠かせないパートナーであるアイメイト。彼らを送り出しているのが、「公益財団法人アイメイト協会」だ。同協会は、アイメイトの育成や視覚障がい者への歩行指導を通して、視覚障がい者の自立支援を行っている。1957年、日本で初めて視覚障がい者と二人きりで歩行できる盲導犬の育成に成功して以来、同協会を巣立っていったペアは、なんと1369組(2019年04月末現在)。
協会創設者の故・塩屋賢一氏は、「あくまでアイメイトは名脇役、主役は人である」と考え、いかに視覚障がい者の自立のお手伝いをするかを徹底した。その思想は、現在のアイメイト協会にも脈々と受け継がれている。賢一氏の息子である隆男氏 (現 協会代表理事 )は言う。
「視覚障がい者がアイメイトと共に自立して暮らしていけるよう、私たちは人と犬の信頼関係を築くことを大切にしてきました。そのために欠かせないのが、視覚障がい者が4週間の泊まり込みで受ける、歩行指導という訓練です」
訓練では、施設に泊まり込みで、寝るときも食事をするときも、アイメイトと一緒に過ごす。指示の出し方やしつけの方法、ブラシの掛け方など、生活に必要なあらゆることを学んでいく。
歩行指導の最後を飾るのは銀座での最終テスト。当日発表されるコースと目的地を覚え、多くの人でにぎわう通りをアイメイトと一緒に歩く。
アイメイト 協会代表理事、塩屋隆男氏
歩行指導で学ぶのは生活に必要なことだけではない。重点的に指導するのが犬とのコミュニケーションの取り方だ。
「できたらしっかり褒めてあげる、間違ったことをしたら叱る。そうした真摯なコミュニケーションを徹底してもらいます。よそ見をしていてはダメで、アイメイトの様子を常に観察しなければいけません。人間同士と同じで、『いつも気にかけている』と認識してもらわなければ、本当の信頼関係を築くことはできませんから」
「急に自由が制限される」体験を想像してみて
強い絆で結ばれたペアを輩出する傍ら、アイメイト協会は視覚障がい者をめぐる社会のルールを変え、健常者との間にある壁を取り除こうとしてきた。盲導犬と一緒にいても事前予約なしに電車やバスに乗れる。宿泊施設やレストランを利用できる。いずれも、1970年代以降、賢一氏の立ち上げた「東京盲導犬協会」(現在のアイメイト協会。1989年に名称変更)、アイメイト使用者、支援者らが力を合わせて国へ働きかけてきた結果だ。
2002年には、身体障がい者補助犬法が施行され、レストランや喫茶店、旅館での同伴が法律でも認められるようになった。しかし、未だに盲導犬を連れた視覚障がい者が、入店を拒否されてしまうことは珍しくない。視覚障がい者や盲導犬に対する理解は未だ十分ではないのだ。
「アイメイトを連れて来店した人に対して、『犬の餌やトイレはどうするのか』と不安に思う人が多いようです。けれど、一度アイメイト使用者に任せてみてほしい。視覚に障がいがあっても、彼らは責任をもってアイメイトの面倒をみているのですから。
アイメイトを連れて歩いていると晴眼者の方はどうしても犬に注目します。けれど、ぜひ“人”に目を向けてみてください。彼らが『目が見えないことで行きたい場所に自由に行けない』という課題を抱えていること。それをどう感じるか、胸に問うてみてほしい」
一人で歩く自由を手に入れても、「行きたい場所に自由にいけない」不自由がついて回る。久我さんも、友人と訪れた飲食店で、『犬を連れている方は入店できません』と、頑なに断られた経験があった。
「実際に拒否されたときはとても動揺しました。こんなに綺麗に世話しているのにという悔しさ。それ以上に、一人の人間としての権利が一つ失われてしまったような気持ちでした。今まで受け入れてもらえていた場所から拒否されるのがどれだけ悲しいか。目が見えている人にも想いを馳せてもらえると嬉しいです」
誰もが見とれてしまうくらい颯爽と歩くペアを
行ける場所が限られるだけではない。目が見えなくなることで、それまで当たり前だったことが当たり前ではなくなってしまう。アイメイト協会を訪れる人のなかには、その生活の急激な変化に戸惑い、不安に押しつぶされそうな人もいる。しかし、歩行指導を終える頃には、誰もが堂々とアイメイトと歩いていくという。
「初めて訪れたときと、顔つきが全然違うんですよ。さらに、卒業してしばらく経つと、外に出かけて人と交流する機会が増えるのか、少し日焼けをして、自信を持って話すようになっている。その姿を見る瞬間が何より嬉しいです」
まだまだ世間との壁を感じることは多いが、塩屋氏には大きな夢がある。それは、1組でも多く「つい見とれてしまうほど颯爽と格好良く歩くペア」を輩出すること。その姿を目にすれば“視覚障がい者”に対する世間の眼差しは変わっていく。アイメイト協会を旅立っていく卒業生の姿が、そう信じさせてくれる。
久我さんも、塩屋氏が胸を張って送り出した卒業生の一人。今日も背筋をピンと伸ばし、颯爽と出勤する。昨年には、かねてから希望していた障がい者の就労支援を行う部署で働き始めた。
「視力を失ってからは、家族に対する責任感もあり、『しっかりしなければ』というプレッシャーに縛られていました。でもアイメイトとの日々を経て、仕事でもプライベートでも、自分なりの居場所ができたような気がしています。これからも努力を諦めず、でも決して焦らず、一歩一歩進んでいきたいです」
障がいを持つ人が、自分の可能性に限界を感じることなく生きられる社会をつくりたい。久我さんは、自らの成し遂げたい目標を力強く口にする。
仕事やプライベートに悩みながらも、目標に向かって努力を積み重ねる。視力を失ってからも、久我さんは自らの力で人生を切り拓いてきた。アイメイトはそんな彼の挑戦を、そっと側で支え続けている。
今日も、久我さんはアイメイトと共に歩いていく。これからの人生で出会うことになる素晴らしい景色を思い描きながら。
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