CULTURE | 2022/05/11

日本で「補助金依存に陥らない福祉」は可能か。グラミン銀行創始者のユヌス博士と自治体首長の対話から考える【連載】ウィズコロナの地方自治(5)

ムハマド・ユヌス博士 Photo by Shutterstock

谷畑 英吾
前滋賀県湖南市長。前全国市長会相談...

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ムハマド・ユヌス博士 Photo by Shutterstock

谷畑 英吾

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前滋賀県湖南市長。前全国市長会相談役。京都大学大学院法学研究科修士課程修了、修士(法学)。滋賀県職員から36歳で旧甲西町長、38歳で合併後の初代湖南市長(4期)。湖南市の発達支援システムがそのまま発達障害者支援法に。多文化共生のまちづくりや地域自然エネルギーを地域固有の資源とする条例を制定。糸賀一雄の発達保障の思想を社会・経済・環境に実装する取組で令和2年度SDGs未来都市に選定。

「新しい資本主義」を自治体政策レベルに落とし込む対話が実は行われている

龍谷大学ユヌスソーシャルビジネスリサーチセンター 公式サイトより

新型コロナウイルス感染症は社会の分断を深め、人々の間をつなぐはずの絆は大きく傷つけられた。しかし、シェイクスピアが戯曲『マクベス』でマルカムに語らせた「明けない夜はない」という言葉のとおり、2022年1月9日から始まった今次のまん延防止等重点措置も3月21日を最後に解除された。

第7波に警戒はしつつも、世間は徐々にではあるがようやく経済活動を再開できると安堵している。その一方で、発足半年を過ぎても夜が明けないのは岸田内閣の経済政策であろう。「新しい資本主義実現本部」ができ、「新しい資本主義実現会議」が議論を始めたが、新しさが感じられないのは気のせいだろうか。

いや、それはおそらく気のせいではない。「新しい資本主義」の成長戦略がどれほど先進的なテーマを掲げていようと、結局行われるのは各省庁が既に発表している政策の徒花的動員であったり、既存企業の活性化、雇用者への分配であったりというように、国の予算主導のパターナリズムな政策の焼き直しに過ぎないのであり、そこに新しさを感じることは難しい。

だが、そんな新機軸を探りあぐねている日本から約5000キロ離れたバングラディシュに目を移すと、実はすでに「新しい資本主義」を唱えている博士がいた。それがノーベル平和賞受賞者のムハマド・ユヌス博士である。ユヌス博士はバングラディッシュ出身で、グラミン銀行を創始したことでも著名である。

そのユヌス博士が、近年日本人とのオンライン対話を重ねていることをご存知だろうか。この対話は特定非営利活動法人アース・アイデンティティー・プロジェクツが主催し、バングラディシュのユヌスセンター本部と龍谷大学ユヌスソーシャルビジネスリサーチセンターが共催、TBSが後援しているものである。

2020年7月のキックオフの後、2021年10月以降はほぼ毎月のように精力的に対話が重ねられている。若手起業家や非営利団体、メディア関係者、大学生、若手金融マンなどとの対話に引き続いて、2022年3月22日と4月20日には地方自治体リーダーとの対話も行われた。

「利他的な資本主義」をいかにシステム化するか

グラミン銀行およびユヌス博士は日本でも著名であるためご存知の方も多いかと思うが、「対話」の内容に入る前に少しだけ解説を記しておきたい。

かつては世界最貧国とも言われたバングラディシュも、2024年には後期開発途上国(LDC)を卒業できる見込みとなった。バングラディシュの貧困の原因は「災害のデパート」と言われる自然災害の多さにあるとされ、洪水、渇水、井戸水のヒ素汚染、気候変動による海岸の浸食と地下水の海水化に見舞われている。

そうした困難さを抱えるバングラディシュで貧困問題の解決に尽力してきたのがグラミン銀行である。グラミン銀行は社会の最下層にあった、とりわけ女性に無担保少額貸付を行うことで起業を促し、実業を運営することで自立させ、返済された資金をさらなる無担保少額貸付に再投資することで、貧困の撲滅と民間経済の拡大とを同時に進めてきた。

そのキーマンとも言えるユヌス博士が唱えているのが、①CO2、②貧困、③失業 をゼロにする「3つのゼロの世界」だ。そして、3つのゼロの実現は若者によって切り拓かれなければならないとする。

ユヌス博士は、富の偏在を生み出す現在の経済システムは持続不可能だと喝破する。資本主義社会では「神の見えざる手」が市場均衡をもたらし、社会の全構成員がその果実を共有するとされてきたが、実際にはそうなっておらず、富の集中は加速する一方で貧困は減っていない。

富裕者による社会奉仕や寄付活動、政府による累進課税に基づく福祉施策についても、ユヌス博士は「これらは資本主義システムによって生じるマイナスを埋め合わせようとする善意の取り組みである。だが、本当に問題を解決しようと思ったら、システムそのものを変える必要がある」と語る。

そして、現在の資本主義システムは、経済合理性について個人の利益を最大限にすることであり、すべての人が利己的であるとの前提から出発しているものの、「実際の世界には自己犠牲の心を持つ人がたくさんいる」と博士は強調する。そのひとつの証拠が前出のグラミン銀行であり、銀行全体が無担保少額貸付という「信頼」で成り立っているとするのである。

グラミン銀行は年25億ドルを900万人の貧困女性に無担保貸付しているが、2016年の返済率は98.96%であり、グラミン・アメリカも6億ドル以上融資した2017年の返済率は99%以上だとされる。担保がなくてもその人の可能性に投資しているのである。

しかも、返済し終わった人々は自立した事業者として新しいビジネスを展開しているのであり、返済された資金でさらに新しい実業家が再生産されていく。ネットワークを組み、支えあいながら強靭に事業を横展開していく。まさしく、利己的ではない社会における新しい経済主体の量産ではないだろうか。

ユヌス博士は「今の資本主義システムがお金のあるところにお金が集まる仕組みになっている」と憂慮する。お金持ちは収奪しようとしているわけではないのにお金が集まり、貧困者のもとにはお金が回らず貧困が拡大再生産されていく。この連鎖を断ち切るためには、利己的な個人が主体となる現在の資本主義の思想ではなく、利他的な経済に変えていかなければならないとする。

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