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3月9日に投開票が行われた韓国大統領選挙は、48.56%対47.83%と0.73ポイント差の激戦で、保守系の尹錫悦(ユン・ソギョル)候補の当選が決まりました。
韓国は日本以上に「右VS左」の政治対立が激しい国で、保守系候補に再度政権交代することに対して、左派系の韓国人などが「最悪の性差別主義者が大統領になってしまった。絶望的だ、もう移民するしかない」といった悲鳴や絶望の声を上げているのをTwitterで見かけました。
特に今回の尹候補が「反フェミニズム」の主張を先鋭化させて票を集め当選したことに関して、韓国に限らず「韓国の民主主義に夢を託す日本の左派」のような人も暗澹たる思いを持っているようです。
しかし私は、こういう明確な「フェミニズムに対するNO」が直接選挙で出されるというのも、それはそれでフェミニズムに限らずリベラルな理想を社会に深く浸透させていくためには通過すべきプロセスなのではないかと感じています。
なぜなら、ここ10年ほどのアメリカ由来で世界中に広がったリベラル的理想主義は、あまりに「保守派」側にいる人間を見下し、非妥協的に侮蔑するような態度を取りがちで、作らなくても良い敵を作りまくり、地球上に何千万、何億人もの「絶対にリベラル派の理想を拒否してやる!」という強烈な憎悪を燃やす人々を増やしてきたように思うからです。これは別に韓国や日本に限らず、アメリカ社会ですらそうなっていますよね。
国をあげた公的な選挙で一度ここまで明確に拒否されてみれば、「そこまでの恨みの蓄積」の背後にある何かに考えを至らせる動きもまた出てくるでしょう(買いかぶりかもしれませんが、少なくとも一部にはそういう動きも生まれるはず)。
その「相互理解の難しさ」から逃げずに向き合う流れが生まれる時、韓国に限らず非欧米社会の人心に欧米的理想を溶け合わせていくための大事な手法を見出すことができるはずです。
そして同時に、そういう「非妥協的な糾弾姿勢を超える対話の文化」が醸成されていくことによってのみ、日韓関係の改善も、またはじめて可能になるはずだと言えます。
保守派の大統領になったからといって日韓関係が劇的に改善するということはあまり考えられませんが、「リベラル派の正義」が「その外側のもうひとつの正義」とお互いを対等に尊重し合った対話が可能な文化が東アジア全体で育っていけば、そこにはじめて「日韓関係の本質的改善」もまた生まれるでしょう。
「はじめまして」の方のために筆者の自己紹介を少しすると、私は学卒でアメリカの経営コンサルティング会社に入ったのですが、そこにある「グローバルに共通な手法」と「日本社会」との間の分断を超える視座がそのうち切実に必要になるなと思って、その後わざわざブラック企業やカルト宗教団体とかに潜入したりするフィールドワークをした後中小企業コンサルティング的な仕事をしている人間です(詳しいプロフィールはこちら)。
私は韓国の専門家ではありませんが、「あらゆる面で進んでいるとされる欧米の文化」の押し付けが「非欧米」社会における巨大な摩擦を引き起こす現場…のような環境を数多く見てきました。その中で、どうすれば「どちらの理想も」取り入れることができるのか?について色々と実地に模索してきた人間として、今回の韓国大統領選には随分前から注目していました。
端的に言うと今回の選挙結果は、ここ最近の韓国の特徴であった「果てしなく他人を糾弾しまくる型の“正義”」を推進するムーブメントの曲がり角を表しているとは言えるかもしれません。
だからといってその「欧米由来の理想像」を一切諦めてしまう必要もないはずで、現地社会の人心や義理の連鎖をうまく活かした形で着実に実現していければ多くの人にメリットがあるのは言うまでもありません。
そういった視点から昨今の韓国政治を考察し、今後の東アジアにおいて「欧米的な理想」を着実に現地社会の民心と合致させていくために必要な配慮とは何なのか?という日本にとっても他人事ではないテーマと、今後の日韓関係について考える記事を書きます。
倉本圭造
経営コンサルタント・経済思想家
1978年生まれ。京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感。その探求のため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、カルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働く、社会の「上から下まで全部見る」フィールドワークの後、船井総研を経て独立。企業単位のコンサルティングで『10年で150万円平均給与を上げる』などの成果をだす一方、文通を通じた「個人の人生戦略コンサルティング」の中で幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。著書に『日本人のための議論と対話の教科書(ワニブックスPLUS新書)』『みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか(アマゾンKDP)』など多数。
1:何事にも極端になりがちなのはいつものことだが…
今回の韓国大統領選挙の「対立のネタ」として、日本人の感覚からすると「やりすぎ」だと感じる人が多いのは、「反フェミニスト」の若い男性の票を取るために、尹候補が女性差別を解消しジェンダー平等を目指す「女性家族省」の廃止を提案をしたことではないでしょうか。
若年層の就職難が深刻で、住宅価格の上昇も重なる中、主に2年間の兵役が男性のみに課されることの不公平感から、昨今の韓国では「反フェミニズム」的な考えを持つ若い男性が多くなっていました。
そして高齢世代の保守票と中堅世代の革新票が打ち消し合う韓国社会の票の分布から言って、若い世代の投票行動が決定的な役割を果たすことが多いため、両候補が必死に若い世代向けの政策を打ち出す中、保守派の尹候補が反フェミニズム的姿勢を鮮明にし、対抗上革新派の李候補は親フェミニズム的な姿勢を鮮明にする事になった。
結果として、韓国放送3社の出口調査によると20代(正確には18〜29歳)だけ性別による投票行動の差が非常に顕著で、20代男性の58.7%が尹候補(李候補は36.3%)に投票し、一方20代女性の58%が李候補(尹候補は33.8%)に投票することになった。
30代以上の投票傾向は世代間差はあっても男女差はあまりなかったことを考えると、「20代男女だけに強烈な政治的分断」が起きていることがわかります。
ここまで男女の投票行動に差が出る選挙というのも、なかなか珍しいのではないでしょうか。
他国のことを簡単に断じるようなことを普段はしないようにしているのですが、この件については、ここまで分断がどうしようもなくなる前にもう少し手前で解決できる課題だったのではないかと思ってしまいます。
2:「二者択一の極端志向」から脱却しないと現実的な課題は解決できない
日本人的な感覚から言うと、
兵役その他の課題で男性側の不満が高まっているならそれはそれで対処すればいいし、一方で女性活躍推進に向けての課題に対処する「女性家族省」はそれはそれでやっていけばいい話なんじゃないの?何も片方だけ選んで逆側を廃止することないのに。
…という感想を持つ人が多いのではないでしょうか。今回の選挙とフェミニズムの関係についての米CNN記事で取材に答えた27歳の韓国人女性が、「大統領選挙でフェミニズムは、“解決するべき政治的課題”としてでなく、単なる“票の引き換え券”みたいに扱われている」と不満を述べていましたが、なかなか鋭い指摘だと思いました。
中小企業コンサルティングの中で、「グローバルな流行」と「ローカル社会の人心」をいかに溶け合わせながら実際に理想を隅々まで実現していくかについて苦労してきた私の感覚からすれば、ここまで「完全に敵と味方に分かれてしまった」段階で、まともな解決の積み上げなどは不可能になってしまうように感じています。
他国のセンシティブな話題に意見を言うのははばかられますが、この「兵役問題」をもう少し丁寧に扱っておけば、ここまでの分断にはならなかったのではないかとどうしても思ってしまいます。
この話題は、男性のみに兵役義務がある韓国において、「軍服務加算点制度(兵役を終えた男性に、公務員試験などで数%の点数が加算されていた制度)」が違憲判決を受けて廃止になったという話を聞いてからずっと気になっていました。
今でも一応戦争状態にあり、時々軍人の死者も出る韓国で、二年間の非常に厳しい兵役を男性だけが受ける上に、何の見返りもない状態が放置されているのは、あまり健全なこととは思えません。
もちろん、「入試とか試験の点数」にはとにかくシビアで、政治家の親族の大学不正入学がしょっちゅう日本人の想像を絶するレベルに大問題化する韓国では、その「数%の得点加算」というのが受け入れられないほど大きな問題なのかもしれません。
もしその「得点加算」は男女の機会均等的にやりすぎだと言うのなら全く別の何かでもいいけれども、「2年間の軍服務に対する感謝と敬意を社会として示すこと」だけは決して揺るがさない姿勢を示しておけば、ここまで社会を真っ二つに割る分断にはならなかったのではないでしょうか。
甘いことを言うようですがこういうところで問題なのは、「補償の実際のメリット」の部分もさることながら、その献身に対する「感謝と敬意」的なものも同じぐらい大事なんですね。
これは立場を変えても、女性側が伝統的に果たしてきた「献身」が正当に評価されていないことに対する怒りの反応に対しても同じことが言えるのではないでしょうか。
昨今のアメリカ由来のリベラル派のやり方は、こういうところで「自分たちがやられて嫌なこと」を、逆向きに自分たちも敵に対してやっていることに無頓着すぎるように思います。
3:「平均値でしかない統計数字」で論破した気になってはいけない
こういう議論になる時にいつも不毛だなと思うのは、「改革を求める側」が、「範囲が大きすぎる平均値的数字」を持ち出してきて、「だからこそ自分たちは相手に一切配慮をする必要はないのだ」という結論に引きこもってしまうことです。
例えば男女の賃金格差だとか、政治家の男女比だとか、そういうのをひっくるめた「ジェンダーギャップ指数」とかそういうものですね。
しかしそうした「平均値的な統計数字」は、それをきっかけに細かく実態を見ていってお互い納得できる解決策を練っていく方向に使われれば有意義ですが、単に「敵側を全否定して殴るためのネタ」として使われると果てしなく無意味な罵り合いしか生みません。
なぜなら「女性全体の平均の数字」を出すことは、必ずしもそれを主張している「比較的恵まれた環境の女性」の不遇を意味しないからです。
そして、「平均値を大きく押し下げている恵まれていない立場の女性」の環境を引き上げるには、えてして学歴と資本に守られた都会の上澄み特権階層以外にも「マトモな配慮」が行き渡る文化的基盤を守る必要があり、その基盤を維持するためには、たいてい「2年間の兵役をこなした人への敬意と感謝」的な感情的な義理の連鎖を利用することが不可避に必要だからです。
この図は私の過去の著書で使ったものですが、「社会に課題が共有されるまで(上図で言えば“滑走路段階”)」は確かに「黙らされないぞ!」という非妥協的な糾弾姿勢が大事ですが、解決の必要性の合意が取れてきたら(上図の”飛行段階”)、そこから先は必要な態度が変わってきます。
「飛行段階」に入れば社会の逆側にいる人たちの合意と納得と具体的な制度設計を引き出していく必要が出てくるわけですが、そこでも「敵側全否定のナルシシズム」で糾弾を続けていると具体的な細部の話が積んでいけません。そのうち強烈な反撃を受けて「理想そのものを全否定される」情勢にまでなる危険性も出てくる。
具体的には、「統計」は他人を殴る道具でなく「具体的な提案をする」道具にするべきなんですね。
「あなたの会社は駄目ですね」ではなく「あなたの会社のこの指標は他社より低い傾向にありますが、その理由は何でしょうか?改善のためにできることはありますか?」という具体的な数字と具体的な対策に話を集中するように持っていけば、感情的対立を避けて「我々感」を維持したまま具体的な解決策を積むことができる。
数々の指標が一緒くたになっている問題が多数指摘されているジェンダーギャップ指数のような数字をお経みたいに唱えるのをやめて、あと三歩ぐらいブレイクダウンした数字を使えば具体的な課題が見えてくる。
例えば日本の場合、単に政治家の男女比…といった数字を出すのはフェアではありません。世界一の高齢社会の日本では高齢政治家の割合が高いことは不可避であって、上の世代にはそもそも政治家になる人材プールに女性が少ないので差が出るのは当然だからです。
そういうアンフェアな批判のしかたを放置していると、「社会の逆側」に“恨みのエネルギー”が溜まってきていずれ大反撃を受けるでしょう。
しかし、例えば「20〜30代の新人政治家の男女比」という数字を出して検討するなら、一気にフェアな議論が可能になります。それぐらいまで具体化した数字を元に考えれば、実際に意味のある対策を見いだせる可能性は高まります。
そういう「逆側の人との共有基盤」を作っていってはじめて、家事の分担がどうだという話から、女性芸能人に権力を使って性行為を迫る男を排除するといった問題まで、スムーズに津々浦々で解決していくことが可能になります。
最近出した私の著書で、この10年で150万円平均年収を引き上げることができたクライアント企業の話を書いた時に、担当編集者に「そこまで大きな改革が実現したのだから、守旧派を打ち破る大きなドラマがあったでしょう。それについて書いて下さい」と言われて気づいたのですが、最近は「“敵”を論破して排除すれば劇的に物事が改善する」と思い込みすぎる風潮があるのではないでしょうか。
「平均年収を大きく引き上げる」というのは、単に「皆で頑張る」といったレベルを超えて、かなり大きなビジネスモデルの転換が必要です。それは敵を論破して押し通せば可能になるようなものではありません。
あらゆる立場の人の気持ちを吸い上げていって、その「感情的共有基盤」の上で、毎日生起するいくつもの課題を一個ずつ丁寧に潰していくことで、気づいたら一つにまとまれて実現していた…というようなプロセスが必要です。
「アメリカ型の反差別運動」は、出会い頭に踏み絵を迫ってすぐに「敵と味方」を分けてしまうので、ハイコンテクストかつ高頻度で更新される「反差別のマナー」的なものだけが強烈に押し売りされますが、公教育の学区ごとに予算が全然違う問題みたいな根本課題は放置されたままになってしまいがちになる。
社会の喫緊の課題は全部ジェンダーや各種性的マイノリティなどの問題ではありません。経済格差の問題もあるし、欧米文明から圧迫される社会の文化的連続性みたいなものを重視したい人もいるでしょう。
それぞれの人が自分の「ベタな正義」を持っているので、「自分のベタな正義」だけを全面化して他人の「ベタな正義」を否定し始めるとどんどん膠着状態になってしまう。
それぞれの「ベタな正義」を否定せずに、「相手のベタな正義が存在している理由」までさかのぼって統合していく「メタな正義」を結集軸に作っていくことが必要なのです。
4:「白vs黒」を超える「黄色の視点」を掲げよう
ウェブ記事でこういう論調の話を書くと、
「“被害者側”は一切配慮する必要はない。なぜならそこでの配慮は加害者に加担することになるからだ!」
…みたいな「最近のアメリカ型リベラルの宗教教義」を持って殴りかかってくる人がいます。
しかし、そうやってアメリカは「どこまでも非妥協的に糾弾だけをすればいい」方式で社会運営をした結果、社会の半分が強烈にトランプ氏を支持し、その「理想」ごと全部否定しにかかってくるような情勢になってしまっているじゃないですか。
さらにはそういう非妥協的な「アメリカ的理想の押し売り」が、人類社会の逆側で中国やアフガンやロシアなどの暴走的な統治を生み出しており、結果としてその「欧米的理想の中で生きられる人数」がむしろどんどん減っていってしまうことになる。
「あなたは“白人側”の人間なのだから、“黒人側”の人間に対して常に膝を屈して許しをこう姿勢が必要なのだ」とか言われると、日本人の私は「俺は白人でも黒人でもねーわい!」という気持ちになります。
そういうあらゆる課題を「純粋な加害者と純粋な被害者」に分けて糾弾する姿勢こそが、解決から遠ざけてしまう元凶なのだとそろそろ気づいてもいいのではないでしょうか。
オバマ元大統領が、「ネットで他人に石を投げて批判しているだけでは社会は変わらない」と昨今のアメリカのリベラル派の純粋主義を批判したのが話題になっていたように、欧米でも良識派の知識人ならそういうことはわかっているはずですが、じゃあ強権で黙らせるのがいいのか?と言われると難しい袋小路に陥ってしまっているわけです。
欧米由来の「白VS黒」の果てしなく非妥協的な論争を超える「東アジア的中庸の徳」=「いわば“黄色”からの視点」こそが、今の人類社会が切実に必要としている視点だと私は考えています。
今回の選挙において韓国国民が、「非妥協的に糾弾しまくるアメリカ型リベラル」の流れから脱却するような決断を総体としてしたことは、好意的に見ればその「黄色からの解決」を目指す一環だと考えられるのかもしれません。
韓国は日本人から見ると極端なことをしがちで、一度やりすぎなぐらい右にガツンとハンドルを切って無理やり進んでみては、また混乱しては左にガツンと切って…のジグザグ走行で変わっていく流れがあるのかもしれません。
一方で最近の日本では、『鬼滅の刃』の大ヒットに見られるように、単に「昭和的な過去の延長でもなく、グローバルなやり方を丸呑みにする平成風でもなく、自分たちが持つ本当の価値をグローバルな仕組みと自然に溶け合わせる令和のビジネスモデル」が見えてきたりもしています。
(鬼滅のヒットを支えたビジネス面の工夫がいかに新しいかについては、この記事では字数的に書ききれないのでご興味があればこちらの記事をお読みください)
「時に暴走しながらジグザグ走行で変わっていく韓国」と、「積み上げ式でやっと自分たちなりの解決が見えてきた日本」と、それぞれなりに「アメリカ型の糾弾先行な改革志向」を乗り越える道を模索しているのだと理解すると良いのではないでしょうか。
そうやって「それぞれ自分たちに合ったやり方があるのだ」という理解ができるようにならないと、日韓関係は不毛な罵り合いに陥りがちですからね。
5:「お互いの違い」を尊重しあえる日韓関係に
過去10年ほど「韓国型に極論で急激に変えていく」方法に憧れる日本国内の左派の人が、韓国を何から何まで美化する傾向があって、それはそれで不健全だなあと思って見ていました。
SNSで「さすが韓国!時代遅れのアベが支配する日本とは違いますね!」とか称賛する左派の人が沢山いる一方で、日本は日本のペースでやりたい保守派は「韓国経済は大崩壊するぞ!」などと言っている…ような不毛な状況になっていた。
イデオロギー的に「自分たちのサイド」が勝ちさえすればバラ色の世界が開けるという発想から、相手を過剰に理想化したり卑下してみせたりする態度は不健全です。向き合うべき具体的な現実の課題から目を背けることになってしまう。
例えば「韓国に憧れる日本人」の間では「今では韓国の方が実質賃金が高い!もう日本は駄目だ!」というような話が定番になっていて、韓国人もよくそういう話をするのを耳にするんですが、それは実は購買力平価(PPP)という特殊な算出法を用いていることに注意が必要なんですね。
普通に為替レート基準で見れば、実はまだ日本の方が24%ほど高い。
購買力平価というのは、その国の物価を元に「実質的な購買力」を比較するというコンセプトで作られたもので、物価が安いと高く出る構造になっている。
それで比較するのが「庶民の生活の豊かさ」を測る基準として正しいのだという意見はそれなりに理解できるものの、実はその購買力平価基準で見れば2017年以降すでにアメリカより中国の方がGDP総額が大きいことになってしまうというような、結構特殊な世界観であることにも注意が必要です。
また、他にも日韓の経済パフォーマンスの違いとして大きいのが地価の問題で、韓国の住宅価格指数は、以下のように
2000年ごろの底から3倍近くにもなっていますが、日本は90年代初頭のバブルのピークから3分の1程度になったままです。
つまり、過去20年ほど韓国人はマンションなり何なりを持っていただけで急激に資産が増えて、それを原資に経済活動が出来たのですが、これは国の発展段階において一度だけ使えるブースターロケットのようなものです。
昨今ソウルの地価の上昇に歯止めがかからなくなり、文在寅大統領の支持率が落ちる原因になったことを考えると、韓国もアメリカのように「天文学的格差が広がっても地価上昇を放置して経済全体の成長を優先する」みたいなことはできずに、日本と同じ「先進国としての課題」にぶつからざるを得なくなってきているのだと言えるでしょう。
以上のような話をしているのは、「どうだ日本経済の方がまだ凄いぞ!わはははは!」みたいな話をしたいからではありません。
あまりにも「韓国に負けてるぞ!」というのが日本の左派や韓国人の中では“常識”のように語られるのは、無内容な「日本スゴイ!」系の議論と表裏一体のバカバカしさを感じるという話なんですね。
結局日韓の左派がSNSで共有している「輝かしい民主主義の闘士、文在寅が率いているから韓国はあらゆる面で絶好調だが、日本はクズのアベが率いていたのであらゆる面で衰退した」みたいな話は、「韓国経済は大崩壊する!」と言っている日本の一部保守派の議論と変わらないレベルの意見に過ぎません。
日本はアベノミクスで「みんなの雇用を守る」ことを最優先に真剣になったために平均給与的な数字は高くないんですが(就業者の“母数”がかなり増えたことが平均値の低下に現れている)、失業率は世界最低レベルに貼り付いているし、何より若年層の就職状況がかなり良くなったのが社会の安定化に寄与しているはずです。
一方で韓国は自他ともに認めるネオリベ競争社会で、特に若年層の失業率がかなり酷いらしいという話も聞きます。アベノミクスで雇用を守られた日本の若年層がかなり明確に与党=自民党支持傾向があるのと、今回の韓国大統領選挙の結果は非常に対照的な現象だと言えるでしょう。
つまり結局ローリスク・ローリターンを目指した結果狙い通りそうなった日本と、ハイリスク・ハイリターンを目指した結果狙い通りそうなった韓国という違いが、実際のところの「日韓の違い」だと言えます。
だからこそ、日本は日本で「韓国経済は崩壊する!」とか言ってないで日本の課題に向き合うべきだし、韓国人も「日本に勝ったぞ!」とか言ってないで韓国の課題に向き合う議論をするべきですよね。
上記のようなしょうもないSNSバトルが頻発する、過剰な理想の押し付け合いを避けて、それぞれの国に合った道を進むのだという理解さえあれば、日韓がお互いから学べることはそれなりにあるでしょう。
日本はそろそろ内輪に籠もった守りの姿勢を改め、韓国を見習って海外に攻めていく改革が必要な面は明らかにあるでしょう。一方で、韓国も果てしないネオリベ競争社会化に抵抗したいと思う人もいるはずで、そこで日本的な社会の安定性を参考にすると良い面も少しはあるかもしれない。
ウクライナ侵攻のような世界史的大事件が起きれば、今までのように「欧米的な価値観を非欧米に押し付けるだけ」の秩序が揺さぶられていくことになります。
そうすると、「欧米的理想」と「非欧米社会」をいかに自然に溶け合わせるかという課題に向き合わざるを得ない。
上図のように両側から全力で押し合いへし合いになって行き場を失っているエネルギーを、「注射器の先に穴をあける」ことで本当の解決に向かわせる必要がある。
日韓はそれぞれのやり方で、そういう「白VS黒」ではない「黄色の視点」を形にしようとあがいている途中なのではないでしょうか。
「欧米文明の外側を常に断罪しまくる」姿勢を超えた、新しい「中庸の徳」的な視点が生まれてくれば、その先に日韓の「本当の相互理解」も可能になってくるでしょう。
歴史問題にしても、「韓国に対して一切悪いことをしていない」と考えている日本人はあまりいません。しかし、帝国主義全盛時代の欧米社会の暴虐に抵抗する必死の反撃をした当時の日本の功績的な要素を一切勘案しないような、「白VS黒」の視点だけで断罪する視点のアンフェアさが受け入れられない本能的反感が、問題がこじれる根本原因としてあるでしょう。
それは、韓国のフェミニズム運動が、実質的に国を守り続けている兵役を担う人々への配慮をあまりにも欠いているために強烈な反撃を受けてしまうのと同根の課題に向き合うことでもあります。
そういう「欧米的基準の押しつけを完全に相対化した先での多面的な理解のモード」が立ち上がってくるまでは、日韓関係はお互いのベタな正義を完全に相手に飲ませようと押し付け合うばかりになり、無理に仲良くしようとすればするほどコジレることになるでしょう。
日韓関係の改善を明言した尹大統領と岸田首相との間では、とりあえず法律的・経済的・外交的にお互い実害が少ない暫定的な取り決めをし、「小康状態」ぐらいにすることができればいいと思います。
「その先」の本質的な解決を目指す時、我々は欧米文明と「ソレ以外の社会」とを徹底的に等価に尊重し、欧米的理想を捨てないからこそ、非欧米社会のリアルな人心の延長に無理なく溶け合わせていくような、全く新しい「メタ正義」的な対話のモードを発明していくことが必要になるでしょう。
突拍子もないことを言うようですが、ウクライナ情勢のような世界史的転換の中で、我々人類はそういう新しい感覚なしには第三次世界大戦だってありえる情勢の中に生きているのです。
そういう人類社会の転換の中で、尹候補の勝利は「過去10年のアメリカ型の理想の押し売りをするリベラル」的な存在には挫折かもしれませんが、「全く新しい対話のモード」の誕生を告げる出来事かもしれません。 特に、「文在寅的革新派」を支持していた韓国や日本の左派の方々には、単に「新しく出てきた敵をやっつけなくては」という姿勢でなく、「彼らが支持された理由」を断罪せずに向き合う姿勢を見せてほしいと思っています。
(お知らせ)
すべてを「敵と味方」に分けて延々と糾弾する事に熱中し、社会の逆側に巨大な恨みのエネルギーを溜め込んで常にバックラッシュに怯えることになる「改革」ではなく、「感情的な共有基盤」を育てていきながら「本当に社会を変える」ための有意義な議論をする方法について、私のクライアント企業で10年で150万円もの平均年収を上げることに成功した事例などを起点としつつ、徐々に社会全体の大きな課題解決の論点整理にまで踏み込んだ本を先月発売しました。
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