バーンズ・アンド・ノーブルの#BookTokコーナーはYAコーナーやペーパーバックを収めている2階にある。『A Little Life』や『Station Eleven』などの重厚な文芸書も何作か含まれている
渡辺由佳里 Yukari Watanabe Scott
エッセイスト、洋書レビュアー、翻訳家、マーケティング・ストラテジー会社共同経営者
兵庫県生まれ。多くの職を体験し、東京で外資系医療用装具会社勤務後、香港を経て1995年よりアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』で小説新潮長篇新人賞受賞。翌年『神たちの誤算』(共に新潮社刊)を発表。『ジャンル別 洋書ベスト500』(コスモピア)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)など著書多数。翻訳書には糸井重里氏監修の『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経ビジネス人文庫)、レベッカ・ソルニット著『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)など。最新刊は『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)。
連載:Cakes(ケイクス)|ニューズウィーク日本版
洋書を紹介するブログ『洋書ファンクラブ』主催者。
若い女性がTikTokでアメリカのベストセラーリストを根こそぎ書き換えた
新型コロナのパンデミックは数々の産業に影響を与えているが、少なくともアメリカでは紙の書籍の売上は増加している。2022年1月10日版の出版業界紙Publishers Weeklyの報告では、2020年には販売数が前年より8.2%、2021年にはそれよりさらに8.9%増加した。
同誌の1月31日版を読んで、コリーン・フーヴァーの『Reminders of Him』というソフトカバー(Trade Paperback)が、新刊のハードカバーを含む紙媒体の書籍でダントツNo. 1のベストセラーになっていることを知った。NPD BookScanによると1月18日の発売から5日間で6万3672部売れ、その翌週にも3万3589部売って1位の座を保った。
この作品の内容は不遇な環境で育ったヒロインが飲酒運転で交通事故を起こして最愛の恋人を亡くしただけでなく懲役刑を受け、服役中に産んでから一度も会っていない娘に5年の懲役刑を終え会いに行くというもので、読者を泣かせるための状況がいくつもちりばめられている。
文章やプロットが特に優れているわけではないし、大手新聞社が書評を書くような本ではない。だが、作者のコリーン・フーヴァーはこのように女性主人公が不運や残酷な人間関係によって打ちのめされる筋書きを得意とするロマンス小説作家であり、それを求める若い女性に人気がある。
数年前から情熱的なファンを増やしているのは知っていたが、これほど売れたのには何か特別なきっかけがあるはずだ。そう思っていたら、ソーシャルメディアのTikTokが引き起こしたベストセラーだとわかった。TikTokがベストセラーを生み出す現象については、これまでにもThe New York Times紙などで話題になっていたが、『Reminders of Him』の販売数は、その影響力の強大さを知らしめる出来事だった。
バーンズ・アンド・ノーブル(マサチューセッツ州)の正面入口を入ってすぐにあるハードカバーのベストセラーコーナー。30%割引でアピールしている
冒頭でパンデミックの影響で紙の書籍の売上が増加していることを書いたが、前年より30.7%増で2021年に最も成長したジャンルはティーン対象のYA(ヤングアダルト)であり、その数字に貢献したのが、約69万部売れたアダム・シルベラの『They Both Die at the End 』(2018年刊)と、約77万部売れたコリーン・フーヴァーの『It Ends with Us』(2016年刊)だった。
『They Both Die at the End』は、近未来の世界を舞台にしたラブストーリーで、その日の終わりに死ぬことを告げられた2人の10代の少年が出会い、恋に落ちる。『It Ends with Us』は主人公の女性のロマンスを通してリアリスティックなドメスティック・バイオレンスの例を教えてくれる。
販売から何年も経ったこれらの古い作品をベストセラーに引き上げたのもTikTokだった。パンデミックで本を読む時間ができたことに加え、リアルで人と繋がる機会が減って人恋しくなった若者たちが他人とのコネクションを求めてTikTokで好きな本への情熱をシェアしはじめたことが背景にあると考えられている。
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「この本はすごく泣けた」を強調する米#BookTokタグ動画の特徴
英語圏ではかなり早期から本を売るための「口コミ」マーケティングのツールとしてブログ、Twitter、YouTube、Instagramなどが使われてきた。ブログは書評としての長めの文章であり、Twitterはそれを広めるために利用されていた。YouTubeは映像だが本の内容や感想を丁寧に説明するものが多い。次第にInstagramがよく利用されるようになったが、本を美しく撮った写真が中心で内容についての説明はほとんどない。
TikTokでの本の紹介はこれまでのメディアとはどこが異なるのか?
本を紹介するためにつけられているハッシュタグの、#BookTokや#RemindersofHimの人気動画を観ると、圧倒的に若い女性による投稿が多い。本の内容を紹介するよりも、ムードを盛り上げるBGMが流れ、自身の涙や登場人物に対する憧れの表情で「自分がどう感じたか」を顕に表現するのが特徴だ。
TikTokはエンターテインメントの要素が強いSNSなので、本の紹介もまたエンタメになっている様子だ。また「素人っぽさ」が好意的に受け止められるのもこのSNSの特徴だ。プロだとわかる美しい踊りよりも、若い女性の素人っぽい踊りの方に人気があるようだ。ティーンの利用者にとっては、そのほうが「本物らしい」と感じ、感情面でつながりやすいのかもしれない。
InstagramやTikTokといったタイプのSNSで重要なのは「見かけ」である。投稿に多くの♡(いいね)をもらうためには、ビジュアル面でアピールする紙媒体の本である必要がある。2021年に紙媒体とオーディオブックの売上が増加したのにも関わらず電子書籍が減少した背景には、そういった理由があるのかもしれない。
ほんの数年前まで自費出版だったコリーン・フーヴァーはファン層を広げることで、大手出版社から改めて本を刊行することができ、自分だけのコーナーを作ってもらえるほどの人気作家になった
日本でもTikTok投稿者による本の紹介で売上が大きく伸びる現象が起こり、昨年末に賛否両論の話題になったようだ。話題になった方の投稿をいくつか観たが、前述の英語圏の#BookTokのインフルエンサーたちよりずっと中身が濃くて、素晴らしい読書応援だと思った。どちらかというと、英語圏で人気の20代の若い書評系YouTuber、ジャック・エドワーズに似ている印象もある。
彼がTikTokで話題になっている本を読んだ感想を語っているが、私が「洋書ファンクラブ」という英語本の紹介ブログでの本の感想がほぼ一致していて親近感を覚えた(彼が紹介した本はすべて読んでいるが、ブログでは紹介していない本がある)。エドワーズは大学で英文学を学び、現在では出版業界でリサーチ・アシスタントをしているらしい。
このタイミングでTikTokでの本紹介が日本で話題になった理由は「世代差」なのかもしれない。インターネットがない時代に育った私たちの世代にとって、書評は大手新聞や雑誌で読むものだった。私たちの世代がネットでの「ブログ」でレビューを読むようになったのはほんの10〜20年ほど前のことで、AmazonがKindleを発売した2007年には「電子書籍で本を読むなんてとんでもないことだ!」という紙媒体vs電子書籍の大論争もあったくらいなのだ。そんな古い世代の人たちがYouTubeやTikTokで本の紹介をすることに違和感を覚えるのは仕方がないことかもしれない。でも、インターネットと一緒に育った世代にとっては最新のSNSで本の感想を伝えるのは、単に自分や相手にとって便利な伝達手段を使っているに過ぎない。
前述のエドワーズはTikTokにもアカウントを持っているが、こちらの方では本の紹介より本にまつわるあれこれをユーモラスに紹介する「ネタ動画」にフォーカスを絞っている感じだ。私も#BookTokの人気投稿をいくつか観て感じたことだが、彼もTikTokでは表現できる限界があると感じているのだろう。少なくとも英語圏で現在流行っている#BookTokに関しては、内容があまりないのでTikTokの主要ユーザーたちが成長する数年以内には飽きられると思っている。
だからといって#BookTokのインフルエンサーたちを過小評価するつもりはまったくない。
現在29歳の私の娘が幼い時には『ハリー・ポッター』シリーズが、そしてティーンの頃にはバンパイア・ロマンスの『トワイライト』シリーズが爆発的に売れて出版業界は潤った。その頃に『トワイライト』に夢中になっていた少女たちは、過去の自分のテイストを恥じて話題にしたくないようだが、親の私は彼女たちがどんなに情熱的にバンパイアを愛していたかを覚えている。『ハリー・ポッター』と『トワイライト』を口コミで広めて、読み漁った彼女たちは、成人してからは古典や文芸小説、ノンフィクションを数多く読む読書家になっている。
どのような本から入り込んでも、いったん身につけた読書習慣はほぼ一生続く。だからこそ、現在ティーンのTikTokインフルエンサーによる#BookTokは出版業界にとってありがたい存在なのだ。彼・彼女らは、ビデオゲームやネット動画やソーシャルメディアといった競合たちと「時間」の奪い合いをしなければならない出版業界を助けてくれるボランティア戦士なのだ。
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「若い読書家」は育っても「若いインフルエンサー」が活躍し続けられるとは限らない
1階の入口近くにあるのは、#BookTokではなく、Book Clubで人気の新刊ハードカバー。昨今の流行りではなく、何十年も本を読み続けているタイプの読者を対象にしている
TikTokにおける最大の問題は、インターネットが普及してからの私たちが加速度的に注意散漫になっていることだ。
今年1月に発売されたイギリスのジャーナリスト、ヨハン・ハリの『Stolen Focus』に「アメリカ合衆国ではティーンエイジャーがひとつのタスクに集中できるのはたったの64秒」と書いてあったが、これではYouTube動画ですら最後まで観ることも不可能だ。
どんどん注意散漫さが加速するソーシャルメディアの中でも、TikTokはさらに注意散漫なメディアである。出版業界は現在人気のインフルエンサーを利用して本の販売数を増やせればそれで良いが、現在人気のインフルエンサーたちが読書をしながら自分の地位を維持するのは難しいだろう。最初は好きでやっていたのに、いつしか「飽きられない」「忘れられない」ことが目的になってしまうのがよくあるパターンだから。
ゆえに、現在#BookTokで活躍しているボランティア戦士たちの将来を考えると、悲観的にならずにはいられない。
YouTubeで人気になったジャスティン・ビーバーなど、SNSで有名になって成功した人はいる。けれども、彼らはもともと優れた才能があり、SNSはマーケティングのツールとして機能しただけだ。
こうしたテーマについて考える時、パンデミックが始まる1年前のあるビジネスカンファレンスで、2組のソーシャルメディア・インフルエンサーに会ったことを思い出す。
一人はうっとりするようなリゾートライフの写真で人気のインスタグラマーだった。Instagramでのビキニの写真から想像するより痩せて見える若いブロンドの彼女は、「古いマーケティングなんかもう終わった。私のようなインフルエンサーにお金を払って商品を紹介するインフルエンサー・マーケティングをもっと積極的に企業に勧めるべきだ」と力説して去っていった。
もう一組は、ヨガのYouTube動画で有名になった30歳前後の長身で美しいカップルだ。彼らはこの人気をそのまま維持するのは不可能だと自覚していて、人気があるうちに継続可能なビジネスを作り上げようとしていた。その翌年から誰も予想していなかった新型コロナのパンデミックが始まり、リゾートライフを送っていた若い女性インスタグラマーはいつの間にかネットから姿を消したが、オンラインでのヨガレッスンのサブスクリプションを本格的に始めていたカップルは生き残った。
現在人気があるティーンのTikTokインフルエンサーたちの中には、親がマネジャーになってリアリティ番組を始めた者や、芸能界で仕事をするためにタレント・マネジメントの会社に登録した者がいる。だが、彼女たちがTikTokで人気になったのは、プロとして活躍できる才能を発揮したからではない。リゾートライフを売り物にしていたインスタグラマーと、現在TikTokで人気があるインフルエンサーたちは私には見分けがつかないほどよく似ている。若くて、スリムで、化粧が上手で、同年代の少女たちが「私もこうなりたい!」と夢見るようなタイプだ。
でも、彼女たちが20代後半になるころには、別の新しいSNSが誕生していて、もっと若いインフルエンサーがトップの座に君臨するだろう。彼女たちが周囲の大人によって消費される未来を想像して切なくなる。
終わりがない繰り返しのようだが、『Stolen Focus』にも書いてあるように、加速する注意散漫さには限界がある。限界に達した時、それまで注意散漫さを加速させ続けた人と、それに抗って深い思考をする訓練をした人の間に大きな差が生まれるとも考えられる。
最近、私が周囲の人と語り合っているのが「振り子の揺れが逆に向かう」可能性だ。
アメリカでは1950年代から60年代にかけて加工食品のブームが到来した。母乳よりも粉ミルク、伝統的な料理よりもテレビでコマーシャルをしている最新の加工食品を使う方が良いという考え方が広まったのがこの時代だ。けれども、それらの加工食品で育った次の世代が歓迎したのは「スローフード」など、地元産の新鮮な食品を使って料理をする価値観だ。
このように、情報過多と注意散漫がいったん限界に達したら、次にやってくるのは「ゆっくりと時間をかけて考える」ことと「リアルで会って、じっくり語り合う」ブームではないかと思うのだ。
予測というよりもは、希望的観測にすぎないが。
インスタントフード時代からスローフード時代への変革がやってくるかもしれない。