譲れない伝統を守りながらも、時代に合わせて変化し続けるのは簡単ではない。しかし、日本の伝統産業は、絶えず革新を重ねることで、何世代にもわたり受け継がれてきた。
とりわけ、バブル期以降は、人口の減少や生活様式の欧米化など、伝統産業は絶えず変化にさらされてきた。しかし、そうした時代の移り変わりさえも、担い手にとっては、新しいことに挑戦するチャンスになり得る。
「この時代だからこそできる、新しいことに挑戦するのが僕たちのやり方です」
京都の漆メーカー『佐藤喜代松商店』の4代目社長、佐藤貴彦さんの言葉だ。
佐藤喜代松商店は、主に着物の型紙に用いる漆のメーカーとして1921年に創業。以来、時代を経るごとに、事業の幅を広げ続けてきた。
現在は、漆材料の研究開発や新商品の企画開発も手がけている。同社の販売する高品質の漆『MR 漆®』は、器や仏壇だけではなく、エレベーターや自動車、フローリングなどにも利用されている。
既存の枠組みに囚われず積極的に変化し続ける。そんな彼らの飽くなき挑戦を支えてきたのが、『京都市産業技術研究所(以下、京都市産技研)』だ。「京都のものづくり文化の優れた伝統の継承」を掲げる京都市産技研は、佐藤喜代松商店と共に、どのように漆業界をアップデートしてきたのか。伝統産業が最盛期を迎えたバブル期まで遡り、その歩みを辿っていく。
需要の減少を前に、次の一歩を探る
「このままでは、いずれ漆の需要がなくなる時代が来る。なんとかして、次の一手を打たなければと思っていました」
そう振り返るのは、佐藤貴彦さんの父、佐藤喜代松商店の三代目社長を務めた佐藤豊さんだ。豊さんが社長に就任したのは1988年。伝統産業は好景気に沸いていたが、彼は熱に浮かされることなく、冷静だった。
豊さん「好景気が続く一方で、日常生活のなかで漆を用いた製品に出会う機会は減っていたんです。漆器も徐々にプラスチックの食器に代替されている。漆製品が少しずつ姿を消している。このままではいつか漆業界は立ち行かなくなるのではないか。そんな危機感がありました」
バブルが崩壊すると、豊さんが予見していた変化が起きる。伝統工芸品の売上低下により、本格的に産業全体に陰りが見え始めた。冷静に変化を見つめていた豊さんは焦ることなく、打開策を探るための一歩を踏み出した。
豊さん「周囲の漆業者を集め、勉強会を始めました。同業者の間にも焦りがあったのだと思います。議論を始めると、『漆の用途を広げたい』あるいは『熱に強い、乾きやすい漆をつくりたい』など、いくつもアイデアが挙がりました」
同業の仲間たちも、このまま黙って衰退していくつもりはない。この熱量を挑戦へと向けられれば、可能性が広がるはずだ、そう豊さんは考えた。
豊さん「みんなで考えて、アイデアもたくさん浮かびました。けれど、それを形にするために必要な技術力や知識が十分ではなかったんです」
熱量はある、アイデアもある。だが、実現するための知識が足りない。豊さんは次の壁にぶつかった。
技術の力を掛け合わせて生まれた『MR漆®』
新たな壁に直面した豊さんの頭に浮かんだのは京都市産技研の大藪さんの姿だった。京都市産技研は、京都のものづくり文化の継承、発展のため、産業技術にまつわる研究開発支援や事業支援を積極的に行なう公設工業試験研究所(公設試)だ。高分子や金属、窯業、バイオなど、8つの専門的な研究チームを有し、技術相談や共同研究、担い手の育成事業など、幅広い支援を提供している。
豊さんは、当時、漆産業を担当していた工芸材料研究室の大藪さんと面識があり、工芸材料研究室が熱心に漆を研究していることも知っていた。技術を取り入れ、漆を改良するため、豊さんは迷わず大藪さんに相談した。
豊さんは大藪さんに講義を依頼。講義では、漆づくりを科学的に分析し、改良する方法について学んだ。漆業者は豊さんも含め、文系の人が多く、経験から技術を学んできた。黒板に並ぶ化学式や計算式を前に「みんなついていくのが必死だった」と振り返る。
大藪さんは勉強会への参加と並行し、漆の改良に向けた研究を進めていった。乾きが速く、耐久性の高い漆ができるならと、豊さん含め、漆業者は実験に必要な漆を惜しみなく提供した。
「漆産業を衰退させないために」その気持ちでつながり、豊さんを始めとするメンバーは、試行錯誤を重ねた。突破口が見えたのは、漆をかき混ぜるときに用いる装置だった。
豊さん「従来は大きな桶で漆液を加熱しながら長時間攪拌していたため酸素が入りやすく、漆を乾かす際に必要な酵素の活性を低下させてしまい、乾きづらい漆になっていたんです。しかし、縦長のローラーが3つ並んだ装置を用いて、ローラーの隙間に漆を垂らす方法なら、酵素を壊さずに攪拌できることがわかりました」
これは豊さんたちにとって大発見だった。従来の漆産業にとって未知の領域に飛び込んでいった結果、見えた道。その後も改良を重ね、速乾性で耐久性が高く、かぶれにくい漆「MR漆®」が完成した。
(現在も京都市産技研に設置されている装置。三本ロールミルと呼ばれる)
MR漆®は、豊さんの息子であり、現社長の貴彦さんにも大きな変化をもたらした。元々、漆の仕事をするつもりのなかった貴彦さんを漆産業に引き込んだ。
貴彦さん「子供の頃から、父親の仕事を間近で見ていたのですが、漆に対する関心は薄く、会社を継ぐつもりもなかったんです。理系で大学院まで進み、応用昆虫学を学んでいました。卒業後は、青年海外協力隊のメンバーとしてエルサルバドルで活動して、研究者として実績を積み上げていく未来を描いていたんです」
貴彦さんは一時帰国中にバイト感覚で『MR漆®』の研究を手伝い始めると、幼い頃には知らなかった漆の奥深さに夢中になった。
貴彦さん「大藪さんの下で、漆の改良に向けた研究に携わっていると、漆が材料としていかに優れているのか、その幅広い用途に使える柔軟さに驚かされました。同時に、なぜこの魅力が伝わらないのだろう、という疑問も浮かんできたんです。漆はもっと多様な場所で利用できるはず。そうすれば、子どもの頃の僕のように、漆に興味を持てなかった人にも、魅力を知ってもらえるはずだと感じました」
日本初“漆塗りの自動車”が形になるまで
「MR漆®」は、豊さんにとって理想の漆だった。「どんどん売ってきてください」と、大藪さんに背中を押された豊さんは、意気揚々と漆製品を扱う地元企業の門を叩いた。
しかし、「MR漆®」の優れた点を語る豊さんに対し、企業の担当者の反応は冷たかった。「今までずっと同じ漆でやってきたから新しい漆は必要ない」と、京都市内の企業へどれだけ足を運んでも反応は同じだった。
営業は難航し、しばらくの間「MR漆®」が日の目を見ることはなかった。せっかく生み出した理想とする漆が、受け入れられない。次はどうしようかと考えていた豊さんは、漆業者同士の飲み会でのある言葉に耳を奪われた。
「車に塗ってみたらどうですか?」
「漆を車に塗る」この荒唐無稽に聞こえるアイデアに、躊躇う業者もいたが、豊さんはそのアイデアを気に入った。新しい物にも漆が利用できるとなれば、市場は一気に広がる。豊さんは、すぐに車を用意し、知人のツテを辿り、漆の塗装を引き受けてくれる業者を探し出した。
幸い、業者は見つかったものの、何せ前代未聞のアイデアだ。当然、業者も車に漆を塗った経験はない。またしても、試行錯誤の日々が始まった。
豊さん「やってみると、塗装する場所の温度や湿度によって、漆の状態は変わってしまいました。車に使用する塗料と同じくらい漆を塗ってしまうと、分厚くなりすぎて、見た目の美しさが損なわれてしまう。塗装を請け負った業者も当初は苦戦していました」
度々、豊さんの前に現れる壁。「本当に漆を美しく自動車に塗ることはできるのだろうか」と不安になる豊さんを元気づけたのは、大藪さんの存在だった。
豊さん「大藪さんは、漆を塗る場所の温度や湿度に合わせ、どの漆が最も適切か、検証をテキパキと進めていきました。漆を塗る厚さも何パターンか試しながらベストな状態を探る。地道な実験を全力で楽しむ姿をみて、僕自身も、漆自動車の完成が待ち遠しくなりました」
あきらめずに試行錯誤を重ねた末、ついに漆を塗った自動車が完成。発表会当日に合わせてメディアにリリースを送ると、次の日から、地元の新聞から全国紙、テレビに至るまで取材の申し込みが殺到した。
メディアの露出が増えると、自動車企業以外にも複数の企業から「使わせてほしい」と問い合わせが相次いだ。世間が漆という材料の持つポテンシャルに気付かされた瞬間だった。何度壁にぶつかろうとも諦めない姿勢が、伝統産業の新たな道を拓いたのだ。
(当時の新聞の切り抜き。すべて大切に保管されていた)
佐藤喜代松商店は自動車を皮切りに、靴やアクセサリー、工具、付け爪など、多様な漆製品を世に送り出していく。貴彦さんは「あの頃は、とにかく塗れるものには何でも塗りましたね(笑)」と笑顔で振り返る。
受け継がれる漆への情熱
豊さんの挑戦から漆への情熱に火がついた貴彦さんは新たな挑戦を厭わない。そんな貴彦さんの姿に、豊さんは「僕よりもずっとしっかりしている」と感じていたという。2011年、豊さんに代わって、貴彦さんが4代目の社長に就任した。
社長に就任してからも、京都市産業技術研究所やホテルのエレベーター扉を手がけたり、三越伊勢丹のオリジナルブランドに漆を提供したりと、着実に漆の活躍の幅を広げてきた。そんな実りある8年間を経て、貴彦さんには新たな課題も見え始めている。
貴彦さん「漆塗りの自動車を発表して以来、漆と組み合わせられるものは何でも試してきた自負があります。ただ、それだけでは売上の限界も見えてくると感じています。今後は、ただ用途を広げるだけでなく、漆そのものの価値を伝えていく必要がある。そのためにも、より一層質にこだわり、高価格帯の漆製品の企画、開発に注力していきたい。漆という材料だからこそできる、見た目も機能も優れた製品をつくりたい」
より質の高い漆を生み出すために、貴彦さんは定期的に京都市産技研に通い、研究に励んでいる。漆の塗装面の劣化を評価するための「促進耐候性試験機」など、先端の設備機器を利用でき、研究に没頭できる。「根っからの理系で、研究者気質」な貴彦さんにとって理想的な環境だ。
貴彦さんが社長に就任してから1年後、京都市産技研でも世代交代が行われた。大藪さんから漆産業の担当をいま現場で引き継いでいるのは、橘洋一さんだ。漆そのものの良さを発掘したいという貴彦さんの意図を汲み取りながら、研究を支えている。
橘さん「京都市産技研では、伝統産業が積み上げてきた歴史や文化に敬意を払うよう心がけています。漆であれば、ただ何かを加えて新しいものをつくろうとするだけでなく、漆そのものの機能を見つめ直し、魅力を再発掘するようにしています」
実際にどのような隠れた魅力があるのだろう。そう尋ねると、橘さんは嬉しそうに、説明をしてくれた。
橘さん「例えば『漆には抗菌性がある』と言われてきましたが、具体的にどの細菌に対して強いのか、どのくらい抗菌性が強いのか、といったデータは多くはありません。これらを技術的に明らかにすることで、漆という材料の価値をより高められる。それは漆業界、ひいては伝統産業全体にとってポジティブな影響を与えるはずです」
漆そのものの価値を再発掘する。貴彦さんは、橘さんとゴールを共有し、今日も試行錯誤を重ねている。
「今、橘さんと次世代のMR漆®を開発しているんですよ。完成はまだなんですけどね」
そう目を輝かせながら語る姿。きっと先代の豊さんがMR漆®の開発をしていた頃も、同じ表情を浮かべていたに違いない。
公設試は、伝統工芸に科学的なアプローチをかけあわせ、数値やエビデンスを蓄積してきた。きっと、その集積が次の実験へとつながっていくだろう。
時代に合わせて発展していくためには、変化の波にただ流されるのではなく、積極的に挑戦していく姿勢が必要不可欠だ。そして、その背中を見て育った人たちにバトンを渡していくことで、後に続く世代から次の未来がつくられる。
変化の波の中で、自らの枠を超え、チャレンジし続けるのは容易ではない。けれど、貴彦さんには同じ志を持ち、支えてくれる心強い仲間がいる。きっと、彼の心に灯る漆への情熱は、次の世代へと受け継がれていくだろう。その熱量の届く範囲を着実に広げながら。
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